ブッキング
野外活動の翌日から、私が知らないおじいちゃんのことがないか、美術室を訪れる妖怪へ地道に聞き込みを始めた。
けれど、《妖怪絵師の佐久間》としてしかおじいちゃんを知らない妖怪からは、絵を描いてもらった思い出以外にさほど詳しい話は得られず、やはりおじいちゃんをよくよく知っているのは西山の妖怪たちかなあとだんだん思い始めた。
妖怪たちはみんなおじいちゃんが大好きだけど、お狐様の庇護する西山の妖怪たちは特にそれが強い。いわば親友、といった感じ。
でも前回天宮くんに迷惑をかけてしまったから、暗くなってからは出かけないようにしようと思うと、部活のある平日は行けない。休日の昼間にお狐様のもとを訪ねてみようと密かに考えていた。
密かにと言うのは、天宮くんにはこの話をしていないから。
あえて秘密にしているというわけではなく、今週、天宮くんは別件のお仕事で忙しく、美術室に来ていないから。
放課後になると私に一声かけて、足早に学校を出るので話をする時間がない。
言ったって、おじいちゃんとの思い出を皆さんから聞いてるだけのことなのだ。何かあるかも、というのは私の勘に過ぎない。報告するのは本当に何かがあった時でいいと思っている。
お仕事を終えて天宮くんが部活に顔を出したのは、いよいよ明日が休み、という金曜日になってからだった。
「佐久間、土日どっちか暇ない?」
絵具を準備していると、不意に天宮くんに尋ねられ、「え」とうっかり固まってしまった。
「忙しい? なら別の日でもいいんだけど」
「う、ううんっ、大丈夫。何かあるの?」
「当主が、封印のことで佐久間と話しておきたいらしい」
わ、来た。実はちょっと予想してた。
北山の例の封印場所に入り込んだのは、ひと月以上も前になる。
天宮家の当主にしか知らされていないその場所を、部外者の私が知ってしまったことは当然、気にするところだろう。むしろ呼び出しが遅かったくらい。
「わかりました、私のほうで時間合わせます」
「予定決まってたんならそっち優先していいよ」
さっきうっかり変な反応をしたせいか、天宮くんにいらない気を使わせてしまった。
「ううん、ほんとに、予定らしい予定があったわけじゃないの。何を置いても天宮くんたちの用事が最優先です」
「いや、そこまでは・・・じゃあ、まあ、明日の午後とか、どう?」
「大丈夫です」
「昼過ぎにでもゆっくり来ればいいよ。道は覚えてる? なんなら迎え行くけど」
「大丈夫です。ありがとう」
心配されずとも、もう何度もお伺いしてるから道は覚えた。
こんなことで天宮くんの手を煩わせられないものね。
「・・・そっか」
天宮くんは隣の席に座ると、机の上に突っ伏す。
今日は準備室のソファじゃなく、そこで休むことにしたようだ。
「・・・そういえば、佐久間」
「? はい」
すぐ寝てしまうかと思ったら、天宮くんは突っ伏した体勢で顔だけこちらへ向けていた。
「しばらくいなかったから、あれ、どうなったかな、って」
「? あれって?」
「・・・」
「?」
少し待ってみたけど、天宮くんは何も言ってくれず、
「・・・いや、やっぱなんでもない。悪い。気にしないで」
顔を伏せてしまった。
なんだろう。
気になったものの、寝られてしまうとそれ以上は話しかけられない。
ほんとは、今週どんな仕事をしていたのかなあとか、他にも色々訊きたいことがあったのだけれど。
――ううん、違うか。
私は天宮くんと、なんでもいいから話したいのだ。
文化祭が終わってからしばらくは、毎日放課後に一緒だったから、数日離れていただけですごく喋っていないような気がしてる。
でも、天宮くんはあまりお喋りが好きな人ではないし、お疲れ様の安眠を妨害するなんて絶対だめ。
部活に来てくれただけでも大感謝だ。
天宮くんが傍にいてくれるこの日々は、当たり前なんかじゃない。
護衛の役目がなくなったら、彼は本当にいたい場所へ戻るんだ。
胸がずきりと、痛む気がしないではないけれど、これは友達に恋人ができて寂しくなってるみたいなもの。実際は友達にすらなれてないくせに。
傷つく筋合いなんか私にはない。その日が来たら屈託なく、祝福するのが正しい。
天宮くんを起こさないよう、静かに絵を描く。
今日は幸いながら、妖怪が訪れなかった。だからずっと天宮くんは机で寝ていた。
一言も会話がなくても、傍に気配があるだけで嬉しい。
でもそれは、私が独り占めしていいものじゃない。
また勘違いする前に、早くこの居心地の良さを手放さなきゃと、強く思った。
❆
土曜日。
失礼にならないようきちんと身なりを整え、早めのお昼を済ませ、一時には天宮家へ着くよう出発する。細かい時間指定がなかったから、出る前に天宮くんに大体の時間をメールしておいた。
日が高い間は滅多に妖怪は出て来ないので、道中問題なく天宮家邸宅へと到着した。
山中に惜しげなく広がるお屋敷を訪れるのは夏以来だ。
天宮くんのお家にはチャイムが付いていない。
かわりに門扉が開け放たれていたので、前回訪ねた時と同じように石畳を渡り玄関まで行くと、何やら中から声が聞こえてきた。
しかもだんだん大きくなってくる。いつもは人の気配が感じられないくらい静かなのに、珍しい。
そっと玄関の引き戸を開けてみると、廊下の奥から人が来る。
荒々しい足音を立て怒鳴っている天宮くんと、その片腕に抱きついている、莉子さんだ。
「デートデート~っ!」
「しつこいっ! だから今日は佐久間がっ――」
途中で、天宮くんは扉から顔だけ覗かせている私に気づいた。
大きく口を開けた状態でぴたりと動きが止まり、「あ、佐久間さん!」という莉子さんの声が響いた。
「こ、こんにちは」
とりあえず玄関まで入り、ご挨拶する。
すると、さらに二人の後ろから、天宮くんのお兄さんの翔さんが「やあ」とひょっこり現れた。
まるで水面のように周りの物陰を映し込む不思議な髪色の翔さんは、今日も愛想よくにこにこされていた。
「いらっしゃいユキちゃん」
「は、はい、お邪魔します」
「ごめんね、悪いけど当主がまだ帰ってないから待っててもらえるかな? どうぞ中に上がって」
「あ・・・えと、いいん、ですか?」
なんとなく、天宮くんたちを窺ってしまう。
なんだろう。自分でもよくわからないけど、私ここにいちゃいけない気がする。
最初に校門で莉子さんに会った時のように、私すごい邪魔な気がする。
「あ、もしかして莉子たちのこと気にしてる? だったら大丈夫だよっ、莉子たちは出かけるから」
「だっ、から行かないって言ってるだろ!」
すかさず莉子さんに天宮くんが怒鳴った。
でもびっくりするのは私だけ。
「えーなんでー? 今日は休みでしょ?」
「佐久間が来てるだろうがっ」
「だから? 佐久間さんに用があるのは当主でしょ? 煉はいらないじゃん」
「当主が来るまでほっとくわけいかないだろっ。他にも、家に送ったりとかっ・・・」
「そんなの翔ちゃんでいいじゃん。ねーいいよねー?」
「まあ俺は構わないけど」
翔さんが言うと、莉子さんはぱっと明るい顔を私へ向けた。
「佐久間さんも翔ちゃんがいれば十分だよね? お願い、今日は煉を莉子にちょうだい? 二人で遊ぶのはひさしぶりなの! いいでしょ?」
「えっ、はい、あの、私は、別に」
答えるとすれば、まったく、構わない。というか、二人がこれからどうするかってことに対して、私に何を言う権利があるというのでしょう。
「おいユキちゃんが困ってるだろ。煉はいいから莉子連れてどっか行って来い」
しどろもどろの私の状況を見かねたのか、翔さんが間に入ってくれた。
「なんで俺がっ」
「うるさいから。これ以上、莉子がだだこねるとユキちゃんに迷惑だろ?」
「・・・」
天宮くんは黙り込んでしまい、ややあって、
「・・・ごめん。悪いけど今日は外す」
「ど、どうぞ。私のことは全然おかまいなくっ」
天宮くんがお出かけするのを止める権利なんて、ありはしない。
莉子さんが「やった!」と歓声を上げて、二人は私と入れ替わり、外へ出て行った。




