急襲
コンビニでおつまみと、私はアイスを買ってもらって、帰りは気持ち急いで道を戻る。
早くしないとアイスが溶けちゃう。
ところがその途中で、私は足が止まってしまった。
ちりん、という鈴のような音が近くで聞こえた気がしたのだ。
「ユキ?」
二歩ほど過ぎてからお父さんが振り返る。
私はひとまずそれには答えず、近くの雑木林に目を凝らす。
「ぅ・・・」
今度は苦しげなうめき声。はっきり聞こえた。
林の奥ではなく、たぶんすぐ前の茂みから。
近づいて、上から覗き込んでみれば、ぼんやりと白く光る、小さな手が見えた。
子供の手のようだった。それも赤ちゃんかと思うくらい小さな。
――妖怪?
それともまさか、本当に子供が倒れている?
わからないけど、妖怪であれ人であれ、ただならぬ様子なのは確か。妖怪だったら怖いけど・・・でも。
「これ持っててお父さんっ」
コンビニの袋を戸惑うお父さんに押し付け、思いきって茂みを掻き分けた。するとやっぱり、小さな子供がうつ伏せていた。
着物も、髪も、肌も、すべてがまっ白だった。明かりがなくても姿そのものがわずかに光を帯び、闇に浮き上がって見える。
最初に聞こえた鈴は、その子の腰帯に小さな木札のようなものと一緒に付けられている。
せいぜい一歳か、二歳くらいの子供で、全体的に汚れていた。
「ユキ、どうしたんだ?」
お父さんが私の横から茂みを覗くけど、視線がどこにも定まらない。
お父さんに見えない、ということは、やっぱりこの子供は妖怪。
「妖怪が、倒れてるの」
見える光景を伝えてあげると、お父さんは一層目を凝らして茂みの中を探す。
その間に私は意を決して、白い子供の横に膝をついた。
危ないのはわかっている。けれど相手が妖怪であったって、倒れているヒトを放っておけない。妖怪にも、死があるんだもの。
「大丈夫ですかっ?」
軽く揺すると、わずかに身じろいだ。
よかった、生きてる。
ゆっくりと、その子が顔を上げると、髪の間からまっ赤な双眸が覗いた。白目の部分がほとんど見えない、獣のような瞳だった。
その子供は、はじめ呆然としているみたいだった。でも小さな鼻がひくひく動いて、するとすぐに、大きな瞳が急に鋭く、おそろしく歪んだ。
「にんげん・・・っ!」
虫の息だと思った妖怪が突然、ばね仕掛けのように飛び上がる。
逃げる暇なんてなかった。あ、っと思った瞬間には、右腕を激痛が襲った。
「! つ、ぅ・・っ!」
小さな顔には似合わない大きな口で、妖怪が右腕に咬みついていた。
あまりに痛くて、びっくりして、慌てて振り払おうとしたら妖怪のほうから先に離れ、飛ぶように林の奥へ消えていく。
ちりんちりん、と鳴る音は間もなく聞こえなくなった。
「ユキ!?」
お父さんが急いで私を茂みの中から引っ張り出す。
腕を押さえてうずくまり、しばらく、私は動けなかった。
痛い。
痛い。
咬まれた場所がじくじくと疼き、焼けつくような感覚が襲う。
このまま腕がちぎり取れてしまいそう。
「み、見せてみなさいっ」
無理やり私を起こしたお父さんの顔から、血の気が引いた。街灯に照らされ、悲惨な光景が露わとなったのだ。
犬歯の位置で穴が二つあいていた。でも傷自体が特にひどいわけじゃない。おそろしげなのは、その傷の周りに染みのように広がる、どす黒い痣。
皮膚の下で、何かが脈打っている。まるで、別の生き物が腕の中をゆっくり這っているみたい。
異様な痣はお父さんの目にも見えたらしい。言葉を失い、痣を見つめてじっと動けないでいる。
私もまた同じだった。ややあって、お父さんのほうが先に我に返り、ともかく家で手当てをしようと、呆然とする私を支えてなんとか帰り着いた。
家で待っていたお母さんも、私の腕を見て絶句した。妖怪に咬まれたんだと聞くと、なおさら動揺が広がる。
「だ、大丈夫なの?」
お母さんは咬まれたところを消毒し、ガーゼを貼ってくれる。訊かれたことには、お父さんも私もなんとも答えられない。
「妖怪に腕を咬まれるなんて・・・しかも利き手でしょう? おじいちゃんと同じじゃないの」
「そんな、縁起でもない」
言い返すお父さんも不安そうだ。
この頃には痛みも最初よりおさまっていたから、私が二人をなだめた。
「たぶん、大丈夫だよ。あんまり痛くもなくなってきたし」
「ほんとに?」
「少し咬まれただけだから。一応、明日、天宮くんにも診てもらうよ」
「そうね、それがいいわ。もし我慢できない時はすぐ言いなさいね。病院になら連れて行けるんだから」
「うん、大丈夫」
なるべく心配させないように、笑顔で答えた。
でもさすがにアイスを食べる心の余裕はなく、早々にベッドに入った。
痛みは引いてきているけれども、寝ている間、一定の間隔で、ずきん、ずきん、と痣のある辺りが痛む。そして痛みの範囲も広がっていっているような、気がする。
大丈夫・・・たぶん、大丈夫。
自分に言い聞かせながら、その夜は無理やり寝てしまった。




