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幻想徒然絵巻  作者: 日生
晩秋
91/150

柿と和尚

 そこは、お盆やお彼岸でもなければ、あまり訪れない場所。


 まずはうちのお墓に手を合わせてから、墓地に隣接するお寺へ行った。


 お寺の門の近くには立派な柿の木が生えており、枝の先がしなるほどにたくさん実をつけて、辺りに甘い香りが漂っている。

 葉がほとんど落ちてしまっているから、もうすっかり熟しているだろう。


 ここも秋だなあ、なんて暢気に思いつつ開けっ放しの門をくぐると、すぐ横に誰かが立っていた。


「わっ」


 思わず声を上げ、次に私はぎょっとした。


 そこにいたのは、お坊さん。


 紫色の法衣と、袈裟をかけて、錫杖まで持って剃髪で、まさしくお坊さんなんだけれど、とりあえずここの和尚様ではないし、同じくお坊さんになった息子さんとも違う。


 つぶらな瞳で、きゅっと口をすぼめて、錫杖を持っていないほうの手を差し出してきた。


「たんと喰えよ」


 反射的に両手を差し出すと、そこへ柿の実が一つ置かれた。

 甘い匂いの香る、ぴかぴかしたおいしそうな実だ。


「早く取れよ」


 しゃん、しゃん、と錫杖を鳴らしながら、お坊さんは門の外へ出て行ってしまう。

 その通った後には点々と、柿の実が一つずつ落ちていた。


 よくわからないまま、私は受け取った柿の実を持って本堂を訪ねた。


「――いらっしゃい、ユキちゃん」


 和尚様は顔をくしゃっとする温かい笑みを浮かべ、私を迎えてくれた。


「こんにちは、和尚様。あの、さっきこの柿をお坊さんからいただいたんですが」


「坊さん・・・? あぁ、そうかそうか。タンタンコロリンのやつだな」


 すぐに、和尚様は膝を叩いて言った。


「そういや実を取るのを忘れてたっけな」


「タンタンコロリン? ってなんですか?」


「柿の木の妖怪だよ。実を取るのを忘れとると、取れぇ、取れぇって言ってきたり、自分で実をもいで隣近所に配り歩いたりする愉快なやつさ」


 や、やっぱり妖怪だったんだ。

 でも妖怪の見えない和尚様がその存在を知っているのは、どうして?


「ユキちゃん、そんなとこにいないで、中へお上がり。その柿は持って帰るといい。せがれが帰って来たら木に登らせるから、たんと持っておいき」


「そ、そんなには大丈夫です。ありがとうございます、お邪魔します」


 柿はトートバッグの中にしまい、本堂に上がった。


 まずご本尊に手を合わせると、横の壁に、私が描いた妖怪のスケッチ画が額に入れられ飾ってあるのを見つけてしまった。

 今、横にある木魚と払子が付喪神になって化けた、木魚達磨さんと払子守さんが仲良く並んでいる絵だ。


 和尚様が飾っておくよとは言っていたけれど、こんな目の付くところに飾られているとは。ちょっと、恥ずかしい。


 お参りを済ませたら、本堂の縁側でお茶をいただきながら、和尚様にお話を聞いた。


「あれはまだわしが小僧だった頃かなあ、やっぱり今くらいの時期に柿を取るのを忘れていたら、冬吉郎がタンタンコロリンに急かされて、実を取ろうと木に登って枝ごと落ちちまった。あいつ、昔っからうちの親父を怖がっててなあ、一緒に謝ってくれって泣いて仕方ねえから、一緒にげんこつ喰らってやったんだよ」


 タンタンコロリンさんのことを和尚様が知っていたのは、やっぱりおじいちゃんが原因だった。

 早く取ってとお願いされてすぐさま木に登り、落ちちゃうお約束なところが、うちのおじいちゃんらしい。

 和尚様に泣きついているところを想像すれば、つい笑ってしまう。


 すると、それをにこにこ笑顔の和尚様に見られていることに気がついた。


「晩秋に美人が物憂げにしてるってのは風情だねえ。それが不意に笑うと、男はころっと落ちちゃうよ」


 どうやら、あまり元気がないことを和尚様に見透かされていたらしい。

 私って、すごく心情が顔に出やすいんだなあ。


「あ、と、ごめんなさい。色々、考え事をしていたので」


 頬をぐにぐにして、強張っていた筋肉をほぐす。

 人と話しているのに、ずっと落ち込んだ顔をしてたらいけない。


「その考え事に、この坊主は役に立ちそうかい?」


「はい、あの、和尚様は天宮翔さんとお知り合いなんですよね?」


 翔さんの名前に、和尚様は怪訝そうなお顔になった。


「たまに暇潰しに来るが、なんだい、あいつにいじめられたのかい? あのガキは根性悪だからなあ。今度来たら、尻を引っ叩いて説教してやろうね」


「え? い、いえ、違いますっ」


 いじめられ・・・は、ちょっとしたけど、そんなことはどうでもよくて。


「翔さんに、おじいちゃんが神隠しに遭ったことがあると教えてもらったんです。おじいちゃんはその時から妖怪が見えるようになったらしい、って。翔さんはそれを和尚様から聞いたとおっしゃっていたので、私も詳しい話をお聞きしたくてお伺いしました。突然、すみません」


「それは、構わないけど、冬吉郎が山で迷子になった話だろう? 神隠しと言うと大げさだけども、その話をすればユキちゃんの助けになるのかい?」


「はい。私の知らないおじいちゃんのことを知りたいんです」


「ふうん? わかった、いいよ。とはいえ、わしも詳しいことは知らないんだけどね。なんせ冬吉郎の奴が自分で覚えてねえって言うんだから」


 そう言いながら和尚様は、知る限りのことを教えてくれた。


「ちょうどユキちゃんとおんなし年の頃だったかなあ。迷子になったのは、ほれ、夏に麓で祭りをやってる北山だ。冬吉郎はよく写生なんぞをしていたから、山には慣れたもんで、一人で山菜とりに入った日も皆、普通に帰って来れると思っていたんだよ。けど、夜になっても戻って来なかった。心配して大人たちが探したんだが、次の日になっても見つからなかった。三日目の早朝にようやく、ぶっ倒れてるところを見つけられたんだよ」


 北山でおじいちゃんが失踪していたのは丸々二日。


 多少衰弱はしていたらしいが、頭を打っていたわけでも大怪我をしていたわけでもないのに、山に入ってからの記憶が、本人にまったくなかったというのだ。


「帰って来ると途端に、冬吉郎は『変なものが見える』ってわめいてなあ。頭がおかしくなっちまったのかと最初は心配したもんだ。実際、わし以外の奴はあいつを敬遠するようになった」


 その時から、おじいちゃんに妖怪が見えるようになったというのは、どうやら本当らしい。


 たった二日で突然、今まで知らなかった世界のものが見えるようになり、きっとパニックを起こしたんだろう。その混乱は周囲にも広がったに違いない。


 それでも、


「・・・和尚様はおじいちゃんの傍にいてくれたんですね」


 多くの人が離れるなか、残ってくれた人はきっと、心から信頼できる友達だ。


「あいつはもともとおかしい奴だったからな」


 かっ、かっ、と和尚様は気持ちよく笑っていた。


「わしは坊主だ。自分の目に見えるものばっかりが、この世のすべてじゃないってことくらいは知っとるつもりだったよ」


「おじいちゃんはきっと嬉しかったと思います。そんな和尚様がいてくれて」


「そう改まって言われると、鼻がむずむずしてくるねえ」


 と、和尚様は実際に自分の鼻をこすった。


「わしより立派なのは、おハルちゃんだよ。あんな野郎と結婚してくれる奇特なお人ぁ、他にいないね」


 ハル、は私のおばあちゃんの名前。

 おばあちゃんも、和尚様と同じで妖怪の見えない人だった。確か恋愛結婚で、おじいちゃんがおばあちゃんに一目惚れし、必死に口説き落したという話を聞いたことがある。


 結婚してからもおじいちゃんの妖怪との付き合いが変わるわけじゃなかったから、おばあちゃんは毎度ぼろぼろになって帰って来るおじいちゃんを、いつも家で待ってあげていた。


「妖怪が見えるようになった冬吉郎は、前にも増して危なっかしくてねえ。柿の木から落ちたこともそうだけれど、しょっちゅう怪我をして」


 和尚様は、まるで今でもおじいちゃんが生きているかのように、憂鬱そうな溜め息を吐いた。


「所帯を持ったら落ちつくかと思ったが、そうでもなかった。それで、いっぺん説教してやったことがあったっけな。お前が妖怪のことを人と同じように想うのは悪くねえが、心配してる人が家にいることをもっとよく考えろ、ってね。ユキちゃんの父ちゃんが、まだ小さい時に言ってやったことがある。でもそん時には、自分にはやんなきゃならねえことがあるんだ、って言い返しやがったな」


「? やらなきゃいけないこと?」


「うん。人の世でのなりわいをほっぽりだしてでも、やらなきゃならんと言ってたよ。妙に真面目に言うもんだから、わしもそれ以上は説教できなかった」


「・・・それは、なんだったんですか?」


「詳しいことは話してくれなかった。なにか、切羽詰まっていたようだったのは確かだよ。わしに話しても仕方がなかったか、話せなかったのかもしれない。それからしばらくて、次に冬吉郎がここに来た時には、左腕がなくなってた」


「―――」


 妖怪に左腕を食べられてしまう前、おじいちゃんは和尚様にやらなきゃいけないことがあると言っていた? 

 それとこれとは、関係のあることだったのだろうか。


「ごめんよ、大したことは知らなくて。ただの思い出話になっちまったが、大丈夫かい?」


 考え込んでいると、立派な眉毛の下から和尚様に窺うような視線を向けられていた。


「冬吉郎が急に妖怪が見えるようになった理由は、おそらく冬吉郎しか知らんのだと思うよ」


「そうですね・・・」


 山の中で何があったのかは、おじいちゃんしか知り得ないこと。

 それでも和尚様からこの話を聞けてよかった。


「ありがとうございます和尚様。実は、私が妖怪が見える理由も、もしかしたらおじいちゃんと同じかもしれないと思うことがあって、でも私もそれらしいことは何も覚えていないので、少しでも手がかりになることを知りたかったんです」


「そうかい。なあユキちゃん」


「はい?」


「なんかあったんじゃないだろうね?」


「え・・・」


 和尚様の私を見る目は、とても心配そうだった。


「元気がないのは、そのせいなんじゃないのかい?」


「いっ、いえ、違います。何かあったというわけじゃなくて・・・翔さんや他の祓い屋さんに、そういう力がないのに妖怪が見えてるのはおかしいと言われて、気になっただけなんです」


「ぅん、ならいいんだけどね、なんかあった時に、相談できる相手は持っておきなよ。自分のことでも、なんもかんも一人でやっちゃあまずい。他力本願って知ってるかい?」


「? えっと、他の人の力に頼って願いを叶えてもらうって意味ですよね」


「仏教だと、仏の力だね。願いを全部自力で叶えようとすれば、独りよがりな人間になって周りも窮屈になる。仏でも人でも妖怪でも、誰かに頼りながら肩の力抜いて生きてるほうが周りも楽になれるんだよ」


「そ、それっていいんでしょうか?」


「人間の貸し借りなんて、本当はいつも対等だよ。してやってばっかりだとか、されてばっかりだとか思うのは、わしに言わせりゃただの勘違いさな。無関係な顔してその辺を歩いてる奴とだって、知らないうちに助け合って生きてるもんだ」


「・・・私でも、誰かを助けてあげられてるんでしょうか」


「もちろんだとも。少なくともわしは、ユキちゃんがこうして来てくれて、嬉しくなったよ」


 和尚様はそうして、頭をなでてくれた。


 そんなことを言ってもらって、むしろ私のほうが心を救われてる。


「これから何があっても、なんでも一人でやろうなんて思っちゃいけないよ。もしかしたら、冬吉郎はそのせいで腕をなくしちまったのかもしれないんだから」


「―――はい。ありがとうございます」


 和尚様の温かい心が、胸に沁みいる。

 きっと普段から私のことを心配してくださっているんだろう。


 和尚様のありがたいお説教は少しだけ私の肩の力を抜いてくれた。

 色んな方に大変な迷惑をかけている私でさえ、わずかでも誰かの役に立てているのなら、生きている意味がある気がする。


 この後、和尚様の息子さんが帰宅し、柿の実を取ってもらったのをビニール袋に入れてお土産に持たされた。


 タンタンコロリンさんが歩きながら道に落としていった柿の実は、鳥か誰かが持っていったのか、あまり残っていなかったけれど、帰り道に見つけた分だけ、もったいないので拾っていく。


 すると我が家の玄関先にも四つほど、きれいに並べて置いてあった。

 落としたというより、贈り物のように。


 おいしく実がなったから、みんなに食べてほしいのかな。

 とても可愛らしい妖怪だ。


 この時期に、しかも柿を取り忘れた時にしか現れないというから、また会えるのはいつになるだろう。

 次は絵を描かせてもらえたらいいな。





 夜になると、天宮くんからメールが届いた。

 内容は今日いなかったことを謝るもので、でも彼にはまったく非のないことだったから、どうか気にしないでほしいと返信した。


 私なんかに気を使わなくていいのに。

 邪魔をして、迷惑をかけて、私は天宮くんに借りてばっかり。


 和尚様はそんなことはないんだと言っていたけれど、まだ私は彼に何も返せていないと思う。

 気を使わせてしまうたびに、申し訳ない。


 でもここで落ち込んだって、やっぱり何も返せない。


 明日は西山の妖怪たちのところへ、おじいちゃんのことを聞きに行ってみよう。


 天宮家のために厄介な力をなんとかしたいというのも、もちろんそうだけど、今はそれだけじゃなくて、おじいちゃんのことを人に聞くたびに、どんどんわからないことが出てくるから、それがちょっと怖くもあり、早く知りたくてたまらなかった。

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