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幻想徒然絵巻  作者: 日生
初夏
33/150

犬神

 次の日から、美術部は通常どおり活動していた。


 お狐様に聞いた正体不明の泥棒に関しては天宮くんにまかせ、私はここへ私を訪ねてくる妖怪へ聞き込みをすることにしたのだ。町中を歩いて聞き回るよりは楽だろうと、天宮くんからの提案だった。


 毎日、ぽつぽつと訪ねてきてくれる妖怪はいて、まず絵を描けないことをお詫びし、相手の反応を見て話を聞いたり聞かなかったり。


 絵を描けないと言った途端に怒りだしてしまった妖怪には、話を聞くどころではなかった。


 できる限り聞き込みを進めていくものの、情報はなかなか集まらない。


 あればラッキー、くらいのつもりだったから、それはしかたがないのだけど、うーん・・・。


「どうかした?」


 考え事をしていたら、隣で眠たそうにしている天宮くんに訊かれた。


「あ、うん・・・絵、描けないかなあと思って」


 このままではせっかく来てくれる妖怪たちに申し訳ない。右手がだめなら左手で描けないかと、試しにスケッチブックを開いてみる。


「白児さん、絵を描かせてもらってもいいですか?」


「? いいぞ」


 左手に鉛筆を握って、目の前の机に座っている白児さんを写してみる。


 同じ形をしている左右の手で、どうしてこうも違うのか。全然思いどおりに描くことができなかった。


 ちょっと描いては消して、描き直して、また消して、描き直して、一枚描き上げるのに右手の数倍時間がかかる。


「普通にうまいと思うよ」


 ひとまずできた絵に、天宮くんは気を使って言ってくれたけど、


「なんかへん」


 白児さんは正直だった。あんなに直したのに輪郭は歪で、水でふやけたように膨らんでしまっているのだ。


「ユキはほんとに絵師?」


「すみません。まだまだ修行中です」


 右手で描く絵も本来は誰かにあげられるレベルではないけれど、慣れない手ではさらにひどい。


「冬吉郎の絵もこんな?」


「おじいちゃんは私なんかよりもっともっと上手です。利き手じゃなくてもきれいな絵を描けたんですよ」


 おじいちゃんが残した絵で、迫力や凄みがあるのは利き手の左で描かれたものだけど、左腕を失ってから、右手で描かれた絵は繊細で、やわらかく、見ていると吸い込まれそうな深みがある。


 そしてどちらで描かれた絵も、美しい。


 とはいえ漠然とした感覚を口で説明するのは難しい。帰ったら白児さんにおじいちゃんの絵巻を見せてあげようかな。


「冬吉郎の絵はそんなにうまいの? いちばん?」


「はいっ、私の知る限りでは」


 胸を張って言える。


「いつかおじいちゃんのような絵を描けたらとは思うんですが・・・道のりは遠いです。こんな絵では妖怪絵師の孫として笑われてしまいますよね」


 おじいちゃんは私の誇り。でも同時に、それは――


「苦しい?」


 不意に言われて、びっくりしてしまった。


 白児さんの赤い瞳はとても澄んでいて、まるで考えを読まれたみたいだった。


「・・・はい、苦しいです」


 素直に認める。


 大好きな分野で、絶対に敵わないと思わせる存在がある。どうやってもたどりつけない、ましてやあれ以上のものなんて生み出せない。


 そう思うと苦しいから、自分は自分らしい絵を描けばいいんだと言い聞かせてみる。でも、やっぱり比べてしまう。


「おじいちゃんの絵と比べて、自分に失望するんです。でも妖怪たちはおじいちゃんのような絵を私に望んでいます。だから申し訳なくて・・・描くことがつらくなってしまう時もあります」


「だったら描かなきゃいいのに」


「そうなんですよね。その通りです」


 理想と現実のギャップが苦しい。描けば描くほど苦しみは募る。おじいちゃんのように描けるようにならなきゃと、筆を動かすのが虚しくて悲しくなる。


「でも、どうしても、描くのをやめられないんです」


 苦しいのに、比べてしまうのに、気づけばまた、筆を取っている。


 それこそ呪いのように。


「なんで?」


「・・・これしかないからでしょうか」


 私もはっきりとはわからないけど、言いながら考えてみる。


「他になんの取り柄もないから、しがみついてしまうのかもしれません」


「ふうん・・・」


 ぷらぷらと足を振りながら、白児さんは頷いた。


「おいらもユキとおんなじかもしれない」


 次に出てきた言葉を意外とは思わなかった。


 白児さんのお師匠様はすばらしい琴弾きだと聞いていたから。道は違っても、届かないものへの想いはたぶん、同じ。


「じゃあ、私も白児さんもがんばらなければいけませんね」


「え?」


 私はスケッチブックをめくり、再び左手に鉛筆を持った。


「もう少し絵を描かせてもらっていいですか?」


「うまく描けないのに?」


「絵の練習法に、利き手じゃない手で描くというのがあるんです。慣れていない手だと対象物をよく見るようになるそうです。観察力を鍛えることが、うまくなる第一歩なんだそうですよ」


 未熟者は暢気に立ち止まっていられない。利き手が使えないからって、悠長に構えていたら、貧弱な私の命はあっという間に尽きてしまうだろう。


「私は、この目で見える景色を見たままに描けるようになりたいです。今よりもっとうまくなれたら、もっともっと、素敵な妖怪たちを精確に描き写せます。それが私の理想なんです」


 全身で感じるすべてを込めた絵を描きたい。見ただけで、その時の匂いや、触覚、声、感情までも、想起させるような。


 光の眩さ、闇の深さ。


 それが背負うもの、隠し持つもの。


 いつか、すべてを感じて描き写せるようになりたい。


「今は変な絵しかできませんが、協力してもらえませんか?」


「・・・いいよ」


 白児さんは二つ返事で受けてくれた上に、優しい言葉までかけてくれた。


「ユキはきっとなれるよ。冬吉郎みたいな妖怪絵師に」


 そうして何枚も何枚も、日暮れ近くまで描かせてもらった。

 やっぱりへただけれど、不思議と枚数を重ねるうちに少しずつ、白児さんの抱えるものが形として見えてくるような気がした。


 そんな時だ。


 突然、天宮くんが立ち上がり、直後に冷たい風と息苦しい空気が窓の外から流れ込んできた。


 外を見ると、日暮れが近くなった空に、犬のようなものがいる。


 まっ黒な耳の垂れた犬が、毛並みと同じ黒の袈裟を着て、宙にあぐらをかいている。顔は犬でも、目は人の形に近い。背筋がぞわりとする感じが、ただ者ではなさそうだった。


 白児さんが机から飛び降り、私の後ろに隠れる。


 その妖怪はその奇怪な眼差しで天宮くん、そして私の足もとを見る。


「久しいな白児よ」


 低い、くぐもった声が犬の口から飛び出した。にやりと笑うと、白い牙が目立つ。


「佐久間、下がって」


「う、うん」


 席を立ち、白児さんともども天宮くんの後ろへ隠れる。窓を境に、天宮くんと黒い犬の妖怪が対峙する。


「犬神だな?」


「そちが神憑きの天宮か」


 名乗らなくとも、お互いがお互いの正体をすでに知っていた。


 白児さんは私の足に抱きついて、ひどく怯えている。


 確か、犬神さんの名前は白児さんの話に出てきたと思ったのだけど、友達ではなかったのだろうか。


「佐久間を訪ねて来たのなら、悪いが今は腕を怪我していて絵が描けない。後日出直せ」


 すると、犬神さんは鼻を鳴らしてちらりとだけ私のことを見た。


「おそれを知らぬ生意気な絵師めに用などないわ。おれに絵はいらぬ」


 一瞬だけ合った目が、あの夜の白児さんと重なる。


 激しい憎悪が、込められた目だ。


「祓い屋にも用はない。白児、なぜ隠れておる」


 犬神さんは鋭く白児さんへ呼びかける。


「琴弾き木霊が死んだそうだな」


 すると白児さんが震えた。


「ならばもう山に留まる理由はなかろう。我がもとへ戻り、以前のように仕えよ」


 白児さんは答えない。


 仕えろという言葉から察するに、白児さんは犬神さんの従者のようなものだったのだろうか。一体どういう事情があるのだろう?


「おい、勝手に話をするな」


 そこへ天宮くんが割って入った。


「今は日中、ここは人の領域だ。押し入ったわけを話すくらいの礼儀も持ち合わせていないのか?」


「祓い屋風情に礼を説かれるまでもないわ」


 犬神さんは唸りつつも、まだ態度に余裕があった。お狐様や大天狗様ほどの力は感じないものの、けっこうな大物妖怪なのかもしれない。


「白児はもともとおれが拾い、小間使いとしておった者だ。おれが言葉を教え、字を教え、世のあらゆることを教えてやった。だのにそやつは主への恩を忘れ、北の琴弾き木霊に弟子入りなぞしおったのよ。白児がおらぬところで一向困りはせんが、手塩にかけて育てたものをやるのは気分が悪い。連れ戻そうとしたが、木霊の奴がかわりの品を差し出してきたゆえ、しばらく奴に預けてやった。だが奴が死んだとあれば、おれのもとへ戻るが道理」


 貸した相手が死んだから返してもらう、と。


 それは、物だったらそうかもしれないけれど。


「・・・事情はわかった。だが今、白児を連れて行かれるわけにはいかない」


「であろうな」


 犬神さんが唸る。でも今度は瞳を半月の形に歪めていたから、威嚇しているのではなく、笑っているのだとわかった。


 包帯を巻いた私の右腕を見ているようだ。


「祓い屋が、ずいぶんと優しいことだな。滅すれば済むものを、情念を解くため琴探しを手伝うか」


「っ、知ってるのか!? お師匠様の琴がなくなったこと!」


 白児さんが、突然叫んだ。半分だけ私の後ろから身を乗り出して、犬神さんを見上げる。


 犬神さんはゆったり頷いた。


「知っておるぞ。お前、琴を見つけねば山に帰れぬのであろう? 当然よな。琴を譲り受けたお前が奴の後継とならねばならぬというに、肝心の琴をみすみす盗まれてしまったのだから。だが白児よ、たとえ見つけたところで、あそこにお前の居場所はないぞ。そんなものは木霊が死んだ時になくなったのだ」


「っ・・・」


「琴探しなどやめよ。我がもとへ戻って来い」


 白児さんは、うなだれた。


 どうやら犬神さんは琴探しをあきらめさせたいらしい。


 それは、白児さんにとって、とてもだめなことな気がしたけれど、私がこの場で何を言えるのかわからない。


 白児さんの事情をわかったようでいて、実は何も知らなかったのかもしれない。


 すると、天宮くんがわずかに振り返り、白児さんを見下ろす。


「こっちは呪いが解けるならなんだって構わない。琴探しをやめるというならそれでいい。ただし去る前に呪いだけは解いていけ。そうすれば天宮がお前を追うこともない」


 淡々と告げる天宮くん。白児さんは今にも泣きそうな顔で、私のほうを見上げた。


 どうしていいかわからない。


 白児さん自身もそんな顔をしている。


 私は、しゃがんで、白児さんと目を合わせた。


「白児さんがしたいようにしてください」


 そして迷いながら、言葉を付け足す。


「約束しましたから、私は探そうと思います」


 たとえ呪いが解けた後でも、一人でも、探すつもり。


 白児さんはきゅうっと口をすぼめた。そして、意を決したように犬神さんを見据える。


「おいらは琴を探す! あれはお師匠様がおいらに残してくれたもんだ、ぜったいになくせない。おいらにはもう、あれしかないんだ。あれしか、残ってないんだ。犬神のところには戻らない」


「生意気な」


 犬神さんはまた、鼻を鳴らした。


「いずれ泣きついて来るが目に見えておるわ」


「そんなことないっ」


「人はあてにならんぞ。どうせ天宮に祓われるがオチよ」


 その言葉を捨て台詞とし、犬神さんは袖を翻すや、宙に消えてしまった。


「ありがとう、ユキ」


 後で、白児さんは泣きながらお礼を言ってきた。


「ありがとう、ありがとう・・・」


 丸まった小さな背中を、白児さんが泣きやむまでさすってあげるくらいしか、私にできることはなかった。

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