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ミノタウロスの声

作者: ナカマクン

 むかしむかし。


 ある国に、物作りがとっても上手なおじいさんがいました。


 おじいさんの名前はダイダロス。


 おじいさんに作れない物はありません。


 その腕を高く買われたおじいさんは、この国の王様や王妃様からお仕事をもらうことで、ご飯を食べていました。


 ある日、おじいさんは王妃様に呼び出されました。


 当然ながら断る事なんて、できません。


 おじいさんは大きくて綺麗でキラキラした宮殿へと行きました。


 この立派な宮殿は、おじいさんが作った物です。


 その宮殿の中には、ひときわ大きくて綺麗でキラキラした部屋がありました。


 壁際に並ぶ美しい男女の彫刻も、もちろんおじいさんが作った物です。


 そんな部屋の中では綺麗でキラキラした物で着飾った美しい女の人が、大きな椅子に腰掛けていました。


「王妃様、ダイダロスをお連れしました」


「王妃様、お呼びと聞きましたが」


 王妃様と呼ばれた綺麗な女の人に、おじいさんはうやうやしく頭を下げます。


「どのようなご用件で?」


「内密の話があります。もう少し近くによりなさい。あなた方は下がるように」


 王妃様は周りの兵士たちを退室させると、おじいさんを近くに呼び寄せました。


「して、儂……いえ私に内密の話とは?」


「実は……」


 王妃様から打ち明けられた話は、世界のどこの国でもありふれたお話でした。


 しかし一国の王妃様が起こしたとあっては、国が傾くに十分な内容でした。


 王妃様はお腹を撫でました。


 王妃様は妊娠していました。


 年老いた王様の子ではありません。


 王妃様は若くてたくましい一介の兵士と浮気をしていたのです。


「話した以上、あなたには絶対に協力してもらいます。断ればどうなるかは、わかっていますね?」


「……御意にございます」


「私に何をお望みで?」


「そうですね、具体的には……」


 王妃様が口にした言葉を、おじいさんはすぐに理解することが出来ませんでした。


 とてもとても信じられないような、恐ろしい言葉だったのです。


「お、お待ちを。今、なんとおっしゃられました?」


「もう一度言います」


「産まれてくるこの子の頭を、牛にしなさい」


「死んだ牛の頭を被せて縫い付ける程度ではなく、肉も骨も皮も一つに繋ぎ合わせるのです。生きた牛のように息を吸い、血も涙も流せるように作りなさい」


 そんな恐ろしいこと、とても許されることではありません。


 おじいさんの顔はみるみる青ざめていきます。


「王妃様、何故です? 何故そのようなことを?」


「産まれてくる子が王の子供ではないことなど、誰よりも王自身がわかっています」


「で、ですが……」


「いいですか? よくお聞きなさい」


「私は怒れる海の神に呪いをかけられ、怪物の子を妊娠させられたのです」


「この意味が、わかりますね?」


「……は、承知いたしました」


 断れば、おじいさんの命は無いでしょう。


 王妃様の声には有無を言わさぬ迫力がありました。


「必要な薬品や道具などは私が手配しましょう。絶対に殺さないように、それでいて決して作り物だとわからないように作りなさい」


「生きて蠢くおぞましい怪物の子を、王には確認してもらわないといけないのです」


「誰もが目を背けるように、醜く、醜く作りなさい」


「っ……我が技術の全てを尽くしてその仕事を完遂いたします」


 王妃様はゆっくりと頷きました。


「それと、もう一つ」


「この子の死体を誰も確認することができないように、巨大な墓を地下に作りなさい」


「呪われた怪物を閉じ込めるため、としましょう」


「内部に入り込んだ愚か者が二度と出られないよう、複雑に入り組んだ迷宮にするのです」


「承知いたしました……」


 おじいさんは、心の中で王妃様を軽蔑しました。


(怪物……どこの誰が怪物だと言うのか……)




 それからしばらくの月日が流れて。


 ついにその時が来てしまいました。


 この日のためにおじいさんが作った特別な部屋には、おじいさんと王妃様しかいません。


 おじいさんは一人で王妃様の出産を手伝い、生まれてきた赤ちゃんを受け止めました。


 生まれてきた男の子は、とても可愛らしいごくごく普通の赤ちゃんでした。


 赤ちゃんはお母さんの温もりを求めて泣いています。


 でも王妃様は、赤ちゃんに触れようともしません。


「さあ、始めなさい」


 王妃様はおじいさんに冷たく命じるだけです。


 おじいさんに作れない物はありません。


(すまぬ……と言葉にすることすら儂には許されん)


 そして、とてもとても言葉にできないような、世にも恐ろしい手術が始まりました。


 おじいさんにだって息子がいます。


 本当ならこんな酷いことはしたくありません。


 でも、仕方がないのです。


 やらなくては、おじいさんが殺されてしまうのですから。


 仕方がない。仕方がない。


 おじいさんは何度も自分に言い聞かせながら。


 赤ちゃんを物のように扱い、その手を血で真っ赤に染めて、見事に作品を完成させました。


 世にも珍しい、牛の頭と人の体を持つ赤ちゃんの誕生です。


「……王妃様、これでよろしいのですな?」


「ええ。素晴らしい腕ですね」


 自分がお腹を痛めて産んだ赤ちゃんが怪物にされていく姿を見ていたはずの王妃様は、満足そうに頷きました。


「では証拠をまとめて隠し通路から出ていきなさい。道具も薬品も()()()も、すべて火にくべて処分するように」


 王妃様は自分の赤ちゃんの顔だったものを、余り物と呼びました。


「は……」


 おじいさんは、王妃様に従うことしかできません。


 そして王妃様はおじいさんが出て行った後に、ひときわ大きな叫び声を上げました。


 異変を感じた外の兵士たちが、次々と部屋に飛び込んでいきます。


 そして彼らは、王妃様が出産した怪物の姿を見つけました。


「こっ、これは……!」


「ひぃいいいいいっ!」


「怪物だ! 怪物が産まれたぞ!」


「大変だ! すぐに王様に知らせなくては!」


 すぐに国中が大騒ぎになりました。


 おじいさんはその喧騒を聞いて胸の中で呟きます。


(違う、あの子は怪物ではない。真の怪物は……)


 でも、本当のことを誰かに言ったりはしません。


 おじいさんは心の底から恐ろしかったのです。


 人間の頭ではなくなった自分の子を見て、嬉しそうな微笑みを浮かべた王妃様のことが。




 そして、全ては王妃様の目論見通りになりました。


 牛の頭を持つこの子が普通の人間の子だと思った者は誰もいませんでした。


 王様は呪われた子どもを一目見るなり、あまりのおぞましさに顔が真っ青になって震え上がりました。


 怪物の目玉は黄色く濁って涙を流し続け、右に左に上に下にギョロギョロと動き回ります。


 怪物の鼻息はごふぉーごふぉーと恐ろしい音を立てます。


 怪物が食いしばった歯の隙間からは、血の泡が絶え間なく溢れ続けます。


 怪物の顔の筋肉と神経は壊れていてめちゃくちゃに動くので、笑ったような顔と怒ったような顔と泣いているような顔を交互に繰り返します。


 おぎゃああああ。おぎゃあああああ。


 それでいて、怪物はまるで人間の赤ん坊のような声で泣くのです。


 それはまさに呪いによって生まれた怪物の子でした。


 王様は自分にも呪いが降りかかることを恐れました。


 王様は王妃様の助言に従い、呪われた子供を迷宮の奥深くに閉じ込めることにしました。


 その子供を迷宮の奥に捨ててくる役目を受けた者。


 それはただ一人、迷宮の構造を知り尽くしているおじいさんを置いて他にはいませんでした。


 王妃様に命じられるがままに。


 呪われた怪物の子であることを証明するために。


 国民たちがちゃんと怪物を見れるように。


 おじいさんは怪物の赤ちゃんを掲げて、白昼堂々と国を一周してから迷宮へと向かいます。


「ひいっ!」


「本物の怪物だ……!」


「なんて恐ろしい……」


「うわぁああああん! おかあささああああんん! こわいよぉおおお!」


「下手に見ると呪われるぞ……」


 おじいさんは怪物の子を人々に散々見せつけました。


 その醜さ、おぞましさ、恐ろしさを、決して忘れないように人々の心に刻みつけました。


(儂は……なぜ、こんな……)




 やがておじいさんは、自分が作った地下の迷宮へと足を踏み入れます。


 その迷宮の名はラビリントス。


 千年以上に渡って後世に語り継がれる世界一の大迷宮です。


(もうすぐ、終わりじゃ……儂のこの仕事も、お前の苦しみしかない生も……)


 おじいさんは右手に赤ちゃんを抱いて、左手に松明を掲げながら。


 とぼ、とぼ、と、真っ暗な迷宮を進みます。


 自分の罪が形になったような。


 おぞましい姿を見たくなかったので。


 おじいさんは赤ちゃんに薄布を被せました。


 その布から伝わる赤ちゃんの温もりが。


 おじいさんの心をますます締め付けます。


 王様は、この子に名前を与えませんでした。


 王妃様も、この子に名前を与えませんでした。


(王妃はここを墓と言ったが、刻むべき名も墓標も無き墓など……)


 産まれたばかりの赤ちゃんは、何も悪いことはしていません。


 それなのに誰からも祝福されず、幸福のほんのひとかけらも貰えることもなく。


 この暗闇の中で、その生涯を終えようとしていました。


 呪われた怪物の役目を押し付けられて。


「ここは……暗いのう。月も、星すらも無い夜のようじゃ」


 この迷宮は、まるでこの子の人生のようです。


 出口のない迷宮。


 愛も温もりもない、寒い寒い闇の世界。


 誰もがよってたかって怪物に仕立て上げた。


 可哀想な赤子の揺りかご。


 おじいさんは考えました。


 せめて、せめてなにか一つだけでも。


 この子に苦しみ以外の何かを与えてあげたい。


「……アステリオス」


 おじいさんは、この子に名前を付けました。


「この光なき、命なき迷宮においてたった一つの命。この夜の世界の唯一の星」


 名前の無い怪物などではなく。


 愛を受け、健全に育つはずだった子。


「儂が、お前に与えることのできる、恐れでも侮蔑でも哀れみでもないもの……」


 それが一瞬の光に過ぎなくても。


 暗闇を切り裂く唯一無二の輝き。


 雷光(アステリオス)


 その名前が、この子の人生で。


 最初で最後に与えられた、ただ一つの祝福でした。




 おじいさんはやがて、一番奥の部屋にたどり着きます。


「着いた……」


 あとは、この子を殺して帰るだけです。


 おじいさんは薄布を取り払い、赤ちゃんを祭壇の上に寝かせました。


 そして赤ちゃんの首に両手を添えます。


「仕上げを、しなくては。それで仕事は終わりじゃ……」


 しかし手から伝わる赤ちゃんの温もりが。


 まだ生きたいと願う命の鼓動が。


「そう、これで終わる……ようやく終わらせてやれる」


 おじいさんを見つめ、涙を流す目が。


 おじいさんの服の裾を掴む、弱々しい手が。


 どんな難しい仕事でもやり遂げてきた、おじいさんの腕から。


「うっ……ぐぅぅ……」


 力を、奪います。


 1分……2分……3分……。


 おじいさんの手は、動きません。


 ポタ、ポタと。


 皺だらけの手に、水滴が落ちます。


「……何故、じゃ。こんな楽な仕上げはそうそう無い。あとほんの少しで、終わる……というのに」


 自分が泣いていることに。


 おじいさんが気づくまで少し時間がかかりました。


 震える手は、おじいさんのいうことを聞かず。


「ああ……」


 勝手に赤ちゃんの喉から離れました。


 うぅぅぇぇええええぇぇぇぇん。


 赤ちゃんが、泣き始めました。


 おぞましい怪物の声などではなく。


 どこにでもいる、普通の赤ちゃんの泣き声。


 そこでおじいさんは、気づいてしまいました。


 この子はどんなに酷いことをされても。


 おじいさんに抱かれていた時は、一度も泣かなかったことに。


「あ……ああ、あああぁぁぁぁ……!」


 おじいさんは、自分のやったことが急に恐ろしくなりました。


 生まれて間もない赤ちゃんにこんな残酷なことをするなんて、とても人間ができることではありません。


 ならば。


 人間にはできないはずのことをやってしまった自分は、いったい……?


「わ……っ、儂は……」


 松明の明かりに照らされて、迷宮の壁におじいさんの影が浮かび上がります。


 侵入者を惑わすために作った壁の模様のせいか。


 それとも松明の火が揺れるせいか。


 おじいさんが見た自分の影は、歪んでいました。


 赤子を手にかけようとする恐ろしい形相の影。


 その頭には、まるで牛のような。


 二本の角が生えていました。




「うわぁぁああああああああ!」


 おじいさんは叫びました。


 おじいさんは泣きぐずる赤ちゃんに背を向け。


 松明を掴んで、その場を逃げ出しました。


 うぇぇえええん。うぇええぇえええん。


 赤ちゃんの泣き声は。


 おじいさんの背中を追いかけるように、どこまでもついてきます。


 暗いよ。寒いよ。僕を置いていかないで。


 赤子の泣き声がおじいさんにはそう聞こえました。


 許してくれ! 許してくれ!


 何度も何度も叫んで叫んで謝りながら。


 おじいさんは必死に迷宮を走って逃げました。


 そして、赤ちゃんの泣き声は十重二十重に迷宮の壁に反射し。


 風に乗って国中に響き渡りました。


 その声を聞いて人々は震え王様は呪いに怯えます。


 真実を知らない人たちにとって、その声は血を求めて鳴く恐ろしい怪物の声に聞こえるのです。


 しかしおじいさんにとっては。


 その声は温もりを求めて泣く可哀想な赤子の声にしか聞こえません。


 どれだけ耳を塞いでも、おじいさんの耳にはあの声が鮮明に聞こえてしまうのでした。




 そして、赤子が人知れず死んでしまった後も。


 迷宮から響く声が止むことはありませんでした。


 名前の無い怪物は、いつしかミノタウロス(ミノス王の牛)と呼ばれるようになり。


 王様は存在しない怪物を恐れ、若い男女の命を生贄として迷宮に捧げるようになりました。


 ここは、クレタ島。


 罪が罪を生む呪いの国。


 偽の怪物を産んだ本物の怪物たちの国。


 今日もミノタウロスの声が聞こえます。


 実在しない怪物の声が止むことはないでしょう。


 ダイダロスが己の過ちと向き合い。


 一紡ぎの糸球を勇敢な若者に託し。


 いつか罪を償える、その日まで。




 おしまい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 切ないお話ですね。 真に迫っていて引き込まれるように 読ませていただきました。
[一言] 何とも残酷で俗っぽい王妃様、その身勝手さが逆に人間らしい気もします。そもそものギリシア神話では、神様たちも非常に人間臭く呆れるほどに身勝手なものですから、後世に伝わっている神話の真実とは、案…
[一言] ミノタウロス、本当にこんな産まれ方をしていたらやるせないですね。 ダイダロスだってたまったものではないでしょう。 切ないですね。 でも、ダイダロスが、名もなき坊やに名を与えてくれた。 これだ…
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