木津ヒイラギは夢を嫌う☆
夢を見るのは嫌いだ。
小さな頃は、そうではなかったのに。
幼い頃の自分は楽しい夢を見ては、目を覚ましてすぐに家族に話をしていたものだ。
時に魔法のじゅうたんに乗って空を自由に飛び回り、ウサギの形をした雲と競争したり。
またある時は、シヤと一緒に美味しいケーキがたくさん出てくるびっくり箱を見つける冒険をしたものだ。
だがある日を境に。
そう、母の死を見せられて以来、そんな夢は全く見ることがなくなってしまった。
その日から見る夢は、いつも嫌なものばかりだ。
ある時はマキエの子でありながら、その能力を引き継かなかったことを責め立てられる夢。
またある時は、自分の発動が逃げるためだけに存在する、意味のないものだと笑われる夢。
目を覚ましたところで安心をするどころか、待っているのはその夢が現実で起こるだけの生活。
そんな自分が、どうして夢になど期待するというのだ。
夕食後のリビングでの何気ない会話で、ついこぼしてしまった言葉に、その場がしんと静まり返ってしまう。
俺の言葉を聞いた冬野は、とても寂しそうな顔をしていた。
彼女の表情で、余計なことを言ってしまったことに今更ながらに気づく。
皆から目をそらし「風呂に行ってくる」と言い、逃げるようにリビングを出た。
後ろからはさとみちゃんの「ヒイラギ君、どこか痛いのか? 悲しいの顔してたぞ」という声が聞こえてくる。
俺は悲しいのだろうか?
洗面台へと向かい、鏡越しに自分を見つめてみる。
向かい合った顔は、泣くことこそないものの、随分とみっともない顔をしていた。
気持ちを切り替えようと、水で何度も顔を洗っていく。
冷たい水にようやく人心地がつくと、大きく息をつきタオルで顔をぬぐう。
ゆっくりとタオルから目だけを覗かせて、鏡の自分と見つめあう。
普段から自分は、目つきが悪いと言われ続けてきた。
不愛想な性格もあり、いつも怖い顔をしているから近寄りがたい。
そんな言葉ばかりを、周囲からは掛けられてきたように思う。
それでもかまわない。
近づいてきた人間に、心無い言葉をぶつけられ、傷つけられるくらいなら。
だったら最初からいらない、心なんて許さないでいればいい。
ずっとそう思って、生きてきたのだから。
けれども最近は、ほんの少しだけ、考え方が変わってきたように感じる。
「そう。変わってきていると、……思うんだ」
だって今まではシヤ以外の人間と、こうして過ごしていくなんて想像もつかなかった。
この家に、たくさんの笑い声が満ちる。
そんな日がくるなんて、決してないだろうと思っていた。
それも全てみんな……。
目を閉じ浮かぶのは、いつも笑顔を向けてくれる彼女の姿だ。
「すげぇよな、あいつ。たった一人の人間が、この家に来て周りのみんなを大きく変えていくなんてさ」
くすりと笑うその自分の顔は、なんだかとても柔らかい。
妙な気恥しさを感じ、風呂の準備のために自室へと戻っていく。
部屋に入ってすぐに覚えたのは、違和感。
その正体は机の上に、置かれた一枚のメモだった。
本来の内容は伏せられた裏側に書いてあるようで、表側の紙には「冬野からの大切なお知らせです」と書かれている。
今までに、こんなことなどなかった。
思わず緊張しながら、裏返して中身を読んでいく。
『ヒイラギ君へ。悪い夢を見たら呼んでください。私も一緒に見れば半分こになります。話を聞いたさとみちゃんも呼んでほしいと言っていました。なので、その場合はさんぶんこです! これならきっと大丈夫だと思います!』
なんだこれは。
……意味が分からない。
「いや。これ何が大丈夫なのか、ちっとも分からないんだけど。そもそも『さんぶんこ』ってなんだよ。ここは三分の一って言うべきではないのか?」
思わずつぶやいた言葉に、部屋の外から「ああっ、そうでした! なんという不覚!」という声が聞こえてくる。
静かに声のそばへと近づくと、一気に扉を開く。
そこには、顔に『失敗しました』と書かれていそうな冬野と、どうしたことかシヤまで立っているではないか。
まさかと思い、自分の手のひらを見れば、青い光が静かに輝いている。
シヤめ、冬野に俺の言葉を『リード』の発動でここで聞かせていたということか。
「……おい、心駄々洩れ女。そこで何をしている」
俺の声に冬野がびくりと肩を震わせた。
そのタイミングで、無表情のままシヤが話し出す。
「つぐみさん。声、大きすぎです。おかげで兄さんにばれたではないですか。では、私はここで失礼します」
「ええっ、シヤちゃん行っちゃうの? 私一人でヒイラギ君に怒られるの~? あ、でもお願いしたのは私だもんね。うん、ありがとう! 私、頑張って怒られてくるね!」
おそらく、冬野はシヤに真剣に感謝しているのだろう。
だが明らかに感謝の方向性を間違っている冬野を見て、シヤの唇がプルプルとふるえている。
「しっ、失礼します! 兄さんもお風呂に入るなら早く入ってください」
背中を向けたまま、振り返ることもなくシヤは一気に話すと足早に去っていく。
なかなかに珍しいものが見れた。
そんなことをぼんやりと考えていると、「あのっ!」と声がする。
「ヒイラギ君。言い方は間違えましたが、私の考え方は悪くないと思うのです。一緒ならきっと、怖いや悲しいは減らせます。だって私が、今もみんなからそうしてもらっているのだから」
目をそらすことなく、彼女はその気持ちをまっすぐに伝えてくる。
――まいったな。
こんなふうに、純粋な思いを聞かされてしまったら。
これは自分も、しっかりと答えなければならないではないか。
「……わかったよ。何かあったら呼ばせてくれ。その、ありがとな」
彼女の頭に手を乗せ、ガシガシと強めに頭を撫でていく。
「あわわわ、ちょっと目が回りますね。やはり男の人の力は強いといったところでしょうか。でも、……ふふ、嬉しい」
見上げてくる彼女の笑顔は、まるで花が咲いたようだ。
その姿を見るだけで、こちらにまで温かな気持ちがじわりと芽生えてくるのがわかる。
「さてっと、俺は風呂に入ってくるよ」
「あ、うん! いってらっしゃい」
子供のように大きく手を振って、冬野は自分の部屋に戻っていった。
思わずほころんだ口元にそっと手を当てる。
今日は、いい夢が見れるかもしれない。
いや、別に見られなくてもいいじゃないか。
今日からは、どんな夢を見ても大丈夫だと思える自分がいるのだから。
「ありがとな」
呟いた言葉は、本人に伝わることはないけれど。
いつかこの先、俺はもっと素直に、感謝を人に伝えられるようになれると思うんだ。
叶うならば、最初の相手が彼女であったらいい。
そう思いながら俺は静かに笑ってみせるのだった。
そうしてその夜、『ヒイラギ君に、怖いがあるといけないから』とさとみちゃんが枕を抱えてやってきた。
そんなさとみちゃんを追いかけてきた品子を、久しぶりに延長コードで巻いてリビングに転がしておき、朝一で見つけた冬野が絶叫したのはまた別の話。




