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幻想徒然絵巻  作者: 日生
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東天紅

 まどろみから、ゆっくりと、意識が抜けていく。


 瞼を持ち上げると、いつもより視界が暗かった。


 枕元の蛍光時計は、まだ午前四時を指している。

 閉め切った部屋の中はじっとりと暑い。それで目が覚めてしまったのかもしれない。


 新しい空気を求めてベッドを出て、カーテンを開けると、東の空が紅く染まっていた。


「わ・・・」


 日は山の向こうに隠れているのに、燃えるような色の光が、空の低くにたなびく雲を焼いている。


 私の頭上の空はまだ暗く、星が輝いていて、まるで夜と朝の境目にいるかのよう。


 窓を開けると、朝の少し冷たい空気が肌に触れる。それを深く胸に吸い込んだ。


「あっ」


 ずっと遠く、東から南へ、空を横切る影が見えた。


 雲とは違う。

 でも雲のように形を変えながら、様々な形のシルエットを含むものが、まるで光を避けるように山へ帰ってゆく。


 私は慌てて、勉強机に置きっぱなしにしていたスケッチブックと鉛筆を引っ掴み、その光景を写した。


 長い影はたぶん、異形の群れ。百鬼夜行だろう。


「――できた」


 簡単ではあるものの、とりあえず写せた。

 ちょっと今すぐに絵具の用意はできないから、後で色を塗るために、この光景をしっかり目に焼きつけておかなければ。


 そう思った時、またまた見つけてしまった。


 電柱を身軽に飛び移っていく人影。

 こちらもまるで朝日に追われるようにどんどん西へ向かっている。


「天宮くん!」


 まだちゃんと姿を確認できていないうちから、ほとんど反射的に呼びかけてしまった。

 他に音するもののない早朝で、声は思いのほか大きく響いた。


 その人影は一瞬動きを止め、くるりと向きを変える。


 ほとんど音もなく、うちの一階の屋根に降り立つ少年。


 朝焼けにも負けない美しい緋色の髪と、人形のように整った顔立ち。きれいな臙脂色の狩衣がよく似合う。


 少し大きな双眸は、やや驚いたように見開かれていた。


「お、おはよう天宮くん」


「あ、うん、おはよ」


 私は本当に来てくれたことに対して、彼はたぶん呼びかけられたことに対して、互いに戸惑いぎくしゃくと朝の挨拶を交わす。


「えっと、なんかあった?」


「ううんっ。ごめんね、姿が見えたから、つい」


 用もないのに呼び止めてしまったことが、今さらながら申し訳なくなる。

 でも彼は怒りもせず、「なんもなかったならいいよ」と許してくれた。


「起きんの早いのな」


「今日はなんでか目が覚めちゃって。天宮くんはお仕事の帰り?」


「うん」


 彼は私の手元に視線を落とす。


「絵、描いてたのか?」


「朝焼けがあんまりきれいだったので。あ、あとね、さっきあっちの空に百鬼夜行が見えたんだよっ」


 声が弾んでしまうのは無意識だ。


 すると天宮くんはわずかに歯を覗かせ、珍しく笑っていた。


「今は東天紅だから」


「とーてんこー?」


「東の天が紅くなってるだろ? この時間は妖怪も、神も、自分の住処に戻る」


「神様も?」


「神社の祭事なんかで神を地上へ降ろした時、その神は東天紅に天上へ帰される。逆に東天紅を過ぎれば、神は天上へ帰れない。だから神社では東天紅の時を知らせる鶏を飼ったりするんだ」


「へぇぇ、そうなんだ」


 天宮くんはとても物知りだ。

 神妖の世にまだまだ疎い私には、彼の解説が非常に助かる。


「この時間は住処に帰る妖怪と鉢合わせることもあるから、なるべく窓開けたり外に出たりしないほうがいいよ。特に佐久間は」


「あ、ご、ごめんなさい」


「いや、謝らなくていい。用心するに越したことはないってだけ。じゃ、なにもなければ俺は行くから」


「うん。ありがとう、お仕事お疲れ様でした」


 町のみんなを妖怪から守るため、夜の見回りを終えた彼に、きちんと頭を下げておく。


 多くの人は、天宮家の皆さんがここまでしてくれていることを知らないから、せめて事情を知ってる私くらいは、感謝を示さなければ。


「あー・・・えと、どうも」


 一方の天宮くんは、微妙に目を逸らす。


 どうやら彼はあまりお礼を言われることに慣れていないらしく、大抵、こんな反応をする。

 最近、それをちょっとだけ可愛いなと思い始めていることは内緒です。


 天宮くんは高く跳躍し、近くの電柱へ飛び移る。そしてあっという間に、見えなくなった。


 早起きは三文の得、と昔の人が言っていたのは間違いなかったみたい。


 東天紅と、百鬼夜行、それに天宮くんに会えた。


 これからもたまに早起きしてみようかな。

 もちろん今度は天宮くんの邪魔はせずに、朝日を見るだけ。運がよければ、天上へ帰る神様の姿を見ることができるかも。


 そんなことを想像しながら、窓を閉めようとした時、


「っ、う、ん?」


 ぞぞ、と首筋の辺りで鳥肌が立った。なんだろう? なにか、視線を感じるような・・・。


 でも外を見回してみても、もう、なんの影があるわけでもなかった。


 気のせい、かな。


 いつの間にか東天紅は過ぎ、山の端から顔を出した朝日が、地上をあまねく照らし始めていた。

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