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幻想徒然絵巻  作者: 日生
晩秋
96/150

女心と狐と馬糞

 衝撃の大きかった日曜日から、私の中でずっとおじいちゃんのことと天宮くんたちのことがぐるぐると回り続けている。


 最初は、天宮くんと莉子さんのことで悩んで、打開策を得るためにおじいちゃんのことを調べ始めただけなのに、正宗さんからあんな話を聞いて、何を一番に考えるべきなのかわからなくなっていた。


 今は情報を得るごとに、見える世界に霞がかかっていくように感じる。

 何も知る前は、もっと遠くまで見通せていた気がするのに。


 月曜に天宮くんに莉子さんのことを謝られたのにも、若干気が重くなった。


 天宮くんは莉子さんが私に迷惑をかけたと思ったらしい。

 そんなことないよと、笑顔を作るのが今の私には少しばかりつらかった。


 部活でも、描く絵はなんとなく気が抜けた感じで、心ここにあらずな私の内情をよく反映しているようであり、まったく、描いていても楽しくなかった。


「あの・・・天宮くん」


 週も半ばのその日、いつも通り放課後の部活に付き合ってくれようとしていた彼へ、私は教室で伝えた。


「今日は、部活をお休みしようと思うんです」


 普段、用がなければ極力部活に出るようにしているから、当然天宮くんは眉をひそめていた。


「ちょっと、お狐様のところに行きたいんです」


「狐? なんかあったの?」


「そういうわけじゃなくて、ひさしぶりにお狐様とお話ししたいなと思って。でも部活が終わってからだと夜になっちゃうから」


「別に、付き合うよ」


「ううん、いいの。天宮くんは夜にお仕事があるでしょ? 少し話したらすぐ家に帰るつもりなので、一人で大丈夫」


「行くのは、まあ、いいけど・・・佐久間、もしかして具合悪かったりしないか?」


「え?」


 天宮くんはなんだか心配そうだった。


「いや、最近元気ないから。妖怪が来てもはしゃがないし、絵も、あんまり描いてないだろ?」


 天宮くんにも気づかれていた。

 やっぱり私ってわかりやすいんだろうな。こんなんじゃ秘密を守るなんてできないかもしれない。心配されて当然だ。


「――大丈夫」


 精一杯、笑顔を作った。

 かなりぎこちないことは、自分でもわかったけれど。


「最近よく眠れなかったから、少し寝不足なだけです。ごめんね」


「や、謝らなくていいけど・・・具合悪いなら、やっぱ俺も行こうか?」


「ううん、ほんとに大丈夫です。私は、一人で大丈夫です」


 何度も言えば、天宮くんはやがて引き下がってくれた。

 もともとお狐様のことは彼もさほど警戒していないのだ。


 天宮くんとは教室で別れ、私は相馬先生に私用で部活をお休みする旨を伝えてから、校舎を出る。天宮くんの姿はもうなかった。


 ぼんやりとした頭で狐神社に辿り着き、鳥居をくぐって拝殿の前に立つ。

 

 すると、下から手を引っ張られた。


 視線を落とせば、おかっぱ頭の小さな女の子がいる。


「いらっしゃいませ、ユキさま」


 にっこり笑って、アグリさんが言う。

 周囲の風が変わり、なんとはなしに気配を感じて見上げると、拝殿の屋根の上にお狐様が座っていた。


 金色に光り輝く九つの尾と、三角の耳を頭に生やした端正な顔立ちの男性の姿で、切れ長の赤い瞳には笑みを含んでいた。


「よう来たな、ユキ」


 まるで私の訪問を予見していたかのように、迎えてくれた。


「おいで」


 片手だけで、アグリさんもろとも屋根の上に引き上げられ、お社の頂上の大棟にお狐様と並んで腰かける。小さなアグリさんは私の膝に座る。


 お社はあまり大きなものではないけれど、建っている場所が山の麓なので、普段見ない町の景色がどこまでも見渡せる。

 しばらく、私は声もなかった。


「――小僧と喧嘩したか」


 びっくりして、横を見るとお狐様はおかしそうに、くつくつ笑っていた。


「存分につれなくしてやれ。女心のわからぬ奴が悪いのだ」


「い、いえ、別に、天宮くんと喧嘩したわけじゃないですよ?」


「天宮の小僧とは言うておらぬが」


「あ」


 お狐様は今度はにやにやし始める。

 い、いやでも、お狐様が小僧と言ったら天宮くんだと思っちゃうよ。普段からそう呼んでるんだもの。


「さあ、あの小僧にどうやってそなたの苦しみを思い知らせてやろうなあ?」


「めっためたにしてやるのです!」


「そ、そういうことで来たわけじゃないですっ」


 なぜかお狐様とアグリさんはやたら乗り気だ。っていうかまだ何も話していないのに、お狐様たちはすっかり事情を知っているかのようだ。


「おじいちゃんのことで、お狐様にお聞きしたいことがあって来たんです」


「ふむ?」


 本当は日曜日に聞きに来るはずだったことだ。


 天宮家がこの土地に移る前からここにいて、神様となった大妖怪のお狐様なら、なんでもご存知かもしれない。

 なにより、お狐様はおじいちゃんの親友だったのだから。


「お狐様はおじいちゃんが左腕を失くした時の、詳しい事情をご存知ありませんか?」


「あの時か・・・」


 お狐様はさすがに笑みを引っ込めて、遠くを見やった。


「おじいちゃんを襲ったのがどんな妖怪だったか、ご存知ですか?」


「性根が悪意に満ちた者どもだ。この土地の者ではない」


「別の場所から来た妖怪ですか?」


「そのようだ。この地に残っておったならば、我がすでに始末している」


「逃げてしまったんですか?」


「うむ」


 それじゃあまるで、おじいちゃんを襲うためだけに来たみたい。


「・・・その妖怪たちは、どうしておじいちゃんを襲ったんでしょう」


「さあて。誰ぞにそそのかされたのやもな」


 お狐様は冗談めいた口調だった。

 けれど私には緊張が走った。


「それは・・・だ、誰に?」


 正宗さんに言われたことが思い出され、嫌な予感がしてしまう。

 そんわけないって、知ってるのにお狐様からも同じことを言われたら、不安になる。


 怖々窺っていると、お狐様は軽く肩を竦めた。


「わからん」


 その答えに少し、ほっとした。


「そう、ですか」


「奴らの狙いが冬吉郎だったことは確かだ。だが誰がなんのために、奴を襲わねばならなかったのか。我も八方に探りを入れてみたが、どうにも黒幕の尻尾が掴めぬ」


 お狐様は忌々しそうに言う。


 結局、お狐様にもおじいちゃんが襲われた理由はわからないらしい。

 となるとやっぱり、おじいちゃんが腕を食べられた時に傍にいたという、綾乃さんの話を聞いたほうがいい気がする。


 正宗さんには止められたけれど、土地神であるお狐様が調べても正体のわからない黒幕が、人間の綾乃さんであるとは思えない。

 うん、それが確信できただけでも、今日ここに来た意味はあった。


「あの、では、おじいちゃんが私くらいの頃に神隠しに遭ったのをお狐様はご存知ですか?」


 続けて、もう一つの質問に移る。


「おう、知っておるぞ。我が冬吉郎と出会ったのはそのすぐ後であった。奴め、妖怪が見えるようになったことに浮かれ、夢中になって絵を描いておるうちに木っ端妖怪に惑わされ、帰り道を忘れたのだ」


 お狐様の顔に笑みが戻った。

 そこへ、私はこの間思い出したことを訊いていく。


「あの、お狐様は前にお寺でお父さんに、妖怪が見えないのは巡り合わせだって、おっしゃってましたよね。血筋だけで妖怪は見えないと」


「覚えておったか」


「はい。もしかして、お狐様はおじいちゃんや私が何と巡り合ったのか、ご存知なんですか?」


「それは覚えておらぬのか」


「はい・・・」


「わずかな欠片すら思い出せぬか?」


「・・・ほんの少しだけ。何かがあったような気はするんですが、ほとんど思い出せないんです」


「そうか。では我に言えることはない」


「え・・・」


 それは知っているのに教えてくれないということなのか。

 どうして?

 

 すると、お狐様の手が頭に乗った。


「すまぬ。意地悪をしようというわけではないのだが、冬吉郎は最後まで己が身に起きたことを語らずに去ってしまった。今の我には勘繰ることしかできぬ。それをまことしやかに語れば、そなたを惑わせることとなろう。よいか、ユキよ。そなたの身に起きたことが冬吉郎と同じであるならば、まことはいずれの者の言葉の中にもない。必ずここにあるはずだ」


 お狐様は両手で私の頭を包み込む。


 妖怪が見えるようになった理由は、自分で思い出すしかないということ?

 こんなに考えても思い出せないのに、ちゃんとわかる日が来るんだろうか。


 途方に暮れる私を見かねたのか、お狐様は少しだけヒントをくれた。 


「――そうだなあ。ただ一つ、そなたの導となりそうなのは、妖怪好きの冬吉郎が、天狗にだけは、はじめから近づこうとしなかったということか」


「・・・え?」


 天狗?

 そういえば、東山の大天狗様はおじいちゃんのことを知らなかった。

 でも、どうして天狗を避けていたんだろう?


「なぜだかは奴も己でわかっておらなんだが、忘れておると思っていても、根っこでは覚えていたのであろうよ。冬吉郎は聡い男であった」


 お狐様は再び私の頭をなでて、穏やかな声音で言った。


「そなたも、聡い子だよ。己が心を信じて動くがよい。何も怯えることはない。この地の神はそなたの味方なのだから」


「―――」


 優しい、優しい、西のお山の土地神様。


 温かな手に触れられて自覚する。

 たぶん、私はおじいちゃんのことを聞くよりも、一番は、優しい神様にこうして慰めてもらいたかったんだろう。


 急に足元が不安になって、強い存在に縋りたくなったのだ。わからないことは全部教えてもらって、何も考えず甘えるだけの子供になりたくて。


 私の天宮くんに対する気持ちも、これと同じなのかな。


 ちょっとのことじゃ動じない彼に、揺れっぱなしの不安定な心を預けたいだけなのかもしれない。そんなの、迷惑以外の何物にもならないというのに。


「――ふむ。我ではそなたの不安を完全に拭い去ってやることはできぬようだな」


 手が離れ、お狐様が言う。

 その顔は少しだけつまらなそうだった。


「懐かしい感覚だが、やはり気に喰わん。いや、冬吉郎の時よりもっと気に喰わん。あんな小僧めに、そなたの心をとられるとは」


「っ!? ど、どうして今、天宮くんの話に・・・」


「我はまだ認めぬぞユキ。夏輝の奴はそなたと同じでぽやんとしておるからな、婿は我がしっかり見極めてやる」


 お父さんの名前を出したり、む、婿とか、お狐様は何を勘違いして早とちりしているのだろう。


「ち、違いますよっ、天宮くんと私は別に、なんでもないですっ。ただの・・・」


 友達、とすら言えない。

 するとお狐様に溜め息まじりに名前を呼ばれた。


「ユキよ、己の心に逆らってもよいことはないぞ? 心を叶えるために力を尽くしてこそ、人は死ぬ間際に最上の幸を得るのであろうが。まあ、すべてはあの小僧が悪いのだ。やはりなんぞ仕返ししてやろう」


「だ、だめです!」


「くつにはっぱつめこむのです!」


「え? う、微妙ですけど困るのでやめてくださいっ」


「馬糞まんじゅうでも喰わせてやるか」


「絶対やめてください!」


 なぜか天宮くんに嫌がらせをしようとあれこれ画策するお狐様たちを止めるのは大変だったけれど、その間だけは、苦しい気持ちを忘れていられた。

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