魔剣の目覚め#2
「……改めて見てみると、まぁなんと物騒な見た目」
先ほど手に入れた魔剣を研究所の外に出て眺める二人。暗闇の中では美しく見えた赤い宝石が、外の明かりに当てるとなんとも禍々しい瞳のようにも見える。
ぎょろりとこちらを見つめるような宝石に彩られる、華美な柄。その柄には似合わない鋭く黒い切っ先が、太陽の光を吸い取っているようにも見えた。
「これは……やはり魔剣の類じゃな。かすかじゃがじいじの込めたマナを感じる。……が、じいじの込めたマナにしては余りにも弱々しい……ふむ」
自分では持てない剣を俺に握らせ、アルはその剣を様々な角度から眺める。たまに触れてみたり、何をしているのかは分からないがぼそぼそと言葉を詠唱したり。
「錬金術が掛けられているというよりは、錬金術の器になっている……?付与効果の増幅……いやそんなことが可能なのか……しかし……」
ぼそぼそと難しい言葉を一人で喋るアルにしびれを切らし、俺は少し向き直る。
「あー……難しいことはよくわからないけど、結局この剣はなんなんだ?」
「それが分からんから苦労しておる。儂は昔から鑑定とかそういう類は余り得意ではないのじゃ」
おお意外。化け物じみた力があるのにそういうこまごましたのは苦手なのか。天才少女の弱点が知れたようで少しうれしい。―――まぁ、俺も鑑定なんてものは一切できないんだけど。
「甚だ疑問なのは、何故儂がこの剣を握れないのか、という所じゃ。やはり異常な重さの剣なのかもしれぬが……カズヤは心得などあるのか?」
「昔剣道を習ってたけど」
「剣道?なんじゃそれは。武芸の事かの」
この世界には剣道も存在しないのか。つくづく自分の住んでいた国との違いを思い知らされる。剣道の説明を簡単に済ませた後、それでもアルはうんうんと唸り続けている。
「うーむ……さっきはカズヤがとんでもない力持ちなのかと疑ったが、やはりそういう類ではない。持てないというより、剣に拒絶されているような……」
「それってつまりどういう―――」
刹那、周囲に咆哮が響き渡る。アルと俺は即座にその声の方向へ向き直った。先ほどのイノシシの数倍―――いや、それ以上か。日本でいう所のクマのような生物が、草木を踏み分けて俺たちの前に立っていた。
「で、でででで……」
言葉が出ない。先ほどのイノシシにも感じた、こちらを殺すという明確な殺意。動物から向けられるそれは、人間の本能に恐怖を与えるのに十分だった。
「うーむ。実にまずい」
「ま、まずい?どういうことだよ、さっきみたいに錬金術で……」
「それがのう、さっきから試しているのじゃが……全くマナを込める事が出来んのじゃ」
アルは手をぐっぱぐっぱと握ったり開いたりを繰り返す。開くたびに手のひらに緑色の光が宿るが、手を握りしめるとその光は霧散して消え去ってしまう。先ほど詠唱した際は、アルの周りにこれでもかとマナが集まっていたが、今は何故かそれができないというのだ。
「恐らくあの生物は……マナを喰らっておる、それもとんでもないスピードでな」
「それってつまり、どういう―――」
アルに質問する間もないまま、クマともトラとも似つかない大きな体躯の魔物が襲い掛かってきた。木々を倒し、鋭い爪でこちらを殺すために攻撃を仕掛けてくる。
「おうわぁあ!?!?!」
間一髪で跳び避ける。瞬間自分のいた地面は抉れ、周囲に岩片が散らばった。今あそこでモロに攻撃を喰らっていたらと思うと、体が震える。
「カズヤ、大丈夫か!?」
「あ、あぁ、なんとか!―――ッ!アル!避けろ!!!」
「え―――」
警戒し、こちらの逃げた先を確認していて隙の生まれたアルに、魔物のツメが迫る。回避しようとしたアルが体勢を崩し、そのまま地面に倒れこんでしまう。
まずい。あのままでは。魔物のツメは鋭くアルの腹部に向かって突き立てられようとしていた。距離は遠い、走っても追いつかない。
「アル!!!!!!」
瞬間、魔物の鋭いツメがアルの腹部を切り裂いた。鮮血が散り、アルの内臓が外へと抉り出される。間に合わなかった。
「あ゛、あ゛?」
何が起こったか分からない様子のアルに、魔物は繰り返し、繰り返しツメを突き立てる。悲鳴を上げる余裕もない、アルは魔物の凶刃に晒され、何度も何度も腹を貫かれた。
「く、くそッ!くそォ!アルから離れやがれデカブツ!!!」
魔剣を持ち、全力で走り魔物のもとに駆け寄る。一振り、せめて傷だけでも負わせられたら―――そんな考えは瞬時にかき消される。
魔物の体皮にはじき返される魔剣。切れ味どころの騒ぎじゃない、まるで切断できる様子などないなまくらだ。こんな剣じゃ、アルを助けられない。
「カ……ズヤ……がっ、あがあぁああ!?」
もうろうとする意識でこちらに手を伸ばすアルを、容赦なく追撃する魔物。こちらに目もくれず、ひたすらにアルの体を壊し続ける。
マナを食っている、とアルは言っていた。純度の高いマナをこの魔物は欲している。そう考えると、アルを喰らいたいという本能で動くのも分かる。
無力だ、何もできない。必死になまくらの魔剣を振るう。アルの悲鳴が耳に響く。何度も、何度も攻撃を繰り返す。しかし魔物は、俺ごときに興味がない様子で、アルが絶命する瞬間まで攻撃を繰り返す。
アルの瞳はもう曇り切っていた。出血も、傷の痛みも、尋常じゃないほどだ。もう誰が見ても、助からない。それでも、それでも。
「畜生、畜生!!離れろよ!離れろよぉ!!」
魔物はアルの体に突き刺した指を舐める。まるでクマがはちみつを舐めるかのように、美味しそうに。アルの腕を千切り、これでもかとアルを蹂躙する。止められない。俺の力じゃ、こんな鈍じゃ―――。
「カ……ズヤ……」
思考がままならない俺の耳に、消え入りそうなアルの声が聞こえた。
「……れん、きん……じゅつ……」
静かに、一言だけそう告げて、アルは動かなくなった。助けられなかった、死んでしまった。俺の事を助けてくれた、たった一人の錬金術師が、まだ10歳の、小さな少女が。無力な俺のせいで、死んでしまった。
剣を落とし、その場で座り込む。どうにもならない。俺は錬金術士じゃない。少女に嘘を吐いて、信頼させて、そして、その嘘のせいで少女を失ってしまった。
魔物の視線がこちらに動く。さっきまでよく殴ってくれたなと言わんばかりの目線。きっと、このまま俺もアルと同じように。
救えなかった。救えなかった。俺の命の恩人を、俺は助けられなかった―――。
絶望感に打ちひしがれ、一人で座り込む俺の体に、魔物のツメが襲い掛かろうとした―――刹那。
『力ヲ求メヨ』
頭に声が鳴り響いた。
『錬金術士ヨ、更ナル力ヲ求メヨ』
電子音と人間の声が混ざり合ったような異質な声。その声が聞こえた瞬間、目の前の景色が一気に暗くなった。
ああ、俺は死んだのか。魔物のツメに貫かれて、アルのように耐えることも出来ず、一撃で。弱い人間だ。生まれ変わっても、俺は何も……。
『錬金術師ヨ、少女ヲ助ケタイカ』
―――俺の事を、呼んでいるのか?
『少女ヲ助ケルノナラ、力ヲ求メヨ』
―――助けたい。もう手遅れでも、それでも。俺はあの子を。アルを助けたい。
『ナラバ、誓約セヨ。錬金術ノ誓約ヲ果タセ』
―――でも俺は、錬金術士じゃない。マナも扱えないただの人間で、生まれ変わっただけの役立たずで……。
『誓約セヨ、力ノ誓約ヲ果タセ』
繰り返し、繰り返し告げる声、意思がまるで感じられないその声に、縋るように声を上げる。
「……あぁ、してやるよ!誓約でもなんでも!アルを助けられるのなら、俺はなんだってやってやる!!」
『誓約ハ果タサレタ。我ガ名ハ魔剣ツェット。時間ヲ支配スル魔剣ナリ』
その言葉が聞こえた瞬間、ブラックアウトしていた視界が突然開ける。開けた視界に写っていたのは、先ほど殺された筈のアルの姿と、真正面に見据える魔物の姿だった。
「恐らくあの生物は……マナを喰らっておる、それもとんでもないスピードでな」
さっき聞いた言葉、さっきと同じ光景。瞬時に頭を巡らせる、ということは、次に来るのは―――。
俺は魔剣を手に、まっすぐ魔物に向きあった。瞬間魔物のツメが俺を攻撃しようと振り上げられる。さっきは右から振り下ろしてきた、つまり左に避ければ……。
予感は当たっていた。やはりそうだ、魔物は先ほどと同じ動きで俺を攻撃する。魔物の攻撃を難なく回避した俺を見て、アルが声を上げる。
「おぉ、やるのうカズヤ!」
「油断するなアル!左から来るぞッ!」
「おぉ、合点!」
叫び、アルは魔物の攻撃をひらりとかわす。先ほどアルが死ぬに至った攻撃はこれで避けることができた。しかし、ここまでだ。これ以上に俺に見えるものはない。
「くそ、どうすれば―――」
「カズヤ、その魔剣を空に掲げろ!」
アルに言われるがまま、魔剣を天高く振り上げる。瞬間、アルが魔剣に向かって小さなマナの塊を投げつけた。
「儂の読みではその魔剣はマナを増幅する力を秘めておる!どんなトンデモ技術かは知らん!カズヤ、おぬしに託すぞ!」
アルの言う通り、魔剣にマナの塊がぶつかった瞬間、魔剣から禍々しいオーラが放たれ、瞬時に敵の魔物を包んだ。魔物がたじろいだ瞬間、俺が魔剣を振り下ろすと、魔剣は先ほどまでの切れ味とは打って変わった、凄まじい威力の斬撃を放つ。
魔物はその斬撃に直撃し、真っ二つに切り裂かれたのだった。