思わぬ再会
規則的な揺れが、先ほどから続いている。
穏やかなそれが心地いい。あと下にある布団か枕がひんやりぷにぷにしていて、いつまでも寝ていたくなる。
あれ、でも、確か、寝ている場合じゃなかったような・・・?
胸騒ぎに起こされ、頭をもたげると辺りは一面まっ暗だ。星の光すら見えない。私の手元だけ青く光っている。
このぷにぷにしたの、なんだろう。
そう思ってあちこち触るうち、どうもカエルっぽい形をしていることに気づいた。頭のほうを覗き込むと、目が正面についている。
「・・・センポクカンポクさん?」
応えてくれなかったが、たぶん、まちがいない。
なぜか巨大化しているセンポクカンポクさんが私を背に乗せて、黒い地面の上を小さく跳ねながらどこかへ向かっていた。
他には誰もいなかった。煉くんも綾乃さんも、猿神さんも。あの黒い神様もだ。
ここは、どこなんだろう。なんだかあんまり、普通の場所ではなさそう。センポクカンポクさんの跳んできた道だけが青く光り、あとは何もない。
だけど、しばらく大人しく乗っていると、視界に一瞬、薄桃色が入り込んだ。
顔の横を通り過ぎ、反射的に目で追ってしまう。
・・・桜の花びら?
そうして再び前を向けば、滝のような大きな枝垂れ桜が、黒い世界の中に突如そびえていた。
「あ・・・」
その桜を私は知っていた。
北山の千年桜。
枝ぶりの一本一本まで、記憶と違うところがない。
花はそれ自身が光を帯びている。千年桜の周囲だけは明るく、株元の地面の少し生え伸びた草までよく見えた。
太い幹の前に、誰かが佇んでいる。
白っぽい着物に、白っぽい髪。髪は完全な白ではなくて、薄く赤みがかっている。ちょうど、桜の花びらのように。
私のほうへ柔和に微笑む顔は女性のようで、どこか見覚えがある。
センポクカンポクさんが到着すると、まっ白な手を差し伸べられた。
「どうぞ」
「えっ、あ、どうも」
きれい過ぎて触ってもいいのか一瞬迷った。
おっかなびっくり指を乗せると、ふわりと体が浮いて地面に下ろされる。下りた後でも、その方はもまだ手を離さなかった。
「・・・あなたは、妖怪、ですか?」
皮膚がつるつるしてて、なんだかマネキンの指に触れているような不思議な感覚。
私の問いかけに対し、彼女は赤い口の端をさらに上げた。
「この姿をお見せするのは初めてでしたね。あの時、大天狗が邪魔をせねば、もっと早うお話できたことでしょうに。わたくしが貴女の絵をいただけていたのでしょうに。そも、あれはわたくしの絵でありましたのに」
私は何度も瞬きしてしまった。
「もしかして――木霊さん、ですか? 千年桜の?」
「ご明察」
木霊さんは嬉しそうに肩を揺する。
「貴女には、わたくしの弟子の面倒もよくみていただいたようで」
「え?」
「正確には、わたくしの分身ですが。北の社の琴弾き木霊のことです。あれは社が建立される折、その守りにと、わたくしから枝を分けたものなのですよ」
琴弾き木霊と言えば、白児さんのお師匠様だ。
両面宿儺の封じられている北山のお社には、折れた木があった。もとは木霊さんが宿っていた木だったけれど、寿命で亡くなってしまい、弟子の白児さんが琴を受け継ぎ、今ではお師匠様のかわりに演奏を務めている。
そうだ、だからこの方の姿に見覚えがあるんだ。
一度だけ、私は白児さんに呪われた時に彼女の姿を夢で見ている。そっくり、というか、そのものだ。枝を挿し木した分身ならば、それも納得。
「皆が、貴女に再び会える日を心待ちにしておりました。どうぞ、此方へ」
木霊さんが私の手を引き花の下へ導いていく。
みんな、って?
少し引っ掛かりながら暖簾のように枝をくぐり、行くと、赤い傘を差した台があり、そこでお花見団子を食べ、お茶を啜っている――おじいちゃんが、いた。
「ユキぃ! 大きくなったなあ!」
ごくりとお茶を飲み下し、おじいちゃんが両手を振り上げる。
そして隣で、わくわくした顔をしている人は――
「わ、ぁぁ、ユキちゃん? ユキちゃんよねえ! おばあちゃんのこと覚えてる? ユキちゃん、まだ小さかったもんねえ。やっぱり覚えてないかなぁ」
「お、ぼえてるっ、けど!」
腰を抜かしてもおかしくはなかった。
六年前に亡くなった冬吉郎おじいちゃん。十年くらい前に亡くなったハルおばあちゃん。
冬と春の二人の仲のいい夫婦がどうして、お団子食べてお茶飲んで、久しぶりって、当然みたいに私の前にいるの?
そういえば、木霊という妖怪は本来、黄泉の国の入り口である山で死者の魂を見守る存在で、今も私の背後に控えているセンポカンポクさんは、死者の魂を墓場へ導く存在なのだと、おじいちゃんと洸さんの二人に教えてもらったことが急に思い出された。
「わ、私、死んじゃったの?」
やっぱりあの時、猿神さんに殺されてしまったのだろうか。
痛みもなく死ねたことを喜ぶべきなのか・・・でも、何もかも中途半端で、置いてきてしまった。
悲しいよりも、悔しくて情けなくて、涙が滲む。
すると、おじいちゃんたちが急に慌て出した。
「ち、違う違う死んでない! 木霊たちに頼んで少しの間、魂を連れてきてもらっただけだ! ユキの体はまだ元気に生きとるぞ!」
「そうよ、泣かないでいいのよユキちゃん。びっくりしちゃったよね、ごめんなさいねえ」
「し、死んでないの? えっと、じゃあ私、どういう状態なの?」
「あえて言うなれば、生霊の類であろうかなあ」
別の、知らない声がした。
さっきまでそこには誰もいなかったと思うけれど、気づけば烏帽子をかぶった男の人と、それに寄り添って座る、十二単の女性の後ろ姿が台の上にあった。
女性が扇を閉じて振り返る。
ふっくらとした少女のような輪郭。ゆで卵みたいな肌に、黒目がちの鈴のような瞳の女性。
すぐに、秋の竹林で描いた彼女のことを思い出した。
「成子」
私が口をぱくぱくさせていると、名前を教えてくれた。
文化祭の前、拓実さんに連れて行かれた竹林で、何百年も好きな人を待ち続け、鬼になってしまった彼女。
今は角の跡すらない。生前の、本来の、私が絵に描いた通りの美しい女性の姿である。
そしてたぶん、隣にいる男性は――。
「会えたんですね」
また涙で視界がぼやけてくる。ちゃんと幸せな姿を見たいのに。
「鬼となったわらわを、そなたが人に戻してくれたおかげです。こうして広達様と、黄泉の国でも添うことができました」
愛おしそうに隣を見上げるその横顔に、私は胸がいっぱいになった。
「よかったです・・・」
今度は二人そろった姿を絵に描きたい。
でも残念ながら、私は今なんにも持っていなかった。
「わしからも礼を言おう。ユキ殿、であったか。遠き未来の絵師殿よ」
こちらへ体の向きを直し、広達さんというその方が口を開く。
さっき、私に生霊の類だと言ったのがこの方だ。
「委細は貴殿の祖父君より伺った。実を申せば、わしは貴殿の時代より遥か昔に、両面宿儺の封印守護のため、かの地へ参った法師の一人であったのよ」
「そっ、れは、もしかして天宮家の人や古御堂家の人たちと同じ・・・?」
「そうだよ」
おじいちゃんが頷く。
天宮の人々が両面宿儺を封じた後、都から何人も法師やら呪い師やらといった人たちが派遣され、一時期には大きな祓い屋組織みたいになっていたらしい。
けれど時代とともに分裂し、今ではいくつかの祓い屋のお家が残るだけになっている。
「わしは不真面目なたちであったゆえ、かの地で出会うた成子のもとに入り浸っておったのだがな」
目配せされた成子さん、心なし頬を赤くしている。
二人にとって幸せな時間であったことは、私も以前、朽ちたお屋敷に残った記憶を見て知っている。そのままの時が続けばいちばん良かったけれど。
「真面目に仕事はせぬくせに、よけいなことだけはした。わしは天宮の秘密を調べ、知ってしまったのだ。それを御巫に気取られ始末されたのよ」
御巫家――最初に天宮の人々に神様を降ろし、荒神ではなく天の神様だとして偽った人たち。
天宮家を監視していた彼らは都の騒乱に巻き込まれてしまい、現代では過去を失い天宮家との関わりもなくなっている。
けれど広達さんが生きていた時代にはまだ、御巫家は監視役として機能していて、それで広達さんは、成子さんを置いて死んでしまった。
成子さんはそれを知らずに広達さんを待ち続け、鬼になった。
「ユキ、ここにお座り」
おじいちゃんが自分の隣をぽんぽん叩く。
失くしてしまったはずの左手で。
「夜明けまでは時間がある。まずは、おじいちゃんとユキの記憶の答え合わせをしよう。それから作戦会議とゆこうじゃないか」
はらはらと降る花の下、死者と妖怪たちが私を囲み、未来のための話を始めるのだった。




