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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
145/150

広がる淀み

 おじいちゃんが左腕を失ったあの日、綾乃さんは古御堂家へおじいちゃんを預けた後、一人で襲撃の黒幕を探しながら戦っていたそうだ。


 でも神様を洸さんに預けてしまっていたから、どうしても手こずってしまい、埒が明かず途中で思い直しておじいちゃんの元へ戻ることにした。


 その頃おじいちゃんは正宗さんたちの協力で妖怪たちから逃れ、洸さんを追い、北山へ入っていた。

 そして、巨大な狼に襲われたそうだ。


「御犬の経立(ふったち)


 と、綾乃さんは妖怪の正体に見当をつけていた。


 長い年月を生きた御犬、つまり狼が妖怪になったものだそう。その唸り声を聞けば人は恐怖に囚われ、何も考えられなくなってしまう。


 綾乃さんが追いついた時、妖怪が現れ、不意を突かれた隙におじいちゃんは腕を食べられてしまった。


 その後のことを綾乃さんはあまり覚えていないそうだ。

 気づけば、後から追いついた正宗さんにおじいちゃんをまかせ、妖怪を追っていたのだという。


「・・・あの状況で、本来は片時も冬吉郎さんから離れてはいけなかったのです」


 綾乃さんは最初に判断をまちがえたと後悔していた。

 その後も焦っておじいちゃんの腕を取り返そうと御犬の経立を追いかけたけれど、結局追いつくことはできなかったそうだ。


 当時の綾乃さんは、まだ私と同じくらいの少女だったのだ。

 突然大勢の妖怪に襲われ、目の前で親しい人が腕を食べられた状況でも冷静に判断するだなんて、簡単にできるものではないだろう。


 何一つ綾乃さんのせいじゃない。


 私は同じ言葉を何度も繰り返した。

 綾乃さんは目を赤くし、泣きそうな笑みを浮かべていた。


「この後悔が、悪神の付け入る隙を生んだのでしょうね」


 アマノザコノヒメ様に憑りつかれている間も、綾乃さんはまったく自分の意思で動けていなかったわけではない。

 ただ、おじいちゃんとの思い出を改ざんされて、私に対して警戒心を抱くようにされていた。


 北山様の封印の前で小さい頃の私に会ったことは覚えていないそうだから、その時だけは完全に意識を乗っ取られていたみたい。


 綾乃さん曰く、天宮家の降ろした神様が煉くんたちの意識までは乗っ取れないように、アマノザコノヒメ様もあまり長い時間、表に出てくることはできなかったんじゃないかと。だから自由に動けるようになるために私の絵が欲しかったんだろう、と。


 そのために、私に敵意を持ちながらも私を決して殺さないように、アマノザコノヒメ様に綾乃さんは誘導されていた。


 アマノザコノヒメ様が体から出て行ったことで、綾乃さんはすべてを思い出した。過去のことと、自身に宿っていた神様の正体についても。


 煉くんは猿神さんをなんとか追い払った後で綾乃さんから事情を聞き、私を古御堂家に運び、綾乃さんは急いで天宮家の他の方々を呼び戻し、本家の態勢を立て直してから、夜明けの前に煉くんたちと合流した、というのがこれまでの経緯。


 そんなことを目を覚ましてすぐに聞いたものの、行動を始めるには私の体力がまだ完全に回復できていなくて、申し訳ないが再び眠らせてもらい、昼頃に改めて起きた。


 驚いたのは、明るさが眠る前とほとんど変わっていなかったこと。

 部屋の窓を開けて見上げたら、空に墨汁を垂らしたような雲がたくさん、うねっていた。


「佐久間? 開けるよ」


 その時、ちょうど煉くんが部屋に入ってきた。


「体調はどう?」


「大丈夫です。煉くんあの、空が・・・」


 隣にきて、煉くんは同じように外を見上げる。


「北山でアマノザコが呪詛をまき散らしてるんだ。もう、あまり猶予はない」


 黒い雲は一方向から流れてきている。

 その先に、あの女神様がいるんだ。


 私は以前、白児さんに呪われた時に見た黒い夢を思い出した。

 私のものではない闇が体の中をどんどん侵食していく、あれと同じことが今この町全体で起きているのだとしたら。


 土地ごとみんな、呪われてしまう。


「動ける?」


 隣には、私をまっすぐ見つめる双眸があった。


「ずっと無理させてごめん。何回謝っても足りないけど、これで最後にする。全部終わらせるために力を貸してくれ」


 そう言って煉くんは頭を下げるけれど、力を貸してほしいのは私のほうだ。

 アマノザコノヒメ様を顕現させたのも、北山様の封印を解きたいのも私なんだもの。


「煉くんが謝ることなんか一つもないよ。こちらこそ、よろしくお願いします!」


 絶好調とまではいかなくとも、頼りなく思われないように声を張る。


 たぶん、私が心の底では怖くて不安で怯えていることを、きっと煉くんはお見通しだろう。自信のない私しかこれまで見せてきていないもの。

 だけど彼は何も言わず、微かに笑みを浮かべていた。


「――今、一回抱きしめといていい?」


「・・・え?」


 聞きまちがい、かな?

 何かびっくりすることを言われた気がする。


「佐久間が起きてからずっと我慢してたんだ。だめ?」


「だ、だめということは、ない、ですが・・・?」


 だめかと訊かれた反射で答えてしまい、あれ、これよかったのかなと思い返す前にもう抱きしめられていた。


 背中に回った二本の腕からびりびり刺激が広がって、はしゃぎ出したいような縮こまりたいようなたまらない気持ちになる。


 恐怖も不安も一気に吹き飛んだ。


 しばらくして煉くんは腕を緩め、ひょいと私を抱えた。


「ひゃっ!?」


「行こう。準備はできてる」


 にやりと笑うその顔は、なんだか楽しそう。


 煉くんはそのままどこかへ向かう。ここ数日の私はずっと彼に抱えられて移動してる気がする。自力で歩けないことはないんだけれど。


 静かだった明け方とは打って変わり、お屋敷の中は人の話し声や足音がたくさん聞こえる。


「よぉ」


 襖の開いた大部屋から黒装束の拓実さんが出てきたと思ったら、私の頭を軽くなで、足早に行ってしまった。何かとても忙しそう。


 古御堂家の方々だろうか、色んな人が出入りしている大きな部屋の中で、綾乃さんと正宗さんが立ち話をしていて、さらに、その隣には蔵に閉じ込められていたはずの椿さんと翔さんの姿があった。


 無事に和解できたのかな。

 二人とも髪の色がそれぞれの神様の色に染まっている。つまり、また神様を宿してる。


 私たちが行く前に翔さんが気づき、綾乃さんの肩を叩いた。


「体調はもうよろしいのですか」


 綾乃さんは、憑りつかれていた時よりも表情がよく動くようになった。

 煉くんに下ろしてもらい私が大丈夫だと答えても、心配そうに眉根を寄せる。


 正宗さんのほうも相変わらずの眉間の皺。


「すまないが、多少の無理を強いねばならない状況だ」


「ユキさんが作戦の要ですからね」


「わっ」


 洸さんが背後からにゅっと現れる。私が驚いてしまったせいで、「おやめなさい」と綾乃さんにたしなめられていた。


「失敬。顔色は、少しよくなりましたか。この度は申し訳ありませんでした」


 深々と洸さんは頭を下げる。


「すべて私の不手際です。綾乃の異変にも気づけず、みすみすあなたを危険にさらしてしまいました。お詫びのしようもありません」


「こ、洸さんのせいじゃないですよっ」


 予想外の謝罪を受け、私は慌ててしまった。


「きっと、はじめからこうなる運命だったんじゃないかと思います。神様に直接会った私が思い出せなかったんです、何も情報がないのにわかりっこないですよ」


 まさか自分の奥さんが邪神に憑りつかれているだなんて、想像できるわけがない。

 それでも今ここに私が無傷でいるのは洸さんたちのおかげ。

 誰も悪くないし何も後悔することはない。


 そう伝えると、洸さんは「ありがとうございます」と最後にまた頭を下げて、空気を切り替えた。


「冬吉郎さんのお話は綾乃からすべて承りました。これより、我々は両面宿儺の封印を解くべく動きます」


「い、いいんですか?」


 思わず声が上ずった。


 天宮家を千年この土地に縛り付けていた封印を解いてしまう、ある意味で身も蓋もない作戦をこんなあっさり許してもらえるとは。


「それだけ打つ手がないということです」


 洸さんは苦笑いを浮かべていた。

 でもちょっと心配で椿さんや翔さんのほうを窺うと、翔さんが笑顔でひらひら手を振る。


「あー安心していいよ。俺らも今度は納得してるからさ」


「こんな滅茶苦茶な状況になっちゃねえ。うまくいけば万々歳。いかなくても最悪の事態に変わりはないでしょ」


 椿さんは若干投げやりというか、色々吹っ切れたような雰囲気。

 そこへ洸さんが「まったく勝ち目のない賭けというわけではないんですよ」と付け加えた。


「両面宿儺を社に祀っている人々がいる限り、かの鬼神は土地神です。土地を呪うアマノザコを確実に敵と見なすでしょう。そして己の領域内で土地神が負ける可能性は低い。――我々にとっての問題はその後ですね。土地が救われても天宮は両面宿儺に復讐されるかもしれない。ですがユキさんのおばあさまのハルさんは、代々この土地に住み、両面宿儺を守護神として信仰してこられた方です。その血を引くユキさんの言葉ならば、両面宿儺も耳を貸すかもしれません」


「そうだといいんですけど・・・」


 期待と不安は五分五分といったところ。

 今は北山様が味方であることを信じて、精一杯お願いしてみるしかない。

 頭を振って、よけいな不安を払う。


「――がんばりますっ」


「おう、がんばれ」


 宣言したその口に、温かいご飯を押し込まれた。


 先ほどすれ違った拓実さんが、おにぎりをお盆に満載し、皆さんに配ってる。出陣前の腹ごしらえ、といったところだろうか。


 綾乃さんだけはおにぎりを受け取らず、今後の動きについて私たちに説明してくれた。


「社までの道の安全を確保するため、椿と翔を先に発たせます。ゆえに私の判断でこの二人へ神を戻しました。事後報告となってしまい、ユキさんには申し訳ないのですが」


「いえっ、ん――全然、問題ないですっ」


 すかさず煉くんが渡してくれたお茶で口の中のおにぎりを飲み下し、慌てて答えた。

 でも綾乃さんは申し訳なさそうなまま。


「すみません。アマノザコを鎮めることができた暁には、その場で再び神の絵を描いていただきたいと思います。おそらく、お体に相当のご負担をかけることとなります。ユキさんがなるべく気力体力ともに温存できるよう、できる限り邪魅どもを蹴散らしておきますので――椿、翔、わかっていますね?」


 すいと鋭い眼差しを向けられ、椿さんと翔さんは肩を竦めた。


「はいはい」


「罪滅ぼしも兼ねて、がんばらせていただきますよ。だからユキちゃん、俺らのこと赦して助けてね?」


「え? あ、はい、もちろんっ」


「あっさり赦すな馬鹿」


 いつの間にかおにぎりを配り終えて戻ってきた拓実さんに、がしりと頭を掴まれた。


「狐の身代わりだったとはいえ、お前こいつに殺されてんだぞ」


「えっ」


 お狐様に身代わりになってもらっていた時、私は絵を描くのにいっぱいいっぱいであんまり状況を把握できていなかった。

 そういえば、洸さんが肝が冷えたと言ってたっけ。


 翔さんのほうを改めて見やると、翔さんはにこっとしただけで、無言。ちょっと怖い。

 まあ、うん、でも、これが翔さんの素なんだろう。優しいけれど、簡単に情に流されたりはしない、毅然とした人。


「私は大丈夫ですよ。状況が状況でしたし。その、殺されかけたりとかも、初めてじゃないので」


「どっかの古御堂にも無理やり仕事に連れて行かれて危なかったことがあったしな」


 煉くんの言葉に正宗さんの眉がぴくりと反応し、拓実さんはそっぽを向いた。

 鬼の成子さんをおびき出すために私を囮に使ったこと、正宗さんに報告してなかったんだろうなあ。


「――ユキさんは後から煉や慧とともに北の社へ向かってください」


 話が脱線しかけたところで、綾乃さんが軌道を戻す。そのため、正宗さんも開きかけた口を閉じた。

 名前の出た慧さんは、今この場にはいない。


「私と古御堂は他の祓い屋とも協力し、各所で暴れる妖怪を押さえ込みます。封印解除の方法は洸が心得ておりますので」


「私は案内も兼ねて椿たちとともに参ります。後ほど社で合流いたしましょう」


 洸さんは帽子を胸に当てお辞儀してみせる。


 封印場所は天宮家の当主以外には秘密にされているけれど、後続の私たちのほうは煉くんが道のりを覚えてくれていた。ちなみに私は迷子の末に辿り着いたところなので、あんまり記憶に自信がない。


「椿さんっっ!」


 がたた、と突然続き部屋の襖の一つが音を立てて開き、包帯だらけの龍之介さんが飛び込んできた。


 勢いのまま椿さんのもとへ飛びかかりそうなのを、慧さんが後ろからシャツの襟首を掴んで止めている。

 ど、どうしたんだろ。


「あまり興奮するな。傷が開く」


「愛し君が敵地に赴くという時に大人しくいられるものか! 椿さん、僕がお供いたします! あらゆる敵から貴女を守る盾となりましょう!」


 はあ、と深い溜息が二つ聞こえた。


 龍之介さん、声は元気そうだけどやっぱりぼろぼろだ。

 あの夜たくさん血を流していたもの。今も興奮したせいなのか、足元がふらついている。


「も~、いい加減うるさいから気絶しててくれない?」


 椿さんは額に手を当てて、どっと疲れた様子。


「そんな体で付いて来れるわけないこと、わかって言ってんでしょ?」


「ええですがそのくらい燃えているこの愛をご両親にもアピールしておこうと思いまして」


「自分の親もいる前でよく恥ずかしげもなくほざけるわよね。そういうところだけほんと尊敬するわ」


「なんと! とうとう僕の愛が届いたのですね!」


「ああやだ話通じない。あんただけは心底殺しておきたかったわよ。あれだけ切り刻んだのになんでしぶとく生きてんの気持ち悪い」


「無論、生涯貴女に愛を伝え続けるためですとも」


 慧さんの肩を借りつつ、龍之介さんは椿さんの傍に行き、翡翠のブレスレットを差し出した。


「貴女をお守りするよう石に念を込めました。これから貴女は大きな力を失う、それでも僕よりずっと強いけれど、負う傷は増えることでしょう。そのすべてを僕に肩代わりさせてください。貴女を守り、貴女のために生きていきたいのです。どうか、無事にお戻りくださいますよう――」


 まるで神前にあるかのように、龍之介さんは厳かに願う。


 普段と少し違った様子に、全然関係のない私がなぜかどきどきした。なんだかプロポーズを聞いてるみたい。


 いつしか周囲が固唾を飲んで見守る中、椿さんは一言。


「気持ち悪い」


 心にぐさりときた。だ、だめかぁ・・・。


「ま、これはもらっとくわ。物の役には立ちそう」


 落胆した直後、龍之介さんの手のひらから、ひょいとブレスレットを取った。

 機嫌よく人差し指で輪をくるくる回す椿さん。龍之介さんは満面に笑みを広げ、私もつられて嬉しくなった。


 気まぐれというか、自分に素直でからっとしている、こういう椿さんが龍之介さんは好きなんだろう。


 商売敵の天宮家と古御堂家だけど、この騒動をきっかけに少しずつ歩み寄れるようになれたらいいな。

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