緋色の肖像
幾千もの花びらが、町の空を舞っている。
多くの人に待ち望まれていたというのに、当の桜はそんなの知らないとばかりにあっという間に散ってしまうんだから、いっそ清々しい。
かわりに散り際さえも美しく、私たちの目を楽しませてくれる。
本当に、桜というのは愛すべき存在だなあと思う。
そんな、春が終わり始めた景色を横目に眺めながらの、本日最後の授業は美術。
「一枚ずつ引いてねー」
小さなビニール袋を持った相馬先生が、席を順に回っている。黒板には先生の優しげな細い字で、《人物を描こう!》とある。
一年生は、おもにデッサンを学ぶそうで、授業はじめの今日はレクリエーションを兼ね、くじ引きでペアを決め、配布されたスケッチブックにお互いを描くとのことだった。
袋の中には四つ折りになった紙が入っていて、開くと番号が書いてある。全員引き終わったら席を立ち、同じ番号の人を探す。
「ユキ何番?」
真っ先に隣の沙耶と番号を見合ったけれど、残念ながら違っていた。
「ユキに描いてもらいたかったのに~」
沙耶のほうも残念そう。陽気で気さくで、入学式から一週間も経たないうちに、すでにクラスの人気者になっている彼女は、なぜだか私と一緒にお昼を食べてくれたり、休み時間ごとの話し相手になってくれる。
私は活発なほうではないし、性格もうじうじとして、周りをイラつかせてしまうことが多いから、沙耶のような子が飽きずに私の相手をしてくれているのは意外だった。
沙耶を通じて他にも新しい女の子友達ができて、とても感謝している。彼女のひまわりのような眩しい笑顔を描けたら、どんなによかったか。
できれば相手は話したことのある友達がいいなと思いながら、回ってみたけれど全滅。周りがどんどんペアを見つけるなか、最後に残っていたのは――
「・・・」
なんという、偶然だろう。
ぼーっと紙をみんなのほうへ広げ、自分の席を立っただけの天宮くんが残っていた。書かれている番号は私と同じ、三。
おそるおそる近づいていくと、天宮くんも私に気づいた。
「・・・三番?」
眠そうに訊かれ、頷いた。私たちも他の人にならって机を脇に寄せ、椅子だけ出して向かい合わせに座る。
「じゃー、十分くらいずつでモデル役を交替しながら、ざっくり形を捉えて描いてみてください。どうしても描き方がわからない人は呼んでねー」
先生の言葉を合図に描き始め。一応、描く前に「よろしくお願いします」と言ってみたのだけど、消え入りそうな声しか出なくて、天宮くんの耳には届かなかったらしい。
彼はまったく無視して、すでに描きだしていた。
であれば自然と、最初にモデル役でじっとしていなければならないのは私ということになる。
時折、ちら、ちら、とこちらを確認しつつも、天宮くんはほとんど下を向いたまま、迷いなく描いていく。
イーゼルを使わず、スケッチブックを腿の上に置いているから、私からも彼の絵が着々とできあがっていくのがわかるのだけど・・・なんというか、とても独特だ。
目の位置がずれているし、輪郭はひしゃげているし、正面顔なのに鼻は右を向いている。少しピカソの絵に似てる。
最後にがしがしと豪快に頭を塗りつぶし、スケッチブックを閉じてしまった。作画時間およそ三十秒。
「あのさ」
呆気に取られていると、天宮くんから申し出があった。
「寝てていい?」
はいどうぞと言う以外に、私になんの選択肢があっただろう。
彼は腕組みし、かくんと頭を下げて寝入ってしまった。
この状態だとつむじしか見えないので、私は椅子ごと移動し、寝ている天宮くんの横顔を描くことにする。
目を閉じているから、睫毛の長いのがよくわかる。鼻も、唇も、顎も、すべて形よく整っている。ともすれば女性のよう。
さらさらの緋色の毛先が、白い、透き通るような肌にかかって、とても、きれい。
見ているだけで変に緊張してきてしまう。たとえ派手な髪色をしていなくても、百人が百人、きっと道ですれ違ったら思わず振り返ってしまうはずだ。普段、この顔を伏せて寝ているのがもったいない。
慎重に、丁寧に、彼の姿を写していく。色を付けられないのが残念でならない。
できればこの美しい緋色を絵具で表現したかった。多少奇異でも、深く落ちついたこの色が、彼の美しさを際立たせているから。
あぁ・・・きれいだなぁ。
無意識に、溜め息が零れる。私はクジ運があるのかもしれない。こんなにきれいな人を描けるなんて、幸せだ。
もっと、もっと描きたい。
一枚描き上げてそう思った時、ゆらり、と絵の中で何かが動いた。
目まい、じゃない。だって、そこだけが揺れている。
紙の中の天宮くんからにじみ出る、赤い、炎・・・?
顔を上げ、本物の天宮くんを見た。すると、揺れている。
天宮くんの体から炎が立ち昇っている。
ゆらゆら、ゆらゆら、立ち昇ってそれは、やがてある形を成した。
鎧を着た勇壮な緋色の戦士。
天宮くんの横に立ち、右手に持った槍は天井を貫きそうなほどに長い。
金の双眸でじっと私を見下ろしたまま、そのヒトは動かない。赤い炎を全身にまとっているのに、煙も出ていなければ、焦げた匂いもしない。そのヒトと炎で繋がっている天宮くんも同じ。
何が起こっているのか、まるでわからない。
なのに、私の手はすでに鉛筆を握り直していた。
ページをめくって、新たな紙にそのヒトを写しだす。自分でもわけがわからないくらいめちゃくちゃに鉛筆が動き、早く、早く、と誰かが急かす。
このヒトのすべてを、描き写さなくてはならない。
大きな使命感に全身が支配されていた。もう、私の意思では私を止めることができない。
夢中になって描いて描いて描いて描いて描いて描いて描いて・・・。
いつしか、私は意識を失ったのだった。
17時にもう一話投稿します。