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幻想徒然絵巻  作者: 日生
初夏
35/150

盗人、現る

 翌日の放課後から、さっそく作戦は開始された。


 まず美術室にあった模造紙に天宮くんが墨で丸を描き、中と外とに漢字に似ているけど、少し違う形の文字を書きこんでいく。


 これが《陣》という術の一種で、この上に妖怪が乗ると、動けなくなってしまうらしい。なんだか虫取りシートみたいな。


 天宮くんは定規も使わずにまっすぐ線を引き、難しい毛筆で美しい文字をさらさら書いていく。これはこれで絵のようだ。


 天宮くん、本気を出せば絵、うまいんじゃないかな。


 授業ではかなり豪快な絵を描いていたけれど、早く仕上げて寝ようとさえ思わなければ、もっと繊細なものができたのかも。


 教室の机を、窓際のほうだけ半分片付け、陣を描いた模造紙を三枚くらい床に並べた。このまま夜まで置いて、朝になる頃には登校時間の前に天宮くんが片付けてくれる。

 そして放課後にまた設置する。大変だ。


 準備を整え、迎えた初日は、残念ながらそれらしい妖怪は来なかった。


 天宮くんがどうやって噂を流したのか詳細はわからないけど、さすがに一日ではまだ、ほとんど広まっていないんだろう。焦らず焦らず、とはいえ、連日天宮くんが徹夜になるのは忍びない。


 さらに翌日、一人で左手で絵を描く練習をしながら、今日は来てくれるといいなと願う。


 天宮くんと白児さんは、教室の後ろのほうで、模造紙の上にじっと座っている。模造紙には妖怪を捕える陣とはまた別の陣が書かれてあって、その上にいれば姿が誰にも見えなくなるのだそうだ。


 私は、最初からそこに天宮くんたちがいると知っているから見えるけれど、知らない人や妖怪には認識できないらしい。


 ただ、それも声を立ててしまうと術の効果が切れてしまうらしいので、天宮くんはずっと黙って目をつむっている。たぶん、寝てるのかな。


 白児さんは天宮くんのあぐらの上で、退屈そうにごろごろしていた。いつの間にか、すっかりお互いに慣れてしまったようだ。


 赤と白のおめでたい色の組み合わせで、ちょっと兄弟のようにも見える。微笑ましいその姿を絵に描きたくなった。だめだけど。


 あ、でも、左手なら、右手よりもうまく描けないから、天宮くんを描いても神様は出て来ないかも?


 どうしよう、描いてみようかな。でもまかり間違って神様がうっかり出て来てしまったら、困るなあ。やっぱりやめよう。


 大体、二度と天宮くんのことは描かないっていう約束だもの。右左は関係ない。


 描きたい欲求を抑え、今度出さなくてはいけない絵画コンクールのデザインなどを考えたり、絵具をまぜて新しい色を作ろうとしてみたり、時間を潰す。今日は妖怪たちも訪ねてこなかった。


 六時になると部活終了の放送が流れ、片付けを始める。


 ただイーゼルは出しっぱなしで、以前、思い出しながら描いた一つ目入道さんのスケッチを、これ見よがしに陣の傍に置いておく。

 とても宝とは言えないけれど、左手で描いたものよりは、ちょっとはましかなと思う。


 机もこのままでいいので、パレットだけ窓に面した流し場で洗う。


 水に流され、様々な色がシンクに落ちる途中、まざって黒く濁っていった。それをぼうっと眺めていた時。


 視界の隅を、何かがよぎった。


「――?」


 目で影を追う。と、


「動かないで!」


 天宮くんの鋭い指示が飛んで来た。彼自身も、教室の後ろから一足で私の隣に降り立つ。


 それとほぼ同時に、私が見た影は、イーゼルのスケッチに手をかけた。


 途端に、足下の模造紙の文字から黒い、紐のようなものが伸びて、影に絡みつく。


 そうして紙の上に拘束されたものは、じっくり見ても、影としか言いようのないものだった。


 着物姿の、髪の長い女性のシルエット。差し込む赤い夕陽の中、どんなに目を凝らしてもそれ以上は何も見えない。


 影は暴れて逃げようとしたが、両の手足、首、腰のそれぞれに、紐がからみついて、ぴんと張り詰められている。


 この影が、盗みをしていた妖怪なのだろうか?


 天宮くんは冷静に妖怪のほうへ向かう。


 だけどそれよりも早く。


「琴を返せ!」


 白児さんが、模造紙を蹴って影に飛びかかった。


「っ、馬鹿!」


 天宮くんが声を上げたのと同時、紙が破れ、影をきつく拘束していた紐が、ぐにゃりと緩む。


 影は白児さんを振り落とし、追撃の炎の隙間をかいくぐって外に飛び出した。


「待て!」


 影を追って、天宮くんも外に出る。白児さんもだ。


「え・・・え?」


 一人残され、どうしていいかわからない。


 みんなが走っていったほうを見てみると、黒い足跡が地面に点々と続いていた。


 ・・・影の、足跡?


 まるで墨を足の裏に塗りたくったかのように、はっきりくっきり残っている。

 ここに来た時の足跡らしきものは見当たらないので、もしかすると、これも天宮くんが仕掛けた術なのかもしれない。


 万が一、逃げられても追えるように、だろうか。さすが、用意周到だ。


 これなら、私も追っていけるかも。いや、でも、天宮くんがいたら来るなって言われそう。でも、でも、このまま一人だけ帰るなんてあまりにも・・・。


 悩んだ末、私は片付けもそこそこに急いで荷物をまとめ、足跡を追った。


 ちょっと、ちょっとだけ、白児さんや天宮くんが危ないことになっていないか確認したい。そうじゃなきゃ安心できない。


 夕闇の迫る町中を、できる限りの速さで走る。


 足跡はおおまかに北へ向かっているようで、角を何度も曲がって行ったり来たりを繰り返していくと、とある一軒のお屋敷に辿り着いた。


 この町には昔ながらの大きなお家があちこちにある。ここも立派な木製の門がそびえ、白壁が左右に続く。


 道路の足跡は途切れて、門の横の壁に一つだけ、上向きに足跡が付いていた。たぶん、塀を乗り越えて中に入ったんだろう。


 ここが、あの影の妖怪の棲みか? え、でも、普通に人のお家みたいだけどな。それとも天宮くんたちを撒こうとして、入っていっただけだろうか。


 辺りを探しても、天宮くんたちの姿はない。


 まさかとは思うけど、ふたりも中に入っていったのかな。白児さんはまだいいとして、人である天宮くんはさすがに、勝手に入ったりはできない、と思う。


 どうしよう。


 チャイムを鳴らして、家の人に訊いてみようか。でも、どう言えばいい? 日暮れに高校生が知らないお宅を訪ねる自然な理由なんて思いつかない。


 かといって、正直にお宅に妖怪が逃げ込んで、と説明して通じるとも思えない。いくらなんでも怪し過ぎるもの。


 こうしてよそ様のお家の前で一人うんうん唸っている時点で、もう立派に不審者だ。


「――あれ?」


 ふと、声がした。


 左手のほうを見やれば、こちらに歩いて来る人がある。


 沈みかけの夕日の光と影を映す、不思議な髪色を呈すこの人のことを、私はもちろん知っている。


「翔さん?」


「やっぱりユキちゃんだ」


 天宮翔さん。

 天宮くんのお兄さんだ。お会いするのは二ヶ月ぶりくらいだろうか。


 翔さんは、夜のお仕事着である狩衣を着ていた。


「こんばんは。こんなところで何してるの?」


「あ、えと、実は妖怪を追っていて・・・」


「妖怪? 例の琴探しに関係してること?」


 どうやら事情は全部ご存知のようで、おかげで説明はとても短く済んだ。


「ふうん。そいつはきっと影女だね」


 妖怪の特徴を聞いた翔さんは、ほとんど断定口調でそう言った。


「影女、さん?」


「月明かりの晩にね、普通は家の中に出る妖怪だよ。少なくとも、外に出て盗みを働いた例は聞いたことがない。どうも、おかしなことが起きてるようだね」


 翔さんは腰に手を当て、苦笑いを見せた。


「あいつは何を考えてんだか。ごめんね、女の子を置き去りにするような無神経な弟で」


「え? いえ、私のことは別にいいんですっ」


 思ってもみないところで謝られ、慌ててしまった。


「私がお願いしたことなのでっ」


「あんなの庇わなくていいよ。――しかたない。至らぬ愚弟にかわって、今夜は俺がお助けしましょう?」


 冗談っぽく翔さんは言って、いきなりお屋敷のチャイムを鳴らした。


 止める暇はなかった。


 ほどなくして門が開き、お家の人が顔を出す。やや白髪のまじったご年配の女性の方で、翔さんはどう説明するのかと思ったら、


「遅くなって申し訳ございません」


 と。

 女性の方は「お待ちしておりましたわ」と翔さんに微笑みかけ、私のほうを見ては小首をかしげた。


「そちらのお嬢さんは?」


「助手です。まだ子供ですがご心配なく。腕は立ちますから」


 明らかに高校の制服を着ている私を指し、翔さんはしれっと言ってのける。


「ではさっそくはらいを行いますので、中へ入れていただけますか?」


「・・・はい、こちらです。もう、先ほどから音がしておりますの」


 女性は不審がっていたものの、翔さんの勢いに押されて結局、門の中へ通してくれた。


 そろそろ辺りが見えにくくなってきた時間帯。なのに、なぜか母屋は電気がついておらず真っ暗で、敷地の隅にある離れのほうだけ、煌々としていた。


「後は我々におまかせください。終了した際にはご報告に参ります」


「え、ええ、わかりましたわ」


 翔さんは母屋の前に着くと、女性を早々に追い払ってしまう。


 そして女性が離れのほうへ向かう背を見送ってから、ようやく事情を教えてくれた。


「家の中で、最近やたらと怪異が起こるのをなんとかしてほしいって依頼があったんだよ」


 つまり翔さんは、仕事でもともとこのお家へ来る予定だったらしい。だからまったく躊躇せずチャイムを押せたわけだ。納得。


「ここは昔からうちとつながりのある家でね。手広く商売をしていて恨みを買いやすいのか、よく依頼してくるんだよ。家主が離れに追いやられてるくらいだから、今回はかなりひどいみたいだね。ほら、ユキちゃんもわかる? この妖気」


「そう、ですね。なにか、たくさんいるような・・・?」


 縁側から母屋に上がった途端、空気がどろりと凝り固まって見えるみたいだった。それに一つではない物音が聞こえる。


 例えば今、すぐ横にある部屋の中とか――


 なんて思っていたら突然、その障子戸が開いた。


「っ!? っ!?」


 同時に布を顔に覆い被され、何も見えなくなり、尻餅をついてしまう。すぐどかそうと両手を動かしてみるけれど、なんでか布は外れない。


「むぅ、っ、ふぁっ」


 二つの腕に、背中をぎゅっと抱きしめられているみたいな感覚がある。


 ぎゅ、ぎゅ、ぎゅーーーっと。かなり強い。


 でも前のほうには、なんの感覚もない。ただ顔面に布が押し当てられて息苦しいだけ。


 このまま窒息死するんじゃ? と怖くなってきた頃、急に布がはずれた。


「――っ、は・・・っ」


「大丈夫?」


 翔さんが、着物を小脇に抱えて目の前に立っている。どうも私に覆い被さっていた布はその着物だったようなのだけど・・・。


 にゅるりと、袖から長い白い手が伸びている。でも本体はない。

 手だけが、翔さんのいるほうとは反対側に揺れ動いて、まるで逃げようとしているみたいだった。


「こ、れは・・・?」


「小袖の手。付喪神の一種だよ」


 翔さんが懐からお札を取り出して貼ると、手は消えて着物もだらりと垂れた。ただの着物に、戻ったということなんだろうか。

 

 翔さんは部屋の中にあった衣紋(えもん)掛けに着物を戻した後、まだ床にへたれこんでいる私に手を差し伸べてくれた。


「どうぞ」


 それに縋りつくようにして、ようやく立つ。さすがに腰を抜かすまではいかなかったはずなのに、なぜだか膝に力が入らなかった。


「軽く瘴気にあてられたのかな。歩きにくかったら掴まっていいよ」


「い、いえ、大丈夫、です。すみません、ありがとうございます」


「そう? 無理はしないでね。煉も、まだいればそのうち気づいて出てくるだろうから、このまま回ろう」


 てきぱき翔さんに促され、よろよろとお屋敷の奥へと進んでいった。

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