10 聖女の茶番 その2
マリンが引きこもり生活を始めた三日後、思いも寄らない訃報が流れた。
神官レフィンが急死した。
夜間に発生した突然死で原因不明だと言う。
まだ若く基礎疾患の無い彼の遺体を前にし医師らは「心臓発作」と結論付けた。
「それ程不思議な事ではありません。自分の心臓が弱いかどうかは、なってみて初めて分かる事ですから」
死んでみるまで分からないとは、恐ろしい。
どんな人間であれ死なれると気分が悪い。
可哀そうだし気の毒に思う。
久しぶりに外出して神殿での葬儀に参列したマリンは、帰り際図書館に行く事を思い付いた。
聖女マノの日記は彼女が結婚後益々多忙になってからは日付がストップしていた。マノの半生は他者による文献で知った。日記を付ける暇なんて使命感に燃えていたマノにはすっかり無くなっていた。
マノが読んでいた聖女マイカの日記があるのではないかとマリンは思った。
「いい機会なので、ちょっと探してみようかと」
シオンとドロシーには聖女の日記の存在を教えてある。
耳打ちしたマリンにシオンはすぐさま察し、黙って頷いた。
城の敷地内に入ると、久々にマリンを認めた魔法騎士や錬金術師が接触を持とうと近付いて来た。けれど彼らはマリンがハンカチを口元に当てて「そっとしておいてください」と弱弱しく言えば、おとなしく引き下がってくれた。
図書館までの道のりを精々病み上がりぶって歩きながら、マリンは「おや」と内心首を傾げていた。
――殿下と顔を合わせてないな。
葬儀の場にもアレックスは不在だった。他の王族や王子の代理はいたから彼自身は多忙なのかもしれない。レモン戦争中だし……。
館内に入った途端、マリンはさっさと元気な足を動かしてすっかり通い慣れた奥の書棚に向かった。
いつもは部屋の外で待機するシオンも兜を脱いで手伝う。タイトルの無い背表紙を探せばいいだけなのでコツは要らない。
間もなく、ありました、と潜めた声がマリンの横顔に発した。
目が良く背の高いシオンがきっと先に見付けてくれるとマリンは信じていた。
鍵付きなのにすぐに開く。中身の出だしは『私がヒロイン――!』。聖女マイカのもので間違いない。
立ち読みは難しい。申し訳ないがマリンはシオンに目を向けた。
彼の広い背中を覆う膝丈の裏地が青い黒マントを見た。
「無断持ち出しの目隠し役、お願いできます?」
微笑んだシオンが「勿論」と頷いた。
退室時、マリンはまた体調不良のふりに戻って、シオンの肩に凭れかかるようにしながら馬車までの道を歩く。彼の背に日記を隠し持つ手を回し、分厚いマントの生地をブラインドにする。
逞しい体との接触に緊張しつつマリンはちょっぴり惜しんでもいた。
――鎧の感触しかしない……。
鋼で覆われているシオンの方でもマリンの何も伝わっていないだろう。
無事に馬車へと到着したマリンは、先に日記を座席シートに放って自分も乗り込もうとして、騒ぎの声を聞きつけた。
「カロア公爵家のお嬢様が、――」
マリンもシオンも声に振り向いた。馬車のドアを閉じ、噂話の群れの方へ急ぎ足を向けた。
「あの、今のお話は」マリンの声掛けに、文官と思われる集団が「あ」と振り返った。
聖女に声を掛けられたのが嬉しいようで、一人が喜び勇んで教えてくれた。
「公爵令嬢に捜査の手が入っているんですよ」
王太子を害そうとした容疑が掛かっている、ドロシーに――。
「――ではなくダリア様の方です。ドロシー様の姉上様」
王太子の元々の婚約者の方だと知ってマリンもシオンも思わず肩を落とした。
ドロシーの姉ダリアは、妹との婚約を解消したアレックスに「ならばもう一度自分と」としつこく復縁を迫っていたと言う。
全く聞く耳を持たないアレックスに腹を立てて行動に出た。
彼の好物であるレモンケーキを名を騙って送り付けた。毒入りケーキを。
意外にも、というのも変だが本人は自らの犯行であるとすんなり認めている。
「衝動的にやりました。私がやらなくてはと思ったのです」
使命感が動機であるという話に聞こえ、取り調べを担当した捜査官らは大いに困惑した。
貴女はレモン戦争を止めようとしたのですか? と問われダリアは答えた。
「そういう事でもないんですけど。多分。いえ、ケーキを作ってる間の事をよく覚えていません。ただ、殿下にこれを食べさせなければと思っていたのは間違いありません。憎らしいほど愛おしい彼を殺そうとしました。それも間違いありません」
衝動殺人、未遂を起こした令嬢は憔悴しきった様子で自供した。
来月には北の辺境伯と結婚する事が決まっていた彼女は、未だにアレックスに心を残していた。悲劇だった。
やり切れない話を聞き終えて馬車に戻ろうとしたマリンに、文官らが「え?」と慌てた。
「殿下をお見舞いされないのですか?」
「臥せっておられるなら行かない方がよろしいかと」
「聖女様に一目お会い出来ればきっと殿下は元気になられますよ」
「私には何も出来ません。闇の魔法も使えませんので」
文官たちの「――え?」が揃った。
好都合だな、と頭の片隅に思ったマリンは丁度良いので彼らに告げた。
「魔法、全然使えないんです私。なんだかずっと不調で」
「――――」
絶句の顔たちに一礼して今度こそ馬車に乗り込んだ。
彼らにはまた井戸端会議をして頂き、周囲に言い触らしてもらおうと思う。
マリンにとって精霊はとにかく不気味で到底友人にはなれないものだけれど、一つ良いところがある。
――命令されないと何も出来ない。
元勇者は聖女を死なせてしまった。その事実がマリンに気付かせてくれた。
こちらが無視している限り精霊は存在しないに等しい。
精霊無くして魔法は無い。
目に見える現象無しに周囲の人間は、魔法が使えるかどうかの判断が付かない。
恐らくだがマリンは、少なくとも闇の魔法を使える。一度使おうとした際に感じた空気のざわつき。あれが精霊とやらに違いない。
いるにはいるけど出番は無い。
――私の傍にいたってずっと無いからね、出番。
このまま現状をキープだ。
ランチ準備の最中、シオンがキッチンに飛び込んで来た。
「大変です」
シオンの説明より先にキッチンの換気窓から聞こえてきた音で状況を察し、マリンは作業を放り出して玄関に急いだ。
門柱前の通りで今度は本当にドロシー本人が騎士たちに囲まれていた。
連行の体を見てマリンは「やめてください」と声を張り上げた。
ドロシーを両脇から挟み込み、今にも黒い馬車に放り込もうとしている騎士が振り返る。
「御覧の通り、ご令嬢は聖女様に害をなそうとしていたのです。平民に化ける変装までして家に忍び込もうなどと――全く姉妹揃って狂っていますな」
マリンは内心に罵倒した。――何が分かるって言うのよ!
実際には低く、冷静に声を出した。先日も神官にやって見せ、その話を聞いたドロシーに披露して「偉そう!」と大好評だった茶番を繰り広げる。
このキャラクターは、相当使える。
「彼女がここにいても当たり前でしょう」
「は?」
「私が彼女を呼び付けたのですから」
騎士たちが皆一様にぽかんとする。
マリンは白けた顔をした。
「お仕置きですよ。貴族の作法を知らない私に散々意地悪を言ってくださりましたからね、彼女。お姉様の事があってすっかり落ちぶれちゃったみたいですし、罰として平民ルックをさせた上でメイドよろしくパシる事に決めましたの」
騎士たちのぽかんは続いた。
肩透かしだった騎士の群れが退散し、静かに家に入ったマリンたちは食堂のテーブルを前にしたところで誰からともなく噴き出した。
「何、今の」とドロシーは令嬢らしからぬ笑い声を立ててテーブルを叩いた。
マリンも一緒になって笑い、シオンもくっくと肩を揺すった。
どうにか笑いを収め、出来上がったランチプレートとカトラリーをテーブルにセッティングして各々の席に着く。
食事の手を動かしながらマリンはやや声を低くしてドロシーに切り出した。
「相当危ないんじゃない、ドロシー」
ドロシーは頷く。
「家の者たちは領地に引っ込む算段をしています。失墜間違いなしの父も母も王都にはもう居場所がありませんもの」
「ドロシーは」
「わたくしは最初から居場所がありませんでしたから平気です。逮捕された姉の事も憎いとも何とも思っていません。元々不仲の姉妹でしたので」
ドロシー……、とマリンは声と肩を落とす。
当のドロシーは素っ気ない。
「最早何とも思っていないのです、殿下の事でさえ」
「え……」
切り替え早過ぎない? という顔をしたマリンに、追い詰められている筈の公爵令嬢は肩を竦めて見せた。
「わたくしが好きだったのは所詮、王太子の婚約者である自分ですわ」
なんてしょうもないんでしょう、と自身を嘲って笑うドロシーにマリンもシオンも同調はしなかった。
ドロシーが家族と共にお引越ししてしまう、と知りマリンは告げた。
「ドロシー、ここに住んだら良いよ」
「お心遣いだけ有難く」
「だって貴女、今聖女からお仕置きされてる事になってるんだよ。説得出来るよ」
「それは……、ですが」
ドロシーの視線が彷徨う。迷っている。
家族と領地に引っ込んだ先に彼女の幸福が待っているとは思えない。
マリンは強く言った。
「私を手伝って。制作キットが大ヒットで大忙しなのは知ってるよね。一緒に始めたのに肝心な時に投げ出すつもり? 友達の私を見捨てるんだ」
逃げられないような卑怯な言い方をした。
ドロシーは涙目になって、やがて笑った。
「仕方ありませんわね。パシリの使命を全うさせて頂きますわ」
「うん、表向きはパシリという名の親友で戦友だよ」
真実を知るのはここにいる三人だけで良い。
マリンの母はよくこう言っていた。
一人で良い。
独りで良い、ではない。友人は一人でも充分だという意味だ。
多くは要らない。




