06 聖女の謎、深まる
聖女のマイカ(真唯火)は上機嫌だった。
「みんな火縄銃のお陰で楽に戦えるって感謝してくれた。こわーい国を相手にしてるんだもん。負けられないよね。婚約者の王太子殿下だって私が守らなきゃ。――何でもすぐ分かってくれる素敵な錬金術師さんの事はちょっと心残りだけど……。ダメダメ! 浮気はダメー」
聖女マイカの功績で「この王国」では勝ち戦が続いた。
「侵略戦争」によって国はより強く、より豊かになっていく。
遠い焼け野原には鉛の玉が無数に転がったけれど、聖女マイカの知るところではない。
マリンはどうも、魔法の世界に銃は不釣り合いという気持ちが拭えなかった。
魔法というワードで思い浮かぶ、日本のあのゲームやイギリスのあの映画でも作中の主人公は銃を撃ったりしていない。……あの世界観で銃撃戦なんてされたら台無しだ。
既に凄い魔法がある。
手にする武器はぜひ剣や杖のみであって欲しい。欲しかった。
マリンが「この王国」に来て半月が経過した。
朝起きて着替えた後に朝食を作る。
そうだ、と閃いて急遽目玉焼きの卵を一つ追加した。
楕円形の食堂テーブルに皿やカトラリーをセットして玄関ドアを開ける。
何も語らず手招きすると、門柱のシオンは不審がってポーチに駆け寄って来た。
「おはようございます、マリン様。何か――」
「朝食をご一緒しましょう」
「いえ、とんでもない」
「もう作っちゃったのに?」
「…………」
渋々の甲冑が玄関ドアを抜ける。
銀色の兜を脱ぎ捨てたシオンを食堂に通し、マリンは苦笑した。
早朝から勤務が始まる為、二時間前には彼の朝食は済んでいると前に聞いた。
大柄の男子の胃袋だ。二時間もあれば消化していると思う。それに今から昼まで何時間もある。
「強引でしたよね。でも、これくらい図々しくしないと真面目な貴方は応じてくれないでしょう」
「……困ります。職務規定では――」
「聖女の招待なのに?」
「…………」
では、頂きます――。
手を合わせたマリンは目玉焼きの上にハーブミックスのスパイスを一振りする。
初日に「あるんだ……」と目を点にしたアイテムの一つだ。保存容器とセットで聖女が開発した。
聖女マノが注目していたように異世界と地球とでは時間の流れが違う。
またマノは、聖女が降臨するまでに数十年から百年程度のスパンがある事にも注目していた。間隔が皆バラバラなのだ。
――今日もマノの日記を読み進めたい。
マリンにも気になっている事がある。
聖女の日記と歴史の教科書とで情報に聊か食い違いが見られるのだ。マノも「あれえ?」と首を傾げていた。歴代聖女の中にも不思議に思った子がいたと思う。
初代国王の暗殺未遂事件について教科書では「元勇者は聖女を庇ったが間に合わなかった」と語られ、狙われたのは聖女という事になっている。
少しばかり事実が捻じ曲がって伝えられる事は、よくある。
――でも何だか……。
ふとシオンを見る。
目玉焼きに塩をかけている。
「ハーブが苦手で?」とマリンに問われ、シオンは軽く顎を引いた。
「その調味料が好きではありません」
「調合がダメ?」
「戦場で散々振る舞われた味なので良い思い出がありません。その手軽さ故に盗賊の屋外活動も助けています」
「え……」
火縄銃の時と似た感覚がマリンの脳裏を過ぎる。
――人を選べない。
仕方がない。誰が使うかなんて予測は付かない。
聖女を庇う想念に耽るマリンに、更にシオン。
「突然亡くなった消費者も、少なからず」
マリンはハッとした。
食物アレルギーだ。これについても……十代の子供だった聖女の、考えが及ばなくても仕方がない。食品メーカーの開発担当でも医療従事者でもない。無理だ。
ただ――開発時、傍に錬金術師がいた筈だ。世に放つ前に商品をよく検討し、可能性に気付いて欲しかった。彼らは科学者で化学者なのだから。
マリンは調味料の小瓶を手に取ってひっくり返す。現在の商品には原材料が記載されている。ほんの数十年前までこのステッカーは無かった。
何千何万もの犠牲の果てにやっと今頃、措置が取られた。
唐突に、シオンが食事の手を止めて切り出した。
「私の弟は戦場で死にました。銃で撃たれたのです」
「――――」
マリンの絶句を無視するように、彼は突き付けるように言う。
「鉛中毒です」
「え」
「弾は摘出され銃創には適切な処置が施されました。しかし僅かな鉛の破片が体内に残っていた所為で後日死んだのです」
火縄銃を見た際に想念した「惨い事」をマリンは思い出した。
火の魔法は、跡形も無く消える。
手段が何であれやっているのは同じ惨い事だが、魔法の方がマシ、とつい思ってしまった。
火縄銃は言い訳が苦しくなりそうだ。
――先々どうなるか、何が起こるか予測出来る。
普通に義務教育、平和教育を受けてニュースを見ていれば想像は容易い。十代の子供でも。
いや十代の子供ならば、
――いけないと分かっていても手を出してしまう。
戦争や飢餓が迫っていれば自分や仲間を守る為に行動する。
何十年何百年とか先の世界など気にしていられない。
聖女マイカにはきっと、のっぴきならない事情があったに違いない。
両手のカトラリーを皿の縁に置いてシオンは項垂れた。言ってしまった事を恥じるかのように。
「分かっています。聖女様方は良かれと思って世界に文明を施した。皆十代の無邪気な娘さん達だった。他者を害そうなどと考えた筈も無い。まして戦争を拡大させようなどと」
「戦争……?」
微かにシオンの垂れた頭が浮く。
「王国の国土は徐々に巨大化しています」
そうだったのか、とマリンは俯く。直近の戦争が新聞に載っていない所為で失念していた。聖女に気を取られ過ぎてもいた。
シオンはゆっくりと姿勢を正した。
「父も戦地で亡くなりました。徴兵です。私の出身地は国境沿いの片田舎で、森を挟み当時の敵国が目と鼻の先でした。道案内として呼ばれた父は犠牲になり、村も踏み荒らされました」
シオンの声は落ち着いていた。恨み節ではなくなった。
ただ単に誰かに聞いて欲しいと思っている。
「聖騎士に抜擢されるまで戦場を渡り歩いていた私は、――私には正直分からないのです。何が正しいのか」
首で頷いてマリンもカトラリーを皿の縁に置いた。
聖女とは何なのだろう。
「この王国」にとって本当に良いものだろうか。必要なものだろうか。
翌日。
ランチタイムになりマリンは講堂から解放された。
目の前の教師然とした神官から始まって、王子や魔法騎士が食事に誘うのを丁重に断りながら一目散に馬車に向かう。
馬車に乗り込もうとしていたところで、
「――どうかお待ちを、聖女マリン様」呼び声に首を向けてマリンは目を瞠った。
とうとう出会ってしまった。錬金術師だ。
魔法使いである以上に、科学者で化学者である彼らには警戒が要る。
マリンよりも遥かに優れた頭脳は、冴え渡る「察する」スキルを備えている。
彼らにだけはヒントを与えてはならない。
手出しは勿論、口出しも危険という勘が働いた。
金色の長髪を髷のように結った美形が分厚い本を片手に馬車に歩み寄る。
「ようやくご挨拶が叶いました。遅れてしまって申し訳ありません」
「……いえ、とんでもない」
マリンの方が意図的に彼らを避けていたのだから会えないのは当然である。
彼らの根城は世界唯一の大学だ。王都城塞傍に尖塔を突き出した巨大施設がある。
ゼンと名乗った錬金術師は「今こんな研究をしておりまして――」とマリンに切り出した。
麗しい錬金術師にマリンは失礼でない範囲を心掛けつつ気のない相槌を打つ。
警戒から口数の少ないマリンに気付き、何やら察してゼンは苦笑した。
「もしやマリン様は未だ奇跡を成していない事をお気に病んでいるのですか」
的外れな指摘を逆に利用して、マリンは相手に合わせて苦笑した。
「皆様、大変良くしてくださっているというのに何もお返しが出来ておらず」
ゼンの体がやや前のめりになった。
「そんな事を気にされてはいけません。貴女は聖女。特別な存在なのです」
お気遣い大変有難うございます――ではあるが、的外れなのでマリンを慰める台詞にはならなかった。
こちらも熱心にランチに誘おうとするゼンに「お弁当があるので」と言い置いてマリンはシオンの手を借りて馬車に乗り込む。
マリンの後からシオンが続こうとした時、ゼンが呟いた。
「君は――、オ×××××ではなかったか」
怪訝にシオンの兜がゼンを振り返る。風に攫われて言葉が聞き取れなかった。
シオンには一切興味が無いという風にゼンが「いい。何でもない。行きたまえ」と早口で捲くし立てて手で追い払う仕草をした。
車内に入りドアを閉めたシオンに、マリンは困惑の目を向けた。
「何です、今の」
「皆目」
ちょっと失礼じゃないのか、とマリンが不愉快気に口元を歪めると、兜の隙間から微かに吐息が零れる気配があった。
マリンは軽く瞠目する。彼が笑ったように感じられた。
就寝前、マリンは寝室の天井の梁を凝視しながら想念した。
図書館の文献で、元勇者である初代国王には子供が無かった、という一文を見付けてあれこれ蔵書を探ってみた。
現在の王族たちに元勇者の直系子孫はいない。
その上、
――聖女の子孫もいない。
聖女は皆が皆「王太子」と結ばれた訳ではない。
火縄銃の開発者である聖女マイカは錬金術師と結婚している。婚約者だった王太子が戦死し、悲嘆にくれるマイカを錬金術師が支えた。
――ちょっとだけ違うか。
世に出回っている教科書では王太子は「戦死」だが、聖女マノの日記によれば「事故死」だ。試し撃ちしようとした銃が暴発した。
ただし、亡くなったのが戦場であるから戦死で構わない。
情報がさり気なく異なる。
マリンは小さく欠伸をしてサイドボードの灯りを消す。
マイカとの結婚後、錬金術師は大出世し学長にまで上り詰めた。夫妻は子供を授からなかったが幸せに暮らしたそうだ。