盗人の噂
町の西に位置する山の麓には、妖怪を祀った美しい神社がある。
本殿はやや小さめだけど、神主さんもいる立派なもので、町の人からは狐神社と呼ばれていた。
鳥居をくぐると、朱色の灯篭が脇に並ぶ石畳の道の上で、浴衣姿の小さな女の子が遊んでいる。
その子は私たちを見つけるや、満面の笑みで駆け寄って来た。
「ユキさまっ! いらっしゃいませなのです!」
「こんにちはアグリさん」
可愛らしい、おかっぱ頭の女の子はアグリさんという。この子はお狐様にお仕えしている、妖怪だ。
その昔、お狐様がまだ西山の土地神でなく、荒ぶる妖怪だった頃、それを鎮めるために、生贄として捧げられた魂が神社に憑くようになったのだという。
見た目は三歳くらいに見えるけど、アグリさんは実はすでに千年も生きている大妖怪なのだ。
「ユキさま、なにかついてるのですよ?」
足に抱きつくアグリさんは、私の肩の上を指し、小首をかしげる。
雑木林の中からここまで、私は白児さんを肩車してきた。
天宮くんがすぐ引き離そうとしてくれたのだけど、白児さんはとても軽くてあまり負担ではなかったのと、本人が楽しそうだったので、大丈夫だよと言ったのだ。
ただ、さすがにそろそろ肩が疲れてきた。憑りつかれると肩が重くなると言うのはこういうことなのかなとちょっと思う。
「こいつが九尾狐?」
白児さんも、アグリさんをなんだろうと思ったみたい。
「いえ、この方はアグリさんです。アグリさん、こちらは白児さんです」
「しらちご?」
「あぐり?」
お互いがお互いのことを呼び合って、きょとんとしている。見た目が同じくらいのふたりはひたすらに可愛らしい。
「今日はお狐様にご相談があって来たんです。今、大丈夫でしょうか」
「はい、おきつねさまがユキさまにおあいしないなんてことは、ないのです。きょうも、ほこらにいらっしゃいます。こっちですっ」
小さなもみじの手に引かれ、社の背後の山に入っていく。
白児さんを肩車してアグリさんに手を引かれていると、なんだか日曜日のお父さんみたいだなあなんて、変なことを考えてしまった。
神社が祀るご神体は本殿にはいない。いくらか登ったところに、ひっそりとうずくまる洞穴、のような祠が、その寝床だった。
入口が少し低く、奥へ行くにつれ高くなる。紫色の火の玉が点々と灯っているので、歩くのに支障はない。
鳥居をくぐった時から感じている、不思議な気配が濃くなっていく。
やがて、ひょうたんの底のように広くなった最奥へ辿り着いた。
「――おう、来たか」
金色に輝く豊かな九尾、同じ色の三角の耳と、地面まで垂れた長い髪を持つ端正な顔立ちの男のヒトが、毛皮を重ねた敷き物の上に座って、ゆったりと、切れ長の瞳を開いた。
私は白児さんが落ちない程度に、神々しい山の主にお辞儀する。
「こんにちはお狐様。いきなり押しかけてしまってすみません」
「そなたならばいつでも歓迎する。さ、もっと近くにおいで」
おじいちゃんと、そして私の、大好きな友達は、いつ来ても優しげな眼差しをくれる。
お狐様に促され、天宮くんと並んで、手ごろな場所に腰を下ろす。アグリさんは私の膝の上に乗った。
「厄介事に巻き込まれておるようだな」
何も説明する前から、お狐様は白児さんを見て言った。大妖に見据えられた白児さんが、肩の上で震えたのが伝わってくる。
お狐様の視線は、続いて包帯の巻かれた私の右腕に移った。
「我が友を呪うとは、身のほど知らずな。さぁて、どうしてくれようなあ?」
ぞわ、と身の毛のよだつ気配を発するお狐様。
今、少し手を伸ばせば簡単に白児さんに届いてしまう。白児さんはすっかり固まってしまい、私の頭に痛いほどの力で抱きついていた。
「ま、待ってくださいお狐様! 違うんです、これはえっと、不可抗力というか、とにかく私は大丈夫ですから、落ちついてくださいっ」
慌てて言い募り、なんとかうねる九尾が収まった。
かわりにお狐様にも溜め息を吐かれる。
「まったく、お人好しなところも冬吉郎に似てしまいおって。おい天宮の小僧、貴様は何をしておったのだ」
「・・・」
天宮くんは半眼でお狐様を見るだけで答えない。
私は慌ててそちらもフォローする。
「天宮くんがいない時に、呪いを受けてしまったんです。天宮くんにはいつも本当に助けられていて、今日も一緒に来てくれたんです」
「・・・ふん。まあ仕方あるまい。天宮ごときでは、そなたを守りきることなどできぬであろう」
お狐様が口の片端を吊り上げ、挑発じみたことを言う。天宮くんが怒るんじゃないかと冷や冷やしたが、彼は見事に無視をした。
相手にしないということだろう。お狐様は不機嫌そうに鼻を鳴らし、それ以上は天宮くんに何も言わなかった。
「それで、何があったのだ」
「はい。実は」
白児さんに聞いた話を繰り返す。お狐様は時折、相槌を打ちながら聞いてくれた。
「北山の琴弾き木霊なら、確か冬吉郎から聞いたことがあったな。あれが死んだか」
聞き終えて、お狐様はぽつりと言った。
「お狐様のところに、何か関係するようなお話は届いていませんか?」
「今のところはない。が、妙な噂はある」
「妙な噂?」
「近頃、物が消えたと騒いでおる妖怪が多いのだ。ここひと月ほどであるかな」
妖怪に警察はないため、被害届を集計したわけではないが、お狐様のもとに同様の相談がいくつか寄せられているらしい。
「盗人はとかく節操がない。珍重なる宝から、なんの役にも立たぬガラクタまで、目につく物すべて持っていっておるようなのだ」
「それは、なんだか・・・すごいですね」
「うむ。おそらく人の仕業ではなかろうが、妖にも心当たりの者はない。よからぬ輩が外から入り込んだのやもしれぬ。まあ知らぬ間に物がなくなっておるだけで、他に害はないが」
盗まれるだけでもけっこうな害な気がするけれど。
このことは白児さんの件に関係があるのだろうか。
「白児さん、琴が盗まれたのはいつですか?」
「ひー、ふー・・・だいたい、半月前かな?」
白児さんは一から数え、教えてくれた。
「もし犯人が同じだとすると、北から西まで、かなり広い範囲で動いてることになるな」
思案顔で天宮くんが言う。それだけ犯行の範囲が広いとなると、かなり多くの妖怪が被害に遭っているのかもしれない。
「誰か姿を見かけたりはしていないんですか?」
「ふと目を離した隙に盗まれているらしい。影だけ見えたと申す者があったな」
「とてもすばやい妖怪なんですね」
「そのようだ」
「・・・ところで」
と、天宮くんが急にじっとお狐様を見る。
「お前、千里眼はないのか?」
「せんりがん?」
「その場にいたまま千里先まで見通せる力のこと。ほら、前にこいつ未来が見えるって言ってただろ? それと同じ神通力の一種」
「・・・そういえば」
さすが天宮くんはよく覚えている。遠くの景色、さらには未来まで見えるなら、犯人もすぐに判明しそうだ。
「わかっておらぬなあ、天宮の小僧よ」
しかし、お狐様は大仰に溜め息を吐いた。
「なにもかも見通してしまっては、つまらぬではないか」
「そういう問題じゃねえだろ。佐久間の命がかかってることだぞ」
「わかっておる。だが、よいのか? 我がすべてを見通してしまえば、ユキを救ったは我ということになる」
「・・・何が言いたい」
するとお狐さんは、半月の形に両目を歪めた。
「己がユキの守護者じゃと周りに豪語しておるそうではないか。しかし実際は呪いを防げなかったばかりか、その解決まで妖に頼っては、千年に渡る祓い屋大家の名が泣くぞ」
「・・・」
今度の挑発は有効だったように、見えた。
楽しげなお狐様に対し、天宮くんはなんだか私のほうが逃げ出したくなるような怖い顔になっている。
これは、止めなきゃいけない気がする。
「の、呪いは天宮くんの責任じゃないですっ。そもそもっ、天宮くんは厚意で護衛をしてくれているのであってっ」
「いいよ、佐久間」
ところが途中で、天宮くん自身に遮られる。
「つまり、お前はこれ以上協力する気がないってことか」
天宮くんに睨み据えられても、お狐様は悠然と構えたまま。
「貴様が降参した時は出てやろう。東山での夜を屈辱と思うたならば、此度は自力で救うてみせよ」
「・・・行こう」
「あ」
天宮くんは立ち上がり、出口へ向かう。
「し、失礼しますお狐様、アグリさん、ありがとうございましたっ」
急いで挨拶を済ませ、天宮くんを追う。
後から、「いつでもいらっしゃいませ!」とアグリさんの声が反響して聞こえていた。




