その瞳は何を映す その3
「なぜそんなに機嫌がいい?」
主である蛯名里希からの問いかけに、松永はあえて首をかしげてみせる。
部屋の中にいるのは、主と自分を含め、棚へと書類を入れている浜尾の三人だけ。
自分に背を向けている同僚へと、松永は声を掛けていく。
「浜尾さん、何かいいことあったんですか? 里希様が聞いていますよ」
「いや、これは私ではなくお前にだろう」
こちらへと向き直った浜尾は、苦笑いを浮かべている。
「え~、里希様。私、いつもと同じようにしているつもりでしたけど」
「嘘をつけ。今日のお前は、妙に無駄な動きが多い。急かしはしないものの、やたら僕に行動を促そうとしてきている」
里希は大きくため息をつく。
「さらには今の言葉だ。何が『同じようにしているつもり』だ。言いたいことがあるなら、さっさと話しなよ」
「あっれれ~。ばれちゃいましたか。実は今日、人と会う約束をしておりましてね」
里希の眉がぴくりと動き、不快そうな表情を向けてくる。
「あ、デートとかではありませんよ。私は里希様一筋なので、どうかご安心うぉっ!」
小さく渦巻く風が、里希の指先から自分の顔面へと放たれる。
「ちなみにっ! 場所は例の繁華街です。そちらの件については、あと少しで良き報告が出来るかとっ!」
自分の周囲で立て続けに起こる風の刃を躱しながら、松永は会話を続ける。
彼の聞きたいことは、報告に含まれていたようだ。
里希は「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ちゃんと仕事をしているなら、別にいい」
「はい、主のために働くことが、自分の喜びですから」
あきれた様子をみせ、里希は追い払う仕草を松永へと向ける。
「余計な世辞はいらない。今日はもういいから、さっさとこの部屋から出て行って」
「え~、つれな~い! でもお言葉に甘えて失礼しちゃいますね~」
いつでも退出できるよう、所用は全て済ませてある。
浜尾の「どちらも素直じゃない」という呟きを背に、松永は部屋の扉へと手を掛けた。
◇◇◇◇◇◇
この場所に来るのも三日目となる。
指定された路地裏の手前でそろりと奥をのぞき込めば、少年が一人で佇んでいるのが見えた。
こちらの様子に気づくことなく、うつむき何やら呟いているのは、予行演習でもしているといったところか。
あえて大きな足音を立て進みだせば、彼は顔を上げこちらに頭を下げた。
「あ! きょっ、今日は来てくれて、ありがとございます」
ぎこちない挨拶だが、昨日の『敬語が使える』という言葉を意識してのことだろう。
「まずはこれをあげ、じゃなくて受け取ってください!」
少年は鞄へと手を入れ、何やらごそごそと探している。
緊張した面持ちで取り出したのは、カップ入りのインスタント味噌汁だ。
「この味噌汁あげるから、俺にいろいろ、しやを広くする方法を教えてください。強くなりたいです」
何とも子供らしく、稚拙な行動だ。
だが、自分からの言葉を実行しようとする健気さは好感が持てる。
彼を気に入りつつある自分を、松永は否定できない。
差し出されたカップを受け取り、容器をぱちんと指先で軽く叩けば、彼はこちらへと視線を向けてくる。
「味噌汁は渡されるじゃなくって、作ってもらうのがタイプなんだがな」
しまったという表情で見上げてくる彼の顔に、こらえきれず吹き出してしまう。
恵まれぬ環境に対する共感もある。
空き時間を使って、彼が生きやすい方法を少しくらいなら教えてやってもいい。
そう結論を出すも、ふと気になるのは、まだ実行されていないもう一つの条件。
「なあ、お姫様抱っこが好きって俺が言ったら、お前はどうするんだ?」
そう問いかければ、少年は自分の周りをぐるりと歩き始める。
体格差からいっても松永が抱きかかえる方だが、どうするつもりだろうか。
やがて後ろに回り込むと、松永の足にしがみつくように密着し、持ち上げようとしてくる。
顔を真っ赤にしたその姿に、思わず笑みがこぼれた。
「いやいや、さすがに無理だろう」
笑いながら話したことが、良くなかったようだ。
むすりとした表情で、彼は自分を見上げてくる。
「じゃあ、お姫様抱っこってどうやってやるんだ、じゃなかった。やるんですか?」
不機嫌そうにしながらも、慣れない敬語で話す彼を軽々と抱き上げてやる。
予想外の行動だったようで、「ひゃぁっ」と少年は情けない声を出した。
とっさにつかまる場所を探し、爪にまで力を入れ、抱き着いてくるさまはまるで子猫だ。
あまりに初々しい反応に、悪いと思いながらも笑みをこらえることが出来ない。
そんな自分の態度が気に入らなかったようで、彼は不満そうな表情を松永へと向けてきた。
――だが自分がリード出来ていたのは、そこまで。
松永の首元へと、少年の両手がふわりと回される。
中性的な美しさをたたえた目鼻立ちに、透き通るような白い肌。
もう十分に近い距離にあるというのに、彼はそれを見せつけるように更に顔を近づけてくる。
やがて松永の耳元へと唇を寄せた彼は、こうささやいてきたのだ。
「おじさんの言うお姫様抱っこ、これでするのもされるのも出来たんだよね。……どちらが楽しかった、……んですか?」
かすれ気味の声であるのは緊張からか、あるいは。
大人である自分の背筋を、ぞくりとしたものが走る。
この子は。
いや、こいつは猫なんかじゃない。
鋭い爪を隠し、その姿で正体を隠した完全なる獣だ。
子供だとは思えないこの一連の行動は、狙って起こしたものではないだろう。
本人に自覚はないが、この子には「人を惹きつける力」が。
……いや、そんな生ぬるいものではない。
人を魅了し、狂わせることが出来る、魔性と呼ぶべきものが眠っている。
今自分の中にある感情は驚きからか、見つけていけない存在に触れたことによる恐れというべきものか。
どの感情かはわからないが、この少年は『化ける』。
それだけは理解できた。
そして彼が、自分の駒として『使える』存在になりうるということも。
ゆっくりとその姿を降ろし、膝立ちの状態で彼の手を取れば、不思議そうな表情がこちらへと向けられる。
同じ目線となるように向き合うと、松永は口を開いた。
「ではお姫様、あなたの望みは?」
こちらの言葉に戸惑いを見せつつも、彼ははっきりと答えてくる。
「お姫様じゃないけど、俺は強くなりたいです。俺にそうなれるやり方を教えてください」
「言ったな、じゃあ約束しろ。いや、これは『契約』だ」
それは、逃がさないための言葉。
さりとて、彼に不利なことばかりにするつもりもない。
「俺の知識やあらゆる対処法、それをお前に分けてやる。だが分けるだけだ。本当に欲しいのであれば、俺から盗め、奪え。それがお前には出来るか?」
見据えた先の表情が、わずかに歪んだ。
だがすぐさま、口元を引き締めると、彼は言葉を続ける。
「やる、出来るようになってみせる。だから教えてください」
「良い答え方だな、楽しみにしているぞ。おチビ……、いや」
ほんの少し気まずさを感じつつ、松永は尋ねる。
「すまん、今更だけど名前を聞いてなかった。お前の名前は?」
こちらの言葉に、同じ感情を抱いたであろう彼からの申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
「本当だ。俺、何日も会っているのに、全然言ってなかったです」
背筋を伸ばした少年は、まるで宣言のように自身の名を告げた。
「征明、浦元征明です」
「俺は松原だ。これからよろしくな」
さらりと語るのは偽名。
疑う様子こそないが、こちらの名乗りを聞いた彼は、何やら複雑そうな顔を向けてくる。
「ねぇ、松原さんの下の名前は? なんで教えてくれないの、……ですか?」
「ばーか、こっから始まってんだよ。教えてもらうんじゃない。お前が自分で見つけるんだ」
初めて会った日に、制服を届けに来た男が『松永』と呼んだのを、彼はすでに耳にしている。
それに気づき指摘をして欲しいところではあるが、今はまだ仕方あるまい。
「俺との会話、過ごす時間から探せ、導け。そうして視野を広くし、より違う世界の見方をおぼえていくんだ」
――もっとも、そう簡単に気づかせるつもりはないけどな。
思いを口に出すことなく、かわりとばかりに笑みを浮かべる。
だが、この時の自分は知らない。
征明が自分との時間で、凄まじい成長と飲み込みの速さを発揮することを。
それによりこの日からそう遠くない時期に、『松永京』という名を征明に知られてしまうことも。
けれどもそれは、また別の話。
お読みいただきありがとうございます!
とある繁華街で起こった、二人の出会いを皆さまへお届けいたしました。
さて、この話は現在の本編から6年ほど前の話となっております。
というわけで本編において少年こと征明はしっかりと成長し、すでに成人となっております。
そんな征明の姿を、浅葱鼓様にお願いして描いていただきました~!!
松永によって鍛えられた対人スキルにより、太陽のような眩しくも爽やかな青年としての姿と、悲しき過去を抱いた陰りが時折あらわれる。
そんな二つの性質を併せ持つ彼の姿を、実に美しく描いていただきました。
浦元征明は、つぐみとは別作品である「打木希美は前を向く」にて主要人物として登場しております。
https://ncode.syosetu.com/n1783iw
こちらの征明にも会いに来ていただけたら嬉しく思います。
さて、本編は最終章へと突入いたします。
本編投稿の際には活動報告にてお知らせいたしますので、こちらも合わせてお楽しみいただけたらと思います!
ここまでお読みいただきありがとうございました!




