三 潜入作戦
レオンを乗せた翼龍は順調に飛行し、目標地点であるイルセルク領南東部で彼が降下した時には翌日の午前二時を回っていた。
レオンはまったく理想的な着地をした。着地の衝撃で地面の上を一回転し、彼は起き上がった。ちょうど雲の切れ間から星帯が覗き、彼に十分な明るさを提供している。
レオンは荷袋の中から円匙を取り出すと、適当な大きさの穴を掘り、そこに落下傘と飛行服を埋めた。素早く土をかぶせ、落ち葉や枯れ枝をその上に乗せて穴の跡を完全に消す。円匙は近くの茂みの中に投げ込んだ。
荷袋の中にはいつも愛用している二振りの短剣に、短銃が四丁入っている。弾薬盒に入っている実包は五十発ある。短銃はそのまま袋の底に隠し、短剣は腰帯の後ろに差して、上着で隠した。
そのまま彼は歩き出し、イルセルクの首府であるノールシュタットへと続く大街道へと向かった。
歩き出して二時間ほど経った頃、信じられないような幸運がレオンに訪れた。朝の市場へと野菜を運びにいく農夫の馬車に出会ったのだ。
「おい、チビ助」馬車を止めた農夫が言った。「こんな早朝からどこへ行くんだね?」
「ノールシュタットさ」
レオンは友好的な雰囲気を演じて見せた。
「お前さんは運がいいな。俺もノールシュタットの市場へ馬鈴薯を持って行くところだ。乗っていきな」
「それはありがたい」
レオンは御者台に乗った。馬車が再び走りだす。
「お前さん、旅の者かね?」農夫が聞いた。
「そんな大層なものじゃないよ」レオンは苦笑のような微笑みを浮かべた。「ただの通りすがりの者さ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日の午後、王宮の執務室にシュテルンベルクは出頭した。
「レオンは本日午前九時ごろ、ノールシュタットへ無事到着したとのことです」
「そう」
シエルは処理していた書類から顔を上げた。
「現在は情報部の方で手配した宿にいるようです。現地の工作員から連絡がありました」
「まあ、情報の伝達速度としてはまずまずといったところね」
王国全土には、腕木通信による通信網が張り巡らされている。腕木通信とは、三本の棒を動かすことで情報の遣り取りをする通信方式である。電信技術が発明されるまで、最良の通信方式であった。
腕木通信の問題点は、視覚による情報の遣り取りをするために秘匿性が難しいことと、維持費がかかり過ぎることである。
前者の問題は暗号を組むことによって解決出来るが、後者の方はどうにもならない。そのため、この通信方式は民間には普及しておらず、もっぱら公用通信にのみ利用されている。
「では、私はこれより、ランツヴートの基地へ飛び、そこから彼との情報交換を続けます」シュテルンベルクは言った。「王都には連絡要員として、副官のレントを残しておきます」
シエルが頷き、言う。
「それで、将軍。現在のところ、情報漏洩の可能性は?」
「未だ何とも言えませんね。向こうで彼が襲撃でもされればはっきりするでしょうが」
「まあ、そうね。そうなれば、内通者の存在が確定的になるけれど」
シュテルンベルクは少しだけ眉を寄せた。
「よろしかったのですか? 彼を囮にして」
「あいつに人殺しを頼むよりは、ね」
シエルは唇を歪め、翳のある笑みを浮かべた。
正直、レオンの手を血で汚させたくはないのだ。いつも彼に汚れ役をさせることに、シエルは罪悪感を覚えている。だからといって彼のような人間を遊ばせておけるほど、この世界は住みよい場所ではない。
それに、結局は誰かにやらせるくらいならば、という思いもある。自分の頼みで彼に罪を犯させることで、自分もその罪を背負いたいのかもしれない。
その辺りの感情はシエル自身、どうにも理解し難いものがあった。レオンならば察してくれるのではないか、と思うのは、少し彼に対する甘えが過ぎるかもしれないが。
シエルは気を取り直すように、一度息をついた。
「では将軍、成果が上がることを期待しているわよ」
「はっ!」
シュテルンベルクは踵を返して執務室を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あたりは暗かった。かろうじて、雲間から覗く星帯が地上を照らしている。
男はそっと窓枠に手をかけた。次の瞬間、窓硝子が内側から割られ、男の腹に短剣が突き立てられた。
一瞬で男は部屋の中に引きずり込まれ、そこで喉をかき切られて止めを刺される。悲鳴を上げる時間もない早業だった。
「さて、どうしたものかな?」
レオンは短剣を振り、血を払った。彼の使用する短剣は特別製で、切れ味よりも丈夫さを第一に鍛えられている。刃は肉厚なため、折れにくく曲がりにくい。
自分がどこかで襲撃を受けるだろうことをレオンは予測していたが、着いたその日の夜に襲撃されたところを見ると、相手側はこちらの滞在先を完全に把握しているらしい。
レオンは割れた窓から下を見る。彼の部屋があるのは宿の三階だった。窓には縄がかけられ、さらに数人の男が上ってこようとしているところだった。彼らは先頭の人間があっさりと殺されたことを知らないようだ。
レオンは素早く相手の人数を確認する。四人だった。すでに一人殺しているから、襲撃者は合計で五人ということになる。
縄でも切ってやるかな、とレオンは思った。今、縄を上っている人間は地上へ真っ逆さまだろう。
レオンは唇の端を吊り上げ、早速それを実行に移した。短剣で縄を切り落とす。短い悲鳴に、地面に何かがぶつかる鈍い音が続いた。
レオンは二刀の短剣を抜き放つと、勢いよく窓から飛び降りた。
膝を使って着地の衝撃を和らげる。かなりの衝撃がレオンの脊椎を駆け抜けたが、彼はよろめきさえしなかった。
「夜中に運動会とは、感心しねぇな」
レオンはそう言うと、驚愕の抜けていない男たちに襲いかかった。まず手近な位置にいる男の手から得物を弾き飛ばし、片方の短剣で喉を突く。続いて素早く二人目の心臓に短剣を突き立てる。ようやく驚愕から抜け出した残りの二人が得物を構えようとしたが、あくまで構えただけに終わった。
ジャッカルの二つ名に相応しい俊敏さでレオンは三人目の頭部を短剣の柄で割り、四人目の腹部に鋭い蹴りを入れた。相手の男は得物を取り落して地面に倒れる。腹を抱えて呻いていた。
「さて、誰の命令で俺を襲ったんだ?」
レオンは片方の短剣を鞘に収め、腰帯から短銃を取り出した。男の傍らにしゃがみこむ。
「誰が答えるかよ、このチビのくそ野郎め」
悪態をついた男は、レオンの顔に唾を吐きかけた。
レオンは男の膝頭に銃口をあてると、無造作に引き金を絞った。男が鋭い悲鳴を上げ、両手で膝頭を抑える。レオンは男の髪を掴んで頭を持ち上げた。
「もう片方もどうだ? 一生車椅子での生活が出来るようになるかもしれない」
男は顔にはっきりと恐怖を張り付かせていた。
「ザ、ザイデルマン公爵だ! 公爵があんたを始末するように命じたんだ!」
「どうだ、喋るのは案外難しくなかっただろう?」
レオンは冷たい笑みを浮かべた。そして用済みとばかりに短剣の刃を男の喉に滑らせる。
彼は無感動に短剣と銃を腰帯に収めると、そのまま宿には戻らずに駆け出した。銃声を聞きつけた宿の主人が出てきた時には、レオンの姿はすでに闇の中へと消えていた。
ノールシュタットは、旧市街全体が城塞になっている。改築に改築を重ね、現在では最新式の稜堡式要塞(星形要塞)となっていた。市街自体が要塞となっているためか、ノールシュタット城は純粋な「城」ではなく「城館」様式になっている。城館あくまで「館」であり、居住性を重視しているため、防御性は重視されていない。
レオンは上下とも黒の服を着ているので、ほとんど夜の闇に溶けてしまっている。
城館の塀は石造りで、高さは三メートル半といったところ。レオンにとって障害というほどのものでもない。
積み上げられた石の凹凸に手や足をかけて上り、向こう側の草地に着地した。即座に木立の陰に隠れる。広々とした庭園を一気に駆け抜け、また別の木立に隠れた。レオンは綺麗に刈り込まれた芝生の向うに見える館を見上げた。窓からは明かりが漏れている。季節が初夏である所為か、開いている窓が多い。
レオンは情報部の資料で見たノールシュタット城の構造を頭に浮かべていた。彼は城館の裏手に廻り込んだ。そこには厩がある。万が一の逃走用に、一応確認しておこうという肚だった。
厩を確認し、レオンは一瞬だけ目を見張った。中にいるのは馬だけではなかったのだ。翼龍が四羽ほどいる。
土を踏み固めただけだが、滑走路も整備されていた。
翼龍と滑走路の存在は、情報部の資料にはなかったものだ。
自分が使うにしろ、公爵が使うにしろ、万が一の逃走用にこれほど便利な生き物はいないだろうな、とレオンは思った。
彼は裏庭を横切り、館の壁沿いに歩き始めた。部屋を一つ一つ覗いていく。やがてどこかの窓から、人の声が漏れているのに気付いた。それは庭園に面した部屋の窓であった。
そこは書斎であった。窓帷の片側だけが引かれており、内部がよく見えた。
書斎にいたのは、ザイデルマン公爵と大佐の階級章を下げた軍人だった。確か公爵の副官を務めるライヒライトナーとかいう奴だったか、とレオンは思った。
「まだジャッカルを始末したという報告は来んのか?」
「残念ながら」
公爵の問いに、大佐が答えた。
「まあいい」ザイデルマンが言う。「王都から奴がいなくなったことが明確になったことの方が重要だ。陛下を奸臣どもの手から奪還する機会は今しかない」
「すでに親衛隊のマイジンガー大佐が動き出していることでしょう」
ザイデルマンは鷹揚に頷いた。
「うむ、いざという時には、玉体を押さえている側が圧倒的優位に立てるのは明白だ」
「しかし、肝心の陛下が我々の請願を聞き届けて下さらなかった場合はどうするのですか?」
「その時はあの小娘を傀儡にして、我々が実権を握るなり、どこか他から我々に都合のよい傍系の王族でも見つけてくればよい」ザイデルマンが答えた。「さあ、とにかく今はあの小娘を歓待する準備を進めようではないか」
「はっ!」
ライヒライトナーは踵を打ち鳴らすと、くるりと回れ右をして書斎から退出した。
レオンはしばらくその場に立って思案を巡らせていた。これ以上、この城に居続けてもさして意味はない。重要な情報はすでに手に入れた。上出来だ。
そもそも今夜は公爵を暗殺するために侵入した訳ではないのだ。襲撃の仕返しに、ちょっと脅かしてやる程度の悪戯心で忍び込んだだけなのだ。
今はあの女王陛下の安全の方が最優先だ。
レオンは即座に城を出ることにした。郊外の農場に、情報部が用意した翼龍が待機させてある。それを使えば、最寄りのランツヴート基地までは二時間とかからない。そしてランツヴート基地にはシュテルンベルク中将が現地入りしているはずだった。
レオンは茂みの影を選んで庭園を横切った。
「いやはや、何とも素敵な状況だ」彼は唇を吊り上げて独りごちた。「休む間もなく、事態が次々と進行していく」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ランツヴートはあまり大きな基地ではなかった。陸軍が各地に設置している糧秣庫や小規模な演習場、それと飛龍場があるだけだった。
現在、この基地には龍兵部隊の一部と、小規模な陸軍部隊が駐屯しているだけであった。
東の空がかすかに白み始めた頃、一羽の翼龍が基地に到着した。
一瞬、基地内に緊張が走ったが、翼龍に乗るレオンの姿を認めたシュテルンベルクが兵たちをなだめた。彼は翼龍から降りたレオンに近づいた。
「いったい、何があった? 帰還にはあまりに早いぞ。私は君からの情報提供を一切受けていない」
「今から情報提供してやるよ」レオンが言った。「実はつい数時間前、乱暴者が五名、俺を襲撃した。彼らを差し向けたのはザイデルマン公爵だそうだ。つまり、こちらの情報が完全に漏れている。それともう一つある。俺はその仕返しにちょっと悪戯してやろうと城に忍び込んだんだが、そこで面白い話を耳にした。女王陛下誘拐計画、だとさ」
一瞬、シュテルンベルクの表情が強張る。
「驚いたな。奴らはそんなことを考えていたのか」
「どうやら、俺があいつの傍にいないことが確実に判ったからだそうだ」レオンはにやりと嗤った。「まったく、腹を抱えて笑い出したい気分だぜ」
シュテルンベルクは呆れたように首を振る。
「ところで将軍」レオンが再び口を開いた。「今回の件の詳細を知っているのは誰だ?」
「当然、陛下。私にアラン、防諜局を抱える内務大臣のパルマー卿、軍情報局局長に軍務大臣のレメルゼン元帥」
「まあ、人間関係なんて蜘蛛の巣のようなもんだからな。これだけでも情報が漏れる経路は沢山ある」
「以前、君が幾人かの貴族を暗殺した時には、計画を知っている人間は基本的に陛下と君だけだったからな」シュテルンベルクは息をついて首を振った。「私やレメルゼン元帥は後から知らされる形だから、情報漏洩の可能性は限りなく低かった」
「まあ、今回はそういう作戦だからな」
レオンは肩をすくめた。
「それで、君はどうするつもりだ?」
シュテルンベルクが問うた。
「その前に」レオンは語気鋭く言った。「誘拐計画の件を、急いで王都に連絡してくれ。あの警部宛てに暗号文を送るんだ。それと、親衛隊の中にマイジンガー大佐とかいう奴がいるな? そいつには警戒するようにも伝えてくれ」
「判った」
「間に合わないかもしれないが、俺は王都へ飛ぶ」
レオンの瞳の奥で、雷光が煌めいた。その表情から推し量ることは難しかったが、彼は彼なりに焦っていた。自分が彼女の傍にいないことをもどかしく感じているのは、王都内乱の時と同じだった。そして、あの時と同様の不安を感じてもいる。
あの時は何とか間に合った。だが今回は……?
レオンは基地の厩にいる一番元気な翼龍を選ぶと、強引な手綱捌きで翼龍を駆った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日、レントは国防情報部の仮眠室で一夜を過ごしていた。
ランツヴートからの連絡が彼の元に届いたのは午前七時過ぎ、食堂で朝食をとっている頃だった。部下がレントに通信文を届けにきたのだ。
彼は食べかけの朝食を恨めしげに眺めていたが、諦めて部長副官室に戻ると、通信文の内容を確認した。すでに暗号は半分が解読されて符号の羅列になっている。この符号を換字表に照らし合わせれば、暗号は完全に解読出来る。レントは一時間ほどかけて平文に直した。
読み終わると、レントは深い息をついた。どこに敵の内通者がいるのか判ったものではないという感想を抱く。ともかくも、この件を陛下に知らせねばならない。
しかし、親衛隊すら信用出来ないとなるとどうしようもない。彼はもう一度息をついた。まあ無理もない、とも思う。
女王は、肥大化した親衛隊の権力を大幅に縮小したため、その政策に反発する隊員も相当数に上る。既得権益を取りあげられて不満に思っているのは、何も貴族だけではないのだ。
レントは手早く報告書を書き上げると、それを鞄に入れた。即座に王宮に向かうべく、建物を出る。
周りの人間が信用出来ないことが判った以上、公用馬車の使用も控えた方がいいと、レントは判断した。途中で辻馬車でも拾うことにする。
彼は情報部を後にすると、歩道を歩き始めた。
道路の曲がり角に停めてある馬車の御者が、建物から出てくるレントの顔を確認した。男はごく普通の御者に見えた。彼は馬に鞭をくれると、馬車を走らせ始める。
レントは誘拐計画への対応策を考えながら横断歩道を渡っていた。その時、馬車が自分の方へ向かってくるのに気付いた。この時、彼はまだ道の真ん中を歩いていた。
衝突は一瞬だった。レントは馬に弾き飛ばされ、さらに馬車の車輪に頭を砕かれて即死する。
御者が馬車から下りてきて彼の死亡を確認すると、その鞄を奪っていずこかへと立ち去った。
◇◇◇
シエルは今日も朝から執務室にいた。国の改革は途上もいいところであり、彼女は数名の大臣や官僚たちとの会議を開き、さらに幾つかの決済待ちの書類を処理しなければならなかった。
アラン・レント死亡の報告がシエルの元に届いたのは、午前中の会議を終えて執務室で書類を捌いているときであった。
「レント警部が死んだ?」
「はい。そのようです」情報部からやってきた報告者はそう言った。「馬車に轢かれて、即死だったようです。明らかな轢き逃げです」
「それで?」
シエルの声は平静だった。
「情報部の方では、事故に不審を抱いております。警部はランツヴートからの通信を受け取った直後に死亡しているのです」
「通信の内容は?」
「残念ながら、情報部では防諜上の観点から、暗号処理班の係員ですら通信の内容を知ることの出来ない制度になっています」
シエルは難しい顔をした。
「つまり警部は、重要な情報を得たが故に何者かによって消された可能性が高い、と?」
「恐らくは」
「誰も信頼出来ないといういい証拠だな」
不意に執務室の扉が開き、第三者の声が響いた。親衛隊の制服に大佐の階級章をつけた男を先頭に、三人が執務室へと侵入してくる。全員が武装していた。
シエルはその大佐を睨みつける。
「マイジンガー大佐、だったかしら? そんな物を手にして私に近づくなんて無礼もいいところね」
「あのチビ助を傍から離すべきではなかったな」シエルの言葉を無視するように、マイジンガーは言った。「あの餓鬼さえいなければ、障害はないも同然だ」
その時、情報部員が鞄を彼に投げつけて扉へと走った。「警備兵!」彼が叫んだ。その背中を、親衛隊員の一人が撃つ。
「残念ながら、我々の協力者が付近の人間を拘束するか殺害しているので、警備兵は来んよ」
マイジンガーは情報部員の死体に向かって、そう言った。そして短銃をシエルに向ける。
「さて、我々の任務に付き合ってもらいますよ、陛下」
シエルはマイジンガーの頭を狙ってインクの瓶を投げつけた。
親衛隊員の一人が素早く前に出て、シエルの首筋に手刀を落とす。頭をさらに一撃すると、完全に昏倒した。
「連れていけ」
マイジンガーが命じると、二名の隊員はシエルの両脇を抱えて連れ出した。
◇◇◇
レオンは墜落するような勢いで翼龍を王都郊外の飛龍場に着陸させた。本当ならば王宮正門へと続く大通りを滑走路代わりにしたかったが、流石に往来のある道に翼龍を降ろす訳にはいかなかった。
ある種の殺気さえ漂わせながら、彼は翼龍から飛び降りる。
前回、ここを利用した時に基地司令と顔を合わせていたので、何とか守備兵たちに警戒されずに済んだ。
レオンは当人なりに最大限敬意を込めた口調で馬を一頭借りると、猛々しく馬を扱って王宮へと駆けた。
レオンは王宮の正門をさして苦労もせずに通過することが出来た。シエルが〈ジャッカル〉だけは問答無用で通すように、と命じてあるためだ。故に彼は王宮内を自由に歩くことの出来る数少ない人間だった。
彼は即座に自分の到着が遅かったことを悟らされた。
レオンが見たところ、警備兵や侍従、女官たちは狼狽してなすところを知らないようである。彼はそれらの人々を無視して執務室へと進む。回廊の所々に、布を被せられた死体が何体か転がっていた。念のためにレオンはそれらを一つ一つ確認する。
執務室の大扉は開け放たれ、その前で軍務大臣のレメルゼン元帥ら数名の将兵たちと宮内大臣がいた。
レメルゼンはシエルの御付武官兼教育係を務めた軍人で、今年で六十歳になる。年齢の割に随分と老けた印象を与える人物で、頭髪はすべて白くなっており、鼻の下には控えめな八の字髭をたくわえている。
レメルゼンはレオンに好意的な数少ない人間の一人だった。
彼はレオンの姿を認めるなり、言った。
「君がここにいるということは、もう事情を知っていると見ていいだろうか?」
「ああ。あいつが連れ去られたんだろう?」
「その通りだよ」レメルゼンは苦い表情をした。「だが実行犯も、背後にいる人間も判らん」
「実行犯はマイジンガー大佐、主導したのはザイデルマン公爵だ」
「親衛隊もあてにならん、という訳か」
嘆息混じりにレメルゼンは呟く。
レオンは執務室へと入った。割れたインク瓶が、絨毯に黒い染みを作っている。それと血痕もあった。
「これは?」
レオンが険しい口調で問うた。
「陛下に報告に来ていた国防情報部の者のだ」レメルゼンが答えた。「レント警部が殺されたのを報告に来ていたそうだ」
「殺された? 警部が?」
レオンがとびきり冷たい声で言った。
「彼は何か重要な情報を陛下に報告することになっていたらしい」説明したのはまたしてもレメルゼンだった。「王宮へ向かう途中、馬車に轢き殺されたそうだ」
「その報告は誘拐計画を知らせるものだろうな。俺がシュテルンベルク将軍に頼んで、ランツヴートから送らせた」
「つまり、情報がどこかで漏れた、と?」
レメルゼンが渋面を作る。
レオンが答える。「情報部に内通者がいるか、あるいは腕木通信の通信所を監視していた奴がいたのかもな。あの通信方法の問題点は見ようと思えば誰でも見られることだからな」
「どうするね? レオン君」
焦燥がありありと判る口調でレメルゼンが言った。
しかし、レオンは答えない。険しい視線を部屋の壁に投げかけている。傍から見れば、部屋の隅を呪っているようにでも見えるかもしれない。
しばらく、レオンはじっと同じ場所を睨みつけていた。
五分ほどしてから、ようやく口を開いた。レメルゼンに視線を据える。
「じいさん、優秀な龍兵と、元気のいい翼龍を一組揃えられるか?」
「一時間もあれば可能だろう」
「説明している時間が惜しい。すぐに揃えてくれ」
「判った」
レメルゼンは付近の兵士を伝令にする。念のため、三人を伝令にして送り出した。
彼らと入れ替わるようにして、息を弾ませたシュテルンベルクがやってきた。
「ようやく追いついたぞ、レオン」
荒い息を漏らしながら、シュテルンベルクは元帥であるレメルゼンに敬礼した。
「俺を追ってきたのか、将軍?」
レオンが言った。
「ああ、暗号文を組んですぐにな」シュテルンベルクは息を整えながら答えた。「見たところ、状況はあまり芳しくないようだな」
「まあな」
レオンは自嘲気味に唇を歪めた。
「それでレオン君」レメルゼンが口を挟んだ。「そろそろ説明してくれんかね?」
「簡単な話だ。俺はもう一度ノールシュタットへ行く」
レオンはさも当然のように言い放った。
「どうやって?」今度はシュテルンベルク。
「無論、翼龍で、だ」レオンは説明し出した。「また落下傘降下だ。高度二〇〇メートル付近で飛び降りる。この高度だと、着地までは三十秒足らずだ」
レメルゼンとシュテルンベルクが顔を見合わせる。口を開いたのはレメルゼンだった。
「いささか無謀ではないか?」
「それがそうでもない。敵から見れば、翼龍が低空で飛び去っただけのことだ。偵察だとは思うだろうが、こちらの目論見が見破られる可能性は低い。それに、王都からノールシュタットまではだいたい五時間かかる。今はもう午後だ。作戦を実行する時は辺りが暗い。それと帰る時は、城の翼龍を強奪してくる」
「おいおい、一人でノールシュタット城に乗り込むつもりか?」シュテルンベルクの言葉には、あからさまに反対の意が込められていた。「だいたい、そこに陛下がいるという確信があるのか?」
「ザイデルマン公爵の話を盗み聞いた限りでは、可能性は高い」
「しかし……」
「他に何か方法があるのか?」
レオンの問いに、シュテルンベルクはしばらく黙っていた。やがて溜息と共に言った。
「……そう言われれば、答えは『否』だ」
「なら、選択の余地はないな」
レオンはきっぱりとした口調で言った。
「落下傘部隊―――降下猟兵を援護につけるかね?」レメルゼンが提案した。「ただちに手配するが?」
「いや、いらねぇ。足手まといだ」
レオンはにべもなかった。
「城に入ってあいつを取り戻しに行く時、俺は邪魔する奴らを皆殺しにする。足手まといになる味方もだ」レオンは肩をすくめた。「俺は一瞬の躊躇もなくそれが出来る。何故なら俺は悪党だからだ」
小さくレメルゼンが息をついた。彼はシエルの次にレオンとの付き合いが長い。それ故、この黒髪の男の性格は理解しているつもりだった。この少年ならば本当にやりかねない。
「判った」
レメルゼンは渋々頷いた。
「じいさん、あんたはこの件が大事にならないように緘口令を敷いてくれ」
「陛下を取り戻してくれるのだな?」
レメルゼンの言葉には縋るような響きがあった。
「必ず」
レオンもこの時ばかりは真剣な顔で頷いた。
レメルゼンの手配した翼龍は、王都郊外の飛龍場から飛び立つことになった。すでに、龍兵の支度は済んでいる。
レオンの方も準備を終えており、いつもの服装の上に飛行服を着込み、落下傘を背負っていた。
彼は待機している翼龍の元へと歩き出す。見送りにきたシュテルンベルクがレオンの背を追った。
「いったい、私は何と言って送り出せばいいのだ?」
「さあな」
レオンはどうでもよさそうに肩をすくめた。
「なあ、将軍。俺はあいつに出逢ってからの七年間、余分に生きてきたんだ。だから今さら何を恐れる必要があるんだ?」
レオンは翳のある笑みを浮かべた。
「驚いたな、レオン。私は君のことがまったく理解出来ない」
「出来る訳ないだろう? 俺は俺自身ですら、自分のことがよく判っていないんだからな。……それじゃ、また会おうな。あるいは会えないかもしれない」
彼は翼龍に据え付けられた後部の鞍に跨り、落下防止用の革紐を飛行服に結びつける。シュテルンベルクが後ろへ下がった。
やがて翼龍は助走をし始め、空へと舞い上がると、やがて見えなくなった。
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