屋上の尋問
今朝は家を出るのが遅くなってしまった。頭が混乱してなかなか眠れなくて、明け方にようやく少し眠れただけなのでかなり寝不足。
トートバッグの中には例のスケッチブックが入っている。家に置いたままにしておくのがなんとなく不安で持って来た。
でも持ち歩くのも正直、怖い。妖怪かどうかすらよくわからない、相手は得体の知れないモノなのだ。
「ユキ! 大丈夫?」
目をこすりながら教室に着くと、沙耶がすでに席にいた。
「メールにも返信ないから心配してたんだよ?」
「え? ご、ごめん」
昨日は携帯をチェックする余裕もなかった。先生方と同様に、沙耶にも大変心配をかけてしまっていたらしい。
「ごめんね。でも大丈夫だったから。ほんとごめん」
「いいけど、なんだったの? 貧血?」
「う、うん。そんな感じ」
曖昧に答えて席に座ると、
「佐久間」
背後から低い声がした。
振り返ると、知らない男子生徒が立っていた。眠たそうな目をして、ポケットを両手に突っ込んでいる。誰かに似ているような・・・?
――違う。
気づいた瞬間、全身が凍りついた。
そこに居るのは全然、知らない人なんかじゃない。絵にまで描いたんだから間違えない。
その人は、絶対に天宮くんだ。
なのにその髪は、まっ黒だった。
「今日の放課後、付き合って」
返事は聞かずに天宮くんはさっさと自分の席に行ってしまう。
私は呆然と、その黒い頭を見つめていた。
「ね、ねえねえっ、何があったの?」
沙耶に袖を引かれた。そちらには、なぜかきらきらと輝く瞳がある。
「放課後付き合えってなに? まさかユキ、天宮くんと?」
「っ、ち、違うよ!?」
なにか誤解されそうになっているのを察し、慌てて否定する。
「違くて、そういうんじゃなくて、何か話が」
「え~? それ告白されるんじゃない?」
にやにや~っと沙耶の顔に怪しい笑みが広がった。
「だからそういうのじゃなくて、たぶん、あの・・・」
昨日のこと、だろう。
だってそれ以外にこのタイミングで、天宮くんが私に声をかける理由がない。でも、それにしても・・・。
「・・・ねえ。天宮くん、髪、急にどうしたのかな」
「髪? 髪がなに?」
沙耶は、きょとんとしている。
「なにって、ほら、黒になってる」
「え? もとからそうじゃん?」
「っ・・・」
私はここでやっと、ようやく、気がついた。
どうして先生方は天宮くんの髪色を注意しないのか。どうして誰も、そのことには触れようとすらしなかったのか。
理由は簡単。みんなには天宮くんの髪が黒に見えていたから。
彼の髪を緋色だと思っていたのは私だけだったんだ。
私だけが、見えていたんだ。
「ユキ? どうしたの? 顔色悪いよ?」
「・・・ううん、大丈夫」
沙耶になんとか答える間も、内心は恐怖で凍りついていた。天宮くんが何者なのか本当にわからなくて、怖かった。
その日の天宮くんはほとんどいつもと変わらない様子で、ずっと机に突っ伏し、朝以来まったく話しかけてくることはなかった。
放課後になるまでは。
クラスに割り当てられていた空き教室の掃除当番を終えて、自分の教室に戻って来ると、すでに荷物を持ち、彼は私の席で待っていた。
「付いて来て」
拒否権は、ない。
私も鞄を持って、彼の後に大人しく付いて行く。本当は逃げたくてたまらなかったけど、そのほうがもっとおそろしいことになる気がした。
着いた先は屋上。立ち入り禁止で鍵がかかっているはずなのに、ドアノブを回すとあっさり開いて青空の下に出られた。
天宮くんは先に私を通し、自分は後から入った。
振り返り、閉めた扉を背に立つ彼を見て、これは、逃げ道を塞がれたんだと悟る。
「・・・まどろっこしいのは苦手だから、単刀直入に訊くけど」
足元に鞄を落とし、天宮くんが口火を切った。
「あんた何者だ?」
まさかの質問。
私のほうこそ、天宮くんを何者だろうと思っているのに。
予想外の事態で、何も言葉が出てこなかった。
その沈黙を彼はどう取ったのか。
眠たそうだった目がほんの少し、鋭くなった。
「なんのつもりで神を奪った」
「・・・は」
一歩、天宮くんが近づく。私は足が竦んで動けなかった。
「答えろ。何者だ」
また一歩詰め寄られて、彼が作る影の中に入ってしまう。
私は混乱しっぱなしで、もはや何を尋ねられているのかすらわからなくなった。
ただ少なくとも、天宮くんが怒っているようだという雰囲気は感じられる。きれいな顔が今はとても怖い。
「何を企んでいるか知らないが、早く返せ。さもなくばその身は天宮が滅ぼすぞ」
「っ――」
瞬間、私は両膝を地に付けた。
「ごめんなさいっっ!」
土下座よろしく、コンクリートに額を打ちつける。わけはわからないけれど、とにかく、命乞いをするほかないと思った。
涙がわっとあふれ出し、口が勝手にまくし立てる。
「ごめんなさいすみませんほんとに、申し訳ありませんでしたっ! よ、よくはわかりませんが、すみませんっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
命だけはどうか、という気持ちを込めて謝罪を連呼する以外に、言葉が見つからなかった。
泣きながら土下座している私の姿は、きっと傍から見たらかなり惨めなものだろう。でもなりふりなんて構っていられない。
「あー・・・っと」
しばらくし、何やら困っているような声が頭上から降ってきた。
続けて、肩をぽんぽん、叩かれる。
おそるおそる、わずかに頭を上げると、しゃがんだ天宮くんが、なんだか罰の悪そうな顔をしていた。
「その・・・なんか、ごめん」
唐突な謝罪。表情を見る限り、先ほどのように怒ってはいない。
「一応確認するけど、人間、だよな?」
とても基本的なところから、今度は優しい尋ね方だった。ぐずりながら頷くと、さらに質問が続いた。
「佐久間は祓い屋?」
「・・・? な、んですか、それ」
「妖怪退治をする家の者か、って、その様子じゃ違うよな」
天宮くんは一人で納得してしまう。
「そもそも、天宮のことは知ってる?」
「天宮くんの、こと、ですか?」
「いや、俺じゃなくて俺の家。・・・もしかして何も知らない?」
ひたすらに困惑していると、天宮くんは考え込んでしまった。
「――あのさ、昨日俺が寝てる間に何があったのか話してくれるか?」
ややあってそう言われ、私は、トートバッグの中から例のスケッチブックを出した。あの絵を見せ、言われた通り昨日の出来事を覚えている限りで、余さず話す。
天宮くんは絵を見てものすごく驚いていたけれど、私の話が終わるまで黙って聞いてくれた。
「つまり、佐久間は絵を描いただけってことか」
「はい・・・」
今の天宮くんはあぐらをかいて座り込み、絵に見入っている。
この頃には私も涙がおさまって、少しは冷静さを取り戻せていた。
「確かに宿ってるな・・・こんなこと一体どうやったら・・・」
何かつぶやいた後で、天宮くんはこちらを見た。
「なあ、これからうち来れる?」
「え」
うち? うちって、ええと、誰のおうち?
「てかごめん、連れてく。もし用事があるんなら今ここで連絡なりして」
「・・・用事は、特にないです、けど」
「じゃあ一緒に来て」
言うが早いか天宮くんは立ち上がり行ってしまうので、慌ててスケッチブックをしまい、後を追った。
「あ、あのっ」
さっさと足を進める彼に、思いきって声をかける。
私のほうはまるで状況を理解できていない。どうしてこれから天宮くんのおうちへ行くんだろう。
結局のところ天宮くんは何者なんだろう。
「事情は全部家で話す」
私の胸の内を悟ってくれたのか、天宮くんが歩きながら半身振り返った。
「あと一応は俺も人間だから、怯えなくていいよ」
そう断りを入れるのは、危害を加えるつもりがないと言いたいからだろうか。どちらにせよ、事情を知るためには付いて行くしかない、のだろう。
でも妖怪のところに行くわけではないのに、歩いている間なぜだかずっと、おじいちゃんの失われた左腕の光景が、頭から離れなかった。