その瞳は何を映す その2
あの少年はもうここには来ない。
分かっていても、やはり気まずいものだ。
昨日に続き繁華街に来た松永は、人の流れをただ眺め続ける。
ターゲットが見つからないこともあり、先程からこぼれ出ていくのはため息ばかり。
「あ~、やだやだ。なんかこんな女々しいのは、俺らしくないっつーの」
乱暴に頭をかき、いらだちと共に言葉を吐く。
周辺の有力者たちからの協力を取り付けた今、自身がここで見張る必要性はそこまでない。
何よりこのストレスと集中を欠いた状態は、判断力の低下を招きかねない。
いつもならばそれらを収めてくれる安定剤というべき煙草も、昨今の条例により、路上であるこの場所で吸うことは禁じられている。
ネガティブな感情はさっさと切り替えねば。
そう考え、目を閉じ心を落ち着かせていく。
今日はもう、本部に戻った方がいいのではないか。
次第にその考えへと、松永の心は傾いていく。
浜尾に連絡をして都合が合えば、食事にでも誘おうか。
穏やかな彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。
……いや、だめだ。
彼も今、自分とは別件で厄介な仕事を抱えている。
『自分のことは兄だと思ってほしい』
普段からそう公言している優しい彼のことだ。
こちらの反応で何かあったのだと察し、無理をしてでも自分のために時間を作ろうとするだろう。
「出来の悪い弟は、せめて迷惑を掛けないようにしなきゃだもんなぁ」
「……おじさんも、兄ちゃんがいるの?」
「……へ?」
聞き覚えのある変声期前の声が、後ろから響く。
目を開き振り返れば、昨日の少年が立っているではないか。
相手が子供とはいえ、近づく気配を察することも出来なかった。
これは本当に判断力が落ちていると認めざるを得ない。
「お前、……俺が怖くないのか? 昨日あれだけいやなことされたんだぞ。俺のこと、嫌いになったんじゃないのか?」
こちらの問いかけに、少年は困り顔ながらも答えてくる。
「……怖いよ。でも俺、おじさんのこと嫌いになってないもん。それに助けてもらったのに、ちゃんとお礼を言ってなかったし」
少年は鞄から紙袋を取り出すと、松永へと差し出してきた。
「制服、貸してくれてありがと。これ返しに来た」
「あぁ、そっか。真面目だなぁ、お前」
嫌われていない。
どうしたことか、それに安堵してしまう自分がいる。
紙袋を受け取ろうとするが、少年はそれを手放そうとしない。
「おいおい、それじゃあ返すにならないじゃねぇか」
「……」
うつむき黙りこくったままの少年へとそう語れば、彼は震え声で松永へと言い放つ。
「おじさん、俺をかってほしいんだ」
◇◇◇◇◇
「はぁ、お前何を言ってんだよ?」
「俺、お金が欲しいんだ。早く家を出て、一人で誰にも知られずに生きたい」
「ちょっと待て、お前はお金持ちのおばさんの家に住んでいるんだろう?」
何か欲しいものがある。
そんな単純な理由で金を求めたわけではない。
彼の必死な表情で、それは理解は出来た。
「……金を手に入れて、お前はどうしたいんだ?」
問いかけに、少年は唇をかみしめうつむいていく。
やがて顔を上げた彼の表情は、子供らしからぬ虚ろなものへと変化していた。
「俺、もういなくなりたい。どれだけがんばっても、強くなりたいっていろいろしても。いつもひどいことをされたり、言われたりするんだ。俺なんて、消えちゃえばいい。ずっとそう思ってる。……でも、そうしたら兄ちゃんはきっと悲しんじゃう。それは嫌なんだ」
零れ落ちていく彼の思い。
だがその顔に、一滴の涙もないことが、松永の心に引っ掛かる。
「それだけ辛いのに、なんでお前は泣かないんだ?」
松永へと顔を向け、少年は語りだす。
「だって泣いたって誰も助けてくれなかった。だったらもう、泣かない。そう決めたから」
返ってくるのは、年相応とは思えない拙い言葉。
大人びた行動と性格で他者を圧倒する、自分の主とは正反対だ。
それなのになぜだろう。
この二人の姿が、ときおり重なってしまうのは。
両親が揃っていないという境遇が、自分と同じである。
それもあり、彼が気になってしまうのだろうか。
……いや、同じではない。
自分には母の愛情があったが、この子はそれすら与えられなかったのだから。
ならば少しだけ、彼が前を見据えることが出来るような言葉を伝えよう。
それをどう聞くのかは、彼の判断次第だ。
「なぁ、おチビさん。強くなるっていうのは、いろんな方法があるぞ」
「え? 強くなるなら、運動やけんかをがんばればいいんじゃないの」
「まぁ、確かにそれも一つの方法ではあるんだが」
松永は、人差し指でこめかみを軽く叩く。
「体を鍛えるのもいいが、頭も使え。世の中は力だけで回っているもんじゃない。視野を広くしていろんなものを見ろ、見つけてみろ。そうすればきっと」
指先を少年へと指し示し、言葉を続ける。
「お前の世界は、確実に変わり始める」
少年はこちらを見つめたまま動かない。
だが空虚だった瞳に、わずかではあるが光が戻っていく。
その変化を確認すると、松永は背を向け歩き出した。
「待って!」
「待たねぇよ。いいこと言って去っていくのが、一番格好良いおっさんの姿なんだよ」
もう、これ以上の接触をするつもりもない。
あとは彼自身が、自分で答えを見つけ……。
「ひどいよおじさん、俺をかうって言ったくせに! 逃げるなよ!」
雑踏とはいえ、子供が大声で叫べば十分に目立つ。
それはもちろん、周囲の注目を集めるには十分なほどにだ。
……ちょっと待て。
今一番、自分は格好悪い姿になっていやしないか。
思わず足を止めれば、駆け寄ってきた少年がひしと抱きついてくる。
見渡さずとも、周りの人間がこちらを見ていることは容易に想像できた。
「落ち着け! 分かった、分かったから! ちょっとだけ待ってやる。だからこれ以上、騒がないでくれ」
自分にしがみつき離れない彼を、引きずるようにして路地裏へと入っていく。
誰もいないのを確認し、しゃがみ込み彼の顔をのぞき込めば、真剣なまなざしが自分へと向けられた。
「おじさんは男が好きなの? だったら俺、おじさんが好きになるようにするから」
「バカか! ガキが簡単にそういうことを言うんじゃない。そもそも俺は、男が好きなわけじゃねぇ」
無知というべきか、純粋と呼ぶべきか。
だが、前を向こうと努力する人間は嫌いではない。
「俺が好きなタイプは、ちゃんと敬語が使えるやつだ」
にやりと笑い、松永は言葉を続ける。
「それと味噌汁を作ってくれたり、お姫様抱っこが好きなやつだな。どうだ、お前はそれが出来るか?」
「え、それは……」
少年は再び唇をかみしめ、うつむいてしまう。
「まぁ、そういうことだ。こういう言葉にぱっと何か返せるようにする。それも、お前自身を変える一つの訓練になっていくだろうよ。じゃあな」
「ぱっと言う。それが俺が変われる方法……」
独り言をつぶやく少年へと背を向け、松永は歩みを進めていく。
「おじさん、聞いて!」
思わず足を止めるも、振り返ることはしない。
そんな自分にひるむことなく、彼は話を始めていく。
「明日のこの時間に、もう一回だけ話をさせて。それでだめだったら俺、もうおじさんに会うのも探すこともしないから」
震え声ではある。
だが、その決意と勇気は付き合うに値すると判断できるもの。
振り返れば、必死の表情でこちらを見ている少年と目が合う。
いい顔をしているではないか。
ならばこちらも、それなりの対応を。
「あぁ、いいぜ。お前の言う通り、一度だけチャンスをやろう。それが終わればお前ともおさらばだし、俺はもう二度とこの場所に現れることはない」
自分の口元に浮かび上がるのは、偽りではない自然な笑み。
少年が頷いたのを見届け、松永は再び背を向ける。
「しっかりやれよ少年、俺をがっかりさせんじゃねぇぞ」
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次話タイトルは『その瞳は何を映す その3』です。




