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01 聖女、異世界に降り立つ




お呼びじゃないって事だと思う。




馬車に揺られて王都郊外までやって来たマリン・J・ミシマ(美嶋J真凛)は、美しい湖の景観を車窓に見て瞬いた。


――何だか、あの世界遺産にそっくり。


その地域名を「この王国」の人たちに告げても決して通じないだろう。

馬車が停止し外側からドアが開く。

マリンより先に降車した青年が振り返り、車外からマリンに手を差し伸べた。


「さあどうぞ、――我が聖女よ」

「…………」


王子様のような微笑みを向けて来る彼はまんま王子様である。

自分より遥かに美麗な男子は女性のような質感をしていて、やたら艶々とした肌と言い髪と言い、


――ちょっと苦手なタイプだな。


見た目で人様を判断するのは良くない事だけれど。

内心に呟いたマリンは、王子の手を遠慮しつつ慎重にステップを踏んでひょいと地面に降り立った。

気を悪くする事無く、今日も元気だね、と王子はただ微笑んだ。


長閑な農村。緑豊かな景色の向こうに白い尖塔が見える。

王家所有の狩猟館だと言う。別荘地みたいなものらしい。

王子の長い腕が伸ばされ、尖塔の更に奥を示した。


「奥の森には魔物が出るのでよく狩りをしているんだ。剣の腕が鈍ってしまわないようにね」

「…………」


マリンは頬を引き攣らせた。

魔物とか普通に言わないで欲しい。普通に知らない生物の名称である。


――知りたくも無かった。


狩猟館までの道を王子と共に散歩がてら歩き、マリンは嘆息した。

このところ嘆息ばかり吐いている。




マリンが「この王国」に来て、一週間ほど経過していた。

さすがに有り得ない状況の只中にあると気付いている。

初めは自分の身に起きた事が全く許容し難く、混乱と不安と苛立ちで頭も心もぐちゃぐちゃだった。


バイト先のコーヒーショップから家に帰る途中だったマリンは、何の前触れも無く「この王国」に降り立った。

足元のアスファルトに、昔うっかり観てしまったホラー映画の悪魔召喚みたいな星のマークの魔法陣がぱあっと輝いた――かと思ったら王城から程近い「神の宮」の石の床に着地していた。


訳が分からず唖然と座り来んだマリンのもとに、白い法服を纏った集団と王子が駆け寄って来た。


「ようこそ。異世界よりの客人、聖女よ――」


目を輝かせて自分を見下ろす集団に取り囲まれ、マリンはぎょっとした。

明らかに外国人の風貌をした彼らは皆舞台衣装みたいな恰好をしていた。

何故か互いに言葉が通じ、――後に判明する事だがマリンには彼らの書物が読め、文字も書けた。


アプリ使用の海外旅行より易過ぎる異文化、いや異世界コミュニケーション。

違和感だった。


互いに初対面であり、恐らくいきなり彼らの前に現れたに違いない不審者であるマリンに対し、歓迎ムード一色の彼らが不可解でならない。

困惑するマリンに床に片膝を突いた王子が告げた。


「歴代の聖女たちも、貴女のように突然光の魔法陣から現れたと文献に残されているんだよ」


説明されたところでマリンの困惑は全く解消されなかった。

いっそ悪化したかもしれない。


無条件にマリンを受け入れる彼らへの困惑も解消されなかった。

特に、積極的に保護したがる王子の態度には抵抗感を覚えた。

次期国王だという王子はアレックスと名乗り、マリンを城へ誘おうとした。

見ず知らずの異性。どれほど容姿が良くても関係ない。

困惑からマリンは失礼とは思いながらも半歩下がり、差し出された王子の手を逃れると法服の一人に首で振り返った。


「お城なんてとんでもない。近所に安宿はありませんか」


目が合った法服の主は若い神官で、ぱちぱちと瞬いて静かに微笑んで見せた。


「謙虚でいらっしゃる。さすが聖女様です」


どちらを向いても麗しい笑み。マリンの困惑は深まった。

異世界とか聖女とか、何の説明にもなっていない。


入城を拒否したマリンに対し彼らは強要などせず、代わりに城下にある一軒家を一時の滞在先として提供してくれた。

使用人も誰も要らない。食事も寝床も自分で何とでも出来る、とマリンが告げると彼らはやっぱり微笑んだ。


「さすが、聖女様」


なにがさすがなんだか。


借り受けた家には日常生活に必要な一通りのものが揃っていた。キッチンには食材があり、風呂場には石鹸すらある。蛇口を捻ると水が出るし、青から赤にスイッチを切り替えるとお湯が出る。

キッチンの蛇口も同じ仕様で、コンロ――では無くクッキングヒーターが備え付けられていた。


ここまでの道のり、マリンは某テーマパークのシンボルみたいな白い塔の王城をスタートし、古い石積の街並みの中をパカパカと馬車に揺られて来た。

確かに最初に出会った彼らの、ファンタジー映画の衣装を奇抜な色と柄でアレンジした着衣には驚かされた。

だけど「この王国」に科学と呼べるものは皆無だろうな、と想像していた。


――なのにクッキングヒーター?


車もバイクも無い、馬車の走る車道とクッキングヒーターが結びつかない。

翌日から教育係的なポジションについた神官ことレフィンが、マリンの疑問に答えた。


「便利な道具は魔法です。魔物には人でいう心臓にあたるハートストーンと呼ばれるものがありまして」

「まほ――、まも――は?」

「魔物は絶命しますと丁度掌ほどの小石のような物に変化します。それがハートストーンです。各々が持つ属性の魔法をハートストーンにフィリングし、日常生活を助ける様々な製品に組み込んで活用しているのです」

「属? 金属ですか?」

「火と水と風と土、そして氷と光と闇です」

「…………」


聞けば聞くほど謎が深まりマリンは閉口するしかなかった。何が分からないのかが分からない。

ピンとこないマリンの為と言い、レフィンが神殿に案内してくれた。


女性の姿をした礼拝像の前に百科事典みたいな石板が置かれている。刻まれた文字は、どういう訳か何でもありっぽいマリンにも判読不能だった。

レフィンは告げた。


「プロファイラーです」

「はあ?」


思わずの声を上げたマリンに彼はくすくすと笑う。マリンよりも上品に。


「己が何者であるかを教えてくれる神の叡智たる装置、ですね」


片手を挙げて「さあ手を翳してみて」と促すレフィンに、渋々マリンは従う。

自分の状況に途轍もない羞恥心を覚えた。何をしているんだろうと思う。

有り得ない。石がプロファイラーって……。羞恥の間にひんやりとした石の感触が指先に触れる。

刻まれた文字があちこち光り出す。マリンは考えた。バックライト……?


「はい、結構です」と文字を読み解いたと見えるレフィンが言った。医者の診断みたいだな、とマリンはまた考えた。

レフィンは診断結果を告げた。


「マリン様は聖女、とのことです」

「…………」


マリンを含む地球人類が知るFBIとかのプロファイラーでは到底下せない分析結果が出た。

しかも意味は無かった。聖女と再確認しただけ。

明後日を見ているマリンの横顔に、レフィンは続けた。


「更に全属性をお持ちです。これは大変稀であり素晴らしい事です」

「……そうですか」

「私は風の属性しか持ち合わせておりません」

「……凄いじゃないですか、風」


道端に落ちた枯葉とか、踏むと靴が悲劇になる銀杏とか秒で片付けられそうじゃないか……。

呟いたマリンに、何故かレフィンの目が輝いた。


「その発想はありませんでした――!」

「……え」

「どうもハートストーンに魔法をフィリングする事ばかりに気を取られていました。便利になるといけませんね。脳を使わなくなってしまう。さすが聖女様です」

「……はあ」


マリンは肩を落とした。褒められるような事は何も言っていない。

今年十九歳になるマリンよりレフィンは六つ年上だと聞いている。


――大人の方、ですよね。


マリンはそろりと目だけを動かし、なんとも無邪気な美しい神官を観察した。

ガウンっぽい白色の法服は太い黒のラインで縁取られ、前になった裾に大きく紋章のようなものが入っている。

何の意匠だか元ネタがさっぱり分からない。ボタニカル柄っぽいけれど。


ファンタジー映画のコスプレ――とは言えない。彼らにとってはこれが当たり前の「普段着」だ。


かく言うマリン自身は彼らの「世界観」には追従せず、貰った「衣装」をそのまま使ったりはしていない。


ここに来る直前まで、ハイウェストのタイトスカートとノースリーブのリブニットを着ていた。

今日のところは洗濯中であるニットのトップスの代わりに「衣装」のワンピースをブラウスに改造して着用した。

裁縫スキルに万歳だ。家にはクッキングヒーターがある癖してロックミシンとかは無かったので手縫いする羽目になったが、徹夜する事なく制作できた。

改造時、やたらとヒラヒラしたレースの襟やら大袈裟に膨らんだ袖やらの、コスプレ感が漂うパーツはすべからく排除させて頂いた。

母親が大手アパレルの広報だった事もありマリンの感覚は同年代より洗練されている。ファンタジー映画のコスプレは、抵抗感があり過ぎて無理だ。友人たちとハロウィンパーティーに繰り出すのならいざ知らず。


彼らの衣装は縫製や生地がいい分、惜しいと思う。


――色と柄がなあ。


悉く派手。やけにテカテカしている。ゲームやアニメのキャラクターのよう。画面の中で見る分には良いのかもしれないけれど現実ではキツイ。

瞳や髪の毛の色も実にバリエーションに富んでいて、衣装と相俟って見ていると目がチカチカする。

神官たるレフィンの髪色は緑色で、王子は赤色だ。


逆に彼ら曰く、マリンの地味極まりない黒髪は珍しいらしい。

「神秘的な色だね」とアレックスは褒め称えた。

ほとんどの日本人は手を加えなければ皆この色です、と言いかけてマリンは口を噤んだ。

言ったところで意味がない。




異世界である「この王国」で聖女なるものらしいマリンに課せられた使命はふわっとしたものである。


奇跡を齎す事、だ。具体性が無い。

今はお勉強とお祈りに専念させられている。国を知り世界を知る。お祈りは――申し訳ない事に適当だ。誰もやり方をレクチャーしてくれないから仕方がない。


要は聖女という名の「ニート」である。


先月までマリンは大学浪人のバイトだった。

一年を経て漸く浪人から卒業出来たところだった――のに。


朝になると自作の朝食を食べ自作の洋服を身に着け、徒歩十五分の神殿に向かった。「こちらからお迎えに上がります」という城や神殿からの申し出は遠慮した。一人の時間は多いほど良い。


――じっくり考えたい。この世界は何だか可笑しい。


数日前、こんな事があった。


朝。神殿に着き、マリンは敷地内の掃き掃除をする神官たちに交じって箒を使っていた。

まさか「風で掃除」は無いだろう。と、思っている傍からレフィンが風で仕上げてしまった。


「マリン様のアドバイスをもとに風の精霊にお願いしてみました。彼らもコツを掴んだようです」

「――――」


後出し情報にマリンは絶句した。

目に見える魔法は精霊のお仕事、らしかった。色んな属性を持った精霊がそこらの空気中に潜んでいて、属性を同じくする人間に奇跡の力を貸してくれる。

今みたく。

楽が出来たからか他の神官たちは「凄い」とかって喜んでいる。

マリンの絶句は続いた。

こう思った。


――精霊さんの、過剰サービス……。


こんな事もあった。


王子の狩猟館に出掛けた際、途中何かの畑の傍で降車しひと休みした。

畑の向こうに風車小屋があった。穀物を挽いているのだと言う。

牧歌的な風景を眺めていると、のんびりとした羽根の動きがのんびりと停止した。

あらら、とマリンは苦笑し、軽口を叩いた。


「風の魔法で動かしてたら良かったですねえ」


アレックスと同行していたレフィンが弾かれたようにマリンに振り返った。

「その手があったか――」アレックスの納得の声に、マリンは頬が強張った。

内心、激しく首を左右に振った。


――いやいや、安直に飛びつかないで。


どうか落ち着いて考えて頂きたい。

風車を風の魔法で動かすって……。

その発想を延長するなら換気扇とか、ドローンとかも風の魔法って事に……。


ならば水車は水の魔法で動かす気なのか。問いかけそうになって口を噤んだ。また飛びつかれては困る。

マリンより三つ年上だという王子にも想念した。


――大人の方、ですよね。


無邪気にも程がある二人を遠巻きにしていたマリンは、ふと、馬車の方に目をやった。

静かに佇む甲冑姿があった。

装飾を施された銀色の鎧で胴体を強化し、顔面がメッシュになった兜を被っている。パッと見フェンシング競技者のようだけれど鶏冠に似た頭頂の突起がパレードの参加者のようにも見える。


聖騎士と呼ばれる職業の男性で、聖女の護衛らしい。

屋外ではほぼ面を取らず、距離を保ってマリンに付いてくる。毎朝何気に通勤中のマリンを後ろから追っている事にも気付いていた。

偶に出す低い声の応答も短く、不愛想で会話という会話が成立した事は無い。


恐らくだが彼はマリンをあまり好きではない。


マリンの方はと言うと、彼の事が嫌いではなかった。

むしろ「この王国」では一番気楽でいられる人だったりする。


突然現れた「聖女」をすんなり受け入れたりしない。

当たり前の感覚を持った大人だと思う。







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