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幻想徒然絵巻  作者: 日生
晩秋
87/150

野外活動

 明けて翌日。

 夜更かしのせいか体がだるく、一日ぼーっと過ごしてしまった。


 天宮くんは、いつもの通り。彼から昨夜のことを怒られもせず、また特に話しかけられもしない。

 日中の天宮くんは机に突っ伏して寝ていることが多いため、何かの機会でもなければ互いに口をきくこともほぼないのだ。


 なんだかなあ・・・ちょっとヤケになってたのかな。


 天宮くんに恋人がいたことがショックで、それに気づかなかった自分が情けなくて、恥ずかしくて、我を見失っていた。


 結局、私は一人でどうにもできなかった。


 猿神さんは私に会ったばっかりに石になってしまったんだ。せっかく、人を食べないとの約束を守って暮らしていたのに、私が目の前に現れたせいだ。


 妖怪があんなふうに祓われるところは初めて見た。猿神さんはこれからどうなるのだろう。もう永遠に、あのままなのかな・・・


 そして猿神さんを封印した莉子さん。


 見た目は可憐なのに、すごく、強い。神様を宿してなくても、十分に妖怪を圧倒できる力を持っているようだった。

 あの天宮くんが「頼んだ」って、言っていたんだもの。とっても信頼されている。


 対して私は、自分に何ができると思ったのだろう。


 夜中に出歩くな、なんて天宮くんに何度も何度も注意されていたことなのに、自ら忠告を無視して、天宮くんの迷惑になりたくなかったはずなのに、結果は大いに手を煩わせた。


 一人でも大丈夫だと証明したいのなら、危険に対処する方法を事前に考えておかなくちゃいけなかった。昨日、私がしたのは勇気じゃなく無謀。


 忘れていた、油断してはいけないこと。

 おじいちゃんはそのために左腕を失くしたというのに。


 はあ、と大きな溜め息が漏れる。


 もう放課後で部活はとっくに始まっているのだけど、スケッチブックを開いたまま、何も描けずに私は机に額をくっつけていた。


「・・・佐久間さーん?」


「っ!?」


 声をかけられ、慌てて顔を上げたら相馬先生が目の前に立っていた。

 普段は滅多に部活にはいらっしゃらないのに、よりによってサボっている時に出くわすって、なんて間の悪い。


「具合悪いの?」


「い、いえ! 大丈夫ですっ」


「無理はしないでね? 今日は天宮くんは?」


 がらんとした教室を見回して、相馬先生は不思議そうにしているけど、これが本来の姿だ。


「用事があるみたいです」


 帰ったのはつい先程。急に天宮くんの携帯に電話がかかってきて、少し話した後で「悪い、仕事が入った」と言って出て行ったのだ。


 で、まあ、これは別に重要というわけではないのだけど、電話のお相手は莉子さんだったようで、天宮くんの口からその名前が出るのがうっかり聞こえてしまった。


 他に仕事が入って、天宮くんが先に帰るのは初めてのことじゃない。

 私の護衛は急用がない場合限定なのだ。


 本当に四六時中張り付いていたら、かえって何か大変な秘密があるんじゃないかと周りに怪しまれる。

 あくまで護衛は天宮くんの修行がてら、という印象でなければならない。


 それでもけっこうな長い時間、天宮くんはここに拘束されている。

 そのため相馬先生にも知られてしまっている。優しい先生は、部外者を引き込んでいるだめな部員を叱ったりしないけれど、内心では気まずい。


「もう今日は来ないの?」


「はい、そうだと思います」


「そっか。んー・・・じゃあそうだな、いい物を見せてあげようか」


 と、急に相馬先生が、私にスケッチブックなど荷物をしまうよう促した。


「今日は芸術観賞会とします―――ってことでどうかな?」


「どこかに行くんですか?」


「うん。勉強も兼ねて、気分転換に行ってみない?」


 気分転換・・・私が落ち込んでいること、先生にもわかってしまったんだろうか。

 恥ずかしいな、そんなにあからさまだったかな。


 でも、確かに今日はもう絵を描く気分じゃない。

 ありがたく、お誘いに乗らせてもらおう。


「やっと顧問らしい仕事ができる」


 美術部始まって以来、初めて顧問を伴う野外活動に、なぜか先生は安堵していたようだった。

 普段顔を出せないこと、そんなに気にしているんだろうか。


 終わったら現地解散と言われたので、荷物を全部持って学校を出る。


 行き先は伝えられなかったのだけれど、紅葉を眺めながらのんびり進む方向は、ほとんど私の帰り道と一緒。


 やがて辿り着いたのは、朱と白の小さくて美しい神社だった。


 相馬先生のご実家の、狐神社。私やおじいちゃんの友達のお狐様を祀っている、すっかりお馴染の場所だ。


 そういえば、先生と初めて会ったのはここだった。

 あれは桜が満開になったばかりの頃で、今は赤や黄色の葉っぱが花びらのようにはらはらとお社の上に降っていた。時が経つのは本当に早い。


 まず本殿にお参りし、終えると先生はがちゃがちゃと扉の留め具をいじり始めた。

 何をするのかと思ったら閂を取ってしまい、扉を開く。


「さ、どうぞ」

 

「え? 入っていいんですか?」


「もちろん。よく勘違いされるんだけど、ここ本殿じゃなくて拝殿なんだ。うちの神社のご神体はお山にいらっしゃるからね。奥の壁の窓を開いて、お山に向かって拝礼するんだよ」


 先生は入口正面の壁に近づき、くぼみに手をかけると窓のように壁の一部が左右に開いた。


 後から私も恐縮しつつ、靴を脱いで中に入ると、「ほら、上、見て」と先生が天井を指す。


 そこには、金色の狐の絵が、天井いっぱいに張った紙に描かれていた。


「―――」


 九尾本来の姿になった、お狐様の絵だ。

 すぐに、おじいちゃんが描いたものだとわかった。おそらくは利き手の左で描かれたものだろう。


 紙は古くくすんでいたけれど、絵の持つ迫力は消えてない。

 光り輝く一本一本の体毛に至るまで丁寧に写しとられ、ルビーのような真っ赤な瞳は鋭く、妖しい。


 神々しく、美しく、おそろしい、神格を得た妖怪の姿だった。


「これは佐久間さんのおじいさんが描いてくださったものでね。何十年か前に、うちの親がこの絵をもらったんだって。おじいさんが、大きすぎて飾る場所がないからもらってくれないかって、突然家に来られたそうだよ」


 先生は、思わずといった感じで笑みを漏らした。


「おじいさんはお狐様と友達だったらしいよ」


「――」


「不思議だよねえ。おじいさんの絵を見ながら、おじいさんの話を聞いてると、信じられないようなことでも信じられるんだ」


 私は何も言えなかった。


 おじいちゃんが家族以外の人に、しかも妖怪が見えない先生にそんな話をしていたことにも、先生がおじいちゃんの話を受け入れていることにも驚いた。


「生まれた時からずっと住んでいるけど、まだ僕はお狐様にお会いしたことがなくてね。おじいさんがうらやましかったよ」


「・・・うらやましかった、ですか?」


「うん。佐久間さんのことも」


 不意のことで、肩が震えるのを止められなかった。

 おじいちゃんがうらやましくて、私のことも、って、それは、つまり・・・。


「なんてね」


 先生は、何も問わずにただ微笑んでいた。


 もしかして、私を訪ねて美術室へやって来る存在のことまで、すべて先生はご存知なのだろうか。

 あまり部活に顔を出さないのは、忙しいからだけでは、ない・・・?


 だとすれば、天宮くんの仕事のことも先生は知っているのかもしれない。

 だから叱らない? 何も私に訊かないのは、秘密を無理に話さなくていいと、言ってくれている?

 確証はないけれど・・・そうである気がする。


 再び天井の絵を見上げる。


 晩年に比べれば、まだ少し尖りが目立つタッチからして、おそらくはかなり若い時に描かれたものではないかと思う。


 私の絵は、わりとよくおじいちゃんに似ていると言われる。特におじちゃんの利き手の左で描かれた絵は、自分で見ていても雰囲気が似てるなあと思う時がある。

 もちろん私の絵の師匠はおじいちゃんだったのだから、当然と言えば当然の話。


 だけど・・・本当に、それだけなのかな。


 まるで何かが宿っているかのような、生々しい絵を見ていると思う。


 少し前から考えている。


 おじいちゃんには、私のような力はなかったのだろうか?


 絵に神様を宿す力。もしこれが、単なる技量の問題ではないのだとしたら。何か、こんな力を持つきっかけが他にあったのだとしたら。


 小さい頃に両面宿儺の封印場所へ迷い込んだ記憶を思い出した時、天宮くんに言われた。


 私と天宮家との間には、もしかするとなんらかの繋がりがあって、それが神様を引き離せる力とも関係しているのかもしれないと。


 私には、まだまだ知らないことがたくさんある。


 例えば相馬先生がおじいちゃんに妖怪の話を聞いていたこと、お社にこんな大きなおじいちゃんの絵があったこと。


 それに北山の封印場所のことだって、最近思い出したばかりだ。

 しかもまだ完全に思い出せたわけじゃない。


 天宮家の当主しか知らないはずのその場所へ、幼い私の手を引き導いてくれた人がいた。

 その人の手の感触を確かに覚えているのに、顔だけがどうしても思い出せない。


 一体誰だったのか、なぜ私をそんなところへ連れて行ったのか。

 きっとその人は何かを知っているはずだ。


 そしてもう一つ気になるのは、迷子の私を見つけてくれたおじいちゃんのこと。


 おじいちゃんは家族で花火を見ていた北山神社で、私を見つけたと言っていたようだけど、それは、本当にそうだったのだろうか。


 神社は神社でも、あの両面宿儺の封印があるお社だったのではないだろうか。


 もしそうだったとしたら、おじいちゃんは私をお社へ連れて行った人と会ったのではないだろうか。


 相手はたぶん、状況的に妖怪だろうと思うけれど、おじいちゃんの口からそれらしい話を聞いた覚えはない。

 もしくは、私が忘れてしまっているのかも。


 たぶん、私の記憶はたくさん抜けている。


 それらを思い出していけば、この厄介な力の由来がわかるかもしれない。

 さらには、力を消す方法も。


 そのためにもまずは、おじいちゃんのことを調べるのがいいんじゃないだろうか。


 家族の中で妖怪を見ることができるのはおじいちゃんと私だけ。絵を描くのもそう。私は、おじいちゃんの性質をとてもよく受け継いでいる。


 神様を絵に宿してしまう力だって、おじいちゃんから引き継いだものという可能性もある。


 もし、私と同じ力をおじいちゃんが持っていたんだとしたら。

 おじいちゃんはそれに自分で気づいていたのか。

 力をどうやって得たのか。


 私の知らない、あるいは忘れてしまった話が、実はあるのかもかもしれない。


「――あの、祖父のことで、先生が覚えていらっしゃることって、他にありますか?」


「え?」


 お狐様と友達であること以外にも、何か先生に話してはいないだろうか。

 どんなささいなことでも聞いてみたかった。


 先生は「そーだなあ」と少し考えて、


「・・・絵を描きに来た以外では、男の人と境内で話しているところを何度か見かけたことがあったかな。その辺りに、並んで座って」


 先生は拝殿を出て、お社の横にそびえる桜の木に面しているほうの、縁側を指し示した。


「息子さんかと思ったけど、雰囲気がどうもそれっぽくなくて、ちょっとどこの人かわからなかった。そう、いつだったか、確か、小さい女の子も一緒にいて――あれは、もしかして佐久間さんだったのかな。幼稚園かそのくらいの子に見えた。おじいさんとその人と一緒に境内で遊んでいたよ」


 私も、その場にいた?


「・・・それはどんな方ですか?」


「どんなって言われると・・・うーん、背の高い人だったかな。黒っぽい、スーツみたいな格好で・・・うん、そのくらいかな。家に帰る途中に、鳥居の前を横切った時に見かけただけだから、あんまり覚えてないんだ。ごめんね」


「あ、いえっ、ありがとうございます」


 その人がなんなのかと言えば、別に単なるご近所付き合いの類かもしれないけれど、重要なのは、やっぱり私にはおじいちゃんとのことで忘れている記憶があるって確認できたこと。


 うん、落ち込んでる場合じゃなかった。


 少しずつ、色んな人からおじいちゃんを辿ってみよう。

 そうしたらいつか私へ辿り着き、これから進むべき道が見えてくるのかもしれない。

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