拉致
文化祭まで、いよいよ一週間に迫ってきた。
メニューが決まり、調理担当やウェイター・ウェイトレス、客引きなど細かい分担の話し合いも煮詰められ、色んな小道具や制服も出来上がりつつある。私の担当する看板はまだ、もう少しかかるけれど。
美術部のほうの展示も絵を選び終わり、額に入れる作業や案内の張り紙の作成などを相馬先生と一緒に行い、準備は大体オッケー。
笹原さんのための絵は、結局お狐様のお社を飾ることにした。相馬先生のご実家で管理されている神社であるので、これを飾ると話したら、先生もいい宣伝になると喜んでくれた。
ちなみに文化祭のポスターは、さすが美人に化ける猫又さんをモデルに採用したおかげか、特に文句を言われることなくあっさり通り、すでに町のスーパーなどあちこちに貼られている。
出かけるたびに目に付くので恥ずかしい。
この頃になってくると、クラスも部活もお祭りの準備に駆けずり回って、友達とお喋りしている暇すらない。
天宮くんとも、なかなか話す機会がなくなってしまったが、コンテストの衣装は結局勝手に決められてしまっていたことを、この間本人から聞いた。
もはや私には、がんばってくださいとしか言えなかった。
すでにどの部活もお店の準備で活動をしていなかったけれど、私は頃合いを見てクラスの準備を抜け出し、美術室に行くことがあった。
それは準備のためではなく、絵を描いてもらいに来る妖怪たちと会うため。
実を言うと夏休みの間、地上に落ちてばらばらになってしまったキの神様が、妖怪たちにあげた私の絵に宿り、紙から抜け出してしまった事件によって多くの妖怪が絵をなくしてしまい、近頃は新しい絵をもらいに訪ねてきてくれているのだ。
でも文化祭の準備で私があまり美術室にいなかったら、妖怪たちが私を探して校内をうろつくようになり、その際に色々といたずらをしてしまったりして、天宮くんが出動するはめになったので、最近は可能な限り美術室にいるようにしていた。
天宮くんも付き合ってくれようとはするんだけれど、大抵、同じミスコン担当の人に無理やり引っ張っていかれてしまう。
その姿がまるで売られていく子牛のようで、とても可哀想だったけれど、私には彼を救い出すだけの力がなかった。
なんだかんだで最近の天宮くんは、クラスの輪になじんできている気がする。
なのでこの日も私は一人で、荷物をまとめ美術室に向かっていた。
廊下でも忙しく駆け回る別のクラスの人たちとすれ違う。
その慌ただしさにつられて、私までついつい早足になっていたところ、突如背後から頭を鷲掴まれた。
「よぉ」
こんなことをする方は一人しか知らない。
いつも唐突に現れて、逃げられないよう先に捕まえられる。おそるおそる振り返れば、やっぱり拓実さんがいた。
「今、絵描く道具持ってるか?」
何をされるのかと思えば、訊かれたのはそんなこと。
「・・・は、い。スケッチブックと、鉛筆なら」
それは常時、私が装備しているものだ。
すると拓実さんは、
「行くぞ」
と言って、私の頭を掴んだまま方向転換する。
「え、あ、あの?」
「黙って来い」
ぐいぐい頭を押され、ろくな抵抗もできずに校舎を出る。
拓実さんは一向に止まることなく、やがて駅に着いて、ちょうどやって来た電車に乗り込んで、車窓から見える景色がどんどん見慣れないものになっていくと、さすがに黙ってもいられなくなってきた。
「ほ、本当にどこに行くんですかっ?」
人気のない一両だけの電車。
隣で腕を組み、目を瞑っている拓実さんに勇気をふり絞って尋ねると、拓実さんは億劫そうに、薄く瞼を開く。
「妖怪を紹介してやる」
「は・・・」
「妖怪の絵を描くのが好きなんだろ?」
「それは、そうですけど」
どうして拓実さんが、わざわざ私に妖怪を紹介してくれるのだろう。
しかも文化祭の準備で忙しいこの時期に。
「ちょうど女が欲しかったんだ」
その言葉はあまりに衝撃的だった。
「・・・あの・・・なにを、するんですか?」
「仕事。ちっと手伝え」
「し、仕事って? 絵を描くんじゃ?」
「うぜえ黙ってろ」
これ以上の説明は面倒なのか、睨まれて黙らされてしまった。
やがて、二つ先の無人駅で私たちは降りた。
私の住んでいる町も相当な田舎だけど、ここはさらに辺鄙な場所だ。住宅地より田んぼの占める面積のほうが圧倒的に広い。
勝手知ったる様子の拓実さんは、私の頭を掴んで畦道をずんずん進み、竹林の中に入っていく。
本当にここどこ!?
見渡す限り青い竹。道などありはしない。山中で少し傾斜がある。竹の葉が日を遮ってやや暗い。
しかも、目の前には紙垂を挟めたしめ縄。ある竹と竹の間にかかっている。
両面宿儺の封印に巻かれていたのと同じ。
まるで何かを閉じ込めているような。あるいは、ここから先に行くことを禁じているような。
一体なにをするの!?
「適当に歩いてけ」
拓実さんは私の頭から手を放し、しめ縄を越えた、竹林の奥を指し示す。
「こ、ここに、妖怪がいるんですか?」
「いる。だが相手が女じゃねえと出て来やがらねえ。だから囮になれ」
「おとり!? あ、あの、待ってください。もしかして仕事って祓い屋の、ですか?」
「決まってんだろ」
拓実さんは、またちょっと苛々とした表情。
「ああああのでも私、妖怪祓いの術は使えな」
「んなこたわかってる。だから囮だっつってんだろ。お前は妖怪を誘い出して巣まで連れていかれりゃいいんだよ」
「さ、さっきは妖怪を紹介してやるって」
「ああ紹介してやる。年季の入った極上の怨霊だ。せいぜい良い絵を描いてやれよ」
囮、怨霊、ってことは私・・・
「し、死にませんか?」
「さあな」
やっぱり死ぬんだ!
「天宮を呼ぶか?」
不意に言われて、私の中で混乱がいったん止まった。
天宮くんを呼ぶ・・・呼んだら来てくれる、だろう。
妖怪からも拓実さんからも、とにかくこの状況から救い出してくれるだろう。
でも・・・呼んでいい、のかな。のこのこ連れられて来て、見るからに危なそうなこの場所に、本当に彼を呼んでいいものだろうか。
おそるおそる、拓実さんを見上げる。
「呼んでも、いいんですか?」
「勝手にしろ」
拓実さんはそっぽを向いた。
とりあえず、リュックの底を漁って携帯を掴む。
でも取り出す前によく考えた。
いつも遠慮するなとは口酸っぱく言われている。なんだかんだで、天宮くんはどんな時でも私に怒ったことがない。
でも今度こそは怒られるだろうか。そうでなくても呆れられはするだろう。
それが嫌なんだけど、だけどそれだけじゃなく、なんとなく、ここに彼を呼ぶのは正しいことではない気がする。
ただ、呼ばないにせよ連絡は入れたほうがいい。天宮くんが学校にいる時に黙って帰ったことはないから、きっと私の不在に気づいたら彼は心配する。
電話だとまた北山みたいなことになりそうなので、ここはメールを打とう。
そう思って携帯を取り出した――途端に、横からそれを奪い取られた。
「あ」
「行け」
冷徹な声が、降った。
「え? 連絡」
「俺がしてやる。行け。逃げたら殺す」
「・・・」
もしかして最初から、これが狙いだった?
今までも怖い目にはけっこう遭ってきたけれど、今日が一番、怖いかもしれない。
前門の虎、後門の狼。
怯える背中を拓実さんに押し出され、私は竹林の中へ放り込まれたのだった。
❆
さく、さく、と慎重に枯葉を踏んで歩く音が、静まりかえった竹林の中でいやに響く。
後ろを振り返っても、もう帰り道はわからない。拓実さんの姿もない。気配は全然感じないが、きっとどこかに潜んではいるのだと信じたい。
正直、怖くて泣きそうだ。
相手の妖怪がなんなのかまったく知らされていないし、携帯は取られてしまって外部と繋がる手段が一つもなくてものすごく不安だし、拓実さんが天宮くんに連絡してくれているわけはないだろうから、助けも期待できないし・・・いやまあ、天宮くんは来てくれなくていいんだけども。
やっぱり、私は拓実さんにかなり嫌われてる。
少なくとも死んでもいいと思われてるくらいには嫌われてる。
隠し事をしてるってことがばれて、怒らせてしまったのかな。
知り合ってから短い間に殺すとまで言われてしまい、実際死んでしまうかもしれない。
仮に妖怪が出なかったとしても、すでに遭難しているのだから。
もう、こうなったら私が頼れる相手は限られている。
神様仏様怨霊様、どうか助けてください。
まだまだもっと妖怪の絵が描きたいです。他にもやりたいことがたくさん残っています。文化祭だって楽しみなんです。だからどうか、どうか・・・。
祈りながら歩き続けていれば、心も体も疲れてきた。すでに辺りは薄暗く、携帯がないと今が何時かもわからない。
・・・ちょっと、休んでもいいかな。
濡れていない場所を探して、手近な竹の根元に腰を降ろす。背と首筋に当たる竹がひんやりとして心地よかった。
ずっとずっと高いところにある竹の葉が、風に揺られてさわさわと涼しげな音を出していることに、今さらながら気がついた。
恐怖ばかりが先に立っていたけれど、こうして腰を降ろしてみると、ここは静かで、とても落ちつく場所だ。
ただ、
「・・・寂しい」
物寂しい。日が届かないせいかもしれない。
上は葉に。
周囲は竹に。
まるで牢獄のようでもある。
こんなところに妖怪がいるのかな。
いるとしたら、寂しくはないのだろうか。
お狐様のお山の妖怪たちのように、大勢でわいわい暮らしているなら大丈夫かもしれないけれど、ここは、なんの気配もしないのだ。
――あ、そっか。ここ、虫の声がしないんだ。
外は秋の虫がずっと鳴いていた。でもここには風の音しかない。
隔絶されているんだ、外と。外というか、私のよく知る世界と。
「・・・佐久間様?」
不意に、声をかけられた。
驚いたけど、咄嗟に逃げ出さなかったのは、名前を呼ばれたから。
何より知っている声だったから。
「猫又さんっ」
「にゃあ、やっぱり佐久間様でありんしたっ」
ぱたぱたと着物の裾を乱して、少女に化けた猫又さんが駆け寄って来る。
「・・・ここにいる妖怪って、猫又さんだったんですか?」
「にゃ? わっちはこの辺りに生えてるおいしいキノコを採りに来んしたのよ。佐久間様こそどうしてここに? ここはとっても危のうござんすよ。特に女は狙われんす」
「猫又さんは、ここに何がいるのかご存知なんですか?」
「鬼でありんす」
「鬼? 怨霊じゃなく?」
「似たようなもんでありんしょう。鬼が、竹林に迷いこむ若い女の血を求めてうろついておりんす」
「・・・ほ、本当ですか?」
「あい。もしかして、何も知らなかったんで?」
「は、はい」
すると、猫又さんにまで溜め息をつかれてしまった。
「お間抜けでありんすなあ、佐久間様は。しっかりしておくんなんし、あんさんにはまだ死んでほしくありんせん。どれ、わっちが出口までご案内いたしんしょう」
猫又さんの親切な申し出に、私は一も二もなく飛びついた。
「ありがとうございますっ」
これこそまさに天の助けだ。
拓実さんがどこかでこのやり取りを聞いてる可能性はあったけど、ごめんなさい、やっぱり私には無理です。
竹林を出たら拓実さんに土下座でもなんでもして命乞いをしよう。
女の血を求めてさまよう妖怪よりは、同じ人間相手のほうがまだ希望があるはず。
「佐久間様、こっち――」
だが猫又さんが私の手を取って引いてくれた瞬間。
ごぉ、っとうなりを上げる風が吹きつけた。
目を開けていられなくて、腕で顔を覆う。わずかな風の切れ間に覗いた時、前方からこちらへ、猛然と走る影が見えた。
長い黒髪を振り乱し、重そうな着物を物ともせず、おそろしい声を上げて迫り来るモノを見て、私も猫又さんも動けなくなっていた。
あるいはもう、私は恐怖のあまりその時すでに死んだ気になっていたのかもしれない。
視界に広がる真っ黒な髪と、もはや人ではない鬼の顔が間近に迫っても、悲鳴一つ上げられなかった。




