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幻想徒然絵巻  作者: 日生
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宴会

 烏天狗さんたちは、東山へまっすぐ入っていった。


 木々の間を飛び続け、ひと際大きな杉の木が二本、立っている間をくぐり抜けた時に、空気が変わった。


 肌に当たる風が急に弱まり、かすかに木が燻っているような匂いがする。


 やがて霧が出てきた。


 徐々に濃くなってゆき、近くにある木の影すら見えなくなっていく。かわりに、点々と道しるべのように灯る松明の炎が、ぼんやりと浮いていた。


 その炎の終着点に、大きな門がそびえていた。霧は晴れ、今はその壮大なお屋敷の様子が窺える。


 天宮くんのお家もすごかったけれど、これはさらにすごかった。


 白砂利が敷き詰められている庭園の中に、我が家よりも大きな、お社のような建物が、間隔をあけていくつも建っており、それぞれが渡り廊下でつながっている。赤い橋のかかった池や、橋の先には東屋なんかも見えた。


 私は門をくぐったところで降ろされ、すぐ正面の建物へ案内された。


「こちらにて、しばしお待ちくだされ」


 広すぎるお屋敷のどこをどう通ったか、もう覚えてない。ぴかぴかに磨かれた床が眩しい部屋で待つように言われ、その際に、


「こちらにお召し換えくだされ。宴のご衣装にございます」


 と、着物を渡された。


「天の雲を紡いだ着物にござりますれば、常より体が軽うく、ふわふわと浮いておるような心地となります」


「あ、ありがとうございます」


 雲って紡げるんだ? と思いつつ受け取ると、まったく重さを感じなかった。


 まるで羽毛が乗っているみたい。


 上衣は白地に色とりどりの小さな花々があしらわれた振袖、下は舞い散る花びらを描いた臙脂の袴で、私なんかが着るのがもったいないくらい、きれい。


「日が暮れましたら宴が始まりまする。佐久間殿の出番は後になりますゆえ、しばしお待ちを」


 打ち合わせはそれだけで、烏天狗さんたちはさっさとどこかへ行ってしまった。


 私は着物を置いて、リュックの中から携帯を取り出す。だめもとで電波を確認してみると、やっぱり圏外。

 妖怪の世界まで電波は届かなかった。


 これで、外と連絡を取れないことがはっきりしてしまった。


 宴がいつまでかかるのかはわからないけど、日が暮れても帰って来なかったら、お母さんたち心配するだろうな。


 学校に電話したりするかも。もし警察沙汰にまでなってしまったらと思うと、落ちついていられない。


 でも例えば冒険漫画の主人公のように、自ら危機的状況を脱する根性も能力も、私に備わっているはずがない。

 そんなものがあったら、こんなに天宮くんのお世話になってない。


 天宮くん・・・助けに来てくれるかな。

 呆れて見捨てられててもおかしくない。けど、私に神様を奪う変な力がある以上は、やっぱり助けに来てくれるのかな。


 もっとも私がここで殺されてしまえば、秘密が漏れる心配もないけれど。


 いや、でも、さすがに、一応は助けに来てくれるのかも。

 それはそれで申し訳なさ過ぎる・・・・。


 できれば自力で脱出したい。見つからず抜け出す自信がない以上は、なんとか職務をまっとうして、正式に帰してもらうしかないんだろう。


 案外、なんだへたくそ出て行けと普通に追い出してもらえるかもしれないし。いささか楽観的でも、今はそう信じているしかない。


 大丈夫、きっと、大丈夫。


 落ちつこう。あんまり怯えていたら、逆に変なことをして天狗さんたちを怒らせてしまうかもしれない。冷静、冷静だ。


 まずは言われた通り、着替えてみよう。私は衣装を広げた。


 普通は下に着るべき襦袢がなかったので、カーディガンだけ脱いで制服のシャツとスカートの上から、振袖を羽織ってしまう。そのほうが終わった後、すぐに脱いで帰れると思った。


 死んだおばあちゃんがよく着物で過ごしていたから、どんな形になればいいのかイメージはできるけれど、当たり前ながら一人でちゃんと着付けられるわけがない。


 金色の帯がぺろっと一枚あったものの、結び方が見当もつかないため最初から放棄。


 腰紐を使って、胸の下辺りで着物を端折はしょり、袴を穿いて、その袴の紐もどう結んでいいかわからないから、最終的に胴体にぐるぐる巻きつけ、腰の横で蝶々結びにしてしまった。


 たぶんものすごく不格好だろうけど、鏡すらないのだからもう仕方ない。だんだん、やけくそになってきた。


 さあできたと思ったらサービス精神旺盛な烏天狗さんは、桜を模したきれいな簪まで用意してくれていて、なんとか髪型をいじりそれっぽくまとめるのに大いに時間を費やす。


 その間、中庭を挟んだ向かい側の廊下を、品物を持って行き交う烏天狗さんたちの姿を何度か見かけた。


 部屋には襖や障子戸がなく、衝立くらいしかなかったので。日はとっくに暮れているから、もう宴が始まっているんだろう。


 いつ呼ばれるかな、そろそろかな、と待ち続けているうち、刻一刻と月の位置が高くなっていく。


 すると一度落ちつけた不安がまただんだんと増してきた。

 まさか私、オオトリじゃないですよね? という不安。


 そういえば、私は烏天狗さんに連れ去られてここにいるけれど、彼らのご主人様である大天狗様に招待されたわけじゃない。


 もし、もし、大天狗様は実は絵なんて欠片も興味なかったら? しかも全然うまくもない絵だ。最後に出てきてこんなものをと思われて、殺されてしまうんじゃ・・・。


 あり得る。


 へたくそ帰れ、ならいい。興味なし殺せ、で出てすぐに首を落とされたらどうしよう。


 今からでも逃げる? 宴が始まっているなら、まだ隙があるかもしれない?


 どうしよう。怖い。

 ああ天宮くん助けに来てくれないかなごめんなさいできればお願いします。


「佐久間殿、出番ですぞ!」


 しかし願いは届かず、烏天狗さんからお呼びがかかってしまった。


 だめだ。観念するしかない。


「さあさあお早く!」


 夕方より声が上ずっているというか、なんとなく烏天狗さんたちはハイテンションになっていた。吐息がお酒臭いから、酔いが回っているのかもしれない。


 渡り廊下をいくつも通り、やがて目の前に両開きの絢爛豪華な扉が現れたと思ったら、そこが宴会の会場だった。


 中に入ると、天井がとても高い。たくさんの灯が照り、見事な獅子の描かれた金色の壁が眩しかった。


 細かい升目状に区切られている黒い天井にも、一つ一つの区画に凝った蓮のような花の絵が丹念に描き込まれている。何もかも豪華。


 でも、そんなきらやかなお部屋の床には、烏天狗さんたちがへべれけになって転がっている。


 お酒も料理もとっちらかっちゃって、こう、色々と台なしだ。


 そんな中で私は烏天狗さんにぐいぐい背を押され、躊躇する暇もなく、広間の最奥へ。


 そびえ立つ台座の上に、今宵の主賓があぐらをかいていた。


「大天狗様! こちらが我ら兄弟のお祝いのお品。近頃評判の妖怪絵師、佐久間殿にございます!」


「ほう」


 烏天狗さんたちが述べた口上に、そのヒトは笑みを含んだような声を漏らす。


 大きな、大きな黒い翼。


 目鼻を覆う木のお面を付けている。


 極端に長鼻の真っ赤な天狗のお面じゃない。でも外国人のようにお面の鼻はちょっと高い。


 口元や手に見える肌の色は普通で、やっぱり赤くない。


 翼さえなければ少し変わった格好をしているだけの、男の人に見える。


 短めの黒髪の上に小さな烏帽子を乗せ、鷹のような柄の羽を集めて作った感じの団扇うちわで、優雅に自分を煽いでいた。


「これより佐久間殿には大天狗様のお姿を、こちらに描いていただきます!」


 烏天狗さんたちは、私の前に皿に取り分けた数種の絵具と、だいぶ太い筆を置き、そして天井近くまで届く白紙を宙に広げた。


 予想外に大き過ぎる。


「佐久間殿、ではどうぞ!」


 ・・・うん、やるしかない。とりあえず、出鼻に斬首は免れたんだから。


 絵は、運動も勉強もできない私の唯一の取り得。これ以外にがんばってきたものは他に何もないくらい。


 気に入ってもらえるかは、ひとまず考えないで。この場でできる限りのことをしてみよう。


 ところが筆を持ち、さあ、と思ったものの、紙は宙で烏天狗さんたちが持ったまま。


 ぴんと張ってくれてはいるけどそういう問題でなく、単純に背が届かない。これでは下のほうにちんまりと描くことになってしまう。


「あ、あの、紙を降ろしてもらえませんか?」


「そんなことをしたら汚れてしまいまする。佐久間殿が飛べばよろしい」


 なんて無茶ぶりっ。


「と、飛べませんっ」


「とーん、と床を軽く蹴ってごらんなされ。体が浮きまする」


「え?」


 言われた通り、右足で軽く床を蹴ってみる。すると体が静かに浮き上がり、宙のなかばでゆっくり止まる。そして右にと思えば、体を少し傾けるだけでそちらに移動し、下へと思えば降りられる。


 わ、私、飛んでる・・・。


 すごい、これ。


「佐久間殿、遊んでおられんでお早う描いてくだされ」


「は、はいっ、ごめんなさいっ」


 自由に宙を浮くという人類の夢を思いがけず叶えられてしまい、一瞬何もかも忘れかけた。


 気を取り直していったん床に降り、台座を見上げた。


 大天狗様は口元に笑みを浮かべ、肘かけに寄りかかり私を観察している。


 貫禄も余裕もたっぷりな、まさしく天狗の大将といった感じではあるのだけど、いささかリラックスし過ぎてる感が・・・うーん・・・。


「あの、すみません」


 あるいはこの時、私も会場の酔い気にあてられてしまっていたのかもしれない。自分でも驚くほど自然に、上座の相手へ話しかけていた。


「もしよろしければ羽を広げてくださいませんか?」


「・・・羽?」


「さ、佐久間殿っ」


 すると紙を持つ烏天狗さんが慌て出した。


「お寛ぎになられている大天狗様にそのようなことっ」


「す、すみません・・・あの、でも、そのとても立派な羽をちゃんと描いたほうが、いいと思うんです。ううん、ぜひ、描かせてほしいんです」


 せっかくこんな大きな絵にするのだから、羽を座布団みたいに潰しているところより、優雅に広げているところのほうが絶対にいい。


 大天狗様は一度くすりと笑い、


「っ――」


 次の瞬間、大きな大きな羽を空間いっぱいに広げて見せてくれた。


 圧倒的な力が、襲い来る。


 羽を広げた、それだけのことなのに、空気がびりびり震える。一緒に、私の体も震えていた。


 恐怖とも、歓喜ともつかない。


 ただただ、その姿を美しいと思った。


 私は宙に浮かぶ大天狗様の光景に魅入ったまま、ほとんど無意識に筆を取る。


 自由に空を飛べる感動なんて消し飛んだ。


 体全体を使って筆を動かしつつ、黒い羽の一つ一つまで細かく、胸の奥から突き上げてくるものに急かされながら、どこまでも執念深く描き込む。


 そうして描き終えたら、私は宙を落下した。


 幸いと骨を折ったりはしなかったけれど、自力で起きることはできなかった。


 完成した絵を見上げれば、画面いっぱいに羽を広げた大天狗様がいる。色は、様々用意してくれていたものの、ほとんど使ってない。黒一色。


 見る者すべてを覆う漆黒が迫る。


 目の前にすれば、何も知らない人でも否応なしに悟るだろう。これはまぎれもなく、闇を統べる存在なのだと。


 みっともなく床に転がりながら、私は満足していた。


 今持てるすべてを出し切ったと思う。

 これで殺されてしまうなら、きっとはじめからそれが運命だったのだ。


 心地良い疲労感が全身を包む。


 とても清々しい気持ちで、私は目を閉じた。

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