7月の思考
現実を推し進める文章が宙にある。
生きながら書く。
意地でも書く。
考えずにやる。それを試行錯誤する。
その空間のことをよく考える。
考えずにやる。その時の頭の使い方と、思考する時の使い方の違い。
何かを言おうとしたり説明しようとしたりせず、生きながら書く。
もっとただ書く。外。
事象から考える。
向こうの場所で、起こること、感じることを考える。書くことを考えるのではない。
この小説を面白くするためにはどうするか。
言葉にならないアレコレを書く。
現実ではなく、小説を書く。
人間よりももっと抽象的なもの。
考える方向性だけ?
考え続けること。
書けることを書けばいい。
飛ばした時間の影響を受ける? これは間違いかもしれない。
僕は上に書いたようなことを7月中にメモしていた。考えない、と言ったり、考え続ける、と言ったりしている。まとまりがない。
しかし、いずれにしても、これらを拠り所にしても小説は書けない、結局は次の一文を考えるしかない、ということを、ちゃんと自覚するべきなのかもしれない。
野球ノートというものがある。野球選手が気付きなどをメモしておくノートだ。それと同じような感覚で、僕もどのような意識で文章を書いたかメモをしているが、次に書く時にこの意識を念頭に置いてもうまくいかない。小説は野球とは違うのかもしれない。僕は馬鹿で、愚かだ。何の根拠もなく、ただひたすら考えること、それをやりたい。しかしまた失敗するだろう。