空蝉
「さて、じゃあそろそろ本当にここの妖怪をなんとかしましょうか」
衝撃的な告白でちょっと忘れてしまいそうになっていたけど、私たちはいまだに閉じ込められたまま。
だんだん日暮れの時間も近づいてきているし、早いところ解決策を見つけなくてはいけない。
「煉、三階にそれらしい妖怪はいなかったのね?」
「・・・ああ」
答える天宮くんはちょっと不機嫌そうな感じだった。
やっぱり、恋人発言に怒ってるのかな。そりゃあそうだよね、だって相手がよりにもよって私なんだもの。ほんと、ごめんなさい。
「私のほうも見つからなかったのよねー。どこか見逃してるのかしら。もう一度だけ調べてくるから、あんたはここでユキちゃん守ってこいつら見張ってなさい」
「椿さん、僕がお供しますよ!」
「それが嫌だから見張らせるんだっつの」
ちっ、と最後は舌打ちまでして、椿さんはお兄さんの申し出を無下にし、どこかへ行ってしまった。
でもお兄さんはめげずに「たまらないなあ!」と縛られたまま身悶えていた。
うーん、たくましいって言うのかな? こういうの。
「・・・佐久間、こっち来て。離れてっと危ないから」
「あ、う、うん」
兄弟の前で腰を降ろした天宮くんに呼ばれ、私もその傍に座る。
ついさっきの恋人とかのくだりが気になってしまって、いつもより少しだけ彼との間をあけた。
クラスでも散々からかわれてるけれど、天宮くんのいる前であんなにはっきりと言われたのは初めてで、どうしていいかわからない。
ごめん、と謝るべきなのか、まったく話には触れずに気にしてないふうを装うべきなのか、でも触れないのもかえって不自然な気が・・・いや、もう何を言ってもおかしくなる気がするし、こうして微妙な距離をあけて黙り込んでいるのも意識してることがバレバレな感じがする。
ああもうだめだ、やめやめ。
意識してると思われたくないなら考えないことだ。
うん、そうだ。別のことを考えよう。
そうして私の視線は当然のように、目の前のご兄弟に向けられた。
お兄さんは、見たところ二十代くらいかなあと思う。彫りが深い特徴的な目鼻立ちをしていて、派手な印象を受ける。
髪を明るい金色に染めているのが、よく似合っている。
格好は白いシャツに黒のベストとスラックス、紐ネクタイという、この場では汚れが気になってしまいそうなフォーマルスタイルだ。
ジャケットを羽織ればお洒落なサラリーマンに見えそう。
弟さんは、改めて見ると私たちとあまり年が変わらないように思える。
髪は短く刈りこまれ、野球でもやってそうな感じ。もしくはバレーとかバスケとか。
背がとても高く、手足が長い。
お兄さんと顔はそんなに似てなくて、並ぶと地味な印象を受けるけど、ずっと閉じていた目を不意に開き、こちらに顔が向けられた時、その目が異様に鋭かった。
油断していたところまっすぐ睨みつけられ、肩が勝手にびくんと跳ね上がる。
視線が体に突き刺さった感じがした。
目で射抜かれるって、たぶんこういうことだ。
お、怒ってる、のかな? じっと見ちゃったから? それとも縛られたままだから?
でも勝手に解くわけには・・・あ。
私は思い出し、きちんと座り直して深々と頭を下げた。
「この間は、ありがとうございました」
「うん?」
お兄さんのほうが、怪訝そうに私のほうを見たので、説明する。
「先日、妖怪に通せんぼされて困っていた時、弟さんに助けていただいたんです。あの時はお礼を言えなくて、だから、ありがとうございました。おかげで家に帰れました」
「お前、そんなことしたのか?」
「した。報告もした」
「そうだったか?」
「兄貴、時々俺の話聞いてねえだろ」
家族に対するぶっきらぼうな物言いは、少し天宮くんにも似ている。
「お前が人助けをするとは珍しい」
「仕方なくだ」
弟さんは無表情ながら鋭い目を私へ向ける。
「馬鹿みたいに妖怪に謝り倒して、通してください通してくださいって頼み込んでんのがイライラしたんだよ。一発殴りゃ消えんのによ。そんなの監視してんのがアホらしくなっただけだ」
吐き捨てるように言われて、なんだか申し訳なくなり、再び頭を下げる。
「ご、ごめんなさ」
「謝らなくていいから」
そしたら天宮くんに肩を掴まれて起こされた。
「佐久間はその妖怪のことを知らなかったんだ、不用意に手を出すほうが危ない。ってか、こそこそ後をつけてた奴に言われる筋合いはねえ」
そうして天宮くんは弟さんを睨む。弟さんはそれに一瞥を返しただけで、また目を閉じた。
「あ、あの、お名前を伺ってもいいですか? 私は佐久間ユキといいます」
気を取り直し、基本的な質問をしてみた。するとお兄さんがにこやかに答えてくれる。
「僕は古御堂龍之介。弟は拓実だ。先ほどはどうもすまなかったね。しかしこれも愛のためなんだ。わかってくれるね?」
「え? あ、えと、はい」
「わかるかよ」
ぼそりと天宮くんが小さく言ったけれど、龍之介さんには聞こえなかった模様。
「だがやはり正攻法でなくば心には響かないようだ。もう人質に取るようなまねはしないよ。安心してくれたまえ。監視も打ち切る。本当にすまなかったね」
「い、いえ、気にしないでください。私は大丈夫でしたから」
椿さんとのやり取りから一体どういう人なのかなと思ったけど、案外、いい人そうだ。もしかして普段はこういう感じなのかな。
「古御堂さんたちは祓い屋さんなんですか?」
「そうだよ。天宮とは商売敵でね。仕事を取り合う間柄なのさ。僕と椿さん、まるでロミオとジュリエットのようじゃないか? 悲劇だよねえ」
「え? ええと、はい、そうですね」
「しかぁしっ、僕は運命などに屈しはない! 必ず椿さんをこの腕に抱いてみせる!」
「は、はあ・・・」
「佐久間、無理に相手しなくていいよ」
やっぱり椿さんが絡むとおかしな感じになるみたい。ここまで好きなんだと応援したくなるけど、椿さんは本気で嫌がってるみたいだったから、なんとも言えないなあ。
「今はこの状況をどうするかだろうが。お前らなんか知らねえの?」
あぐらをかいた天宮くんが投げやりに尋ねると、拓実さんが無表情に答えた。
「とりあえず縄解け」
「椿に言え。勝手なことすると俺が仕返し喰らうんだよ」
「拓実、こういうプレイも楽しめるようにならないと大人になれないぞ」
「兄貴の趣味は合わねえんだよなあ」
「どうでもいい話をするな。なんか知ってんのか、知らないのか、どっちだ」
「ここに様々な妖怪が集結しているのは知っているが、残念ながら他には何も」
縛られたまま龍之介さんは器用に肩をすくめた。
「――佐久間様」
その時、女の人の声が聞こえた。
辺りを見回すと、薄暗い廊下の影の中に、白い顔が浮いて見えた。もっとよく目を凝らすと、菊の柄の朱色の着物を着ている子供の姿があるのがわかる。
「大禿さん! あ、天宮くん大丈夫ですっ、知ってる妖怪です」
咄嗟に右手に炎を出現させた天宮くんを押し留め、私は暗闇に佇む大禿さんに声をかけた。
「おひさしぶりです。ここにいらっしゃったんですか?」
「あい。少々お話をしたいのですが、そこなる祓い屋どもは、近づいても噛みんせん?」
「もちろんです」
大禿さんがそろりと闇から出る。
「この度は何が起きているのか、ぜひお尋ねいたしたく。急に天宮の女が現れ、さんざ暴れ回ったかと思えば、逃げようにも外に出られなくなる始末。ひとまず闇に身を潜めておりんしたが、佐久間様のお姿をお見かけし、こうして事情をお伺いしたく参上いたしんした」
「そ、そうでしたか。あ、でも、私たちもよくわからないまま閉じ込められているんです」
「佐久間様でもご存知ありんせんか」
「すみません」
「・・・いえ。近頃は妙な妖怪も増え、おかしなことばかりでしたから、これも何者かの仕業なのでござんしょう」
「妙な妖怪って、最近になって増えたんですか?」
「ええ。ちょうど、わっちが佐久間様のもとをお訪ねした頃からでしたか。そこらで呆けている妖怪をよう見んした。この屋敷の中にもたくさんおりんしたが、天宮の女が暴れたゆえ、どこかへ隠れたようで」
大禿さんが私を訪ねた頃というと、夏休みの初日だ。おかしな妖怪たちはその頃から出現するようになり、今、ここに集結している。
大禿さんは特に変わった様子はないし、少なくとも妖怪がおかしくなったのはこの場所が原因ではないようだ。
「そうそう、さらにおかしなことに、佐久間様に以前描いていただいた絵もここでなくなりんしたわ」
「なくなった?」
「ええ、この通り」
袖から大禿さんが取り出した紙。
受け取って見てみると、真ん中の一部分が白く消えている。
一つ目入道さんが持っていた絵と、まさしく同じだった。
「――ん、おぉ?」
煙管をふかしていた一つ目入道さんが、不意に声を上げた。
大きな一つ目の視線の先を辿ると、そこにもう一つの目があった。
「ここにおったかよ」
一つ目入道さんを見て、一つ目入道さんが言った。
廊下の向こうにいる一つ目入道さんと、私の傍にいる一つ目入道さんは、まったく同じ姿をしている。
けれど後から現れた一つ目入道さんは様子が明らかにおかしい。
だらりと両腕を下げ、大きな一つ目はゆらゆらして焦点が定まらない。
そして、
「た、そ・・・た・・・そ・・・」
ゆっくりと、うわごとをつぶやきながら、歩いてくる。
そしてその背後の闇から、一つ目入道さんと同じ様子の妖怪たちがたくさん、私たちのほうへ向かってきていた。
「あれ」
大禿さんも声を上げる。
無理もない。
だって、歩いてくる妖怪たちの中には大禿さん、それにこの間、この山で描いたばかりのネネコさんの姿まであったのだから。
彼女たちだけじゃない。
他のすべての妖怪が、私にとって見覚えのある姿ばかりだった。
「下がって佐久間!」
天宮くんが前に出る、その後ろから私は叫んだ。
「わ、わかりました! 様子のおかしな妖怪たちはみんな、私が絵に描いた妖怪です!」
にわかには信じられない。
でも、本物の一つ目入道さんたちがここにいる以上、もう一つは確実に偽物。
「絵から、抜け出した・・・?」
龍之介さんの呆然としたつぶやきが背後に聞こえた。
天宮くんはいつの間にか手に細長い棒を―――拓実さんが使っていた朱塗りの棒を握っていて、それで一番前にいた偽の一つ目入道さんのお腹を突いた。
防御しようとする気配もなく、巨体は後ろの妖怪たちを巻き込んで倒れる。
音もなく床に崩れ、動かなくなった、瞬間。
妖怪たちの体が突然、光り出した。
細かい光の粒子がいくつも飛び散ると同時に、目にもとまらぬ速さで壁を床を跳ね回る。
「なんだなんだぁ!?」
縛られている龍之介さんと拓実さんは動ける限りで飛んでくる光を避けている。
光に当たらないほうがいいのだろうか、と思っても避けるなんて無理だった。
「――っぁ!?」
全身に光がぶつかる。
体が痺れ、目を瞑ったらもう、何も見えなくなった。




