04 聖女と異世界生物
聖女のマノ(真野)は上機嫌だった。
「みんな新しい街を私に考えて欲しいって。普通なら女子中学生に街づくりなんて無理だけど、この世界には魔法があるから大丈夫。よおし、素敵な街をつくっちゃうぞ!」
街の設計図――っぽい絵を手に彼女は錬金術師たちと大工たちに説明した。
「綺麗な放射状にするの。真ん中から満開のお花みたいに広げてく感じ。パリみたいでイイでしょ、って通じないか。そうだ、川が無いから運河を作ろう。パリと言えばセーヌ川と島だもんね。便利になるよ。――わ、なんかパリとベネチアの良いとこ取りになってきた」
放射状の街も運河の街も画期的なアイディアだった。
「こんな凄い街が完成したらヨーロッパの観光地みたいにいっぱい人を呼び込めるよ。これもう観光開発だよ!」
彼女の絵と説明をもとに王家の別荘地候補である農村に手が加えられていった。
六割ほど開発が進んだ頃、進捗確認の為に聖女マノが再び村を訪れた。
「……思ってたのと違う」
畑に囲まれた茶色が多めの町並みもとい村並みは冴えなかった。特に村の中心に建つ館は立派な分だけ悪目立ち。
あれもこれもと後から追加した風車も水車もどこか元気が無い。
「時代劇の舞台とか……戦後日本のような……」
情緒を求めた筈が物悲しい田舎の風景が広がっている。
ふとマノは気付いた。
――錬金術師って頭良いけど美的センスは無いんだ。
マノの理想は何一つ通じていなかった。
それはそうだ。彼らはパリもベネチアも知らない。
なら誰に依頼すれば良かったのだろう。画家とか彫刻家とかか。――少女のマノに身近でない建築家という発想は出ない。彼女の中では大工が建築家だ。
建築家がマノの絵を見ていれば「なんで放射状?」と突っ込んでくれた。
画期的な建造物が無かった為に大人たちの誰も建築家に連絡など取らなかった。館は移築だ。
「――まあ、でもお花畑とか作れば可愛くなるよ、うん!」
言い残した聖女マノが農村を訪ねる事はもう無かった。
その後、村は「街」にも「観光地」にもならなかったが魔物の森から割合近く、王家の狩猟館を擁した事で郊外としてそこそこ栄えた。
それは聖女マノの知るところではない。
魔物というものを初めて見た。
リビングルームのソファーにひっくり返ったマリンは、天井の梁を凝視して郊外の森で行われた魔物狩りを想念した。
正午前。
森で巨大生物と遭遇した。
巨岩のような狼を相手に王子と騎士たちは一斉に馬を降り、剣を手に向かって行った。
火器は使わない、とアレックスから説明を受けていた。
「魔物は魔法でなければ仕留められない」
そして仕留められなければお宝をゲット出来ない。
炎を纏った剣が全長五メートルはありそうな魔物を切りつけ、刃を受ける度に獣は唸り声を上げ怒りと共に牙を剥いた。
辺り一帯を護衛騎士たちで固めた木陰に身を潜め、戦局を窺っていたマリンは戦場にシオンが加わっている事に注目する。
「そなたも鈍ってはいけないだろう」というアレックスの好意で参戦したシオンだが、抜身の剣を片手にしたまま静かに戦いを見守るばかりで積極的に魔物に向かっては行かなかった。
「殿下、今です」の号令が掛けられ、アレックスは燃える剣を振り上げた。
騎士たちの剣がまるで待ち針みたくして地面に圧し留めている魔物の胴体に、アレックスの長剣が突き立てられた。
爆発音がして爆風が生じ、魔物は白っぽい煙の塊と化した。煙が晴れる頃には石ころに姿を変えていた。
喝采が湧き、笑顔に満ちた騎士たちが口々に王子万歳と称える。
何となく群衆に加わる気になれず、マリンは木陰を移動してシオンの方に足を向けた。
彼もまた騎士たちに加わる事無く明後日の方に首を向けていた。
彼が何を見ているのか気になってマリンは木陰から首を伸ばした。
シオンは小さな魔物を見詰めていた。茂みの中に蹲る魔物は毛を逆立て、小さな顔の中で牙を剥き出しにし、メッシュ越しに瞳を合わせたシオンを威嚇していた。
狼の子供だと察してマリンは木陰から出た。危険は無いと思った。マリンより前にはシオンがいた。
シオンがハッとマリンを振り返った。
マリンは軽く肩を竦めた。
「帰りましょう」
「……あれも、石になります」
「私はあんまり石に興味がありません。貴方は?」
シオンは俯き加減になり、小声で言った。
「――興味、ありません」
マリンは笑みを浮かべた。
シオンは鉄の兜越しにマリンをじっと見ているようだった。
彼はマリンと同じ事を考えていたのかもしれない。
人がハートストーンを得る為に魔物はいる、筈が無いと。
ハートストーンは劣化しにくいアイテムであると神官講義で教わった。
一次乾電池と違って繰り返し使える。
現在のように家電もどきに活用されるより遥か昔から人間は魔物を狩っていた。何百年分もの蓄えがある。既に十分な量を確保しており、なんなら余っている。
魔物は森で人を襲う。森の食糧が枯渇すれば稀に人里にも出る。
彼らとて野生動物なのだからテリトリーを守るし、生き残る為に他の動物に牙を剥く。人に遠慮する義理は無い。当然の権利を行使しているに過ぎない。
人が魔物に殺されても「事故」だが、人に殺されれば「事件」だ。
魔物被害と犯罪被害とでは悲劇の度合いが全く違う。
勿論、人は圧倒的な「自然」脅威の一つである魔物から身を守る必要がある。
ハリケーンも魔物も同じだ。
マリンの困惑は深まった。
わざわざ殺生の為に森に繰り出す意味とは。
魔物が存在する意味とは――。
玄関ドアがノックされ、マリンは目を上げた。
横たわっていたソファーから上半身を起こし「はい」と声を掛ける。
ドア越しに応答があった。
「――ドロシーですけど」
はいはい、とドアに向かって来客を招き入れる。
彼女の肩越しに背後の景色を一瞥した。ドロシーが乗って来たであろう馬車と、門柱の傍らには鎧を纏った立ち姿がある。家に戻って以来ずっとある。
曇り空を見上げ、マリンは呆れた。
「シオンさんも入ってください。雨降りそうですよ」
フルフェイスの甲冑は僅かに首を横に振った。
当直交代まで動く気はなさそうだ。
仕方なくドロシーだけを招き入れてマリンはドアを閉じた。少し冷えてきたので窓も全て閉じる。
リビングルームに入ったドロシーは、窓辺の丸テーブルの上に両腕で抱えていた包みを置いた。荷物を引き受けようとしたマリンの手を彼女は「これしき」と言って避けた。
包みの中身は新聞紙の束だ。ここ数日以内の日付のものが揃っている。
国の情勢を知りたいマリンは有難い差し入れにいそいそと飛びついた。
「有難うドロシー。面倒な事お願いしちゃってごめんね」
「別にどうってことありませんわ」
最早ドロシーは、マリンからの呼び捨てもタメ口も全然気にしていない。微かに笑んですらいる。
にしても、とテーブルに着いた彼女は首を傾げた。
「わたくしなどに頼むより殿下か神官様にお願いすれば早かったのでは?」
「彼らには極力お願い事をしたくないの。し難いのもあるけど」
「わたくしにはし易いと?」
「そうそう」
マリンが頷くとドロシーは拳を振り上げる仕草をした。華美なドレスを纏ったご令嬢がパーじゃなくてグーで脅す。パワフルで良いと思う。
自分のした事を悔やみ泣いていた令嬢はもういない。何よりだ。
「冗談冗談」とドロシーに片手で拝み、マリンは新聞紙に目を落とした。
世の中で何が起こっているのか知りたかった。なんとなく良くない情報を城や神殿はマリンから隠しそうだと思った。そういう信頼も彼らには無い。
案の定、良くない事は起こっていた。
大陸南海に浮かぶ島国で蝗害発生、らしい。日付はマリンが王国に来た数日後だ。
被害は島外にも拡大しており大陸南岸でも農作物が食い荒らされつつあると言う。
先月南海を襲った大嵐がイナゴの増殖を齎した。
大陸南岸で被害が出ているなら南の国とは陸続きである「この王国」も他人事では無いのではないだろうか。
「ここ食糧難になる?」
「有り得ません。ただ品薄になりそうな食材は幾つかあります」
ドロシーが細い顎に手を添えた。
「例えば、アレックス殿下のお好きな銘柄のレモン」
「南が産地?」
頷いたドロシーに、マリンは「ふうん」と気のない相槌を打った。
新聞紙に目を戻したマリンにドロシーが言った。
「マリン様は、あまり殿下にご関心が無いように見えます」
「とっても紳士的で親切な方だと思ってるよ」
「それだけ?」
マリンは目線だけドロシーに向けた。力の抜けた笑みが浮かぶ。
「それだけ」
ドロシーは何とも言えない顔つきをした。
にしても自然災害なんていかにも聖女の出番っぽいじゃないか、と自身が聖女である事を認めていない分際でマリンは思う。
城からも神殿からもお呼びはかからない。呼ばれても困るけれど。
「――そっか、こんな役立たず呼んでも仕方ないんだ」
マリンの意見にドロシーが呆れて見せた。
「蝗害は他国の事ですし、そもそも大事な聖女を引っ張り出す程の事態でもありませんわ」
彼女曰く、イナゴ被害は既に南の隣国で対策が取られているらしい。
「焼くのです。飛んで来る虫の群れも、地中の幼虫も」
火の精霊さんの過剰サービス、とマリンは内心に呟いて眉尻を下げた。
「それだと作物も燃えちゃうよね?」
「マリン様は聖女でも農業に明るくないお方なのですね。灰は土に良いのですよ。南は備蓄が豊富ですし沿岸の一帯を焼き払うくらいなら平気です。虫を焼く方が優先されます」
「……そう」
農業は無知ながら、――人に手を貸す精霊を恐ろしいと感じているのはマリンだけなのだろうか。
同じ属性を持つ、というだけの「他人」の命令をすんなり聞いてくれる存在。
――自然、の筈。
自然は人間の言う事なんか聞かない。
人間を育んで来たものには違いないが人間の為だけにあるのではない。
驚異で脅威。神秘的で美しい。畏怖すべき対象だ。
まだまだ分からない事の方が多く制御不能。それが――いとおしい。
ちらりとドロシーの横目が、考え込むマリンに向いた。
「……腕。治療されないのですか」
気にしている風のドロシーに、マリンは微笑んだ。
キャップスリーブのやや下から覗く細い赤ペンの跡のような三センチほどの傷に目を落とす。
「良いよ。ファンデで簡単に隠せるし、どうせもうすぐ治る」
「闇の魔法を持つ聖女なら楽に治せますのよ」
「うん。でも良い。出掛ける前にパパッとファンデ叩く方が遥かに楽だから」
しつこく繰り返したマリンに瞬いたドロシーは、先日のシオンと似た不可解を滲ませる表情を浮かべた。
マリンはセカンドオピニオン以上に精霊に対して気が引けている事を自覚する。
こちらの言い成りになる精霊とは――自然とは仲良くなれない。
そんな友人望まない。