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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
144/150

桜の下の死者

 改めて冷静に考えてみると、ものすごく異様な状況にある。


 二月に満開の桜を眺め、死んだおじいちゃんとおばあちゃん、平安貴族風味な成子さんと広達さんと私は並んで座り、足元ではセンポクカンポクさんがおばあちゃんに串から外してもらったお団子をあむあむしてる。


 木霊さんは自分の幹に腰かけて食べてる。ちなみに私は食べちゃだめらしい。「食べたら戻れなくなるよ」とおじいちゃんが薄ら怖いことを言ってた。


 この千年桜はあの世とこの世のちょうど境に立っていて、花の奥へ進むと黄泉の国に繋がっている。

 花の下までなら、おじいちゃんたちは出てこられるそうだ。


「――すると、ユキがお社で会ったのはアマノザコオノカミ様ではなかったんだね?」


 私の話の重要なところをおじいちゃんが確認する。


 もう記憶に曖昧な部分はない。

 騒動の黒幕は笹原さんではなかった。実行犯はそうであったかもしれないけれど、神隠しに遭ったあの夜、私に謝っていた彼女が自分の意思で動いていたはずがない。


「おじいちゃんが描いたアマノザコオノカミ様にすごくよく似ていたけど、私のは女の神様だったよ。その神様を宿した綾乃さんがお社にいたの」


「女神かぁ・・・広達さん、心当たりはありますか?」


 背中合わせに座っている広達さんにおじいちゃんが水を向ける。


 広達さんは花を見上げ、ぽつりと言った。


「アマノザコノヒメ」


 ()の神ではなく、ヒメ。


「嵐神スサノオより生まれし邪神。アマノザコオノカミの母とされる。天邪鬼とも呼ばれておったかな」


「あまのじゃく? 天邪鬼って神様だったんですか?」


 慣用句にもなっている有名な名前だ。

 しかも荒神を統べるアマノザコオノカミ様のお母さんって、なんだか色々びっくり。


「まあ様々伝承のある天邪鬼やら天狗やらの祖のようなものらしい。とかく争いを好む神であり、強大な力を持つだけでなく、人心を読み操ることができるとかなんとか」


「広達様? しかと教えて差し上げなされ」


 成子さんに肩をつつかれると、広達さんは弱り顔になった。


「いやあ、わしも聞き齧りでのう」


「肝心なところで頼りないお方じゃ。すまぬの、ユキ殿」


「いえっ、そんなことないですっ」


 大体の話でも助かった。そういう存在がいることすら知らない私たちでは、なんの見当もつけられなかったもの。


 争いを好み、左は右に、前は後ろに、天邪鬼のように何事もあべこべにしないと気が済まない。

 笹原さんは自分のことをそんな風に言っていたけど、本当はアマノザコノヒメ様のことだったんだ。


「ええっと、じゃあ、順番に話を整理すると――」


 集めた情報を口に出して、起きたことの意味を考えていく。


「まず、アマノザコオノカミ様は、天宮家に荒神を返してほしくて、偶然北山のお社で出会ったおじいちゃんに力を授けました。でも、すんなり神様を返されることがおもしろくないアマノザコノヒメ様が、妖怪たちを使って妨害しました。洸さんがどうにか綾乃さんに宿っていた神様の絵をお社に持って行ったけど、洸さんはアマノザコオノカミ様の前で気を失ってしまって、神様が返ったところを見ていません。起きて絵を見てみたら、神様がまだ宿っていたから、洸さんは失敗したんだと思い絵を持って帰って、また綾乃さんに神様が返されました」


「でも綾乃に宿っていた神は荒神ではなく、アマノザコノヒメ様だったんだな?」


 おじいちゃんの言葉に頷く。


 神様が人の世界にいるためには器が必要。そして私やおじいちゃんの絵は神様の器になれる。

 それがたとえ、その存在の姿を完璧に写したものでなくても。


 私が思い出したのは夏休みに起きたキの神様の騒動だ。笹原さんが南山の廃校の避雷針に仕掛けた雷を切る刀によって、ばらばらになってしまったキの神様は、近くの妖怪たちが持っていた私の絵に宿り、かろうじて存在を保っていた。


 であれば、おじいちゃんの絵にも別の神様が宿ることができたのではないだろうか。


「たぶん、たぶんだけど、綾乃さんの元の神様はあの日に返されていたんだと思うんです。洸さんが起きた時、絵にかわりに宿っていたのは、アマノザコノヒメ様だったんじゃ、ないかと」


「そうだね」


 私の推測におじいちゃんも同意してくれる。

 さらに広達さんが補足した。


「アマノザコは人心を操る。憑りつかれた者は、正気ではおれぬだろうな」


 暗い部屋で、一人正座していた綾乃さんの様子は明らかにおかしかった。


 もしかして私がそうであったように、綾乃さんも記憶の一部を封じられていたんじゃないだろうか。

 例えばおじいちゃんを信じていた気持ちを捻じ曲げられてしまっていたのだとしたら、そこにあるのは猜疑心だけだっただろう。


 アマノザコノヒメ様が綾乃さんに憑りついていたとすれば、私が洸さんに話を聞いた翌日から襲撃が始まったことの理由も説明がつく。

 だって、あの時に洸さんは一族を説得するため、綾乃さんに事情を全部話していたはずだから。


「アマノザコノヒメ様は、完全に顕現するための器を作りたかったんだろう」


 おじいちゃんが続きを継いだ。


「我々が神を返さなくてはいけないと思うように仕組み、わざとユキを本家に誘い込んで絵を描かせた。綾乃よりもユキの絵のほうがより器としては最適だったんだろうからね」


 すべては、神様の手のひらの上の出来事だったのだ。


 あらゆる騒動の種を播きながら、いつもぎりぎりのところで私を生かし、色んな出会いを経験させ、いつか自分の器を作らせるために力の使い方を覚えさせた。


 ここまでくると恨み言も浮かんでこない。

 悲しいとか悔しいみたいな気持ちもない。きっと私なんかでは抗いようがなかった。ただただ圧倒されて、その存在への畏怖だけが心を占める。


「――アマノザコノヒメ様は、もう、顕現してしまったんだよね」


「ああ」


 おじいちゃんも、静かにおそれていた。


 アマノザコオノカミ様が顕現することも怖かったのに、争いだけが目的の女神が顕現されてしまったら、地上はどうなるんだろう?


「私は、どうしたらいいの・・・?」


 もはや神様を返すだけでは終わらない。


 仮にまた翔さんたちに神様を戻しても、あの禍々しい女神に勝てるかどうか。あんまり考えたくないけれど、たぶん、無理なんじゃないかと、思う。


「器が紙に描いた絵ならば切ることもできようが、果たして刃が届くか」


「広達様に妙案はござりませぬか」


「うむ・・・」


「お狐様でも難しいだろうなあ。西の土地の内なら勝負になるかもだが・・・土地の妖たちに総出で力を借りるか・・・大天狗様は協力してくれんかな、さすがに」


 それぞれにうんうん唸っていたところ、ハルおばあちゃんが不思議そうに言った。


「ねえ、北山様にお守りいただくことはできないの?」


「きたやまさま・・・?」


 私はなんのことなのかすぐにわからなかったけれど、おじいちゃんも広達さんもみんな、ぎょっとしていた。


「私は私の祖母から、北山様は土地の守り神だと聞かされていたけれど」


「・・・ハルさん、それって要は、両面宿儺の封印を解いちまおうって話かい?」


「え!?」


 おじいちゃんが訊き返したことで意味がわかり、私はつい声を上げてしまった。


 北山様ってそういえば、両面宿儺の封印場所を管理している宮守の妖怪たちが言っていたっけ。


「そもそも神様たちを返したって、封印がある限り天宮家の方々はお役目から解放されないんでしょう? だったら封印もなくしてしまえばいいじゃない」


「そ、そんなことしたら、もっと大変なことになるんじゃないの?」


 ものすごく、とんでもないこと言ってる。


 生前のおばあちゃんは妖怪が見える人ではなく、おじいちゃんの身に起きていたことの詳細も死後に知ったばかり(?)だから、簡単に言えたのかもしれない。


 ――なんて、私は咄嗟に思ってしまった。


「あのね、ユキちゃん。これは古くから土地に住む人々に伝えられてきた話でね」


 おばあちゃんは名前の通り春の陽気のような眼差しで、教えてくれたのだ。


「北山様は、土地の外からやってくる邪悪なものを追い払ってくれる神様だったの。土地の者にとっては悪神でもなんでもなかった。私たちのご先祖様は、天宮家に封じられてしまった北山様をお慰めするためにお社を建てたのよ」


 おばあちゃんが言うのは、北山の木々にまぎれてひっそりと建っている無人のお社のこと。


「今でも麓でお祭りをしているでしょう。あれももともと、北山様に感謝を捧げるためのお祭りだったの」


 何も知らないのは私のほうだった。


 煉くんから聞いた伝承では、両面宿儺は人民から略奪することを楽しんでいた悪神だと言われてる。だから他の神様に討伐された。

 でも、それは戦いに勝った朝廷側の言い分。


 同じ行為でも見ている立場によって解釈が変わるのは当たり前。どちらが正しいとかまちがっているということではなくて。


「千年前に蘇った北山様が都を襲ったのも、もしかしたら、また土地を脅かされないようするためだったのかも。おばあちゃんも本当のことはわからないけどね、少なくともこの土地に被害はなかったわけでしょう? だからね、もう平和な世になったんですよって教えて差し上げれば、北山様もお狐様のような存在になってくださるんじゃないかしら」


 お狐様のような――私たちをそっと見守ってくれる、優しい神様に?


 もし本当にそうなってくれるのなら、何もかもが解決するけれど。


「さすが俺のハルさん! 名案だ!」


「はいはいありがとう」


 おじいちゃんが大げさに腕を広げ、そのまま抱きしめようとするのをおばあちゃんは恥ずかしがって手を突っ張っていた。仲良いなあ。


「土地神として祀られておるならば、土地の危機には力を出すかな」


 後ろで広達さんが、意外にも賛成っぽい意見を呟いていた。


「そういえば、両面宿儺には《儺》の字が入っておったか。これは追儺――災厄を祓う儀のことよな。邪神も祓うてくれるやもしれぬ」


「ほ、本当ですか?」


「物は試しというやつじゃ」


 広達さんはからから笑ってる。そんな軽い気持ちで試していいものなのかな。

 でもアマノザコノヒメ様はすでに顕現してしまっているし、他に手立てがないのは事実。


「ユキ殿が宿儺を調伏してしまえばよろしい」


 なんて言い出したのは成子さんだ。調伏って、確か祓い屋の人が妖怪を従えることだったような。


「私は祓い屋じゃないですよ?」


「わらわを調伏したはユキ殿ぞ。同じようにしておやりなさい」


「な、成子さんにも何もした覚えないです」


 私はただ絵を描いただけ。そう、私にできるのなんてそれだけだ。


「・・・封印を解いてみるにしても、天宮家の方々を説得しなきゃいけないですよね。もし解けたら両面宿儺――北山様にアマノザコノヒメ様と戦ってもらえるようお願いして、うまくいった後にも天宮家に復讐したり暴れたりしないようにお願いしなくちゃいけなくて、あ、あと天宮家の神様ももちろん返してアマノザコオノカミ様に怒らないでいてもらって・・・こんな、何もかも都合よく聞いてもらえるんでしょうか」


 言葉にするほど自信がなくなる。私は特別じゃない、どこまでも平凡な人間なんだもの。

 本当は誰かもっとふさわしい人がいるんじゃないかと思う。

 だけど、ここにいるのは私だから。


「ユキが、がんばらなくちゃいけないね」


 おじいちゃんたちは私の頭をなでて言うのだ。


「大丈夫よユキちゃん。北山様は私たちの味方だもの」


「いずれ、そなたがやらねば誰にもできぬ。ことに死人である我々には、な」


「・・・はい」


 どんなに無理でも怖くても、果たさなきゃいけない役目が私にもあった。


 まだ生きているから、生きている限り、やってみるしかない。


「木霊、木霊よ」


 おじいちゃんが台を立ち、頭上の木霊さんへ呼びかけた。


「土地の妖怪たちに、最後までユキを助けてくれるよう伝えておくれ。この子は人と妖と神にとっての希望だ。どうか守ってやっておくれ」


 木霊さんは優美に微笑む。


 手のひらを上にして、ふーっと息をかけると、花びらが大きな渦となって辺りに吹き荒れた。


「わっ!?」


 座っていた台の感覚が消え、花びらとセンポクカンポクさん以外の何もかもが私から離れていく。


「ユキ、おじいちゃんは後悔してないぞ!」 


 どんどん遠ざかるおじいちゃんが、花の向こうで叫んでいた。


「神様や妖怪たちに出会えたことっ、腕を失くしたことも何もかもだ! すべての瞬間が宝物になった! 綾乃たちにも伝えておくれ!」


 それを最後に、視界一面が花びらで埋もれ、たまらず私は目を閉じた。




 ❆




 瞼の向こうに、かすかな光を感じる。

 ぷよぷよしてない、布団と枕の感触。畳の匂い。誰かの気配。さっきまではなかった感覚が元に戻っている。


 右手が、温かい。誰かにとても大事そうに包まれている。

 誰なのかはわからなかったけど、私は嬉しくなって、その手を握り返した。


「――佐久間?」


 ゆっくり、瞼を上げる。


 薄青の空気の色は夜明けの前みたい。

 そこへ鮮やかな緋色が差し込む。


「・・・煉くん?」


 まるで泣きそうな顔。

 心配になり、左手を彼の頬に伸ばす。


「どう、したの?」


 ぎゅう、っと右手を握る力が強くなった。


 煉くんは顔を布団に伏せて、そこで深く息を吐いた。


「よかった・・・っ!」


 体のずっと奥底から、漏れたような安堵の声。

 私の右手を包む両手も、肩も、震えていた。


「ユキさんっ」


 切羽詰まった呼び声とともに、女の人が私に覆いかぶさった。


 彼女もまた震えている。耳元ですすり泣きが聞こえる。


「・・・綾乃さん?」


 泣いているところなんか想像もつかなかった。でも、まちがいなくこの方は綾乃さんだ。

 本来の、綾乃さんだ。


「ごめんなさいっ、私はっ・・・あなたまで、死なせてしまうところだった・・・っ」


 何度も何度も、謝罪は繰り返された。

 綾乃さんが悪かったことなんか一つもないのに。


 体はまだ重くてうまく動かなかったけれど、早く伝えたくて、私は左手で彼女を抱きしめ返した。


 綾乃さんは、おじいちゃんが腕を失った日のことをずっと後悔していたんだ。


「だいじょぶ、大丈夫ですよ、綾乃さん。私、綾乃さんのおかげで生きてます」


 それから右手も握り返す。


「煉くんも、ありがとう」


 顔を上げた煉くんは、やっぱりちょっと泣いていたのかもしれない。


 胸の奥底から愛おしさが湧いてきて、絶対にこの人たちを守らなきゃいけないと思えた。


「――私、おじいちゃんに会ってきたんですよ」


「・・・え」


 綾乃さんが涙の溜まった瞳を見開く。

 私はちょっぴりいたずらを披露するような気持ちで、二人に不思議な花の下での出来事を話してみせるのだった。

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