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幻想徒然絵巻  作者: 日生
晩秋
86/150

猿神

「――久方ぶりの人の子じゃわいな」


 木々が開けた場所で、月明かりを背にし、猿神さんの赤い瞳がぎらぎらしている。


 ・・・これ、もしかしなくても食べられるパターン?


 私を狙う妖怪のおもな理由は二つ。絵を描いてほしいとお願いされるか、食べられるか。今回は、間違いなく後者だ。


「幾十年ぶりかのう。嬉しや嬉しや。まずは存分に弄ってから、ゆっくりといただこうか。血は化け蝙蝠に残しておいてやらねば」


 うきうきとした独り言をつぶやきながら、じわりと接近してくる妖怪に、どうしていいかわからなかった。


「夜更けに自ら妖の縄張りへ、のこのこやって来た間抜けな娘を喰うことに、祓い屋どもとて文句はなかろう」


 猿神さんは私の腕を掴まえて、その鋭い爪で服を掻く。ジャンパーは薄紙のようにたやすく裂けて、でも皮膚までは届かなかった。


「――やめておけ」


 ところが不意の声に、猿神さんの動きが止まる。


 猿神さんの背後、月影に浮かぶ黒い塊があった。


 ようく目を凝らしても、なんなのか、細部まではわからない。

 ただ、声に聞き覚えがあった。


「何用じゃ犬神」


 猿神さんがそちらを見上げる。


 そう、そうだ犬神さんだ!


 すると黒い塊にしか見えなかったところに、人の目に近い金色の双眸が現れた。


「あ、い、犬神さんっ」


 縋るように名前を呼ぶと、ふん、と鼻を鳴らす音がした。


「そやつは絵師の佐久間だ。お前ごときが害せば真なる神の怒りを買うぞ」


「なに!?」


 猿神さんは途端に狼狽し、私から手を放して犬神さんのほうへ体ごと振り返った。


「さ、佐久間とは男でなかったか?」


「孫に代替わりしたらしい」


 犬神さんが淡々と告げるほど、猿神さんはどんどん焦りを帯びていく。


「ぅ、い、幾十年ぶりの獲物なのだぞ!? それを我慢しろと言うのか!?」


「できねば滅ぶと忠告してやっておるのだ」


 そうして再びこちらを見やった猿神さんは、呼吸が荒く、とても苦しそうに歯ぎしりしていた。


「――できぬっ! わ、わしは喰うぞ!」


「そうか」


 犬神さんの返事はそれだけ。


「えっ、い、犬神さん!?」


「さらばじゃ佐久間。最期まで愚かな娘であった」


 嘲笑う犬神さんの声を聞きながら、月明かりに光る猿神さんの牙を、私は呆然と見つめていた。


「――さらばじゃ、猿神」


 ぽつりと静かな声がしたのと同時。


 猿神さんの体に細長い紙のような、白い何かが巻きついた。


 それは背後から伸びているようで、猿神さんは慌てて扇で打ち払おうとしたものの、数が多くて間に合わなかった。


「なんじゃ、このっ!」


 猿神さんは後ろに転び、私の傍には誰かが降り立つ。


 近くに明るい炎がぱっと灯り、臙脂色の狩衣姿の、天宮くんの横顔が見えた。


 彼の視線は紙に巻かれた猿神さんに注がれていて、炎をまとう右手を振りかぶる。

 けれど振りきるその前に、


「莉子がやる!」


 横合いから飛び出した華奢な少女が、正方形の紙を広げた。


「あめのいわくら放て! 籠めて封じよっ!」


 真っ直ぐに放たれた光が、猿神さんを丸ごと飲み込む。


 まばゆい光が収まった後で、おそるおそる目を開けば、猿神さんのいた場所には大きな石があるだけだった。


 それは、まるで北山で見た、両面岩を思い起こさせた。

 強大な力を持つ妖を封じた石のことだ。


 猿神さんも、封じられて石になってしまったのだろうか。


 目まぐるしい展開に頭がついていかず、私はしばらく助かったことも忘れ、考え込んでしまっていた。


「佐久間? だいじょう――」


 我に返ったのは、頭の上に何かをかぶせられてから。

 穴から顔を出して確認してみればそれは、天宮くんの着ていた臙脂色の上衣だった。


 上は白い小袖姿になった彼は、そっぽを向いている。


「・・・とりあえずそれで、隠しといて」


 一瞬、何を言われているのかわからなかったけれど、衣の中がやけにすーすーすることに今気づく。


 自分で隙間から覗いてみると、猿神さんに服を裂かれたところが下着まで見えていた。瞬間的に顔が熱くなって爆発しそうになる。


 とんでもない格好でぼうっとしてた!


「佐久間さん無事だったー?」


 のんびりとした声を響かせ、莉子さんも傍にやって来る。


 彼女は狩衣ではなかったけれど、袴を履いた着物姿ではあった。

 二人が並んでいると、タイムスリップしてしまったような錯覚をする。


「佐久間、ほんと怪我とかは」


「っ! な、ないです! ごめんなさい!」


 ぼうっとしていた私はまだお礼も謝罪もしていなかった。

 二人はきっと夜の見回りをしていたのだろう。それで偶然、私を見つけて助けてくれた。


「ぅ・・・ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい・・・」


「佐久間?」


 ほっとしたのとはまた別の意味で涙が溢れて、またしても天宮くんをびっくりさせてしまう。


「どうしたの佐久間さん。どこか痛いの? 煉だと恥ずかしいなら、莉子が見たげようか?」


 莉子さんも心配してくれている。

 こんなことで時間を取らせている場合じゃないのに、涙は拭っても拭っても全然止まらなかった。


「ご、ごめん、なさっ・・・」


「うんうん大丈夫だよ。莉子たちがいたらもう安心安心、だよ?」


「っ・・・」


「あの猿神って妖怪、二度と人を襲わないって約束で見逃してもらったくせに、佐久間さんのこと食べようとしてたんだね。莉子が封印したげたからもう大丈夫。でもどうして佐久間さんはこんなとこいたの?」


「あ、あの・・・」


 すると遠くから、「佐久間様ぁーーっ!」と声がして、間もなく猫又さんが茂みから飛び出した。


「佐久間様! ご無事でにゃふっ!?」


 猫の姿だった猫又さんは、飛び出した瞬間に莉子さんに蹴られ、地面を転がる。


「なぁに? また佐久間さんを狙う妖怪?」


「待て。それは大丈夫だ」


「え?」


 莉子さんはすでに猫又さんの頭を掴んで宙吊りにしている。

 以前、天宮くんが美術室でやっていたのと同じ。


「な、なんでありんすか!? わっちは佐久間様をお助けに来たんでありんすよう!」


「大方、お前が佐久間を連れ出したんだろ」


 どきっとしたのは私。もう見透かされている。


「わっちらの宴にご招待しただけでありんす! わっちは何も悪いことしておりんせんっ、放しておくんなんし!」


「なんかよくわかんないこと言ってるけど、潰していい?」


「ひぃ!?」


「いいから放せ」


 結局、天宮くんが莉子さんに言ってくれて、解放された猫又さんは素早く私の後ろに隠れた。


「それなんなの?」


「わ、私の友達です・・・」


「友達?」


 莉子さんは目を丸くした後に、小首を傾げた。


「ふーん? その話ほんとだったんだ~」


「え?」


「名前付けて使役してるとかでもないんだっけ。どうやって手懐けたの?」


「て、手懐けてはないです・・・」


 莉子さんは一体どんな話を聞いたのかな。


 そういえば犬神さんは、と、このタイミングで思い出し、辺りを見回してみたけれど、すでに姿はどこにもなかった。


 天宮くんたちが来る気配を察知して逃げたのだろうか。犬神さんが猿神さんに話しかけてくれたおかげで、助けがなんとか間に合ったのだ。


 って、もしかして、犬神さんは時間稼ぎをしてくれていたのかな?


 また、助けてもらってしまった・・・。


 犬神さんにも、天宮くんにも莉子さんにも。


「・・・ご迷惑をかけてすみませんでした。助けてくれて、ありがとうございます。猫又さんも、助けに来てくださってありがとうございました」


 改まってこの場にいる皆さんに謝罪と感謝を述べて、頭を下げる。


「まあ、無事だったならよかった。早いとこ出よう。おい猫又、佐久間は家に帰すぞ。他の奴らにも伝えておけ」


「あ、あい、承知いたしんした・・・あ、では佐久間様のお荷物はいかがいたしんしょう?」


「ん、荷物あるの?」


「で、でもそれは別に後日、私が取りに」


「いいよ。ついでに取ってけば早い」


「じゃあ佐久間さんは煉にまかせて、莉子はこの辺りを見回っとくねっ」


「頼んだ」


 二人はぱっぱと役割分担を済ませると、即座に動き出す。


 見事に連携が取れている感じで、口を挟む隙などまるでなかった。


「行くよ」


「は、はい・・・ごめんなさい、ほんとに」


「大丈夫」


 またいつかのように天宮くんに運ばれて、荷物を取りに行ったところではネネコさんと大禿さんに会い、そちらにもご迷惑をおかけしたことをお詫びし、結局また、天宮くんに家まで送ってもらってしまったのだった。

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