大学生のお姉さん
お店の前で待っていてくれた日向さんと合流し、さてどこに行こうと頭をひねる。
「ええと、何か、食べたいものはありますか?」
「何がお勧め?」
と言われても、特に名物があるわけでもない町で、しかも私は北側の地区は詳しくない。
日向さんに希望はないらしかったので、結局、近くにあった適当な喫茶店へ入ることにした。
コーヒーの香り漂う、レトロな雰囲気のお店は昼時も特に混んでない。
なので悠々と窓際の二人がけのテーブルに座り、日向さんはナポリタンを、私はメニューの一番上にあったサンドイッチを頼んで、待っている間、改めてお互いに自己紹介をする。
聞けば日向さんはここから電車で一時間の、隣町にある大学に通っている学生だそうで。
やっぱり、と思った。見るからに「大学生のお姉さん」って感じだもの。
「偶然入ったお店で妖怪絵を見つけて、おまけにあの佐久間画伯のお孫さんに会えるなんて感激だわ。これも妖怪のお導きね」
両手を頬に当て、日向さんはとても嬉しそう。
妖怪と聞いて思わずどきりとしてしまうと、まるでそれを見抜いたかのように、日向さんが細めていた両目を、ぱっといきなり見開いた。
「あなたも妖怪が見えるのよねっ?」
人の少ない店内で、なかなかの声量で言い放つ。
あまりに唐突なことだったので、私は質問の意味を捉えるのにむやみに時間がかかってしまった。
えっと・・・妖怪が見えるのかと聞かれたんだよね。
日向さんが買った妖怪絵は私が描いたものだと言いはしたけど、普通は想像で描いたんだと思うだろう。
でも日向さんはほとんど確信を持って「そうでしょう? そうなのよね!」とものすごく押してくる。
彼女は妖怪の存在を信じているのか、もしくは、妖怪を見ることができる?
妖怪が見えない人に自分が見えることを明かすのは未だに抵抗があるけれど、同じ見える人なら、むしろ明かしてお話ししたい。
「あ、あの、日向さんは――」
「美月って呼んで? 苗字で呼ぶのは好きじゃないの。私もあなたを下の名前で呼んでいいかしら?」
「は、はい、どうぞ」
美月さんというお名前は響きがきれいで、とても素敵だ。
苗字と名前に日と月が入っているなんておもしろいなあと頭の隅で考えつつ、途切れた質問を再開する。
「えと、美月さんは、その、妖怪が・・・」
「見えるわ」
即答された。
「ユキちゃんも、ユキちゃんのおじい様も妖怪が見えるのよね?」
「は、はい、そうですっ」
私も思わず興奮してしまって、ほとんど反射的に頷いていた。
「やっぱり! そうだと思ったわ、だってこんな絵は」
と、美月さんは鞄の中から絵を取り出す。
「実際に見なきゃ描けないもの。精巧で、精密で、まるで存在そのものを写しとったかのようなこんな絵は、絶対に見なきゃ描けないのよ!」
「わ、私のは全然、祖父に比べたらまったくだめですよ?」
「そんなことないわ。確かに、あなたのおじい様はすばらしいわ。特に評価が高いのは初期の頃の作品だけど、事故で利き手を失くされた後の作品も私は好き。初期の頃は素直にありのままを写しとり、晩年はそれに加えて画伯のより一層強くなった妖怪への想いが、惜しみなく注がれているように感じるの。描かれている姿はおそろしいのに、なぜか、とても愛おしく感じる」
「――」
美月さんが絵に感じたことは、まさに私と同じ、だった。
おじいちゃんを絶賛してくれることももちろん嬉しいけれど、それよりなにより、自分と同じ感性で物事を捉えている人に会えたことが、とてもとても嬉しかった。
「・・・私も、私もですっ。おじいちゃんの絵が大好きだったから、妖怪が大好きになって、自分でも描きたくなったんですっ」
「それは素敵なお話ねっ。あなたの絵も、私は好きよ。おじい様とよく似てはいるけれど、あなたの絵にはあなただけの想いがある。ちゃんと伝わってくるわ。骨董屋さんが言ってたとおり、何年後かには本当にすごい価値になってしまうかもね?」
「そ、それはさすがにないですっ」
「でも、誰にいくらお金を積まれても絶対にこの絵は渡さないわ」
美月さんは絵を抱きしめて断言してくれるものだから、私はなんだか嬉しいやら申し訳ないやら。
そんなタイミングで、頼んだ料理が運ばれてきた。
美月さんはいったん絵をしまい、さっそくフォークでスパゲッティを巻き始める。
「私もね、ユキちゃんのおじい様の絵を見て妖怪が好きになったの。うちに少しだけだけど、おじい様の絵があるのよ」
もとからの知り合い以外で、実際におじいちゃんの絵を持っている人に会うのは初めてだ。
世間でおじいちゃんの絵はほとんど知名度がないけれど、こうして好きだと言ってくれる人を前にすると、誇らしい気持ちになる。
やっぱりおじいちゃんはすごいんだ。
「それで大学では民俗学を勉強してるのよ」
「民俗学、ですか?」
「妖怪や神様のことを研究してるの。ほら、この町には妖怪の伝説が多いじゃない? 九尾狐や、大天狗、山姫に、河童とか」
天宮くん曰く、この土地は気の関係で妖怪が集まりやすい土地になっているらしいので、そうなのかもしれない。
怪異が多いからこそ見回りが必要になってくるのだ。
「では、この町には研究のために?」
「それもなくはないけど、家の様子を見に来たの。実は小さい頃、私もこの町に住んでいてね? 小学生の時に隣町へ引っ越したの」
「昔のお家を見にいらしたんですか?」
「そうよ。もともと祖父母の家で、ずっと放置してたんだけど、今度、取り壊すことになってね。その前にもう一度だけ見ておきたくて。この住所、わかる?」
メモを渡されて確認すると、お家は町の南のほうにあるのがわかる。とすると、駅を降りてから美月さんは反対方向に歩いて来てしまったわけだ。
そのことをお伝えすると、「あら、そうだった?」と美月さんはちっとも気にする様子なく、にこにこしていた。
「なにせ十年以上も前のことだから、全然道を覚えてないの。でも迷いながら目的地を探すのって、楽しいじゃない?」
うーん・・・なんだか、このまま放っておくと、とんでもないところに迷いこんでしまいそうな気がする。
すでにキイチさんのお店に迷いこんでいたし。
この町は本当に妖怪が多いから、あまり変な場所に行ってしまうと危ない。
「あ、あの、私でよければご案内しましょうか?」
詳しい場所は近くに行って、電柱などにある番地と住所を見比べていけば、たぶん辿り着けると思う。
「ほんと? ありがとう、助かるわっ」
よけいな申し出かなと心配したけれど、美月さんは喜んでくれているようだった。
お昼を食べ終えたら、さっそくお家へ向かう。なお、結局、お昼は美月さんになんだかんだと押し切られ、ごちそうになってしまった。
こうなったら、しっかり道案内の務めを果たさなければ。
密かに気合を入れていると、「ちょっと待ってね」と美月さんは携帯を取り出し、どこかへかけ始めた。
「もしもし? あのね、予定変更。現地集合にしましょ。実は案内してくれる子を見つけたの。着いたら紹介するわ。それじゃあ後で」
ほとんど一方的に話して、美月さんはさっさと通話を切ってしまい、「行きましょ?」と私に促す。
「ユキちゃんにも着いたら紹介するわね」
「え?」
「私の大学の先輩。この町の出身でね? ちょうど実家に帰る用事があるって言うから、その用事が終わったら案内してもらう予定だったの。だけど、待ち合わせの時間よりだいぶ早く駅に着いちゃって。じっとしていられなかったのよ」
この町の駅は無人で何もないし、確かにじっと待つのは退屈かもしれないけれど・・・道もわからないのに平気で進んで行けてしまうなんて、美月さんって、すごい人だなあ。
「その人も妖怪が見えるのよ」
「えっ、そうなんですか?」
うっかり声が裏返りそうになった。
妖怪に会うより、妖怪が見える人に会うほうが珍しい。今日だけで二人も知り合えたらほとんど奇跡だ。
なんだろ。やっぱり見えるから、妖怪を学問として研究したくなったのかな。
「きっと仲良くなれると思うわ」
初対面の人に会うのはとても緊張するし、うまく喋れるかわからないけど、私もできれば色々とお話ししたい。
もっとも、私は美月さんを案内するだけだから、長居をしてはいけないけれど。
どんな人かなあと内心でどきどきしつつ、美月さんと一緒に住所の番地を確認しながら少しずつ進み、やがて目的地に辿り着いた。
なかなかに時間をかけてしまったので、着いた時には、お家の前にすでに人影があった。
「ごめんね、待たせちゃった?」
小走りに美月さんが駆け寄る。
一方の私は、足が止まってしまう。
お会いできるのを楽しみにしていたけれど。
実際目の当たりにしたら、咄嗟に近寄ることができなかった。
まるでアジサイのような、鮮やかな青紫の髪の、その人に。
「ユキちゃん、紹介するわね」
美月さんの明るい声が響く。
「この人は天宮慧。同じ研究室の学生なの」
まさかこんなところで、しかもこんな形で、天宮家の方にお会いすることになるとは、まったく予想だにしていなかった。




