神送り
紙から飛び出して来たと思えるほどに、絵に描いたそのままの姿だった。
たぶん、実際、そうなんだろう。
「・・・キの神、さま?」
一本足の生えた丸い小さな体。
復活、したんだ。
よかったと思うのと同時に、緊張が走る。
キの神様は不気味なほどに静かだった。微動だにせず、金色の瞳をまっすぐどこかへ向けている。
視線を辿れば、窓の外。
暗い、夜空だ。
「――天へ帰りたいのね」
椿さんが静かな声音で言った。
キの神様は視線を窓からそちらへ移す。
「わかってる」
椿さんは懐からナイフを取り出して、古御堂兄弟を縛るビニール紐を切った。
「神送りをするわよ。あんたらも手伝いなさい」
「もちろんですともっ」
龍之介さんは嬉々として応え、拓実さんは無言のまま手首などを回す。
「あ、あの、どうするんですか?」
やっぱり私だけよくわかっていなかったので、天宮くんに尋ねた。
「キの神を天に帰す儀式をするんだ。地上に落ちた神は自力じゃ天上に帰れないから。東天紅の話、したことあったよな?」
「あ、うん」
東天紅は朝と夜の境目の、神様が天へお帰りになる時間帯だったはず。
私が思い出している間に、天宮くんたちはてきぱき段取りを進めていく。
「どこでやる?」
「屋上かしらね。道具は私と古御堂で用意するから、あんたは掃除してなさい。どうせだからユキちゃんも神送り見ていく?」
「え、あ、はいっ、お邪魔でなければっ」
「うんうん全然平気よ。じゃあお家の方に連絡いれて、煉の掃除を手伝ってくれる?」
「あ、はい」
「ありがとう、助かるわ。そこの妖怪どもも手伝いなさい。隅々まできれいに清めるのよ」
椿さん、この場にいる人手は全部使うつもりのようで、一つ目入道さんと大禿さんにも有無を言わせなかった。強い。
天宮くんはちょっと溜め息を吐いていたけれど。
それから椿さんと古御堂のご兄弟は準備のためにと言って姿を消し、私は天宮くんや妖怪たちと一緒に、掃除用具を探して、屋上に移動した。
屋上の扉は鍵がかかっていたけれど、天宮くんが蹴りを入れたらすんなり開いた。もう閉じ込める力は働いていないよう。
「とんとこ、落ちやんな」
屋上に出ると、また歌が聞こえた。
なんと貯水タンクの上に、お腹に付けた小太鼓を二つのバチで叩いている否哉さんの姿があったのだ。
頭には私のあげた帽子をかぶり、半月を背景に楽しそうにその場で跳ねて、歌っている。
「否哉さん?」
どうしてここにいるんだろう。
さっき聞こえた歌も、否哉さんが歌っていたのだろうか。
キの神様が自分を見失っていたことを、否哉さんは知っていた?
否哉さんは片方のバチを急に振るい、すぐ横にあった避雷針を叩いた。
かららん、と何かが私たちの立つコンクリートの上に落ち、大禿さんがそれを拾う。
「・・・これは、わっちの《雷切》でありんす」
「らいきり?」
「雷を切る小太刀でありんす」
一体、雷を刀でどうやって切るんだろうという疑問はあったけど、重要なのはそこじゃない。
「雷切が避雷針の先にくくりつけられてて、そこに落ちたキの神が切られてばらばらになったのか?」
天宮くんが口にした話は、なるほどと思う一方で、首を捻るものでもあった。
「わっちはこれを、キイチという男に渡しんしたが」
「え? あ、もしかして私の絵の引換券をもらうかわりに渡した品って?」
「これでありんす」
「またあいつの仕業か? それとも、あいつの店でこれを買った奴か・・・いや、でも、なんのためにこんなことを」
天宮くんと二人、頭を傾げるばかりだった。
誰が犯人だったとしても理由はまったく不可解で、せいぜい、ただのいたずら、というくらいしか思いつかない。
ともあれ、今は犯人探しよりキの神様を天へとお返しするのが先決。東天紅の時間を逃せば、神様は天へと帰れないらしいから、決して遅れられない。
半ば壊れた箒を使って砂埃を払い、天宮くんがへこんだバケツで汲んで来てくれた川の水をまいたり、忙しく掃除を進める。
儀式のためのお清めって、どうやらただきれいに掃除をすることらしい。
これなら私にもできる。
付き合いのいい一つ目入道さんも手伝ってくれて、大禿さんと否哉さんは貯水タンクに座り、私たちの様子を眺めていた。
おふたりは着物が汚れるのが嫌なんだそうだ。
もともと、これは人間の問題なんだから、無理に手伝ってとは言えない。
念入りに掃除するうちに、高く昇った月は傾いてくる。
「儀式の間は絶対にここから出ないでな」
大体きれいになってきたら、天宮くんが屋上の隅で、チョークを使って陣を描いた。
以前にも見たことがある、姿を隠す結界というものだ。何が起こるかわからないから一応、ということらしい。
やがて椿さんや古御堂ご兄弟も何やら色々なものを持って来てはあちこちに設置して、やがてすべての準備が整う頃には、東の空が紅く染まっていった。
ふと気がつけば、いつの間にかキの神様が屋上の真ん中に現れ、榊の葉と、棒に鈴がいくつも付いている楽器を握って待っていた、椿さんと対面する。
シャン―――
椿さんが鈴を振ったのを合図に、天宮くんが横笛に唇を添えた。
澄んだ音色が流れると拓実さんが笙を吹き、龍之介さんが小さな太鼓を叩きながら低く謳い出す。
音に合わせて、椿さんが舞を始めた。
いわゆる、神楽。
身動きするたび、椿さんの白い髪がきらきらと輝いて、まるで彼女自身が神様であるかのように、美しかった。
「よきかな」
傍に立つ一つ目入道さんがつぶやいた。
私は結界の中で、思わず感嘆が漏れるのを手で押さえた。
やがてキの神様にも変化が現れ始める。
少しずつ、青白い光がキの神様を包んでいくのだ。最初はかすかだった光が、だんだんと強くなり、まばゆくなり、
―――シャン!
椿さんが大きく鈴を振った時、キの神様の体が飛んだ。
光の軌跡を残して、紅い天の向こうへ、消えてしまった。
椿さんも、天宮くんも、龍之介さんも拓実さんも、東に深く深く頭を下げた。私もそうしなければいけない気がして、座ったままできる限り頭を下げる。
やがて現れた朝日があまねく地上を照らし出し、一連の騒動は、こうして幕を閉じたのだった。




