05 聖女の独白
聖女のマノ(真野)は不機嫌だった。
新しい街づくりが上手くいかなかった。
完成形が頭にあるマノからすれば村の開発は完全なる「失敗作」だ。でも城や神殿の人たちは「珍しい風景」などと絶賛してくれる。
――知らないからだよ。パリもベネチアも。
本物を知っていたら「あー……」と皆も肩を落としたに違いない。
実際、知識階級の多くが出来栄えに閉口していると無邪気なマノも察している。マノとて無かった事にしたい。設計図っぽい絵は即破り捨てた。後世に残ったら恥ずかしすぎる。
嘆息したマノは、城内の部屋を出て図書館に向かった。
アイディア探しの旅だ。歴代聖女の功績が記された文献を漁る。ネタ被りしてはいけない。
マノはむうっと頬を膨らませる。
既に「農耕技術・ボーンチャイナ」、「調味料・ガラス瓶」、「レシピ」、「火縄銃」、そして幾つかの家電は世に放たれている。
日本ではマノは社長令嬢で、よく海外へ家族旅行していたから結構外国文化に詳しい自信があった。でも知恵はほぼ出尽くしていた。だからこその「都市計画」だったのにコケた。
分厚い本を手に取って捲る。見覚えのある発明品ばかり。つまらない。
聖女の齎した家電なんて全然凄くない。聖女はアイディアを出すだけでいい。小難しい部分は錬金術師チームがパパーッとやってくれる。
調味料やジャムなんて卑怯過ぎる。
錬金術師が作った「魔法の絨毯」に材料を置いて聖女は完成形をイメージするだけでいい。料理でも何でもない。
大抵、何をしても聖女は褒め称えられる。
マノだって褒められたい。折角異世界に来たのだから偉業を成し遂げたい。
なりそこないのパリの発案者などと後世の人達から思われたくない。
ふと、タイトルの無い背表紙に目が留まった。
「本じゃない? ――あ」
察して本棚に手を伸ばした。やはり日記だ。鍵付きなのに簡単に開いた。
日本語で綴られている。火縄銃を開発した聖女のものらしい。マノの一つ前の聖女だ。
マノも日記を付ける習慣がある。悪いと思いつつも読ませてもらった。
『私がヒロイン――!』マノは閉口する。出だしが痛々しい。こんなのがクラスにもいた。勿論友達では無かった。
所々キツイ文章を苦心して読む。彼女もネタの絞り出しに苦労していたらしい。初代聖女が一番楽勝だったのだ。悔しさはマノにも理解できる。
家電から察しは付いていたが、異世界と地球とでは時間の流れが違う。
初代から現代のマノの降臨までに異世界では七百年以上経過している。しかし聖女らの持つ知識に時代の差はほとんど感じられない。
マイカという名の聖女は初代について触れていた。
初代は最初故にアイディア豊富ではあっただろうが、
『早死にしちゃって可哀そう』
毒矢による暗殺だ。
しかもターゲットは聖女ではなく元「勇者」の国王だった。式典の閉会直後、王を狙った矢が三方向から放たれた。光の反射と音で飛来に気付いた聖女は王の背中に迫った矢を代わりに受けた。
王の背を押し出し、自ら盾になった。王であり夫である元勇者を庇った。
ええー、とマノは内心声を上げた。
――なんか元勇者、かっこわるいなあ。
女の子に守ってもらった。聖女を守ろうとしたけど間に合わなかった、ならまだ格好がついたのに。
聖女は矢に気付き、勇者は気付かなかった。
勇者は「火」と「風」の属性を持っていた。戦場では巨大な長剣に火や風を纏って戦い、風のバリアみたいなものを操っていた。
――肝心なところで仕事しなかったね、精霊。
違うか。勇者が命じなければ精霊は知らんぷりだ。
コマンダーたる勇者の脇が甘かった。
マノは悟った。
――聖女がいなきゃ王様になれなかった気がする、この勇者。
マノと同じ感想を聖女マイカも綴っていた。
朝。
神殿で毎度のお祈りの真似事を済ませたマリンは、講堂に移動してレフィンによるマンツーマン授業を受ける。
始めの頃にさらりと魔法関連の講義を流したレフィンは、今日は世界に存在する魔物の種類についてレクチャーを始めた。
魔物に興味のないマリンは眠気と戦うのに必死になる。
――あの子……。
森での狩りを想起した途端、かくんと頭が落ちた。
慌てて顔を上げるとレフィンの丸まった目とかち合う。
「どうかされましたか、マリン様」
居眠りをされていたなどとは疑いもしないふんわりな神官に頬を引き攣らせて、マリンは咄嗟に言い訳を考えた。
「あ――その、以前からちょっとした疑問がありまして」
「はい、どうぞ」
「魔物ってどこで生じるんでしょうか」
レフィンの目がまた丸まる。
予想外のリアクションをされてマリンは慌てた。森で小さいオオカミを見逃しましたと言う訳にはいかない。
「いえ、別に良いんです。何となく気になっただけで」
教壇からマリンの机に一歩歩み寄ってレフィンは感心したように頷いた。
「マリン様は鋭くていらっしゃる」
「……え」
「図書館に通われているからお気付きになられたのですね。彼らに関する文献が少な過ぎる事に。お察しの通りです」
「え、はい?」
お察しとは、とマリンは困惑する。レフィンは続けた。
「魔物の生態は昔から謎が多く、研究はほとんど進んでおりません。他の動物を食事にしているのに自らは死んでも他の食事にはならず、石になるだけ」
食物連鎖から弾き出されている。不思議な存在にマリンは妙に感心してしまった。さすが魔法の世界、って感じだ。
過去に魔物がイナゴよろしく大発生した事例は無いとドロシーが言っていた。森のテリトリーから出て来る事も滅多にないと。
アイドルのようだ。会いに行かなければ会えない。
会いたくないなら会いに行かなければいいのだ。
マリンの心中など知る由も無いレフィンは細く白い顎に手を当て宙を見据えた。
「彼らが生まれる前、或いは直後に駆除出来れば、と我々神殿も考えてはいるのです」
「…………」
マリンは嘆息を堪えた。
そういう意味で訊いたんじゃない。けど説明も出来ないので結局飲み込んだ。
神殿に所属する神官の約八割が聖女と同じく「闇の魔法」を持つ。
この八割というのは概ね平民出の神官たちで、彼らは地方の神殿に赴任したり被災地などに出向き、現地の医療スタッフと共に怪我人や病人の治療に当たっている。
因みにこちらのレフィン先生は伯爵家のご出身との事。
高貴な彼が王都の神殿から出る事はほぼ無い。闇の魔法の有無に関わらずだ。
貴族階級に疎いマリンからすると伯爵も男爵も等しくお貴族様でしかない。――などと言ったらドロシーに物凄く注意された。「怒られますわよ!」と猫のように毛を逆立てていたから知らないのは相当な罪らしいとマリンはのんびり察した。
今のんびりお勉強の最中だ。……ところで子爵と伯爵とではどちらが上なのだったか。
貴族のランキングはさておき。
「闇」の属性を持ち、かつ精霊サービスを受けている人の数は平民の方が圧倒的に多い。聞いた際マリンは一瞬だけ意外に思ったものの母数が違うのだから当然だとすぐに悟った。
マリンにお呼びがかからない筈だ。
医療スタッフの手は足りている。未熟者の出る幕は無い。素晴らしい。
闇の魔法の存在故に異世界の医療は遅れている。けれど魔法と医学、双方の不足をカバーし合う仕組みが既にある。神殿が中心となってその基盤を築いた。
医療従事者との協力関係と、闇の魔法を持つ出向組の活躍ぶりを知ってマリンの神殿に対する不審感のようなものはかなり払拭された。
――「風の掃き掃除」が許される。
なら、神官とは冠婚葬祭以外に何をする人なのだろうと疑念を抱いていた。
マリンが知らないだけで彼らは色々と忙しい仕事をしていた。
「魔物の調査と対策」は神殿の使命の一つ。
万が一魔物が人里に現れた際、初動対応を担うのも被害地域から最も近い神殿スタッフだ。山や森を拓き、新たな町や街道をつくる場合でも神官たちは呼ばれる。魔物が出れば騎士らと共に戦う。
脅威が育つ前に叩きたいレフィンの気持ちは理解出来る。
ただ直近三ヶ月分の新聞を見る限り魔物被害の記事はない。他の災害や犯罪はちらほら起きている。
森に行かなければ何も起こらない。
マリンは王子のホリデーの過ごし方を見知っている。
いまいち魔物対策の緊急性が感じられない。
午後。マリンは図書館に足を向けた。
昨日、気になるものを奥の書棚で発見した。聖女の日記だ。
本の持ち出しには許可が必要なので、マリンは敢えて棚の前で立ち読みしている。日記は本の間に潜んで見えた。なんとなく司書に存在を知らせない方が良い気がした。
マリンの一つ前にあたる聖女マノの日記を手に取る。鍵付きなのにすぐ開く。自分の事だけでなく歴代の聖女たちについてもマノは語ってくれているのでとても参考になる。
『聖女マイカのキャラが痛い』という出だしの一文を流し見て、癖のある丸い文字を目で追った。
『王子と錬金術師との間で揺れてる。聖女としてどうなのこの子』
マリンは喉の奥で唸る。許してやって欲しい。十代の乙女心は儘ならない……。
またマノは、村の開発の失敗について綴っていた。
村に狩猟館があるのは彼女の発案だったようだ。強い筆圧から嘆きの感情が伝わってきた。
大丈夫! とマリンは彼女に心から言ってあげたかった。
――今は放射状じゃないから。
マノの死後、百年に一度の大雨が連日王都近郊に降り注ぎ、村の半分が流失した。復興時、運河は縮小され村は再整備された。
マノは「氷」の魔法が最も得意で、「火」と「光」の属性を持たなかった。
聖女だからって全属性では無いのだとマリンは改めて認識した。
マノが齎したものと言えば「予防医学」である。
でもマリン個人としては、「エスプレッソマシン」と「ホームベーカリー」を大絶賛したい。どちらの家電も世間一般にはそれほどウケなかった。高価過ぎてほとんどの平民には手が出せず、使用人を持つ貴族には用が無い。
マリンは毎日のように活用させてもらっている。