花火
長い長い出店の列を抜けた先の、神社の近くは人もまばらだった。
お祭りの主役は本来、神様だと思うけど、この神社は長い石段を登って山の中に入ってゆかなければならないから、わざわざお参りする人は少ないよう。
けれど神社の周りの、ちょうど花火が打ち上がる方向には高い木がなく、よく見えることを私は知っていた。
普段は無人の神社だけど、今日は本殿の扉が開いていて、神主さんのような格好をしたおじさんたちが酒盛りをしていた。他にも、ちらほらと屋根の明かりの下に浴衣を着た人の姿がある。
ここが穴場と知っている地元の人たちだろう。
まずは本殿にお参りしてから、そこの濡れ縁をお借りして、私たちも花火を待つことにした。
「佐久間は毎年この祭りに来てんの?」
普段なら、二人とも黙って過ごすような場面だけど、今日は私も天宮くんもちょっと浮かれているせいなのか、自然と会話が生まれた。
「ううん、最近は全然。でも昔はよく家族で来てたよ。この場所はおじいちゃんが教えてくれて、みんなでこうして座って、花火を見たの」
「へえ」
「天宮くんのお家は、家族で来たりしない?」
「そういう家じゃないから。・・・あー、だいぶ昔に一回、翔に引っ張られて来たことあったかな。でもそんくらい。ただでさえマイペースな奴らばっかだから、あんまり一緒にいたくない。すげえ面倒」
「あはは、そっか」
「?」
「あ、ごめんね。仲良さそうだなあと思って」
家族のことはついつい悪く言ってしまいがちだけど、天宮くんの言い方や雰囲気からは気安い相手への親しみが感じられる。
椿さんには射的のコツをレクチャーされるし、翔さんにはお祭りに連れて来てもらえるし、天宮くんは末っ子として可愛がられてるんじゃないかな。
兄弟がいない身としては、うらやましい限りである。
「慧さんとは? どこか一緒に行ったりとか」
「慧は――」
言いかけて、天宮くんはふと口をつぐむ。
「なんで慧のこと知ってんの?」
怪訝そうに、眉をひそめる天宮くん。
そういえば、夏休みの最初に会ったことをまだ彼には話していなかったっけ。
単純に忘れていたというのと、特に言わなくても、すでに慧さんが話しているかと思ってた。
「夏休みの初日にね? 町で偶然知り合いになった人が慧さんの通ってる大学の人で、道に迷ってたのを案内してあげたら、慧さんと待ち合わせしてたみたいで、偶然会えたの」
「・・・すごい偶然だな。そういえば一回だけ帰って来てたか」
「慧さんから聞いてなかった?」
「あいつは自分からあんまり喋らないんだ。あれで椿と双子ってのが信じられない」
「そうなの?」
「うん。男女の双子だと、そんなに似ないって話は聞いたことあるけどな」
確かに椿さんと慧さんには、昼と夜くらいの差を感じる。ただ天宮くんと慧さんは、あのご兄弟の中では一番似てるんじゃないかと思う。
「慧は隣町で一人暮らししてるから、ほとんど家にもいないんだ」
「大学で民俗学の研究をしてるんだっけ。すごいよね」
「すごい、のかな。・・・何考えてんのかよくわかんない奴だよ。大学なんか行ったところで、どうせ祓い屋やる以外に道はないのに」
その時、どおん、という轟音と共に夜空に華が咲いた。
「あっ、始まった!」
やっぱりここはよく見える。赤や緑や黄色の光が空でぱっと弾け、さらさら落ちてゆき、途中で消える。
大輪の花が広がったと思ったら、小さなものが連続でぱぱぱぱっと弾ける。朝顔などを象った形の花火もあった。
きれい、だなあ・・・。
夜空は黒いカンバス。花火は、光が昇って開いて、跡形もなく消えてしまうまで全部含めて一つの作品。それからただの絵と違うのは音があること。
いくら私が後から思い出してこの光景を描いても、この時の迫力や感動までは表現できる自信がない。
じっくり鑑賞することができない、あっけないくらいの儚さが、また来年も見たいなあと思わせるんだろう。
何発か上がると、いったん休憩で静かになる。
余韻すら消えてからようやく、私は息をついた。
「はぁ・・・きれいだったね」
言いながら隣を見ると、目が合ってちょっとびっくりする。
「ど、どうかした?」
「・・・いや。また夢中になってたなと思って」
「え?」
ふっ、と天宮くんが笑った。
「時々、佐久間には俺に見えないものが見えてるんじゃないかと思うよ」
「ど、どういうこと?」
「佐久間は、すごくきれいな絵を描いて、見たままを写してるんだって言うだろ? でも俺には、そんなふうに見えないんだ。だから今の花火も、俺より何百倍もきれいに佐久間の目には見えるのかな、って」
「そんなことはないと思うけど・・・」
「口開いてたよ」
「っ!」
もしかして、間抜け面でぽかーんと空を見上げているところを天宮くんに見られていたの?
うわあ、思いっきり油断してた!
「わ、私のことなんか見ないでください・・・」
「ずっとは見てない。ちらっと見た時、また夢中になってんなーと思っただけ」
「ま、またって?」
「佐久間ってたまに、ぼーっと何か見てる時あるよ」
「・・・い、言ってください、そういう時は」
「別に気にしなくても。誰が迷惑してるわけじゃないし」
でも恥ずかしいですから! 言ってくれないならいっそ、気づかないでください・・・。
いいなあと思った景色や物や人を見るとつい魅入ってしまうのは癖だ。
確かにしょっちゅうぼーっとしてるかもしれない。でもまさか天宮くんにそれを見られていたとは。うう、気をつけよう。
しばらく経つとまた花火が上がる。
すると一瞬前の決意はどこへやら。
美しく開く花にやっぱり魅入ってしまう私だけど、ふと、木の上に影があるのを発見した。
気になってよく目を凝らすと、ずんぐりした子供くらいの大きさの、何か。
木のてっぺんに腰かけ、花火を眺めているようだった。
「ねえ、天宮くん、あれ・・・」
隣の彼の肩を叩き、影を指す。
「さっきからいるよ。妖怪だけど大丈夫。ただいるだけ」
「そっか。妖怪も花火が好きなのかな?」
こんなにきれいなものだもの、人外の存在だって、見たくなるはず。花火のかわりに、花火を眺めるあの妖怪の姿を、描きたいなと思った。
「――そういえば昔、私お祭りで行方不明になったらしいの」
目は上へ向けたまま、なんの気なしに私はまた話し出す。
天宮くんがこちらを見る気配がした。
「ここで家族と一緒に花火を見てた時、いつの間にかいなくなってたんだって。小さかったから、自分じゃなんにも覚えてないんだけど、朝まで見つからなかったらしいの」
「朝まで? 山の中にいたのか?」
「たぶん。結局この神社の前で見つかったらしいよ」
「・・・神隠しに遭ったわけじゃないんだよな?」
確かに山の中の神社でなんて、それっぽい。でも、私自身は本当に何も覚えていない。
天宮くんも、すぐに自分で否定していた。
「一晩だけじゃ違うか。山の中を迷ってただけかもな」
「そうかも。見つけてくれたのはおじいちゃんなの。友達の妖怪に探すのを手伝ってもらったって言ってたよ」
「佐久間のじーさんはほんと妖怪に好かれてるよな」
「うんっ。おじいちゃんのおかげで今の私がいるんだよね」
天宮くんたちと同じくらい、感謝してもしきれない。
話しているうちに花火も終わった。
気づけば木の上にあった妖怪の影は消えていた。
夜店も花火も十分楽しんだので、そろそろ帰ることにする。
振り返れば短い時間だったけど、なんだろう、すごく充実していた気がする。いつになくたくさん、天宮くんと話せた気がする。
沙耶の計らいには冷や汗をかかされたけれど、案外これでよかったなあと思う自分がいた。
考えてみれば、天宮くんと遊んだのは今日が初めてだったのだ。
もしみんながいたら、こんなにゆっくり話せなかっただろう。彼も楽しんでると言ってくれたし、沙耶に感謝しなくちゃ。
ほんわか幸せな気持ちで神社の鳥居をくぐろうとした、そんな私の目の前に、ぼた、っと何かが落ちてきた。
髪の長い女性の、生首。
地面に転がって、赤い唇がにんまりと笑った。
「―――っ!?」
天宮くんに飛びつく私を尻目に、その首はからからと笑いながら長い石段を転がり落ちていく。
「・・・大丈夫。あれは、おどかすだけで何もしてこない」
冷静に、天宮くんが解説してくれた。
危うく腰が抜けかけた私は、かろうじてそれに頷き、彼の手を借りながら石段をゆっくり降りる。
わりといい感じだったのに、最後はこうして面倒をかけるんだなあ、私って。
もっと自分をしっかりさせなきゃ。
ふわふわ心地いい気分はどこかへ吹っ飛び、いつものとおりに反省しつつ、帰路についたのだった。




