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幻想徒然絵巻  作者: 日生
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夜泣き

 和尚様に許可をいただき、私たちはまず泣き声が聞こえたという本堂のほうを探ることにした。


 薬壺を持っている大きなご本尊が、天蓋付きの台座におわし、周りの壁には仏様がたくさん描かれた曼荼羅の掛け軸や、なぜか、他のお寺や仏像の写真が載っている仏教関係のカレンダーなどがいくつか掛けられている。


 色んな置物や、よくわからない仏教の道具らしいものもあって、この中から泣き声の正体を探すのは大変だと思っていると、お狐様はおもむろにご本尊の前の、木魚を拳で叩いた。


「これ、出でぬか」


 ぽく、と一つ鳴った拍子に、たちまち木魚が膨れ上がる。


 木魚の部分を頭とし、赤い布にくるまった人型のものが、その場に現れた。


木魚(もくぎょ)達磨(だるま)だな」


「こ、これはお狐様。手前に何かご用でございましょうか?」


 その木魚達磨さんという方は、やや怯えたように、布に頭を隠しつついる。


「貴様、夜な夜なこの寺で聞こえるという泣き声の正体を知らぬか」


「泣き声、にございますか? ええ、確かに先の晩に聞いたような気がいたしまするが、声の主までは存じませぬ。お探しなのですか?」


「うむ」


「はて、払子(ほっす)(もり)ならば知っておるやもしれませぬ」


 今度は木魚達磨さんが、線香台の下にあった、もさもさした白い毛が長い棒の先に付いているものをつつく。


 途端に、その毛の下から体が生え顔が出て、白髪と髭のお坊さんのようなヒトが現れた。


「おひさしゅうございます、お狐様。しかし私も存じませぬ」


「なに? 役に立たんなあ貴様ら。我は寺の和尚に頼まれたのだぞ?」


「ああ、隆信の」


「たかのぶ?」


 実は聞いたことがなかった和尚様の名前を、思わず訊き返してしまったら、木魚達磨さんも払子守さんもぎょろりと私を見た。


「お? 我らが見ゆる人の子か?」


「冬吉郎の孫のユキだ」


 お狐様が教えると、妖怪たちは納得したようだった。


「なるほど、そういえば見たような顔ですな」


「祖父をご存知なんですか?」


「隆信の友であろう? ここにもよう遊びに来ておった」


「しかし隆信が泣き声を気にしておったとはなあ。なんとかしてやるか?」


 木魚達磨さんと払子守さんはお互いに顔を見合わせる。


「・・・和尚様と仲がいいんですか?」


 和尚様の名前を呼ぶ様子が、なんだか友達か家族のような親しさを感じる。


「いいや、話したこともない。が、こうして使うてもろておるからの」


「ユキよ。付喪神は大切にしてくれる者に幸をもたらすこともあるのだ」


 お狐様が説明してくれた。

 つまりは和尚様に感謝しているから、協力してくれるということみたい。


 それにしても、妖怪でさえわからない泣き声の正体とは、なんなのだろう。


「あの、声はどこから聞こえてきますか?」


 詳しい場所を特定できないかと尋ねてみると、おふたりはそろって首を捻る。


「はあて、本堂ではないぞ」


「我は表から聞こえてくるように思ったが」


「外ですか?」


「庭ではないかな」


「庭?」


 本堂の後ろの、庭園のことを言っているらしい。


 そこには全体的に砂利が敷かれて、敷き石や立派な形の岩、松なんかもある。

 でも木魚達磨さんたちと一緒に、木や岩をぺたぺた触って探してみたけど、それらしいものは見当たらなかった。


 一方のお狐様は、庭の真ん中に立ち、ぐるりと周囲を見渡して一言。


「夜を待つがよかろうな」


 泣き声は夜に聞こえるわけだから、それが一番わかりやすくて確実な方法なんだろう。

 けど、私は二の足を踏んでしまう。


「あ、あの、お狐様。私、夜はあまり出歩かないように言われているのですが」


「心配するな。ここは寺で、我は土地神ぞ? 神と仏がおる場所以上に安全なところがあろうか」


 確かに。じゃあ、いい、のかな? 


 一瞬、天宮くんの渋い顔が頭に浮かんだけれど、結局、好奇心には負けてしまった。


 和尚様に夜までいさせてもらえるようお願いし、それまでは本堂の縁側に座り、木魚達磨さんや払子守さんの絵を描いたり、話を聞いて夜を待つ。


 その時に、和尚様がお茶を持って来てくれた。


 ちょうど妖怪たちの昔話を聞いて、私が笑ってしまった時だ。


「楽しそうだねえ。冬吉郎も、よくそうしていたっけなあ」


 目を細めている和尚様の優しげなその瞳の中を、私はつい、覗いてしまう。


「・・・和尚様は、妖怪が見えないんですよね?」


「そうだよ」


「木魚達磨さんと払子守さんのことも、見えませんか?」


 並んで行儀よく座っている妖怪たちを示すと、和尚様はゆっくり頷いた。


「ただの木魚と払子が置いてあるようにしか見えないねえ」


 やっぱり、そうなんだ。


 和尚様の目に映るのは、いつの間にか勝手に動く《物》。手足が生えた姿は、せめて夜の暗がりで妖力が増さなければ見えない。


 そして見えたら人は驚いて逃げる。もちろん、それが妖怪の本分。


 でも、ふと考える。


 木魚達磨さんも払子守さんも、和尚様のことを小さな頃から知っている。和尚様の名前を親しげに呼ぶくらいなのだから。


 けれど和尚様はそれを知らない。彼らと話をすることはない。そのことを、妖怪たちはどう思っているんだろう。


 夏休みの初日に出会った、納戸婆さんのことを思い出す。


 人と妖怪の多くは、触れ合うことができないし、また仮に触れ合うことができたとしても、相容れないものでもある。


 それは、しかたのないことではあるのだけど・・・。


 私は、一枚の紙に並んで描いた、木魚達磨さんと払子守さんの絵を、丁寧にスケッチブックからちぎり取り、和尚様に渡した。


「もし、よければ持っていてもらえませんか?」


「これは?」


「おじいちゃんのようにはまだまだ描けませんが、今の私の精一杯の絵なんです」


 和尚様は絵をじっくりと見て、それから木魚達磨さんと払子守さんのほうを見やった。


「これが、そこにいるのかい?」


「はい。和尚様たちがずっと大切に使い続けてくれたから、命が宿ったんです。この絵がその証拠です」


 たとえ和尚様が直接彼らと口を利くことができなくても、確かに在ることを示したい。そして彼らをこれからも大切にしてほしい。


 そんな私の勝手な気持ちを、和尚様は柔らかい笑みとともに受け取ってくれた。


「ありがとう。ユキちゃんの心がこもった絵だ、大事に飾っておくよ」


「え? いえ、飾るまではしなくても・・・」


「そのほうが妖怪たちも喜ぶだろうよ」


 和尚様は絵を額に入れると言って、いそいそとご自宅のほうへ行ってしまった。


「我らからも礼を言うぞ」


 声に振り返れば、木魚達磨さんたちも穏やかに微笑んでいた。


「ぬしは優しい娘だなあ」


「いえ、そんな・・・私は、絵を描いただけですから」


 私にできることなんて本当にこれしかない。けれど、これだけのことでも誰かに喜んでもらえるのなら、それは、とても幸せなことだ。




 それからまったりと妖怪たちと時間を過ごしていれば、すっかり夜となる。


 夜間は本堂が閉められてしまうので、お寺の大切な備品である木魚達磨さんと払子守さんは残念ながら不参加。

 お狐様とアグリさんと私で、引き続き庭に面した本堂の縁側に座り、泣き声を待った。


 今夜は空に月がない。

 三日月だったので、日が暮れると間もなく沈んでしまった。そのかわり、星がきれいに見える。


 闇の中でお狐様は耳に加えて九尾も現し、ふわふわの毛が体に当たる。特に何も見た目の変わらないアグリさんは、私の膝の上に乗って満足そうにしていた。


「お狐様は何が泣いているんだと思いますか?」


 もしかしたら、お狐様はもう見当が付いているんじゃないかと思い、訊いてみると、


「ユキはなんであると思う?」


 と、返されてしまった。


「ええ? うーん、幽霊、とかでしょうか」


「ちと違うな。泣き声が聞こえたら地面をよく探すとよい」


「地面?」


 やはり、お狐様はすでにわかっている様子。さすが。


「――しかし、この状況を天宮の小僧が知ればさぞや怒るであろうな」


 くくく、とお狐様は楽しげに笑い出した。


「夜に出歩くなと申してきたは天宮であろう?」


「はい。だけどお狐様と一緒なら、まだ怒られないかと」


「そうか? 奴らは妖怪など信用せぬであろう」


「でも、お狐様は土地神様ですから」


「人に祀りあげられたに過ぎぬ。所詮は、我も妖怪よ」


 うーん・・・でも確か前に翔さんが、人によって神格化された妖怪は祓い屋の敵にはならないと、言っていた。

 敵じゃないってことは、味方ってことだろう。


「天宮くんはお狐様のところに行くなとは言わないですよ? 西山の妖怪たちが遊びに来ても追い払ったりしませんし、信用してるんだと思います」


「あの小僧は色々と甘いからな」


 私からすれば甘いというより、優しいというほうが近いかな。本当は妖怪と関わらせたくないのに、私の友達だから許してくれている。


「子供ゆえのものやもしれんが、天宮にしては珍しい」


「お狐様は、天宮くん以外にも天宮家の方とお知り合いなんですか?」


「少しはな。奴らがこの地に参った時よりの長い付き合いだ。敵対したこともあったし、手を貸してやったこともなくはない」


 そこまで聞いて、あれ? と思った。


「お狐様は土地の守り神で、天宮くんたちもこの土地を守る人たちなのに、敵になる場合があったんですか?」


 両者は対立するものではないはずだ。


 そりゃあ、お狐様は妖怪だし、昔はこの土地で暴れていたらしいけれど、お社を建ててもらってからはそんなことはなかったと聞いている。


「奴らが己らの役目にひたすら忠実であるならば、敵とはならぬだろう。だが――憐れな者たちなのだ、天宮という一族は」


「え?」


「人の身で神を宿すということは、ある意味では人をやめることに近い。人でなく、妖物でなく、さりとて神でもない。天宮とは、天宮としか呼べぬものだ」


 なんだか同じようなことを、以前アグリさんからも聞いたことがある気がする。


「・・・よく、わかりません」


「では問うが、ユキよ。ある人の子が山を持ち上げたとして、果たしてそやつは人と呼べるか?」


「や、山ですか?」


「むろん人が山を持ち上げられるわけがないな。ならばそやつは人ではない化け物だと思わぬか?」


「そう、ですね・・・あっ」


 そっか。

 お狐様の言いたいことがわかった。


 天宮家の人々は神様が宿っているから、普通の人よりも強い力を使える。


 天宮くんがいつでもどこでも妖怪たちを祓う不思議な炎を発生させるところは、これまで何度も見てきた。

 それに加えて、彼は私を背負って高い木に飛び移れるくらい、身体能力もかなり高められている。


 普通の人ではあり得ない力を持つから、天宮くんたちは人ではないということを、お狐様は言いたいのかな。


「その身は確かに人なのだ。しかし神が宿っている状態の天宮を、人とは言い難い」


「・・・そんなこと、ないですよ?」


 ほとんど悩みもせず、言葉が勝手に口を突いて出ていた。


「天宮くんたちは人です。神様が宿っている状態でも」


「ほう?」


「だ、だって、そうですよね? 人の体と心を持って、人の中で生活しているんですから」


 ちょっと不思議な力がなんだというのだろう。

 普通の人と違うというなら私だって、みんなに見えないものが見える。


 そもそも《普通》だって色々だ。天宮くんたちが何者かなんて、疑問に思う余地もないくらい私にとってははっきりしてる。


「そうか」


 お狐様の声音には、かすかに笑みが含まれているように感じた。


「我としたことが、愚問であった。人か化け物かなど、そなたには些末なことであったな」


 そうしてお狐様は頭をなでてくれる。その手は温かくて、優しくて、これもまた人と変わらないものに思える。


「――あ、でも、天宮くんたちが人じゃないかもって思うのは、少しわかる気がします」


「ふむ?」


「天宮家の方々は皆さん、すごく美人なので。ちょっと怖いくらいに」


 面と向かうと恐縮してしまうというか。さすがに天宮くんには慣れてきたけど、まだまだどきりとさせられてしまうことがある。


「でも優しい方たちです」


「・・・ユキよ」


 不意に、頭の手が離れて、お狐様に真面目な雰囲気で呼ばれた。


「何を信じるかはそなた自身が決めればよいが、くれぐれも足元をすくわれぬようにな」


「は、い?」


「困った時は我を頼るがよい。いつでも我は、そなたの味方だ」


「? はい、ありがとうございます・・・」


 結局、お狐様が何が言いたかったのかは、あんまりよくはわからなかった。


 ちょうどその時、すすり泣く声が聞こえてきたのだ。


「始まったぞ」


 さめざめと泣く悲しい声。それだけでは、性別や年齢などもわからない。


 和尚様に借りた懐中電灯をつけ、慎重に庭に出て、音の出どころを探る。


「ユキ、あれだ」


 お狐様に示された先に、ぴかぴかの黒い石があった。子供が二、三人、並んで座れそうなくらい大きい。


 少し怖かったのでアグリさんを抱きしめつつ、半信半疑で近づいていくと、確かに泣き声が大きくなった。


 裏を覗きこんでも、隠れているものがいるでもない。

 それでようやく、私は石自体が泣き声を上げているんだと気づけた。


「夜泣き石だ。さあて、何をそんなに悲しむことがあるのか」


 お狐様がおもむろに石に手を添えると、泣き声はぴたりと止まる。


「答えよ。貴様の望みを叶えてやろう」


 すると次にはぼそぼそと、消え入りそうなかすかな声で石が語りだした。


 よほど悲しい気持ちだったのか、泣きながらでところどころ支離滅裂になった石の話をなんとか聞き出しまとめると、こういうことだった。


 この夜泣き石さんは、五日前に南山からこのお寺に運ばれたもの。ところが、それまで過ごしていた場所が忘れられず、帰りたくて帰りたくて泣いていたのだという。


 妖怪ではあるようなのだけど、木魚達磨さんや払子守さんのように化けて動くことができないらしい。帰るに帰れない状況がまた悲しくて泣いてしまった。


 夜泣き石さんの望みは、元いた場所へと帰ること。


 事情がすっかりわかったら、私は一度、和尚様のお家へ行き、そのことをお話しした。

 実際に和尚様も夜泣き石さんを確認し、


「そりゃあ、当の石がそんなに帰りたいというなら、帰してやらねばならないだろうね」


 と、快諾してくれた。


 なんでもその夜泣き石さんは、もともと南山の麓にある、廃校になった小学校の庭にあったものらしい。

 それが今度、校舎の解体工事をすることになったので、重機を入れる妨げになっていた夜泣き石さんを、お寺で妖怪とは知らずに引き取ったのだそうだ。


 小学校の敷地に戻して、またどこかに持っていかれてしまってもなんなので、その近くの邪魔にならない場所に戻すということで夜泣き石さんにも納得してもらった。


 でも、どうやってこの大きさのものを運ぶかが問題だ。


 ――そう思っていたら、なんとお狐様が片手で軽々持ち上げ、さらにもう片方に私とアグリさんとを抱え、目的の山まで空を飛ぶように移動し、あっさり解決してしまった。


 闇に沈む古い小学校の後ろの、山林の中に夜泣き石さんを据え、ひと仕事終わり。


「・・・ふむ」


 夜泣き石さんを置いたお狐様は、すぐに動こうとしなかった。


 月明かりも街灯もない山の中。でもちらちらと、何か光るものが少し遠くに見える。

 

「・・・蛍?」


 小さくか細い光で、咄嗟にそう思えた。濃い陰に沈む廃校の周りを飛んでいる。

 でも、蛍にしてはちょっと光の色が白っぽいような・・・?

 あんまり見たことがないので、よくわからないけど。


「この間の雷は、ここに落ちたようだな」


 その時、お狐様がぽつりとつぶやいた。

 雷、と聞いてなんのことだったか記憶を辿る。もしかして、前に宴会に招いてもらった夜のことかな?


 雷が廃校に落ちた痕か何かが、お狐様には見えるのかもしれない。


「近寄らぬほうがよさそうだ」


 お狐様は私をしっかり抱え直し、一足で山を出た。


「やあ今宵は働いた。うまい酒でも飲みたいなあ」


 大きく空を跳躍しながら、途中でそんなことをおっしゃる。

 そう言われたら、お誘いせずにはいられない。


「あ、では、大天狗様がくださったお酒を飲みにいらっしゃいませんか? この前お招きいただいたお礼に」


「おおっ、飲む、飲むっ」


 ということで、お狐様を家にご招待した。


 この時点でまだ夜の八時くらいだったから、暖かい夕飯を肴に、お狐様とお父さんとお母さんとで酒盛りをして、唯一お酒が飲めない私は、後でへべれけな人たちのお世話をする羽目になった。


 お父さんもお母さんもお酒強くないくせに、天狗の強いお酒をがばがば飲むんだもの。


 なのでその日、私がようやく眠ることができたのは、お父さんもお母さんも酔い潰れて、お狐様が西山にお帰りになった、明け方近くになってから。


 だからもう頭がへろへろで、その日に見聞きした不思議なこと全部、よく考える間もなく、忘れて寝てしまったのだった。

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