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幻想徒然絵巻  作者: 日生
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早朝のピアノ

 どうしようどうしようどうしよう。


 昨日から、私の頭の中は混乱と恐怖と歓喜とでしっちゃかめっちゃかになっていた。


 念願だった妖怪との会話を、気づかずにやってしまったのだ。アグリさんがどういう妖怪なのかはまったくわからないけれど人でないのは確かだろう。


 後から考えたらぞっとしたが、話している時は正直言って全然、怖くなかった。

 ちょっと変わった女の子だなあぐらいにしか思えなかった。危ない感じもしなかった。


 ああどうしよう。また神社に行ってみようかな。次も穏やかにお話ししてくれるだろうか。

 

 ああでも少し怖いな。妖怪は人とは違うから、いつ襲われるかわからない。自分の正体がばれたと思ったら態度が変わったりするのかもしれない。


 ああでも行ってみたいな。だってもしかしたら友達になってくれるかもしれない。


 高校生になって一番やりたいことは妖怪と友達になることなんだもの。


 ああでも・・・


 と、ベッドの中で繰り返しているうちに朝になってしまい、それでも全然眠くなくて、落ちついて家にいられず、その日は異常に早く登校してしまった。


 行きにほんの少しだけ、神社を覗いてみたけれど、やはり朝だったためかアグリさんの姿はなかった。

 でも境内に入ってまで確かめる勇気はなかったから、本当にいなかったのかはわからない。


 校門をくぐると、校庭では陸上部が朝練を始めている様子が見え、当然ながら教室には一番乗りだった。


 始業までさて何をして過ごそうかと考えた結果、やはりじっとしていられないので校内を散策することにした。


 とはいえ他の学年のフロアや特別教室のある辺りをうろつくのはあまりよろしくないから、昇降口から再び外へ出て校舎をぐるっと回る。


 校舎にはA棟とB棟があり、私たち一年生の校舎はA棟。二、三年生は渡り廊下で繋がったB棟に教室がある。


 それぞれの棟に授業で使う特別教室があるので、一年生がB棟へ行くことも逆に先輩方がA棟に来ることもあるが、それ以外では一応、用もなしに他学年のフロアを行き来してはいけないことになっている。

 でも外を回るくらいだったら構わないはず、と思う。


 校庭側のA棟を過ぎ、体育館の横を通ってB棟へ回ると、急に音楽が聞こえてきた。


 たぶん、ピアノだ。誰かが演奏しているのだろうか、静かな校内によく響いている。


 B棟には音楽室があるからそこかなと思ったけれど、音を辿ってみたら違った。


 校舎の端っこの、近くに大きな木が生えて日当たりが悪くなっている教室。


 曇った窓ガラスの向こうをこっそり覗いてみると、椅子も机もない教室になぜかグランドピアノが置いてあり、女子生徒がなにか複雑な曲を弾いていた。


 空き教室のようだが、どうしてこんなところにピアノがあるのだろう。そして早朝に見事な演奏を披露している彼女は誰なのだろう。


 そう考えて、背筋がぞわりとした。


 音楽室でもない空き教室にピアノが一つ。そのピアノを弾く少女。


 なにか、おかしい。


 曲のテンポが上がるのに合わせて心臓が高鳴り、どんどん不安になっていく。


 私の見ているこの光景は、果たしてこの世のものなのだろうか。


 たまに、あるのだ。風景の一部として見ていたものが実は異質な空間だったことが。


 中学校で、写生の時間に私はクラスの皆と同じ中庭で絵を描いて、皆の絵にはない池を描いてしまった。入学してからずっと、学校の中庭には池があって、錦鯉が泳いでいると思っていたのに、違ったのだ。

 それはこの世の光景ではなかった。


 曲が止まった。


 はっとして顔を上げると、少女がこちらに向かって来ていた。


 私は、咄嗟に逃げようとした。けど、足がもつれてまず尻餅をついてしまう。


 すぐに立ち上がれず、それでも這いながら逃げていると、「待って!」と声が飛んで来た。


 驚いた顔をしている少女が、窓から上半身を乗り出していた。


「大丈夫? どうしたの?」


 言葉も、反応も、とても普通。


 ただただ、びっくりしているような感じ。


「あ・・・」


 相手はただの人間、っぽい。


 それがわかった途端に恥ずかしくなり、耳が熱くなった。


 アグリさんのことがあって、過敏になっていたのかもしれない。


 相手の立場になってみれば、勝手に覗いていたあげく、いきなり逃げられ、わけがわからなかっただろう。


 かなり失礼な行動だった。申し訳なく、すでに腰を低くしながら私はともかく彼女のところへ戻る。


「ご、ごめんなさいっ。か、勝手に覗いてしまってっ」


「え? あ、いいよ別に。そんなこと」


 幸いなことに、笑って許してもらえた。たぶん上級生だろう。セミロングの黒髪を片方だけ耳にかけていて、顔立ちも雰囲気も全体的に大人っぽい。


「一年生?」


「は、はい」


「名前、聞いてもいい?」


「さ、佐久間ユキと申します。あ、あの、素敵な演奏ですねっ」


「え? あー、ありがと。私は三年の笹原」


 笹原さんは、さばさばとした話し方をする人だった。少し沙耶にも似てる。


「もしかして、私のピアノを聞いてここまで来たの?」


「は、はいすみません、どこから聞こえてくるのか気になって・・・お邪魔してしまって、すみませんでした」


「や、気にしなくていいよ。こっちも暇潰しに弾いてただけだからさ。普段は部活でフルート吹いてて、ピアノ弾く機会なくてね、腕がなまらないようにたまにここで練習してるんだ。あ、私ブラスバンド部なんだけどね?」


 窓枠のところに肘をつき、笹原さんはすっかりリラックスした体勢だ。


「ピアノも昔、人に習ったことがあるから弾けるんだけど家にないんだ。ここにあるのは前に音楽室にあった古いピアノでさ、パート練習の時くらいしか使われてないから、朝は私が勝手に使わせてもらってるわけ」


 不思議の理由は、説明されてしまえばなんでもないことだった。勘繰り過ぎた。反省しなきゃ。


「あなたも楽器やってるの?」


「え?」


 ピアノの音につられて来たせいだろうか、笹原さんにきらきらした目で見られている。


「ブラスバンド部どう? ただいま部員大募集してるよっ」


「あ、っと・・・」


 私は曖昧に返すしかない。いや、音楽は嫌いじゃないけれど、自分で演奏してみたいと思ったことはない、というより、できる気がしない。


「すみません。私、楽器は全然経験がないので」


「初心者も大歓迎だよっ」


 うう、どう言えばいいだろう。

 せっかく勧めてくれているものを断るのは本当に難しい。


「あ、でも他にやりたいことあるなら別に、無理しなくていいからね」


 言葉を迷っていたら内心を悟られてしまったらしい。気を使われた。


「佐久間さんは、何か好きなことあるの?」


 促されて、私はおずおずと、絵を描くのが趣味であることを話した。


「へー、どんな絵を描くの?」


 笹原さんは変わらず笑顔だ。おかげでこっちも少し安心する。


「ええと、風景画とか・・・」


 もちろん妖怪とは言えないので、無難なところを挙げておいた。妖怪の次に風景はよく題材にするものだ。


「ああ、今は桜咲いてて、いい時期だよねえ。そうだ、千年桜って知ってる?」


「? いえ」


 詳しく聞いてみると、なんでも町の北にある峠に、樹齢千年の大きなしだれ桜があって、ちょうど今頃、満開を迎えるのだと言う。知る人ぞ知る名所なのだとか。私も初めて聞いた。


「ちょっと山道歩くけど案内板があるから迷わないし、描きに行ってみたらいいんじゃないかな? ほんとにきれいなところだから」


 千年の年経た桜は、確かに見てみたい。なんだかとてもすごそう。


「ぜひ行ってみますっ。教えてくださってありがとうございます」


「うん。あ、でも気をつけてね」


 笹原さんは急に声を低くした。


「あそこ、出るらしいから」


「出る?」


「お化け」


「え」


「私の知り合いが、ずっと誰かに見られてる気がしたって言ってた。山の中で他に人なんかいないのにね」


 くすくすと、笹原さんは楽しそうだ。


「なんて、冗談冗談。でも山道だから気をつけてね」


「・・・は、はい」


 笹原さんはどうやら本気にしていないっぽいが、私はそうではない。山の中なら妖怪がいてもおかしくないからだ。


 ・・・でも、行ってみたいなあ。


「絵を描いたらぜひ見せて。紹介料がわりにっ。大体この時間はここにいるから、来てくれたら私も佐久間さんのためにピアノを弾くよ」


「あ、ありがとうございますっ」


 また来ていいと、言ってもらえた。初対面の後輩に、おまけにせっかく誘ってくれた部活を断っているのに、なんて優しい先輩だろう。


 笹原さんと別れ、校舎に戻る間も嬉しい気持ちが続いていた。沙耶といい、この学校はすごくいい人が多いのかもしれない。


 妖怪もそうだけど、人との付き合いも私にとってはなかなか難しいから、こういう出会いは大切にしないと。


 今日はいい日になりそう。


 るんるん気分で昇降口に着く頃には、他の生徒も登校してきていた。始業まであと二十分だから、そろそろ皆が来る時間帯だ。


 このくらいの時間だと校門には生徒指導の先生が立ち、服装の乱れた生徒を注意している。すでに一人、二人、呼び止められているものの、大体が先生に挨拶するだけで通り過ぎる。


 その中に、緋色を見つけた。


 天宮くんだ。眠たそうにあくびをしながら、先生に呼び止められることなく、脇をすり抜けこちらに向かっている。


 昇降口の前で突っ立って、つい眺めてしまっていたら目が合った。すると一瞬、眠たそうだった彼の瞳が見開かれて、真顔になった。


「――」


 まるで、何かを言いたそうで。


 私のほうが慌てて目を逸らした。天宮くんは無言で横をすり抜けていく。

 再び目を向けた時にはもう、彼の後ろ姿しか見えなかった。


 ・・・挨拶、するべきだったかな。


 天宮くんが完全に校舎の中に消えてから思った。


 クラスメートなのだから、少なくともあからさまに目を逸らすことはなかったかも。でも、なんだか怖かったというか、なにか気まずかった。


 昨日の、周囲をシャットアウトし、ひたすら寝ている様子を見る限りでは、あんまり他人と関わりたくない人なのかなあと思え、挨拶ですらちょっとためらってしまう。


 こんなに近くで正面から彼の顔を見たのは初めて。改めて、やっぱり天宮くんは美人さんだなあと思う。眠たそうな目は、ちゃんと開くとちゃんと大きい。


 きれいな桜と同じように、許されるなら、天宮くんのことも絵に描いてみたいなあ。


 そう思いながらも、彼に追いつかないよう、ゆっくり教室へ戻った。

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