あこぎな商売
屋根の傾いた古美術店は、線路沿いの寂れた飲み屋街の一角にある。
人通りはまったくない。もっともここに限らず、この町自体が田舎なので、どこも人通りは皆無に近いわけだけど。
「ごめんください」
がらがら音の立つ引き戸を開き、中に入ると、陳列された商品の量にまず圧倒される。
多すぎて棚に並びきらず、床にも散乱しているため、ジャンプしないと先へ進めないところがある。
物で見えない奥のほうからは、話し声が聞こえていた。
「これ、こっちはどうです?」
ちょっとかすれ気味の、関西弁、のようなちょっと違うような、独特ななまりのあるほうがキイチさんの声だ。
もう一つは若い女性のようで、「わあぁっ!」と興奮した感じの、悲鳴のような歓声のような。
どうやら接客中で、私が入って来たことにも気づいていないみたいだった。
こっそり物陰から覗いてみると、タオルを頭に巻いたキイチさんが、カウンター越しに、明るい茶色の髪をした女性へ絵か何かを見せている。
・・・って?
キイチさんがカウンターの上に立てているのは、それらしく額に入れられた、笑顔の一つ目入道さんのスケッチ。
もしかしなくても私の絵!
「これは貴重でっせ~、まだ市場に出回ってない佐久間冬吉郎画伯の遺作で」
さらにキイチさんがとんでもないことを言い出したので、私は我慢できずに飛び出してしまった。
「あの!」
「ほへ?」
物に躓きつつ奥へ向かう私に、キイチさんは気づくや瞬時に絵をばたんと裏にして倒す。
今さら隠されたって、もう見えてしまった。
「それは私の絵です!」
叫ぶと、顔を背けたキイチさんから、ちっ、という音が聞こえた。
「どうして私の絵がっ・・・」
訊いている途中で、思い出した。
あの一つ目入道さんの絵は、前に白児さんの琴を盗んだ犯人を捕まえるため、囮として美術室に置いていたものだ。
影女さんはそれをしっかり持ち帰っていたんだ。
「いらっしゃいお嬢さん。今日は何をお探しなんで?」
こちらへ顔の向きを戻した時にはもう、キイチさんはへらりと軽い笑みを浮かべ、とぼけたような口調だった。
「わ、私の絵をおじいちゃんの絵だと言って、売っているんですか?」
「まあまあ細かいことはええでっしゃろ」
「細かくないです!」
「だってそっくりなんやで? いやぁ~お嬢さんはすごいっ。その若さで画伯と同じ腕前をお持ちなんやから」
「持ってません!」
キイチさんは全然まともに取り合ってくれない。
のらりくらりと、何を言ってものれんに腕押し状態で、私のほうがどんどん焦ってしまう。
「と、とにかく私の絵を売るのはやめてください! そんなもの、なんの価値もありませんから!」
「そう言わはってもねえ」
キイチさんは余裕の態度で、カウンターに頬杖をつく。
「ええでっか、お嬢さん。この店にあるもんはすべて手前のもんです。それを売る売らんは手前の勝手ですって」
「で、でも、おじいちゃんの絵だと嘘をついてはっ」
「そいつは言葉のアヤっちゅうやつで」
キイチさんは、再び絵を立て、私たちのやり取りにきょとんとしていたお客の女性へ笑顔を向けた。
「えろうすんまへん。てっきり画伯の絵やと思たんですが、今ご指摘がありましたとおり、こいつぁ画伯のお孫さんの絵やったみたいです。でも、いい絵でしょう? 今買っときゃあ、数年後には何十倍にも価値が上がっとりますよ、いや絶対!」
「やめてください!」
意地でもキイチさんは売る気なんだ。こうなったら!
「わ、私が買います!」
「はあ?」
最終手段を叫ぶと、キイチさんには呆れたような顔をされた。
「・・・まあ、ええでっけどお嬢さん、お金持っとるんですか?」
「す、少しなら。いくらですか?」
「そやねえ。まだ無名なんで、額こみで一万くらいかね」
「え!?」
財布を取り出そうとして、危うくリュックごと落としかけた。
「そんなにするんですか?」
「格安ですよ~。うちは現金のみ、分割払いもなしやで?」
「・・・ちょ、ちょっと待ってくださいっ。い、家に戻ればたぶん、ありますので」
すると、私とキイチさんの間に、すいと女性が割り込んだ。
腰まで伸びた髪が揺れ、柑橘の香りが漂う。
「はい。私が買います」
女性はカウンターの上に、一万円札を置いた。
「え・・・」
「まいど!」
呆然としている間に、キイチさんがお金を受け取ってしまった。
「ま、待ってください! それおじいちゃんの絵ではないんですよ!?」
人前でこんなに声を張るのは生まれて初めてだ。
この人はまだ、この絵をおじいちゃんの絵と勘違いしたままなのだと思い、誤解を解くつもりだったのだけど、
「うん。あなたの絵よね?」
「はいっ、私の描い、た・・・」
絵を持つ女性はにこにこしていて、私は一気に声がしぼんでしまった。
改めてよく見ると、女性は古美術店にはちょっと不似合いな、若い方だった。
たぶん、大学生くらい。
涼しげな水色のワンピースに、レースのカーディガンを羽織り、大きめのショルダーバッグの中から、白い帽子のつばが見えている。全体的に清楚な印象の、美人さんだ。
「あなたのお名前はなんていうの?」
「え・・・あ、佐久間ユキと、申します」
「ユキ? 冬の孫が雪なのね? すてきっ」
と、女性はなぜか嬉しそうに声を高くした。
「あなたの絵もすてきだわ。おじいさまの絵にも負けないくらい、とても上手に描けているもの。ぜひ私に買わせて?」
「そ、そんな、私の絵に価値なんてっ」
「私は欲しいと思ったわ。ね、もしよければ少しお話ししない? そうよ、一緒にお昼はどう?」
「え、え?」
「私は日向美月。あなたは、この町に住んでいるのよね? どこかいいお店を知らないかしら。お姉さんがおごってあげるから、案内して?」
なんだかよくわからない展開になってきた。
でも、一万円も出して私の絵を買ってもらって、このままというわけにはいかない。
もちろんお昼をおごってもらうためではなく、お話しをするために、私は一緒に行くことを決心した。
「やった! じゃあ行きましょうっ」
「あ、ちょ、ちょっとだけ待っててください」
手を打って喜ぶ日向さんに先にお店を出ていてもらい、ほくほく顔のキイチさんに向き直る。
「あの、もう私の絵はありませんよね?」
「へ? ああないない、ないっすよ!」
とても適当な感じの答えがかなり不安だったけれど、信じるしかなかった。
「あと、キイチさん、妖怪たちに絵の引換券を売ってますよね? 申し訳ないのですが、その、やめていただいてもいいですか? 私のところへ来た妖怪が怒っていましたので・・・」
途端に、キイチさんがぱっと顔を上げた。
「まさか、券なんか必要ないとでも言わはったんで?」
「は、はい」
「そこは話合わせるとこやん! なんてことしてくれはったんですか!? 手前が死んだらお嬢さんのせいでっせ!?」
「え、ご、ごめんなさいっ。い、一応、大禿さんには何もしないでくださいとはお願いしておきました。了解していただけたので、大丈夫だとは、思います」
「どないにしろもう券売れへんやん。恨みまっせ~お嬢さん」
「す、すみません・・・あ、あの、それと、大禿さんからいただいた品を、できれば、お返ししたいと思うのですが」
「そいつは承知できまへんなあ。大体、もう売れちまいましたし」
キイチさんの態度はすっかり投げやりだ。
「え・・・どなたが、買われたとかは」
「さあ? いちいち客の名前や住所を控えとるわけじゃありやせんのでね」
それではもう、探しようがない。
キイチさんも協力的でないし、これは、あきらめるしかなさそうだ。
大禿さんが品のことを気にしなくていいと言ってくれたのが、せめてもの救い。
「そうですか・・・わかりました。あの、お騒がせしました。失礼します」
とても不機嫌そうなキイチさんの様子に後ろ髪を引かれつつ、しかし日向さんをあまり待たせるわけにいかないので、私は足早にお店を出た。




