17 聖女と襲撃
一人になった部屋で、マリンは聖女エマの日記を開いていた。
涙するマリンに構う事なくシオンは無言のまま部屋を出て行った。
段々とマリンには彼の事が分からなくなってきた。
分かるけど、分からない。
マリンと同じ気持ちなのではなかったのか。独りよがりだったのか。
――貴方が引き留めてくれたら、私は。
次に考えたのはドロシーの事だ。彼女の事だから盛大に駄々を捏ねてくれる。
ドロシーに期待して、日記を読む。
トライズからも聞いた通り、エマはこの異世界を「乙女ゲーム」の中だと考えていた。この考えを持った聖女は現時点では自分だけのようだとも。
相違点についてもエマは言及している。
エマの知る本来のゲームでは、歴代聖女で名前が付いているのは初代のマリアのみで、後はふわっと存在が示唆される程度らしい。自分が何代目の聖女なのか、初代の降臨から何百年経っているのかも分からない。ただ省かれている情報は特に攻略には必要ないそうだ。
文明や功績を齎した事で聖女らの名が残ったのではとマリンはなんとなく思った。
因みにマイカは自分を「ヒロイン」と言っていたがエマは「プレイヤー」と言っている。
このエマの存在は、マリンにある種の希望を抱かせてくれた。
彼女は作られた世界と知りながらここから「離脱」していない。
明るい兆しを求めてマリンはエマの日記に目を通した。
読み進める内に、肩が落ちていった。
エマは、地球に帰りたがっていなかった。
親も友人も教師もみんな大嫌いだと話している。彼女は中学校の途中から登校していなかった。
高層マンションの上層階に住む裕福な家庭の子供でも両親は多忙で不在がち。一人っ子のエマはがらんと広い家に取り残されていつも孤独だった。趣味のお菓子作りとゲームで持て余す時間を潰すしかなかった。
地球に対する認識がエマと自分とでは異なると知ってマリンは落胆した。
彼女が家庭を持ちたがった理由にも納得がいった。
ここに救いがある。
エマが「氷の辺境伯」のもとへ嫁いだのは愛ゆえだ。聖女マイカも王家の図書館に残されている筈の――恐らく日付が婚前までの日記を読み進めて自分の読みが当たっていた事を知っただろう。
エマは作中で辺境伯のキャラクターが一番好きだった。好きな人をゲットした。
『神様ありがとう。私、幸せです!』
三人目の出産を終えた彼女の言葉だ。
強い筆圧に感情が込められていてマリンは覇気のない笑みを浮かべた。
エマ自身が言うのであれば間違いない。
エマは異世界で好きな人と結婚して七児の母となり、幸せな一生を送った。
幾分気分が晴れたところでマリンは、肝心の離脱についての記述を探して読んでみる。ゲームに疎いので分からない部分は多いが、どうやらプレイヤーにとって芳しい状態では無いらしい。
オブジェクト達との交流を怠け、拒絶を長く続けると出口の方へストーリーが進んでいく。世界から追い出されるという事なのだろう。
ここで漸くマリンは乙女ゲームというのは恋愛シミュレーションの類なのだと理解した。途中から人生ゲームの類だろうかと考えていた。ある意味惜しかった。
読み終えた日記を閉じる。
天井を仰ぎ、凝った装飾を凝視する。
今更皮肉過ぎる、という思いに変わりはない。
シオンと共に生きていくという想いにも変わりはない。
もう一度きちんと彼と話をして彼の本当の気持ちを聞き出したい。
彼がマリンを想い、身を引こうとしているのは分かっている。
思いがけない選択肢が出てきて、彼も気持ちが揺らいでいるだけなのだ。
シオンの前にドロシーと話したい。
駄々を捏ねてもらって勇気を貰いたい。シオンとはそれからじっくり――。
細く開いたバルコニー窓から爆音が漏れ聞こえ、マリンの思考を霧散させた。
ぎょっと窓を振り返ったマリンは、外の景色が一瞬異様に明るくなったのを目撃した。
また爆音がして騒動の気配が湧く。
マリンの驚愕の間に、ガンガンとドアが叩かれた。
「マリン様、奇襲ですわ!」
ドロシーの声に仰天と共に駆け寄ろうとして、マリンは後ろにぐんっと手を引かれた。
振り返ると片腕を掴まれていた――土に。
バルコニーから音も無く侵入した巨大な腕が室内に長く伸び、マリンを拘束している。
どうにか悲鳴を飲み込んだマリンは、窓に引き寄せられる数舜の隙に目一杯手を伸ばしてドアノブに指先を触れた。
辛うじてサムターンが回転する。夜だからと癖で廊下側のドアを施錠したのが仇になった。
ドロシーが駆け込んだのと、マリンがバルコニーに引っ張り込まれたのはほぼ同時だった。
「マリン様、何てこと――誰か来て!」
自分の持つ魔法では土に対抗出来ないとすぐさま悟り、ドロシーはドアの外に助けを求めた。
巨大な腕に捕まり、浮き上がったマリンの体が窓の外へ連れ出される。
上は夜空、下は建物二階分遠い地面。マリンはパニックから逆に胴に巻き付く土の腕にしがみ付いた。振り落とされては堪らない。
夜の景色の中では爆音と激しい閃光が耐えず続いている。
「丁重に扱え!」足元から発した声にマリンは振り返った。
魔法騎士が同じ軍服を着た手下たちに声を飛ばしていた。建物三階分の高さがある巨大土人形は魔法騎士団数名による合作だった。
マリンと目を合わせた顔見知りの魔法騎士はふわりと笑みを浮かべた。
「君を助けに来たよ。間に合って良かった」
全く意味が分からずマリンの混乱は続く。
混乱の間にも土人形の腕が下げられ、ゆっくりと地面が近付いてくる。
とにかく地面に足を付けたいマリンは大人しくしていたが、思わぬ襲撃が穏便な着地を阻害した。
砲弾みたく水の塊が飛んできて土人形の腕を切断した。
土が水によって崩壊し拘束が解け、マリンは背中から地面に落下した。
痛みを覚悟したマリンだったが柔らかなものに背中を受け止められる。体の下に置かれた大きなクッションは、ウォーターベッドの感触がした。
急ぎ水のクッションに沈み込んだ体を起こし、マリンは水の出所に顔を向ける。
こちらに掌を翳しているトライズが怒声を発した。
「聖女に仇なす不届き者どもが!」
トライズの配下が応援に駆け付け、巨岩サイズの水の塊を作り出していく。
一方、片腕をもぎ取られた巨大土人形は引くどころかどしんと重い一歩を踏み出し、徹底抗戦の構えを見せた。失われた左腕は、接触した地面から土が補充されるやみるみると修復されていった。
魔法騎士も怒声を返した。
「我らが聖女を取り戻せ! 北に連れて行かせるな。錬金術師ども援護しろ」
魔法騎士らの隊列後方に、錬金術師たちが加わった。
突然土人形が全身に炎を纏う。ボディーを強化している。
埴輪でも作る気なのか。どうにか唖然を切り上げて、マリンは最早戦場の様相を呈している庭からそろりそろりと後ろ歩きで脱出を計った。
及び腰のマリンに注意を向け、トライズ陣営と魔法騎士陣営がほとんど同時に叫んだ。
「マリン様、こちらです」
「マリン様、行ってはいけない」
どちらにしても恐ろしいマリンだったが、奇襲だか共同戦線だかを披露した魔法騎士陣営は一切信用出来なかった。村の外に新たに配置された部隊が奇襲の手引きをした可能性がある。同じく城から派遣された軍隊。きっと魔法騎士の仲間だ。
トライズ側に足を向けつつ建物の外壁に沿って移動する。
「中に戻れ!」とトライズが腕を横に振ってマリンを促した。
半開きになった一階の窓が見え、マリンは足を急がせた。
水対火&土の戦いを見物する余裕はない。館内に戻って二人と合流を――。
窓が大きく開いた。
「こっち!」ドロシーが上半身を突き出してマリンを呼ぶ。
マリンは駆け出し、彼女の差し出す両腕に掴まって窓の中に飛び込んだ。
一気に引っ張り込まれた先は廊下で、床に雪崩れ込むマリンとドロシーを支えてくれたのはシオンだった。
安堵やら何やらでマリンは泣きそうになって彼を見た。
「シオンさん」
シオンは瞼を細め、ゆっくりと微笑んだ。
仕方がないなという顔をして、
「行こう」
マリンは強く頷き、ドロシーは「はい、とっとと立って!」と見詰め合う二人を急かした。
三人は分厚い土で窓や扉を封鎖された無人の廊下を突っ切って裏口に回る。
魔法騎士と錬金術師の連合軍は雲が月にかかったのを見計らい、闇夜に乗じて聖女奪還に乗り出して来た。
しびれを切らせた彼らがそろそろ来るのではないかと北の辺境伯は読んでいた、とドロシーが言った。
「北の方々は囮役を引き受けてくださいました。わたくし達は裏から出ますわよ」
「いつの間に段取りを――」
「呑気な貴女と違って始めから飲み会なんて変だなと思っていましたからわたくしは。長風呂と見せかけて事情をお聞きしに一階に下りたのです。案の定、彼らの宴は敵を誘き出す作戦でした。ただ侵入ルートがバルコニー側とは読み切れず」
裏口に着き、ドロシーの話が一旦ストップする。
「外に出たら道を真っ直ぐ、森の方向に全力で走ってください。閣下が退路を確保してくださっていますわ」
「北の辺境に匿ってもらうって事なのね?」
マリンの疑問にドロシーもシオンも頷いた。
元々マリンたちは王都を離れるつもりでいた。予定より相当早まったけれど当初の目的から逸れていない。
マリンは二人に頷いて見せた。構わない。予定通り三人で行こう――。
ドアノブを掴むドロシーの肩に被さる姿勢で身構える。ふと腕に鋼の感触が軽く触れる。食事の際しか素手にならない彼を知るマリンは、驚く事なく硬いグローブの主を首で振り返った。
シオンが低く言い聞かせた。
「私が先に出て貴女を引っ張る」
否やは無いマリンは素直に頷き、シオンと場所を入れ替わった。
ドアの向こうの気配を窺っていたドロシーが潜めた声で背後の二人に告げた。
「行きますわよ」
一気にドアが開放され、各自素早く動き出した。
全力で駆ける――気でいたマリンは突然体が浮いて慌てた。
膝裏を掬い上げてマリンを横抱きにしたシオンが外に駆け出す。
彼の肩と首に両腕でしがみ付いたマリンは刹那の内に納得した。
確かにこの方が早い。
だがこの移動手段は大事な問題を取りこぼしている。
「ドロシーは――」
首を回したマリンはシオンの傍らにもどこにも、ドロシーがついて来ていない事に気が付いた。彼の足が早過ぎて置いて行かれたか。
闇の中に懸命に目を凝らしながらマリンは駆け足のシオンに告げた。
「シオンさん、シオンさん! あの子がいません!」
シオンは黙々とマリンを抱えて走る。
やっとマリンが寡黙な彼を不審に思ったその時、二人の背後で強烈な閃光が発した。
ドロシーの光の魔法だった。
裏に回って来た追っ手の目からマリン達を隠している。
即座にドロシーの意図に気付いてマリンは「戻って!」とシオンに訴えた。
シオンは答えない。背にした光から遠ざかる。
ドロシーが見えない相手に向かって叫んだ。
「戻ったら死んでも許さない!」
マリンからも光の中に立つドロシーは見えなかった。
見えなくても互いに分かっていた。
二人共泣いている。
別れの言葉すら交わせなかった。
「違う。お別れじゃない。迎えに行く。すぐ、後で。必ず――」
マリンの声が聞こえている筈のシオンはやはり黙っていた。




