ごみ捨て中の尋問
笹原さんのために飾る絵は決まらないまま、再び週が始まって忙しくなる。
一枚だけ描けた宮守の妖怪たちの宴の様子は桜があって、それはもうきれいだったけれど、天宮家の秘密に関わることなので飾れない。
他の絵を描かなければいけないけれど、今度は天宮くんに迷惑をかけたくないから、もっと近場で安全なところがいい。
とすると、思いつくのは今まで何度も描いてきたお狐様のお社くらい。あそこなら絶対的に安全だ。
はっきりと異質な空間ではないけれど、とてもきれいな神社だから、笹原さんに満足してもらえるかな。
あれこれ考えながら、看板作りの際に出た廃材や木くずを集めたゴミ袋を、放課後にコンテナまで運ぶ。
でも、あんまり考え事をしながら歩くのはよくない。
それに気づいたのは、すっかり周りを見ることを忘れて、何かに足を引っかけた時だ。
「っ!」
体勢を崩し、前のめりに思いきりこけてしまう。
派手に擦りむいたりはしなかったが、膝を打った。
「いたた・・・?」
何に躓いたのかなあと目を向けた先に、いたのは小さな、子狐のような。
体が細く尻尾が箒のようで、全体の色が黒っぽい。そして目が異様にぎらついている。
これは・・・
しゃっ、とその妖怪は突然牙を剥き出し、ゴミ袋に噛みついた。
袋の一部が破けて、中身の木材やら木くずが散乱する。
袋を噛んだまま振り回すから滅茶苦茶だ。
たぶん相手は、妖怪。
でも、絵を描いてもらいに来たんじゃないんだろう。
「お、怒ってるんですか? ごめんなさい、あの、もしかしてさっき私が足を引っかけてしまったんでしょうか? ごめんなさいごめんなさい、本当にごめんなさいっ、痛かったですよね? あ、あの、でも暴れるとよけい痛いかも・・・」
どうしていいかわからず謝罪を連ねると、その狐さんはぴたりと止まり、ぎらぎらした目を私に向ける。
ゴミ袋をぱっと口から放し、いきなりこちらへ飛びかかってきた。
「――っ!?」
目を瞑る。
鋭い爪が、牙が、身を斬り裂くのだと思った。でも、いくら待っても何も起こらない。
「・・・?」
おそるおそる、目を開くと狐さんはいない。
かわりに、竹筒を持った拓実さんが立っていた。
「いつまで座ってんだ」
「え・・・? あ、はいっ」
呆然としていたところ、言われて慌てて立ち上がる。
「あ、あの、さっきの狐さんは? もしかして、拓実さんが助けてくれたんで・・・す・・・」
尋ねようとしただけなのだけど、拓実さんにものすごく怖い顔で睨まれて、声は途中で消えていった。
「馬鹿か」
低い声で、一言。
「管狐も知らねえのかよ。逆になんなら知ってんだ」
「く、くだぎつね?」
「今のは俺が使役してる妖怪だ」
「え、えっと?」
「使役するって意味も知らねえか?」
「あ、え、あ」
「存在を縛って従わせるってことだ。要は下僕にした妖怪だ」
その言い方にどきりとする。
ああでもそうだ、使役するってそういうことなんだ。
とにかく、さっきの狐さんは拓実さんの妖怪だってことはわかった。
ということは・・・?
「た、助けてくれて、ありがとうございます?」
「本物の馬鹿か。俺が襲わせたに決まってんだろ」
や、やっぱりそういうことなんですか?
いえあの、思いつかなかったわけじゃないんですが、もし勘違いだったら失礼かなあ、と。
でも、その気回しがかえって拓実さんの機嫌を損ねたようだ。
見るからに苛々し始め、さっきの管狐さんじゃないけど今にも噛みつかれそう。
「す、すみません、お気に障ってしまったみたいで・・・」
「黙れ」
「は、はい」
どうやら口を開くだけで苛つかせてしまうようだ。
ずーっと昔もそういえば、友達にごにょごにょ謝っていたら、もういいよと邪険に追い払われたことがあったっけ。
うぅ、天宮くんには拓実さんを警戒するよう注意されたけれど、ここで逃げるのは怖すぎる。
走り出した瞬間にひどいことになりそうだ。どうしよう。
「お前、マジで妖怪祓えねえのか?」
てっきり天宮家とのことを問い詰められるのかと身構えていたら、まず訊かれたのは全然別のことだった。
「・・・は、はい。まったく、私には、なんの力もないので」
「なら、なんで天宮を連れずに山に入った」
「え? あ、こ、この間は、妖怪に会うとは思わなかったので、油断、していたと言いますか」
「襲われた後もすぐ呼ばなかったじゃねえか」
どうやら拓実さんは、ほんとにずっと私を見張っていたらしい。
全然、気づかなかった。
「それは、あんまり、天宮くんに迷惑かけちゃいけないなあと、思ってたので」
「お前を守るのがあいつの修行なんだろうが?」
「はい、そうなんですけど・・・」
「はっきり言え」
「その・・・天宮くんはとっても強い、ですけど、私がこんなこと言うのはほんと生意気だと思うんですけど・・・心配、なんです」
天宮くんに迷惑をかけたくない。負担になりたくない。
でも、あの時連絡を渋ったのはそれだけが理由じゃなかった。
「絶対的に強い存在なんて、たぶんないと思うんです。綾乃さんは、修行になるとおっしゃってくれましたけど、いつか、私のせいで天宮くんが大怪我をしたり、最悪、死んでしまうことも、あるんじゃないかって、不安で・・・ほんとは気安く頼ってはいけないんです。人にはどうしたって敵わない存在がありますから」
何も知らなくても、そのことだけは知ってる。
強大な力の前では、どんな人もただただ無力なのだ。
「心配、ねえ」
拓実さんの声音には、どことなく馬鹿にするような響きが含まれていた。
私にとっては冗談でもなんでもなく、今まで誰にも言ったことがなかった本音なのだけれど、やっぱり生意気な物言いだったかな。
でも思いきって話したおかげで、私のほうはちょっとだけ、勢いが出てきた。
今度はこちらからも訊いてみよう。
「あの、すみません。お尋ねしてもいいですか?」
「あ?」
不機嫌な声を出されて一瞬怯んだ。
けど、たぶん大丈夫。相手は同じ人間だ。話は聞いてもらえる。
「古御堂家は、天宮家が神様を天に帰すべきだと考えてるって、聞きました。どうしてですか?」
「借りたもんを返すのは常識だろ」
「そ、そうですけど、神様がいなくなったら大昔の妖怪の封印が解けてしまうんですよね?」
「返した瞬間に解けるわけじゃねえだろ」
ぶっきらぼうに、でも拓実さんは話してくれた。
「たまに神を降ろして封印をかけ直せばいい。そんなん、何十年かに一度だろ。なのにずっと奴らが神を降ろしてんのは、私欲のために決まってんだろうが」
「し、私欲? 天宮くんたちは夜の見回りまでしてくれてるんですよ?」
「てめえらが不意打ちされんのが怖いだけだろ」
まるで吐き捨てるように言う。
「あのな、人間が妖怪を祓おうってのは並大抵のことじゃねえんだ。人の力じゃ足りねえから、妖怪を使役する。天宮の場合は神だ。他の祓い屋には真似できねえ圧倒的な力を使って、周りから金を巻き上げてるだけだ。お前は特別扱いされてんのか知らねえがな」
荒々しい言い方は、商売敵が気に食わないせいなのか、それとも別の理由なのか、わからないけど怖かった。
祓い屋というのは商売なんだから当然お金はとるだろうし、とらなきゃ生活していけない。
確かに神様の力を使ってお金儲けしてるように言えなくもないかもしれないが、人を助けているのだ、悪いことじゃないと、思うのだけど・・・。
「やっかみだと思うのは勝手だが」
拓実さんはこの時だけ、視線を私から外した。
「いずれ天宮は報いを受ける。そのとばっちりを周りが喰らわねえんなら、別に文句はねえ」
――報い? とばっちり?
誰が、どこから、なぜ、下す報いなのだろう。
もしかして神様を身に閉じ込めていることは、私が想像するよりもっとずっと、悪いことなの?
少なくとも、拓実さんたちはそう考えているんだろうけど。
拓実さんは一拍の後、またぎろりとこちらを睨みつけた。
「よけいな時間を取らすんじゃねえ。質問に答えろ」
「・・・は、はい」
「あの絵はなんだったんだ」
「え?」
拓実さんが大きく口を開いた直後に、ぎりぎりで思い出し叫ぶ。
「あああの北山での絵ですよね! すみません!」
拓実さんは小さく舌打ちし、とりあえず怒らないではいてくれた。
「途中でお前の姿が消えた。あの先で何があった」
「な、なにもないです。あの絵の通り、妖怪が宴をしていただけです。私は、天宮くんに助けられるまで捕まっていました」
あらかじめ用意していた答えを差し出す。
念のために考えておいたんだ。
これ以上は絶対に何も、喋らない。
「どういう妖怪だったんだ」
「わ、わからないです」
「あ? 天宮はなんか言ってなかったのか」
「す、すみません、聞いてもよく、わからなかったんです。すみません、ほんとに私、馬鹿で・・・」
足りない頭が言い訳の役に立つ日が来るとは思わなかった。
妖怪や祓い屋のことについてほんとに何も知らない私が、天宮くんの説明を理解できなかったとしても不自然じゃないはず。
実際は、天宮くんは私がわかるまで噛み砕いて教えてくれるので、大体は理解できてる、と思う。
拓実さんには再び舌打ちをもらった。
馬鹿な私にこれ以上、問い詰めたところで埒が明かないと、思ってくれただろうか。
「お前はなんなんだ?」
「え・・・?」
北山のことについて追及されなかったかわりに、今度はひどく漠然とした問いを投げかけられた。
「お前は霊力が弱すぎる。その意味を自分でわかってんのか?」
「え、え?」
拓実さんに一歩詰め寄られ、反射的に後ろへ下がると、胸ぐらを掴まれて引き戻された。
間近に怖い目が迫り、言われたことに対して何も考えられない。
ただただ恐ろしくて、涙がにじんだ。
視界の端で拓実さんの左肩が動き、もしかして殴られるっ、と思いぎゅっと目を瞑った。
でも、次には手を放されていた。
少し浮いていた踵が地面に降り、目を開けると拓実さんは最初の距離に戻っている。
「・・・冬吉郎って奴もお前と同じなのか?」
予期せぬ名前を出されて私は一瞬、言葉に詰まった。
「お、おじいちゃんを知っているんですか?」
「答えろ」
私からの質問はもう、一切受け付けてもらえないようだ。
「は、はい。おじいちゃんも、妖怪を祓ったりはできなかったと思います。とてもきれいな絵を描いて、多くの妖怪たちに、愛されている人でした。その縁で、私とも友達になってくれる妖怪もいて、今の私があるのはおじいちゃんのおかげなんです」
この答えが拓実さんの満足いくものだったのか、わからなかったけれど、質問はこれで終わりだった。
「・・・わけのわからねえ性質がそのじいさんに由来するものなら、お前を締め上げたって仕方ねえか」
独り言のような言葉が最後に聞こえ、拓実さんは背を向けて行ってしまった。
校舎の向こうに姿が消えてから、息をつく。
うまく、できたかな。
私には本当になんの力も特別なところもないんだってことが、印象づけられていたらいいけれど。
とりあえず、目下の問題は破れてしまったゴミ袋で、どうやって細かい廃材をコンテナに運ぶかということだった。




