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幻想徒然絵巻  作者: 日生
18/150

大天狗

 誰かに、体を持ち上げられた。


 目を開けたらお面をした顔があって、周囲を黒い羽に包まれている。


 私の体を支える手は大天狗様のもので、つまり私は大天狗様に抱えられているんだと理解するまで、だいぶ時間がかかってしまった。


「実にすばらしき絵をありがとうございます、佐久間殿。今宵、一番の祝いの品となりましたよ」


 丁寧な口調で丁寧にお礼を述べられ、ついでに大天狗様は私に杯を渡し、透明なお酒を注ぐ。


「どうぞお好きなだけ飲んでください」


「・・・お、お構いなく」


 どうして私、大天狗様に抱っこされてるんだろう。


 小天狗さんたちを統べる、天狗の大将のお膝の上に乗ってるって、一体どういう状況なんでしょうか?


「実に、実にすばらしい。これほど我が姿を勇壮に描かれるとは」


 再度絵を眺めながら、大天狗様は感嘆のような、深い溜め息を漏らす。その絵は烏天狗さんたちがせっせと壁に貼ってくれていた。


「桜の絵もよいものでしたが、やはり己の姿を描いていただく喜びに勝るものはありませんね」


 大天狗様は絵から私へ、視線を戻す。お面に隠れて、その瞳はよく見えない。


「私の声を、覚えておいででしょうか」


「・・・え?」


「あの時はあたかも千年桜の精であるかのように貴女をたばかりまして、申し訳ございませんでした。いただいた絵は我が寝所に飾り、夜ごと眺めております」


 千年桜、絵、それにこの声。


「・・・もしかして、大天狗様だったんですか?」


 大天狗様はゆったり頷いた。


「私は花見をしながら、うたた寝をしておりました。そこへ貴女がやって来て、貴女の描く美しき絵を見て、声をかけずにはおれなかったのです。こうして我が祝いの宴にもお越しいただけたことは、まことに恐悦至極」


 まさか、千年桜の精の正体が、大天狗様だったなんて。


 でも、でもこの調子なら、なんとか生きて帰れそう? ちょっと大げさなくらい、絵を気に入ってもらえたみたいだし。


「貴女はすばらしい絵師ですよ、佐久間殿」


「わっ」


 急に、大天狗様に肩を強く抱き寄せられたものだから、杯の中身が少しこぼれた。

 お酒のまじった熱い呼気が、頭の上から降りて来る。


「おそらく年を重ねてゆくにつれ、貴女の才は一層輝きを増し、さらに崇高で美しく、不確かな存在を確かに(あか)す絵をお描きになるのでしょう。私はそれを楽しみにも思いますが、同時に惜しくも思います」


 その時、空気が、変わった。


「これほどの輝かしい才を持ち、心から我らを愛してくださる貴女も、所詮は人の子。我らと同じ時を生きてはくれない。――ですが、方法がないわけではない」


 何か、何か嫌な予感がする。気づけば大天狗様の手に強く押さえつけられ、身動きができない。


 まるで大きな体がそのまま、私を捕らえる檻のようだった。


「私は貴女をとても気に入りましたよ。そこでどうでしょう、不老不死となり私に仕えませんか?」


「・・・は」


「貴女のために新たな宮を建てましょう。望むものはなんだって与えましょう。ですから我らの仲間となって、永久に我らを描いてはくださいませんか?」


 ・・・ちょっと待って。ちょっと待って。お願いだからちょっと待ってください大天狗様。


「この丸薬を口に含み、霊水で一気に流し込んでください」


 って、なんか黒い粒を押しつけてくる!


 いや、待って、そんな、不老不死も確かに人類の夢だけどっ、たった一晩でいきなり二つも叶わなくていいですから! そんな重大な決断をごり押しでさせないでください!


 言いたいことはたくさんあったけれど、口を開けば怪しげな丸薬を放り込まれそうで、私は杯を投げ出し、必死に自分の口を両手で押さえ顔を逸らした。


「恐れることはありません。その才も若さも、永久に手放さずにいられるのですよ?」


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!!


「さあ、こちらを向いてください」


 穏やかな口調に勘違いしてしまうけれど、大天狗様の力は尋常じゃなかった。


 顎を指先でつまんだだけで私の首をぐりんと回し、口を押さえる手をいとも容易くはがしてしまう。


 もう、だめ。


 圧倒的な力に無理やり顎をこじ開けられ、あきらめたのと同時だった。


 黒い視界を、紅蓮の炎が彩ったのは。


 強く襟首を引かれるとともに、大天狗様の腕の中から脱出する。


 突然現れたのは誰あろう、炎と同じ鮮やかな緋色の髪を持つ少年、天宮くんに決まっている。


「吐き出せ!」


 感動に浸る間もなく、下を向かされどんどん背中を叩かれた。結果、激しく咳き込み、ぽろりと黒い丸薬が床に零れ落ちる。


「大丈夫か?」


「ん・・・だ、だいじょう、ぶ」


 だいぶ痛いし苦しいけど、なんとか。


「ふむ。祝いの席にふさわしからぬ者があるな」


 大天狗様は悠々とあぐらをかいたまま。

 天宮くんの炎に焼かれたはずなのに、平然としている。


 へべれけになっていた烏天狗さんたちも侵入者に気づき、手に手に刀を持って、周りを取り囲んだ。


「天宮の者か。佐久間殿を人の世に連れ戻しに来たか?」


「カラスどもを蹴散らしたら出口まで一気に走る」


 天宮くんは小声で言って私を後ろに庇う。私もそのつもりで心の準備をしておく。


「さて――」


「行くぞ!」


 何か言いかけた大天狗様を遮り、炎が盛大に空間を焼き尽くす。


 烏天狗さんたちがおののいて羽をまき散らし、炎と合わさって目くらましとなる。


 その隙に、天宮くんは私を掬い上げて走った。


 彼の腕に抱えられ、私は身を縮めているしかない。あるところで薄く目を開けると、もう出口が迫っていた。


 と思ったら突然、視界が回り、体全体に鈍い衝撃を受けた。


 そのまま床に転げ落ちる。急いで起き上がって状況を確認すれば、天宮くんが背中を扉に叩き付けられ、咳込んでいた。


「小僧だけ、外まで飛ばして進ぜよう」


 ぽん、ぽん、と、大天狗様は団扇を自分の膝に軽く当てながら、座を立ちもせずこちらを眺めていた。


 今、たぶん、天宮くんと私は後ろから何かに吹き飛ばされた。そのまま扉に叩き付けられる寸前で、天宮くんは身を捻り、私を庇ってくれたのだろう。


 天宮くんは間もなく立ち上がったものの、私と扉に挟まれたダメージは大きいらしく、苦しげな表情だ。


「佐久間殿を置いてゆけ。今ならまだ生かして帰してやろう」


「・・・ざけんな」


 低いつぶやきが、炎となって大天狗様に襲いかかった。


 それに対して、大天狗様は団扇を縦に一度、あおぐ。すると炎が巻き戻り、あっという間に吹き散らされてしまった。


「くそっ」


 天宮くんが悔しそうに呻く。


 私は場違いにも、小さい頃に絵本で読んだ昔話なんかを思い出していた。


 ――天狗の()団扇(うちわ)


 強風を巻き起こし、他にも色々な力を持つ、妖怪の宝物が出てくるお話のことを。


「ここにいて」


 天宮くんは短く告げて、床を蹴った。


 再び空間に猛火が広がる。すかさずそれが吹き散らされる間際に、拳に火炎をまとった天宮くんが、大天狗様に殴りかかった。


 と思ったら、天宮くんは後ろに跳んだ。


 炎が消えて、見れば大天狗様が今度は右手に刀を持っている。すでに鞘から抜かれ、眩く光を反射していた。


 その命を奪える鋭利な輝きは、私を本当の恐怖で凍り付かせた。


 ――殺そうとしているんだ。天宮くんは、殺されそうになっているんだ。


 戦いは続いていく。


 天宮くんの正面に大天狗様が、横と後ろに烏天狗さんたちが高く鳴きながら、天宮くんに刀の先を突き付ける。


 それらがかするだけで、衣が裂け、白い肌に血の筋がつく。

 どんどん、増えていく。


 周りを蹴散らすように炎を何度も広げ、その都度、烏天狗さんたちはやや退くけれど、大天狗様にはまるで効いているそぶりがない。


 妖怪たちはみんな、天宮くんの前では逃げ惑っていたのに。神の炎は、大天狗様が羽団扇をかざせば、さっと割れてしまう。


 そしてそのたびに、天宮くんも一緒に吹き飛ばされ、壁や床に叩き付けられる。


 あの圧倒的だった人が。私とは全然、違う世界にいた人が。大天狗様にはまるで子供みたいにいなされて。


 ――待って。そう、そうだよ。天宮くんは、だって――


「ぐ・・ぁっ!」


 すぐ横に、天宮くんが文字通り落ちてきた。


 ほぼ同時に大天狗様がその背を踏みつける。


「天宮くんっ!?」


 宙に現れる炎はもう蝋燭のように弱々しくて、大天狗様の袴の端を焦がすのが精一杯だ。


 右手が床を這い、私の着物の袖を握りしめる。

 きっと、私が連れ去られないように、せめてもそこに留めようとして。


 私も天宮くんも逃げられないから。


 大天狗様の足をはねのける力さえ、もはや残っていないんだ。


 無限じゃなかった、彼の力は。

 当たり前。そう、当たり前だ。


 改めて思い知る。絵を描いた時にも伝わってきた威圧感は、やっぱり並の妖怪のものじゃなかった。


 大天狗様は、ケタ違いに強いのだ。


「神の力は凄まじきものであるが、器が人ではこの程度であろう」


 その声音はどこか憐れむようだった。


「天宮よ、佐久間殿から手を放せ。生きて帰るがよい」


 促された天宮くんは、しかしなお強く私の袖を引っ張る。


「天宮くん・・・」


 圧倒的な力には抗えない。それでも私を放さないのは、たぶん、彼が天宮の人だから。


 長い年月、彼らは人々を守り続けてきた一族だから。妖怪に促されて人を見捨てることなんて、きっと、積み重ねた誇りが許さないのだ。


「死を選ぶか。それもよい」


「っ、だめ!」


 刀を振り上げる大天狗様に、私はもう、泣きながら縋りついた。


「わかりました、大天狗様にお仕えします! お薬も飲みます! ですからどうか、天宮くんを助けてください!」


 何もかも、どうでもいいと思った。


 何度も何度も私を助け、こんなところまで駆けつけてくれた人が生きられるなら、他に大事なことなんて一つもないと思った。


 天宮くんは、優しい人だ。今、殺されそうになっているこの時でさえ、自分じゃない誰かを守ろうとしている。


 私なんかよりずっとずっと、生きてなきゃいけない人だ。


「お願いします、大天狗様、お願いします、天宮くんを殺さないでください・・・っ」


 泣きながらの必死の懇願は、やがて妖怪の心に届く。


「――承知しました」


 大天狗様はきれいに微笑んで、刃の先を私の着物に突き立てた。


 天宮くんが掴んでいた、袖の端だけを切り離す。


「っ! さくっ・・・」


「こちらへ」


「やめ、ろ・・・っ」


 天宮くんの声は、私の胸が軋む音に似ていた。


 だから聞こえなかったことにして、差しのべられた手に、そっと指先を乗せる。


「歓迎しますよ。佐久間ど――」


 瞬間、大天狗様が私の視界から消え、


「どーん」


 間の抜けた声とともに、勢いよく入り口の扉が開き、漆黒を晴らす金色の光が差し込んだ。

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