箱の中
「ユキ起きろっ」
「佐久間、大丈夫か?」
もう一度瞬いたら、呼びかける二人の姿がはっきりわかった。
「天宮くん、白児さんっ」
「しっ」
鋭く天宮くんに制されて、私は慌てて口を閉じた。
いつの間にか、天宮くんが目の前に膝をついている。
そして、私を揺すって起こしてくれた小さな手は、真っ白な髪と肌を持つ、白児さんのものだった。
「なんでこんなとこで寝てるんだよ? ユキはあいかわらずバカだなあ」
久しぶりに会って早々、呆れられてしまった。
でも腰に手を当て、やれやれって感じの仕草がつい可愛らしいと思ってしまう。いや反省しなきゃいけないんだけども。
「やっぱり、ここは白児さんの住んでいるところだったんですね」
すぐに思いつけなかった自分が本当にどんくさい。あの宴の中には白児さんもいたんだろう。
だって聞き覚えのある素晴らしい琴の音色が、お囃子の中に確かにあったから。
白児さんは「びっくりしたぞ」と赤い瞳を真ん丸にしていた。
「急に来るんだもんな。しかも翁の奴に連れて行かれて、どうしようかと思ってたら、結界の入り口で天宮を見つけたから、こっそり連れて来てやったんだぞ」
「ありがとうございます。すみません、色々と・・・天宮くんも、よくここがわかったね?」
「途中で送り犬に会ったんだよ。俺が佐久間を助けに来た奴だって、あいつもわかったみたいで、結界のところまで案内してくれた」
わあ、そちらにも後で絶対にお礼を言わなきゃ。
それともちろん天宮くんにも。
「ありがとうございます。ごめんなさい、また捕まってしまって・・・」
「いいよ、早いとこ出よう。怪我、してるみたいだけど動ける?」
「大丈夫です。あ、でも私をここへ連れてきた妖怪が、すぐ帰ってくるかもしれないです。なんか、北山様? っていうのに私がお仕えするのに衣を調達してくるって」
「北山様・・・?」
怪訝そうにしていた天宮くんが、次の瞬間に目を鋭くする。
「来る」
「え」
「っ、しかも両方からだ」
小さく舌打ちする天宮くん。
きっと御殿をうろつくお面の妖怪たちだ。
見つかったら、やっぱりまずいんだろう。
そもそも天宮くんはこっそり忍び込んでいるのだから。
「なあここ、ここに隠れろっ」
ぴょんと跳んだ白児さんが、脇にあった長い葛籠の蓋を開ける。
中には何か儀式にでも使うような、あまり見慣れない道具がたくさん入っていて、白児さんはそれらをぽいぽい外に放り出し、詰み上げられた他の葛籠の後ろに隠す。
そ、そんなことしていいのかな?
「入ってっ」
天宮くんに背を押されて、ともかくも急いで葛籠に入る。
後から天宮くんも入って、蓋が閉じられた。
その葛籠は竹で補強してあり、頑丈だった。寄りかかっても形が歪まない。
だけど、だけど二人で隠れるには、たぶんちょっと狭かった。
体を斜めに傾けて、できる限り身を縮めても、すぐ傍にいる人の息遣いが聞こえてくる。
天宮くんは、私に覆いかぶさるような体勢で収まっていた。
どうがんばっても体が触れる。
密に編まれた葛籠の中は暗くてよく見えないけれど、距離が近い。近過ぎる。
さんざん山の中を歩いて汗をかいた後にこの状況は、拷問だ。
あああ絶対に私汗臭いぃぃ・・・。
「悪いけど、少し我慢してくれ」
「っ!?」
耳元に囁き声が落ち、一瞬、私は悲鳴を上げかけた。
やめて。
今顔を近づけないでくださいどうか一生のお願いです。
「この場所、術が使いにくいんだ」
「・・・え?」
ちょっと我に返って、彼の囁きに耳を傾ける。
「特殊な結界が張ってあるのかもしれない。面をつけた奴らもそこらの妖怪とは違う感じがするし、なるべく戦うのは避けたい」
つまり天宮くんが警戒するくらい、ここはおかしなところなのだ。
「う、うん、わかった」
落ちついて、静かにしよう。
どきどきしてる場合じゃない。大天狗様の時みたいなことになったら大変だ。そうでなくても、天宮くんが戦うのはちょっと怖い。
間もなくして箱の外から、複数の妖怪たちの声が聞こえてきた。
「おや白児。ここで何をしておる」
「や、あー・・・あ! あれだ、お師匠様の木がなんか寒そうだから、布でもかけてあげようかと思ったんだ!」
白児さんの声はまだ葛籠の傍から聞こえてくる。言い訳をしながら、布か何かを掴んだのだろうか。しゅるる、と衣擦れのような音もした。
白児さんのお師匠様は、亡くなった古木の精だ。
もしかして、お社の横にあった折れた大きな木が、お師匠様の本体だったのかな。
「ちょっと借りてもいいだろ?」
「やれやれ、お前の師匠想いは見上げたものだが、ここにあるものはすべて北山様の祭事に使うものぞ。勝手に触れてはいかん。お前はほれ、早う宴に戻り琴を弾け」
「いや待て」
すると聞き覚えのある声が話の流れを止めた。
「白児、ここに人の子がおったであろう。あれはどこへ行った? 姿が見えぬが」
心臓が飛び出しそうになる。
訊いているこの声はきっと、翁の面の人だろう。
「し、知らないぞ! おいらが来た時には誰もいなかった!」
白児さん、動揺があからさまに声に出てしまっているけれど、大丈夫かな。
ばれたらどうなるのだろう。
お面の人たちは、怒るとどんな本性を出すのだろう。
心なし、天宮くんも緊張している。
そっと彼の手が腰に回り、どうやらいつでも私を抱えて飛び出せる準備をしているよう。
一瞬どきっとしたけど、いやここは照れてる場面じゃない。
「はて、どこへ行ったか。大人しく待っておれと言うたのに」
しかし、恐怖はのんびりとした翁の人の声によって、杞憂に変えられた。
「聞かん子じゃ。出て行ってしまったのではないか?」
「かもしれぬ。まあよいか。我らが手を煩わさずとも、北山様と縁を結んでおるならば、あの子は三度ここへ来ることとなろう」
「一応、天宮の当主に報告しようか」
――え?
私がわずかに顔を上げたのと同時に、天宮くんも身じろぎするのを感じた。
妖怪が天宮家の当主にって、どういうこと?
「後でよいさ。先に一式運んでしまおう」
「おう」
「おう」
「っ、なにするんだ?」
息の合った掛け声の後に、慌てたような白児さんの声。
すると大きく箱が揺れた。
見つかった!?
と一瞬焦ったけれど、蓋は開かなかった。
「そ、それどこに持ってくんだ!?」
「祭壇だ。祭事の道具を先に運んでおくのだよ。お前は早う宴に戻らんか」
「待て! えーっとえっと、それを持ってくのは後ででもいいんじゃないか? ほら、おっきいから重いだろ?」
「おおそういえば」
「ちと重いのう。これほどに重かったかのう?」
あ、これ、ばれる?
蓋を開けて中を確認、なんてされたら終わりだ。再び緊張が走る。
「いやさ、先に大物を運んでしまえば後が楽じゃ。疾くゆこう。白児、お前は早う戻れ。己の役目を忘るるな」
「あ・・・」
白児さんの声が聞こえたのは、それが最後で。
規則正しく上下に揺られながら、私と天宮くんは運ばれていっているようだった。
どうやら部屋の荷物は一時的にそこに置かれていただけだったらしい。
これから別の場所へ運ばれていくんだろう。
今のところ蓋を開けられそうな気配はない。なので無理やり出て行くべきなのかも、ちょっと判断が難しい。
降ろされて、周りに誰もいなくなるまで待てたら一番安全だとは思う。
「悪い、佐久間。しばらく様子見させてくれ」
天宮くんが再び耳元に囁く。
妖怪たちに聞こえないように、声はほとんど息だけだ。ちょっと、くすぐったい。
「さっき天宮の名前を出してたのが気になる」
確かにその疑問もある。
このまま会話を盗み聞いていれば、何かわかることがあるかもしれない。
「この場所と、うちがなんか関係あるのかも」
「天宮くんは知らないの?」
私も息だけで話す。
「聞いたこともない。北山には何度も来てるけど、こんな社があるなんて知らなかった。北山様ってのも、知らないな」
「・・・妖怪、なんだよね?」
「わからない。面の奴らは佐久間をそいつのとこに連れてこうとしたんだよな?」
「うん。ええと、確か、私にはあずまの血が流れてる、とか言ってて・・・どういうことかな?」
「あずまって、東だろ? ・・・あずま人っていうのは京の都より東に住む人間のことを指す言葉だから、ここが地元の佐久間なら、あずま人の血は流れてるだろうけど、そんな奴はいっぱいいると思う。西も東も今は血なんて混ざりまくってるだろ」
なるほど、そういうことか。
要するに東日本の人か、西日本の人かを確認されたのだ。
天宮くんの言う通り、交通の便利な今は西も東も混ざり合って、うちのご先祖様の中には東の人も西の人もいるんだろう。
「そういえば、西の血も混ざってるって確かに言われました。でもここに辿り着けたことが重要、みたいなことを言われて」
「やっぱり、普通には辿り着けない場所なんだろうな。西と東の血筋にこだわったり、妙だな・・・奴らが天宮と関係あるにしても、天宮は都から移ってきた一族だから西の血が濃いはずだ。東を重視するのはどうしてなんだか」
「不思議だね・・・」
ここの妖怪たちが天宮家の味方なのか敵なのか、いまいちはっきりしない。確証がない以上、素直に尋ねるわけにもいかなかった。
会話はいったん打ち切られ、しばらく無言で揺られ続ける。
なかなか目的地には到着しない。あの果てしなく長い廊下を、どこまで行くつもりなんだろう。なんにせよ、まだ時間がかかりそう。
「・・・あの、天宮くん。つらくないですか?」
目が少しずつ闇に慣れ、今は天宮くんが私にのしかからないよう、でも背中で蓋を開けないよう、腕を微妙な角度で保ってくれているのが見えるようになっていた。
「つらかったら、こっちにもたれても大丈夫だよ? たぶん、潰れないので」
天宮くんはそんな大男ってわけじゃない。
むしろどちらかといえば小柄で、しゅっとしてるというか、無駄な部分がない体型だから、私でも少しは支えられるはず。
これからのことを考えても、天宮くんの体力が消耗するのはよろしくないと思うのだ。
「いや・・・いい」
答えは、やや間を開けて返ってきた。
「え? でも――あ」
言ってから、私は大事なことに気がついた。
「ご、ごめんなさい。私、汗臭いから、あんまり近づきたくないですよね・・・」
うっかり忘れてしまっていた。
最初はすごく気になっていたのに。
でも天宮くんだって変な体勢のままではつらいだろうし、えっと、えっと・・・
「あ、あの、こっちに背中を向けて寄りかかってもらえれば、多少は感じなくなるかも」
「いや、別にそんなこと気にしてない・・・っていうか、問題はそこじゃない」
「で、でも、天宮くん、つらいですよね? あの、全然、私のほうは背もたれにしてもらっていいので」
「そんなことできない、し、そもそも、あんまり動くと気づかれるかもしれないし」
「あ、で、では、このまま寄りかかっても」
「だからそれは・・・」
言葉の続きは、いったん溜め息に置き換わった。
「・・・なんつーか、佐久間はどんな状況でも佐久間だよな」
「え?」
「やめたほうがいいよ。見かけより俺重いし。この程度じゃバテないから大丈夫」
「そ、そう?」
そんなに重いのかな。天宮くんは普通の人より鍛えていそうだし、筋肉の分かな。
筋肉は脂肪より重いと聞くから。
結局天宮くんに提案は通らず、とても申し訳なかったが、そのままの体勢でいてもらうことになった。
さらにしばらく揺られ続け、やがて、床に置かれる軽い衝撃があった。
では次を運んで来ようと、翁の面の人たちが話す声が遠ざかり、戸を閉められるような音がする。
しばらく待って気配が完全に消えたのを確認し、天宮くんが蓋を押し開けた。




