86 それは小さな恋の花(3)※オズワルド目線
不快な表現が続きます……。
ルイは人懐っこい犬のようだった。
よく笑い、よく話し、こちらの言うことに逆らわない。
まあ庶民の男が、この国の王女と宰相の息子に逆らえる訳がないのだが。
ルイを初めて紹介された日から、僕ら三人は毎日のように王宮の庭で会った。
それだけではなく、僕も二人と共に城下に遊びに行き、ルイの家族も紹介された。
街の祭りがあれば、ルイが誘いにきて変装して出かけた。
多分、僕の人生の中で、最も輝いている時間だった。
僕は、市井で育った人間と接するのが初めてだったからか、酷く彼に興味を持った。だが、それはすぐに別の感情へとすり替わっていった。
久しぶりに、ルイ抜きでサーシャと二人でテラスでお茶を嗜んでいた時だ。
「オズ、貴方ルイに惚れたでしょ」
不躾に聞かれた。
僕は表情を崩さず答える。
「……さすが姫。よく見てるよね、色々と」
サーシャは何でもお見通しなようで、僕が自分でその感情に気がつく前に指摘された。
ルイに“惚れた”かどうかはよくわからない。だが、“興味”が“好意”に変わったことは間違いない。
僕は持っていたティーカップをソーサーに戻して、冷静に答えた。
「惚れたかどうかはわからないけど、少なくとも好意は持っているよ」
「私はBLもいけるけど。オズはどっちなのかしら? 受? それとも攻?」
「は? びーえる? なにそれ」
「男と男の恋愛を題材にした物語のことよ」
「…………ひとつ言っておくと、ルイのことは好きだけど、それは姫への気持ちと同じようなものだよ」
「……へ?」
僕の言葉に、サーシャは一瞬鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。そして、じわじわと頬を薔薇色に染めた。
「え? え? …………うそ」
「……僕はきみの、そのリアクションの方が嘘みたいだけど」
耳まで真っ赤に染めてあたふたするサーシャ。そんなサーシャを見るのは初めてで、僕ははっきり言って面食らっていた。
反則だろ? その顔。
「私てっきり……オズは男の子しか好きになれないんだと……」
「女がダメなだけ。前に言ったよね? 僕は姫を女と思ったこと一度もないって」
「それって、そういう意味!?」
「そういう意味だよ」
「………………」
サーシャは手元に目線を落とし、ティーカップにスプーンを突っ込んで、ひたすらカチャカチャとそれを回していた。
僕だって、今の今まで自覚してなかったよ。
気づかせたのは、きみだ。
僕はルイが好き。
そして、ルイよりもきみが好き。
僕は再びティーカップを手に取った。
震える指先を懸命に誤魔化した。それが精一杯の僕の虚勢だった。
…………クッソ可愛いな……。
碧い瞳を潤ませながら、いつまでもカップを掻き混ぜ続けるきみの顔は、夕焼けみたいに真っ赤で……愛しかった。
稀だ。
サーシャやルイは、この薄汚れた世界の中で、この薄汚れた僕にとって、とても稀な存在だった。
対極にある者だから、惹かれた。
その無垢な心に。
生まれて初めて、守りたいと思った。
それと同時に、僕のような者が手を出して欲しがってはいけない存在なのだとも悟っていた。
きみたちが眩しくて、僕の目は潰れてしまう。
僕は人生初の告白に、その日一日中ずっと高揚していた。
だがそのせいで、僕はその晩自室の扉に鍵をかけるのを忘れるという、人生最大の失態を犯してしまった。
真夜中…………酷く寝苦しく、僕は喉の渇きを覚えて目を覚ました。
下半身に違和感がある。
見ると、暗闇の中蠢くものがあった。それは、僕の下半身にのしかかっていた。
「……ッ!? ヤ、ヤメロ!!」
すぐに覚醒した脳でも、混乱していて状況についていけない。
僕はよく確かめもせず、蠢く黒い塊を蹴り飛ばした。
「ギャッ……ッ!」
ベッドから転げ落ちた塊は、どうやら人間だったようで、潰れたような甲高い悲鳴を上げた。
暗闇に目が慣れてきて、蠢くものを見る。月明かりに照らされたその塊は、あの女だった。
「…………最近大人しくしていたと思えば……」
「わたくしの可愛いオズワルド、恥ずかしがらなくていいのよ。ただいつものようにじっと寝ていれば終わるから」
物心ついた頃から、この母親の仮面を被った怪物が、寝所に忍び込んできた。
幼い頃は碌な抵抗もできず、奴のなすがままだったが、近頃は扉に鍵をかけ更に魔法もかけて厳重にしていたが……油断した。
「僕に触れるな。穢らわしい」
「け、穢らわしいですって!?」
女は立ち上がり、髪を振り乱してこちらに向かってきた。
「わたくしと何度も交わったアナタがそれを言えるの!? 穢らわしいのはどちらかしら!?」
「……そうですね。僕は穢らわしいですよ」
そうだ。僕は穢れている。この女と同等に。
僕は幼い頃から、この女に薬を盛られた夜は、朦朧とする意識の中、身体を好き勝手にされていた。
下半身に掛けられた布を捲って見ると、己のものはぴくりとも反応していなかった。それだけが、せめてもの救いだった。
「……残念ながら、どうやら僕は、役立たずのようですよ。あなたの期待には応えられそうもない」
僕の反応のない下半身を見て、女は薄い夜着をはだけさせ、大きくて醜悪な二つの塊を揺らしながらベッドに這い上がった。
「あの女のせいね! あのアバズレ王女のせいで! 大丈夫よ、わたくしの可愛いオズワルド。いつものように薬で勃たせてあげるから」
「お前の薄汚れたその口で、彼女を語るな」
母親に彼女が穢されたような怒りで、僕の目の前が真っ赤に染まった。
僕はベッドの上で立ち上がると、醜悪な母親を見下ろした。
「……化け物退治といこうじゃないか」
僕はパチンと指を鳴らして、【さようなら。お母様】と呪詛を呟いた。
シャーリン家に代々伝わるものを改良した僕のオリジナルの毒を、毎日少しずつ母親に与えてきた。
毒は徐々に侵食し、いつでも芽を出せるようにしておいた。そう、僕の最後のひと押しだけの状態に。
母親は自我を失ったように焦点の合わない目で宙を見つめ、だらしなく開いた口からダラダラと涎を垂らしている。
「お前の最愛の者を道連れにして、死ね」
僕の言葉に、ハッと意識を取り戻した母親は、僕などこの場に存在しないかのように、その目に何も映さず一目散に部屋から出て行った。
ずっと、先延ばしにしてきたことを、とうとう実行した瞬間だった。
一体僕は、何を躊躇っていたのだろう。
「ハッ……あの女! ……僕のことを微塵も見なかったぞ……ッ!」
くくく……と、面白くもないのに笑いが込み上げてきて止まらなかった。
おそらく母親は、“最愛の者”と聞いて、己の伴侶の所に行ったのだろう。
この毒の解毒剤が作れるのは僕だけ。もちろんこの毒が作れるのも。あの母親の伴侶は、自分の妻が傀儡になる毒に侵されていると知ることもなく殺されるだろう。
「…………明日は忙しくなりそうだな」
この世界に、やはり自分を愛してくれる者などいないのだ。こんな僕を。
あんなに執着しているように見えた母親でさえ、僕に向けるものは愛ではなかった。
「ははは……ッ!!」
クソ! クソ! とうとう目障りな者に手を下して最高に気分がいいはずなのに、頭の中の靄が晴れない。
僕は、気がつけば真夜中に馬を走らせ、城下を走っていた。




