木津ヒイラギの願い方☆
さて、今日はエイプリールフールなのです。
というわけで嘘をテーマにお話を一つ。
主人公はヒイラギ。
これは彼がつぐみに会う少し前のお話。
彼のつく嘘とは?
どうかお楽しみいただけますように。
見ている。
さっきまで蔑むように見ていたのに、今は怯えた目で一人の少年が自分を見上げていた。
やってしまったという後悔を抱えながらも、ヒイラギはその少年へ強い視線を向けていく。
◇◇◇◇◇
白日本部での自身の研修が終わり、ヒイラギは別室で研修を受けていたシヤを迎えに本部の廊下を歩いていた。
ちょうど部屋から出てきたシヤに声をかければ、ヒイラギを見て戸惑いの表情を浮かべている。
話を聞けば、提出する書類を失くしてしまい、今から講師のところに取りに行きたいという。
シヤは、年齢以上にしっかりしている。
書類を失くすなど、普段の彼女ならまずありえないことだ。
おそらくは周囲による嫌がらせで、その書類は彼女の前から消え失せたに違いない。
書類を取りに行くというシヤといったん別れ、ヒイラギは目を閉じ静かに発動を行う。
研修はすでに終えており、書類を探していたシヤ以外の人たちは部屋から出ており誰もいない。
そう、もはやこの周囲には用事のないものなどいないはずなのだ。
そんな中で、近くに感じる複数の人の気配。
「一人、二人。……三人か?」
そちらに向かい歩いていけば、廊下の休憩所には三人の少年の姿がある。
ヒイラギの存在に気づくと、彼らは慌ててその場から去っていく。
すれ違いざまに「お前たちなんていなくなれ」とつぶやかれた言葉に唇をかみ、休憩所のごみ箱のふたを開ける。
やはりというべきか。
そこにはくしゃくしゃに丸められた紙があり、広げてみれば自分の妹の名前が書かれているのが確認できる。
そう、これはいつものこと。
だからそんな時は心を殺して、「なかった」ことにすればいい。
だがそれは、自分の時だけ。
妹に害が加えられたのを知り、黙っているほど自分は大人でもないし卑怯者ではない。
人よりも早く行動ができる脱兎の能力を使うまでもなく、中庭で先ほどの三人組に追いついたヒイラギは、そのうちの一人の肩を後ろから掴むと「おい」と声をかけた。
まさか追いかけてくるとは思っていなかったようだ。
少年は振り向きヒイラギの姿を確認すると、むっとした表情を浮かべる。
「なんだよ! あんたに触られたくないんだけど」
「……その割には、人の妹の書類には勝手に触って捨てるんだな」
言葉とともにポケットから書類を取り出せば、少年たちはしまったという表情を一様に浮かべる。
「恥ずかしくないのか? こんな卑劣なことをして」
「うるさい! 出来損ないの兄妹のくせに!」
悪いことをしたという、やましさからであろうか。
一人の少年が声を荒げると、ヒイラギに手を突き出してくる。
いつもならばそのまま受けて、自分は転倒していただろう。
――けれども。
どうしても今日はそれを受け入れることができず、気が付けば脱兎を使い彼の前から一瞬姿を消してしまっていた。
よもやヒイラギが、反抗すると思っていなかったのだろう。
にやにやとした表情のまま少年は、目の前から突然に消えたヒイラギに動揺し、バランスを崩しながら倒れこんでいった。
「おい、逃げ兎! お前、自分が何をしたかわかっているのか!」
周りでその様子をみていた彼の仲間の一人が、ヒイラギに向かって叫んでいる。
頼んだ覚えもないのに、つけられた自分への呼び名。
それを聞くたびに痛む心があるということを、彼らは知っているのだろうか。
「何事だ、誰が騒いでいるんだ!」
騒ぎに気付いたであろう大人から掛けられた声に、ヒイラギは聞き覚えがあった。
「ん? お前は木津か。また何か余計なことをしているのか?」
振り返れば、自分のことを邪険に扱う側の職員がこちらを不快そうに見ている。
その言葉に味方を得たかのように、少年たちが一斉に騒ぎ出した。
「聞いてください! 木津君が、彼を突き飛ばしたんです」
「そうなんです! 声をかけられて振り返ったら突然、押されてしまって」
よくもまぁ、そんな嘘がつけるものだ。
だが状況は、自分にとって決して良い方向ではない。
「ん~、そうか。木津がそんなひどいことをしたのか」
「はい、僕たち何もしていないのにですよ!」
もはやこの先、何を言っても「言い訳」ということになるのだ。
この場には、自分の話を信じてくれる存在は、誰一人としていない。
今までこれも、何度も経験していたこと。
せめてこの場に、シヤがいなかったのが不幸中の幸いだ。
ならばこの時間が、早く終わるようにするしかない。
胸の中に生まれてきた痛みを抑え込むようにうつむいたまま、ヒイラギは彼らが自分を責め立てるのを黙って聞いていた。
「ずいぶんと賑やかですが、一体どうしたというのです?」
そんな時、また新たな声が掛けられたことによりその場がしんと静まる。
声の方へとヒイラギが目を向ければ、そこにいたのはシヤとサングラスをかけた長身の男性。
「……う、靭様。大したことではありません。どうかお気になさらず」
こころなしか動揺を含んだ声で職員が話すのを、ヒイラギと少年たちは見つめる。
「気にするなと言われても、一人を大勢で囲んでいるのをみれば誰だって声はかけるでしょうに。これはどういう状況なんです?」
責めるでもなく、穏やかな口調で話をする惟之の様子に、三人は自分たちがとがめられることはないと思ったようだ。
職員に対して行ったように、自分たちが被害にあったと口ぐちに話しはじめていく。
今の彼らにとってはヒイラギの存在よりも、目の前にいる惟之と話ができるという機会が嬉しくてたまらないのだ。
長の血族でもなく、十代の時点で上級発動者となった惟之は、若き発動者たちにとって憧れの存在でもあるのだから。
だが、彼らは失念していたのだ。
その惟之の隣に、シヤがいること。
そして惟之が来てから職員が、ヒイラギに対して悪意をぶつけてこないということに。
「なるほど。君たちには何も非がないにもかかわらず、木津君は暴力をふるった。そういうことなんだね」
嬉しそうにうなずく三人を見つめた後、惟之はヒイラギへと向き合う。
「さて、木津君。君からの話を聞かせてほしい。素直に話してくれることを願うよ」
ヒイラギはポケットから書類を取り出すと、ありのままに起こったことを話していく。
途中で三人組からは「嘘をつくな、証拠もないくせに!」と騒がれながらも、話を終えれば惟之は目を閉じて考え込むしぐさをみせる。
そのすきを狙ったといわんばかりに職員が、「用事がありますので」といってその場から離れていくのをシヤが無表情で見送っていた。
「これは、互いの意見が矛盾しているね。つまりはどちらかが、嘘をついているということになってしまう」
困ったように語る惟之に対し、少年の一人が自信満々に口を開く。
「確かにお互いに証拠がありません。ですが彼一人と僕たち三人。人数から言っても、それに信用からいっても、どちらかなんて明らかではないのですか?」
「……そうか。そこまで言うのであれば、はっきりさせた方がいい。君はそう思っているということかな?」
相変わらず柔らかな口調で話す惟之に、調子に乗ったのだろうか。
少年は、はっきりと返事をする。
「ええ! その通りだと思っています」
「ならば木津君。そのプリントを貸してもらえるかい? 彼らの言うことが真実であれば、そのプリントには彼ら三人の指紋がついていないはずだからね」
にこりと笑い、手を差し出す惟之の姿に少年たちの表情は一変する。
「あぁ、そうそう。知っているとは思うが私は解析班所属であり、君たちがここに入った際に指紋のデータもちゃんともらっているから。わざわざとり直さなくても大丈夫だよ」
惟之の言葉に、少年たちは互いに目を合わせたあと、気まずそうにうつむいていく。
「だが、別にそこまでする必要がないというのであれば、この話はここで終わらせてもいいのではないかとも思うんだが。どうだい?」
少年の一人が顔をがばりと上げると、早口で惟之へと話し始める。
「そうしていただきたいです。この後に用事があり、そろそろ帰らないといけないと思っていたので」
「そうか。残りの二人も、そういうことでいいのかな?」
助かったといわんばかりにもう一人はうなずくが、ヒイラギを突飛ばそうとした少年は納得できなかったようだ。
「なぜですか靭様? あなたの右目はこの兄妹の母親のせいで失われたと聞いています! そんな奴らにあなたはどうし……」
少年の言葉は途中で途切れてしまう。
同じくヒイラギにも、ぞくりと背筋を冷たいものが走る。
今、自分たちが惟之から感じているもの。
これは明らかに『恐怖』と呼んでいいものだ。
「……君は。君は一体、誰からそんな嘘を聞いているんだろうね。そんなふざけた話が広まっているということかい?」
「あのっ、僕は決して……」
恐れでうわずった声をだす少年の様子に、惟之はため息をついた。
それにより張り詰めた空気から解き放たれた少年たちは、その場にしゃがみこんでしまう。
「……驚かせたのならばすまない。だがどうか、覚えていてほしい。一方だけの話をうのみにするのは、とても危険だということを。それが正しいかということを考えながら、これからは行動をしてほしい。さぁ、今日は帰りなさい」
「……しっ、失礼します!」
少年たちは立ち上がると頭を下げ、逃げるように走り去っていく。
やがてその足音が消え、惟之が先ほどよりも長いため息をつくのが、ヒイラギの耳に聞こえてきた。
「惟之さん。迷惑をかけてしまって、……その、ごめんなさい」
巻き込んでしまったこと、なによりシヤと彼にこの姿を見られた恥ずかしさもあり、うつむいたままヒイラギは言葉を出していく。
そんな自分の頭に、ぽんと惟之の手が載せられる。
「俺はただ通りすがっただけで、別に迷惑なんて思っていないさ。それよりも大丈夫か、ヒイラギ?」
心配をしてくれている惟之をこれ以上、悲しませてはいけない。
チクチクと痛む心を抑え、ヒイラギは笑いかける。
「俺は平気。こんなの慣れてる」
――嘘だ。
ちっとも慣れやしない。
自身の言葉にまた傷ついていくのを知っていても、それでもヒイラギは再び惟之へと笑いかけてみせる。
それを十分、理解しているのだろう。
さみしそうに笑いながら惟之は言うのだ。
「……いつか。いつかお前たちが、そんなことを言わずにいられるように。そう思えるような人間があらわれるようにと俺は願うよ。もちろんそう思われる努力を、俺も怠るつもりはないからな」
……あぁ。
いつかそんな日が、そんな相手がいてくれたらいいな。
頭の上の惟之の手に、そっと自分の手を重ねヒイラギもそれを願う。
そっと手を下ろし、ヒイラギはいつもよりも明るい声を意識して惟之へと問うていく。
「惟之さん、今日はうちで食べていってよ。そのかわり、家まで送ってくれない?」
「お、いいな。うまいもの食わせてくれるんだろう? 楽しみにしてるぞ」
穏やかに笑いかけてくる顔を見つめ、ヒイラギは思うのだ。
いつか、嘘をつかずに素直に生きていけますように。
――いつか、そんな存在が自分たち兄妹にいてくれますようにと。




