見舞い客
霞がかった景色の中、去りゆく四つの影が見える。
どこへ行くのかと視線を先にやれば、遠くの巨大な影のもとを目指しているみたい。
春に初めて緋色の神様を描いた後にも、私は夢うつつにあの影を見た。
あれはとてつもなくおそろしいもの。荒ぶる神たちを従えるもの。以前は朧げにしかわからなかった姿が、今はいくらか明瞭になっている。
それはおじいちゃんの描いた絵姿と同じ。
天魔雄神。
私たちが逃れられないはずだった災厄。
境を越えるぎりぎりで、約束は果たされた。
「おめでとう」
すべての感覚が霞がかっている中で、急にはっきり聞こえた声に驚いた。
振り返ると、そこにはセミロングの髪型が似合う女子高校生がいる。
「笹原さん!」
私は咄嗟に駆け寄ろうとした。
けど、なぜかいくら走っても距離が縮まらない。笹原さんはその場に止まっているのに。
彼女は学校にいた時のような明るい笑みを浮かべていた。
「危なかったねー。あとちょっと遅かったら、どうなってたかわかんなかったよ? 先にサクちゃんのおじいさんが一柱の荒神を返していたから、アマノザコオノカミも少しは待ってあげる気になったようだけど、神は気分屋さんだからね。今後はアテにしないほうがいいと思うな」
とても普通に話してくれるので、私は困惑してしまう。
「笹原さん、お体は大丈夫なんですか? 大天狗様に怖いことを聞いたんですが・・・」
「そうそう、ひどい目に遭ったよっ。特に九尾っ、やばいよお狐様。天狗の秘薬で手足はどうにかくっつけたけどさ、こうしてサクちゃんの夢の中に入ってることがバレたら本気で殺されそう。だからあんまり長居はしないでおくね」
「あ、これ夢なんですね」
「半分ね? サクちゃんにはうちの姫様の力が宿ってるから、魂が神界と時々繋がっちゃうんだよ。ちなみに姫様は今とってもご機嫌斜めなんで会わないほうがいいよ」
「は、はい」
姫様って、たぶんアマノザコノヒメ様のことだろう。私もお会いする勇気はない。
「サクちゃんは北山で倒れて、もう三日くらい眠ってるよ。よっぽど疲れたんだろうね。ご苦労様。でもほんとに、よかった」
笹原さんは心底ほっとしているみたい。
彼女はアマノザコノヒメ様のために動いていたはずなのに、主の思い通りにならなかったことを喜んでいる。
「ごめんね、サクちゃん」
笹原さんは眉を下げて、少し悲しげに言った。
「もう私の顔なんか見たくないかもしれないけど、一度だけちゃんと謝っておきたかったんだ」
「いいえっ」
私は思いきり首を横に振った。
笹原さんはすでに謝ってくれている。幼い私をアマノザコノヒメ様のもとへ連れて行った時がそう。
この一年間の出来事がすべて彼女によって仕組まれていたのだとしても、私が恨みに思うことは一つもない。
「私、ずっと楽しかったです。怖いことも悲しいことも、最後は全部が大切な想いに繋がりました。宝物のような一年でした。笹原さんが私を導いてくれたおかげです。本当に、本当に、ありがとうございました」
笹原さんがいなかったら、私は誰にも出会えなかった。
それらがもたらす災いも幸いも、絵にすることができなかっただろう。
たとえどんなに願ったとしても。
笹原さんはアマノザコノヒメ様を顕現させるために私を色んな存在に引き合わせたけれど、そこにはもしかしたら、きたる時の助けとなるように、私と土地の妖怪たちとの縁を結ぶ目的が隠されていたんじゃないかと、今では思える。
心から、笹原さんがいてくれてよかった。
神様にこの力をいただいてよかった。
私は何も後悔していない。
「――サクちゃんは、これからも妖怪を描く?」
頭を上げると、笹原さんと私の間を漂う霧が少し濃くなっていた。
だからちゃんと届くように声を張り上げる。
「はい、私は妖怪絵師になります!」
それが将来どんな形で叶えられるかはわからないけれど、私は夢を追う道を選ぶ。
だってそうする限り、妖怪たちは私に会いにきてくれると思うから。
「いつか笹原さんの絵を描かせてください!」
願うと、霧の向こうで笹原さんも声を張り上げた。
「うん! その時はクッキーのお返しを持って行くよ!」
じゃあね、と放課後に友達と別れるように片手を振る。
私も一生懸命振り返したけれど、それで霧を払えることはなく、どんどん濃くなって、まっ白になって、ついには私自身がその世界から消えてしまった。
❆
目が覚めて、はじめに見たのは病院のまだら模様の天井だった。
春の時に救急車で運ばれた時とは違い、個室で点滴を打たれていて、ちょうど部屋に入ってきたお母さんは私と目が合うや、化け物に会ったかのように悲鳴を上げた。
結局、私は四日間も眠り続けていたらしい。
お母さんの連絡を受けて職場から駆け付けたお父さんも、何があったのかは綾乃さんたちから全部聞いているとのことだった。
特別体に異常はないものの、病院には過度の疲労と診断され、その後も一週間は様子見で入院することになった。
原因は絵の描き過ぎ、なんて我ながら苦笑いしてしまう。もちろん対象が対象だったから仕方ないんだけども。
入院中は、煉くんたちがそれぞれにお見舞いにきてくれた。
洸さん綾乃さん椿さん慧さん翔さん、あと莉子さんも。
あの夜から、莉子さんは綾乃さんとともに天宮本家とその周辺の家々を守っていたそうだ。「煉たちの分までめちゃくちゃがんばったんだから!」と半分怒りながら教えてくれた。
そして私のことは、「ちょぴっとだけ赦してあげる」とのことだ。
祓い屋の皆さんの活躍もあり、町の人たちは一日中真っ暗だった空を不思議がってはいたものの、ほとんどの人は目立った被害がなかった模様。
ただ少し敏感な性質の人は呪詛の後遺症で体調を崩すことがあるそうで、今はその対応に回っているらしい。
古御堂家の皆さんからも同じことを聞いた。
正宗さんは病室に入るなり、「失礼」と断って、私の右腕が本当に無事か何度も確かめていた。
とても心配してくれていたことが感じられて、私は右腕がくすぐったいのもあり笑ってしまった。それでまた睨まれたりして。
この時ついでに龍之介さんは椿さんとどうしたのかなあと気になり、椿さんには怖くて探りを入れられなかったけど、龍之介さんにそれとなく訊いてみたら「これからさっ」と天に向かって両手を広げていた。
それに正宗さんはノーコメントで、拓実さんには「お前らこそどうかなったのか」と訊かれ、その、なんのことかはっきりわからなかったので私も沈黙。
とりあえず龍之介さんの怪我の具合が良くなっているようなので安心した。
この他にも学校から相馬先生や、隣町から美月さんが来てくれただけに留まらず、夜中にふと目が覚めて、お狐様率いる西山の妖怪たちに覗き込まれていた時は、心臓が飛び出るかと思った。
しかも私から事の顛末をお話しする間に酒盛りが始まってしまい、いつ看護師さんなどに気づかれるかと一人で冷や冷やしてた。
お狐様からは、北山のお社のことを教えてもらった。
封印を解かれた北山様は、今も白児さんや宮守の妖怪たちと一緒にお社で静かに過ごされているらしい。なんと私の描いた絵がご神体のごとくお社に飾られているのだとか。
お狐様は、北山様が天宮家を赦してくれたことについて、私の描いた絵の影響があったんじゃないかと言っていた。
「神も妖も想いによって在り方が変わる。そなたは宿儺を救いの神として描いたのであろう? ゆえに、そういうものとなったのだ」
それは、かつてお狐様が人々の想いによって土地神になったことと同じだという。
だとしたら、北山様はこれからも私たちを見守ってくださる。
「前にも言ったであろう。ユキよ。優しさはいかなる呪いをも打ち破るのだ」
お狐様は私の頭をなでながら、己の心に従って生きろと再度念を押すように言ってくれた。
この夜以外にも、南山から猫又さんや大禿さんが来てくれたり、烏天狗さんが窓を叩いて、大天狗様からの金平糖を置いていってくれたりした。
ちょっとびっくりする嬉しい訪問があるたび、私は、たくさんの存在に自分が守られていることを実感できた。




