21 聖女のその後
二人分のコーヒー代金を支払った彼は店内に居座り、真凛の終業時刻を待った。
外に犬を繋いでいる。
昨日も見たボーダーコリーの飼い主は彼だった。
昨日も彼に会っていた。
――気付かなかった。
聖騎士である彼の素顔と初対面した際、真凛は「あの時のお客さんだ」とは思わなかった。
真凛は人の顔を覚えるのが得意だ。外国人の風貌をした犬連れの客なんて一度見たら絶対に忘れない。
忘れさせられていたのだろうか。それとも――。
二時間後、最後のオーダーを取り終えて真凛はエプロンを脱いだ。
まだ業務中の同僚らと軽くハグと握手を交わして、小さな花とプレゼントを貰ってロッカールームを後にする。
店内に引き返すとテラス席に陣取った彼がタブレットを操作していた。
ボーダーコリーがいない。
席に来た真凛が「ワンちゃんは?」と問うと、彼は液晶画面から顔を上げた。
「弟に頼んで実家に連れ帰ってもらった」
「弟さんがいらっしゃる?」
「ああ。――こっちの弟、だな」
戦場で撃たれた後、鉛中毒で亡くなった「弟」とは別人らしい。
真凛はテーブルの向かい側の席に浅く腰掛けて身を乗り出した。
今更のように確認する。
「シオンさん、ですよね」
目の前の彼は、顔も声も聖騎士のシオンのものと相違ない。
服装は悪目立ちの甲冑などではなく、濃紺色のコットンセーターの上にブラックのトレンチコートを羽織っている。あまりにも有名なブランドを象徴する馬上の騎士のロゴが、違う意味を持っているように思える。
彼はゆっくりと頷いた。
「私は君の知るシオンだ」
真凛の全身から緊張が抜け落ちた。頭のどこかで信じ切れていなかった。都合のいい夢でも見ているのではないかと自分の正気を疑っていた。
肩を落とした真凛の二の腕にシオンの指先がそっと触れた。
「隣に」と呼ぶ。
真凛はそそくさと四人掛けの丸テーブルを回り込み、彼の隣に椅子を付けて置き直した。
ぴったりと腕を張り付けて肩を寄せた真凛にシオンは苦笑し、背中に長い腕を回して肩を引き寄せる。日本の屋外でこのスキンシップは目立つ。
「外見が外国人という強みだな」
「そういう日本人としての認識をお持ちなんですね?」
「経験で、というより知識として知っている感じだ」
シオンには今後地球で生きていく為の知識や常識が備わっている。
今の彼は教員兼陶芸家――土を扱う人だ。年齢は変わらず二十六歳で家族は市内に両親と大学生の弟がいる。
シオンだけ郊外のマンションで一人暮らしをし、大学で教える傍ら山の麓にあるスタジオで創作活動をしている。犬を連れて。
「うちのボーダーコリーはあの時の魔物の子供と同じ色の目をしている。片目だけ」
魔物が犬の中に住み着いたのだろうか。
ここまで来れば真凛にも、再会劇が似非ゴッドの「褒美」なのだと察しはついた。
「これって生まれ変わりとかじゃありませんよね。無理やり存在をねじ込んでるって事なんでしょうか」
「それで間違いない。私は自分が何者かを知っているが、今日に至るまでの人生は思い出ではなく単なる記録で知識でしかない。本来いた筈の人間を押し退け、この場に居座っている」
地球にいない筈のシオンが増えたのではなく元々いた誰かが押しやられた。
その人はどこに行ってしまったのだろう。
「あちらの世界かもな」と呟いたシオンの顔を、真凛は見上げた。
「その人、聖騎士になっていたり?」
「分からんが辻褄を合わせるなら交換が手っ取り早い」
例えば、辻褄合わせで土の魔法を使えるようになった人が異世界で陶器を作っているのか。
犬は交換でなく魔物と脳を住み分けているのか。同居なのか。
ある日突然降臨する聖女は――交換しているとは思えない。神隠しなのか。
永遠に聖女を失った世界は混乱の只中なのか。少しは手入れがなされたのか。
どれもこれも滅茶苦茶な話でしかないが人の都合を一切考えない似非ゴッドの事。何でもありだ。
そうなるように、そうするようにあれは度々人を誘導していた。
――ホントに滅茶苦茶。でも感謝してる。
出会えたし再会できた。真凛の望みは叶った。
「まだ半分。――ドロシーがいない」
シオンが頷いた。
「実は昨日からずっと君たちを探していた。近所やSNS等をな」
「探してくれてたんですね」
シオンのシオンたる認識は昨晩からスタートしているらしい。真凛が帰って来た時刻とほぼ同じ頃だ。
それ以前の記憶は自分のものでありながら「他人事」に過ぎない。
ただ、偶々利用したコーヒーショップの記憶が何故か気に掛かっていた。
店かその近辺に何かある予感がしたと彼は話す。
「仕事終わりにもう一度店に寄ろうと、前の通りを流していたら普段大人しい犬がやたらと吠えてな。確信して入店したという訳だ」
「ワンちゃんに感謝しないと。――流してって?」
「車で来た。職場には車通勤している」
「そ、そうですか。シオンさんがドライブ……」
「私自身も妙な感じだが違和感を気にしていたらキリがない」
「そ、そうですよね」
ぎこちなく頷いた真凛は次々と齎される情報に軽く混乱していた。
ドラテクから焼き物という特殊技能まで与えられている。とんでもない。
因みに、シオンのこの彫りの深い顔立ちや逞しい骨格は「先祖返り」なのだそう。彼はカナダ人の血を引く日本人という設定になっていた。
どこまでも似非ゴッドの仕事だ。
話に一区切りついたところでコーヒーショップを出て、近所のパーキングエリアに停めたシオンの車に向かう。
ブルーのSUVに乗り込んだシオンは、ナビを操作しながら「どこかで食事しないか」と真凛を誘った。
真凛は思い切って告げた。
「シオンさんちに行ったらダメですか。私ご飯作ります。それにご自宅ならシオンさんもお酒が飲めるでしょ」
厚かましい自覚はあったが離れ難かった。
助手席を振り返ったシオンは静かに真凛を見詰めた。
「ここから少し遠いぞ」
真凛はこくりと頷く。頬が熱い。
シオンは真凛の赤い頬に指先で触れた。
「帰りが遅いとご両親が心配するだろう」
真凛は言った。
「友達の家に泊まるって連絡しま――」
先の言葉はシオンの唇に塞がれた。
大学が始まってもドロシーの行方は掴めなかった。
隔週の週末、真凛はシオンのもとに通う様になっていた。これ程頻繁ではさすがに隠し通せないので両親には正直に行先を伝えている。
「彼と結婚するつもりだから――」真凛の決死の報告を母親は「あらそう」と軽く流し、父親はしかめっ面をして見せた。
どう反応されたところで真凛の意志は変わらない。
最も真凛を祝福してくれたのは親友で大学の先輩になったアレックスで「初彼が婚約者とか奇跡だね」と笑っていた。
シオンの家族と真凛は、彼と再会した翌月には対面していた。
みんなシオンと全然似ていなかったけれど朗らかで気の良い人達だった。
シオンの弟が「兄貴、どこでこんな綺麗な子引っ掛けたんだよ」と言って兄に後頭部を引っ叩かれていた。
平日は生活圏の異なる二人は全く会えない。
特に一年生で忙しい真凛をシオンは気遣い、中々自宅に呼んでくれない。
確かに課題は多いが彼のマンションにテキストとラップトップを持って行けば済む事だし、試験勉強だって気を散じる事無く出来ている。
――もっと一緒にいたい。
初夏の山の風景を五階の窓越しに眺めて、真凛はソファーで隣り合うシオンに横目を向ける。タブレットを弄る彼は旅行サイトを検索している。リビングルームの窓を開放して床を繋げたウッドデッキではボーダーコリーがぐうすか寝ている。
シオンは変に距離を開けて座る事が多い。
何故か屋外より屋内でスキンシップを減らす。
彼と腕を密着させて座り直した真凛は「どうして?」とシオンに疑問を告げた。
シオンの眉間に微かに皺が寄った。
「人目が無いと歯止めを掛けるのが難しい」
「最初の夜みたいな?」
「――申し訳なかったと今でも反省している」
バツの悪そうな横顔をぽうっと見上げて真凛は頬を染めた。
初のお宅訪問時は、玄関に荷物も上着も投げ散らかして寝室直行だった。
「最高の夜でしたよ」
振り返ったシオンは真凛の両肩を掴むと、上から圧し掛かるようにして広い座面に真凛を押し倒した。
「――課題は終わったな」
「発言がお母さんですね」
「母親がこんなマネするか」
「悪い大人の顔した元聖騎士さんですね」
忙しない手で服を乱されながら真凛は幸福に浸っていた。
彼と直に触れ合える。幸せ過ぎて泣きそうになる。
両腕を彼の首に巻き付けて吐息の合間で告げた。
「好きです」
「私の方が絶対に君を――愛している真凛」
真凛はうっとりして熱の籠った彼の瞳に見入った。
まだ明るいけど休日だから好きに過ごして良いよね、と思った。
不意に、つけっ放しになっていた壁の液晶テレビが発した。
『さあ本日のゲストはレッドカーペットの常連、インフルエンサーのドロシー・カロアさんです! ウェルカムトゥジャパン!』
真凛もシオンも首でテレビに振り返った。
拍手の後、長方形の画面の中に見知った美少女の顔が映し出された。
『ワタクシ日本語大丈夫デスノ。ハーイ、マリン見テマスー?』
真凛もシオンも固まった。半裸のまま。
ドロシーはアメリカ人になっていた。
アンバサダーを務めるジュエリーブランドのイベントで来日していると言う。
真凛は慌てて服を着てスマホに手を伸ばした。シオンはちょっぴり切ない溜め息を吐いている。
ダメ元で真凛は、セレブでインフルエンサーである相手に英文を送ってみた。
程なくしてドロシーから返信があった。日本文で。
羽田でお会いしましょう――!
翌週末。早朝。
出国前のドロシーを発見するや真凛はまだ人気の少ない空港ロビーを駆け出した。
ドロシーも真凛を振り返ると、自分の前に出たボディガードを「オドキ!」と言って押し退けた。
互いに駆け寄った二人は正面衝突に近いハグを交わし、はしゃいだ。
シオンは苦笑で二人を見守り、ギャラリーはぽかんと遠巻きにしていた。
同じ時同じ場所に三人が揃った。
真凛の願いはやっと全部叶った。
『さあて、また暇潰しの世界でも創造するか。次は――』
FIN
お付き合い有難うございました:-)




