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幻想徒然絵巻  作者: 日生
初夏
23/150

穏やかな放課後

「やってごらん」


 優しい手に導かれ、そっと指先で弾いた弦は、静かに空間を震わせた。


 お師匠様のものとは比べるべくもない、ひどく拙い音であったけれども、からっぽの心にはいやによく響き、涙があふれた。


 何がつらくて何が悲しかったのか忘れた。


 大切なのはあの日あの時、この音色に出会えたことで、自分を受け入れてもらえたことで、それ以外に何があろうか。


 大好きな音とお師匠様。


 他には何も、いらなかった。





 ❆





 初夏の日差しが、降り注ぐ。


 六月に入り、制服はカーディガンを脱いで、シャツとベストだけの夏服へと変わった。部屋を閉め切っていると、もう汗ばんでくる。


 窓を開ければ、ブラスバンド部の奏でる様々な楽器の音や、合唱部の澄んだ歌声、校庭で活動している運動部の活気ある声がよく聞こえる。


 一日の授業を終え、今は友達と一緒に好きなことに打ち込む放課後の時間だ。


 かくいう私は、賑やかな場所からは隔離され、廊下も窓の外も滅多に誰も通らない美術室で、ぽつんと絵を描いている。


 なぜかと言えば、私の他に美術部員がいないから。


 でも絵を描いているのは私一人でも、この空間に私は一人じゃない。


「――ユキ、来たよ」


 赤い大きな一つ目を真ん中に付けた顔が、窓にぬっと現れた。


 そのヒトは、「よっこらせ」と大きな体を持ち上げ、窓を乗り越える。


 おそろしい異形の姿に、私は、慌てず騒がず絵筆を置いた。


「こんにちは、一つ目入道さん」


「おう。今日もよい絵を描いておるか?」


 笑いかけると、相手も耳まで口を裂いて笑み返してくれる。


 四月に知り合ってから、一つ目入道さんはこうして時々、部活中にお話しに来てくれる。


「土産じゃ」


 そう言って、懐から花やキノコをいくつも取り出し、私の横の机に並べた。


 花はラッパの形の、小さなユリみたいなもの。キノコは真っ赤なカサが開いているもの。秋にはまだまだ早いこんな時期に、キノコなんて珍しい。


「どこかへお出かけだったんですか?」


「北のほうまで、ちぃと足をのばしてみた。古い知り合いの、まあなんじゃ、墓があってな」


「お墓? お知り合いって、人間ですか?」


「いいや、妖怪だ。妖怪も死ぬ。いずれはな」


 ・・・そう、なんだ。


 百年、千年、彼らは平気で生きるから、死が縁遠いものに思えるけれど、本当に永遠に続くものなんて、この世にはないのかもしれない。


「奴の棲み処はよいところでな。山の妖どもがしょっちゅう神楽囃子を鳴らし、真冬であろうが花が咲き、蝶が舞う。うぬにも見せたかったが結界があっての、いつでも行けるわけではないのだ。ゆえに、かわりの土産じゃ」


「ありがとうございます」


 そんな不思議な場所のお土産なんて素敵。


 妖怪たちは私たちのすぐ隣にいることもあれば、たとえば東山の大天狗様のように、人の世界とは異なる空間に住んでいる場合もある。


 その境界は好き勝手に越えられるものじゃない。


 一つ目入道さんが語った美しい場所にも、ぜひ行ってみたいけれど。今は、このお土産だけで満足しよう。


 ここに来るといつもそうするように、一つ目入道さんはあいた机に乗ってあぐらをかき、煙管を咥えた。


 本人いわく、私が絵を描くのを横で見ながら一服するのが楽しいのだそうだ。


「そういえばユキよ――」


 ふと思い出したように、一つ目入道さんが何か言いかけた時、


「――佐久間様」


 ぬるりと伸びた女の人の首が、窓から入って来た。思わず悲鳴を上げてしまいそうになり、慌てて飲み込む。


「おう、ろくろ首か」


 一つ目入道さんが煙を吐くついでに、その妖怪を呼ぶ。


「日中に座敷の暗がりから出でて、何用じゃ」


「こちらにご高名な絵師の佐久間様がいらっしゃると、風の噂で聞きましたもので」


 ろくろ首さんは、大輪の百合が描かれた黒い着物の裾を押さえ、しずしずと体のほうも窓を乗り越える。


 天井まで上っていた首が降りてきて、泣きぼくろのある、色っぽい、妖しい瞳が眼前に迫った。


「日中のうちに訪ねれば、姿絵を描いてくださると聞いて参りました。どうぞ我がことも描いてくださいませ」


「は、はい。もちろん、喜んでっ」


 急いで描き途中だった絵を片付け、スケッチブックをイーゼルに立て掛けて準備する。


 お狐様が一度、妖怪たちを大勢引き連れて来てから、美術室には頻繁に妖怪が訪ねてくるようになった。


 この時間帯は私がここにいて、頼めば絵を描いてくれるものと、いつの間にか妖怪たちの間で噂になってしまったようなのだ。


 私が妖怪と関わるようになったのはつい最近のことなのだが、もともと五年前に亡くなったおじいちゃんが妖怪の絵師として有名だったために、混同されてにわかに私まで《高名な》絵師様になってしまった。


 妖怪の絵を描くのは大好きだし、描いてとお願いされることは舞い上がってしまうくらい嬉しいのだけど、期待通りの絵を描ける自信がないので、こうして訪ねて来られると緊張する。


 なにせ相手は人外の力を持った妖怪である。変なふうに描いたら怒られて、最悪、殺されてしまうかもしれない。でも描かなかったら、もっと怒らせてしまうだろう。


「――できましっ!?」


 描き終わり、顔を上げたところでまたぎょっとした。いつの間にか、窓辺に見たこともない妖怪がたくさん、増えていたのだ。


 妖怪たちは飛び出んばかりに目を見開いて(瞳がない妖怪もいたけれど)、食い入るようにろくろ首さんの絵を見つめ、「いいなあ!」と大合唱を始めた。


「佐久間殿! 我もこのような絵がほしい!」


 手がはさみになっている青い妖怪が、ちょきちょき両手を鳴らして、小さな河童が窓ガラスを水かきのある手でぺしぺし叩く。


「ねえ描いて!」


「ろくろ首に描いてやったなら、おれにも描いておくれ!」


「描いてくれなきゃひどいぞ!」


「は、はいっ、わかりましたので、あのっ」


 妖怪たちをなだめるために私も声を張るのだが、彼らは我先にと詰め寄って譲り合うということをしない。


「み、みなさん、どうか、どうか落ちついて、順番に・・・」


「早く描いておくれよぉ!」


「我もきれいな絵がほしいのだ!」


「早く早く!」


「あっ」


 詰め寄られ、イーゼルが倒れかけたのを、咄嗟に掴んだ瞬間。


 紅蓮の炎が、頭上を焼いた。


「ぎゃあ!?」


 妖怪の悲鳴が上がり、火の粉をかぶった妖怪が、外へ慌てて逃げていく。


「全員外に出ろ」


 同時に、低い声がした。


 燃え盛る炎に似た、鮮やかな緋色の髪。やや眠そうでありながら、逃げ損ねた妖怪たちを睨み据え、怯える彼らに凄むのは、天宮くんだ。


「並べ。どいつが先に来たとかどうでもいいから描いてほしけりゃ並べ。一列だ」


 怯える妖怪たちは即座に言われた通りにする。


「暴れたり騒げば問答無用で消す」


 人におそれをもたらすはずの妖怪たちが、大人しく言うことを聞くほどに、天宮くんは彼らにおそれられている。


 彼のお家は先祖代々この土地で祓い屋をしているために、私なんかよりもずっと妖怪たちの間で有名なのだ。


 ほとんどの妖怪は天宮くんに逆らわない。さもなくば、いつでもどこでも現れる神様の炎に丸焦げにされてしまうから。


「佐久間は天宮が守護している。この者に災いをもたらすことは、天宮が許さない。他の妖怪どもにも伝えておけ」


 絵をもらい、逃げ去る妖怪たちの背へ、天宮くんは念を押す。


 部活に入っていない彼は放課後、おもに美術室の隣の美術準備室で寝ている。準備室は、先生が授業の用意をしたり、みんなの作品を収納したりする、物置き兼作業部屋だ。


 そこには横になるのにちょうどいい、ちょっと破れた古いソファが置いてあり、部活が終わるまで天宮くんは大抵そのソファで寝て待っている。


 美術室に繋がる内扉は全開にしておき、こうして妖怪が来た時にはすぐさま助けてくれるのだ。


「やはり、おったかよ天宮の小僧」


 行列がすべて帰った頃、天宮くんは続けて一つ目入道さんのほうへ視線を移す。


「お前はいつまでいるつもりだ?」


 煙をくゆらせている一つ目入道さんは、他の妖怪とは違い、天宮くんを前にしてもちっとも動じない。


「睨むな。我はユキの困るようなことはせぬぞ。今日は土産を届けに来ただけじゃ」


 すると天宮くんは机に転がったお土産に目を落とし、


「食べるなよ?」


 キノコを指して、なんだか心配そうな顔で私に言った。


 さすがに、食べようとは思っていなかったけど・・・たぶん、私は特に妖怪のことなどで、天宮くんからすれば知っていて当然のことをまるで知らないから、こんなことまで心配されてしまうんだろう。


 普段、どれだけ彼に気苦労を強いているかが窺える。


「なんじゃ、うまいのに」


「人間が食べて大丈夫な保証はない、てか、明らかにやばい色してるだろ」


 天宮くんは隣の椅子に座って、花などをいじり始め、結局、一つ目入道さんを追い払うことはしなかった。


 穏やかな放課後の時間をともに過ごす、人と妖怪と祓い屋。

 緊張感のない三竦みが、ここではよくある光景だ。


 西の日が赤くなり、下校時刻の放送が流れるまで、私たちはぽつぽつと他愛のない話を続けた。

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