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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
142/150

当主に宿る神

 煉くんと私は雨戸の一つを開けて母屋に侵入した。


「俺が囮になる。佐久間は少し離れて付いてきて」


 中に入る際、煉くんにそう言われた。


 蓑から出た煉くんの居場所は綾乃さんにばれる。


 もともと神様の力を使えばどうしても気づかれてしまうらしいので、莉子さんがいなくても結界を破ろうとしていれば隠れ続けることは難しかった。姿を隠したままで莉子さんを説得することも、きっと無理だっただろう。


 なので、ここからは速さが勝負。

 綾乃さんが天宮家の人々を呼び戻してしまう前に神様を引き離す。


 煉くんは念のため、私の腕などに炎の蔦を巻き付けてくれた。

 以前、茨木さんに噛まれても無傷で済んだ防御の術だ。これさえあれば、たとえ不測の事態が起きた時にも凌げるだろう。


 とはいえ、あまりはぐれないように、煉くんは私に合わせて走る速度を調整してくれている。

 綾乃さんのいそうな場所は大体察しがつくらしい。


 辿り着くまで、誰かに遭遇することを警戒しつついたけれど、やっぱり母屋の中は電球の一つも灯っておらず、人の気配がせず、結局、心配していたことは何も起きなかった。


 いくつかの座敷を抜けて、煉くんが最後の襖を開ける。

 直前に私は彼の指示で襖の影に隠れた。


 床の間のあるその部屋で、綾乃さんが一人、正座している。


 季節の花の絵が入った黒い着物の見慣れた姿。

 雨戸がそこだけ開いているのか、右手の障子戸から雪明かりが差し込み、彼女の顔を半分だけ白く照らしていた。


 綾乃さんは両目とも閉じたまま。


 煉くんが駆け込んできたことにさえ、まるで気づいていないかのよう。


「・・・椿と翔の神は取った」


 微動だにしない綾乃さんへ、ともかくも煉くんは話し始める。


 私はスケッチブックと鉛筆を出し、絵を描き始めた。


 内心ではまったく落ち着けない。


 たった一人で部屋にいた綾乃さんが何を考えているのか読めなくて、もしかしたらこれは罠で、今にも誰かが物陰から襲いくるんじゃないか、びくびくしてる。


 でも、本当になんの気配も感じられなかった。


「残ってるのはあんただけだ。このまま古御堂まで一緒に来てもらう」


 煉くんもきっと私以上に辺りに気を配っているんだろうけど、表面にはおくびにも出さず、あくまでも綾乃さんを説得するふりを続ける。


「昔も、あんたは佐久間のじいさんに自分の神を渡したんだろ。親父と同じく佐久間のじいさんを信じてたんだ。だから佐久間の処分だって、すぐに決められなかったんじゃないのか? それが今になってどうして佐久間を殺そうとする」


 綾乃さんのまつ毛がわずかに震えた。


 瞳までは見えない。けど、やっと少し目を開けてくれた。


 私は畳に這いつくばり、できる限り早くその姿を写していく。


「・・・さくま」


 綾乃さんが呟く。

 なにか、寝言みたいな、ぼそぼそした声。あまり、綾乃さんらしくないような。


「――佐久間は、天宮の脅威。天宮のために生かしておいてはいけない存在」


「佐久間は天宮を救おうとしてくれてる。佐久間のじいさんだって、そう言ってたんだろ」


 ゆっくり、瞼が上がっていく。


 同時にその背後から黒い影が立ちのぼり、ある形になっていく。


 私は綾乃さんの絵を途中でやめて、新しいページに影の姿を写していった。


「――ええ、そう、言っていた」


 描き始めて間もなく、違和感を覚えた。


 見つめるほどに明瞭な形になっていく姿は、私を見下ろすその目は、まっ黒で、まっ暗で、なんの光も見えない。


 煉くんや椿さんたちの神様は強い輝きを瞳に宿していた。確かな意志をもって私に何かを訴えかけているみたいだったのに。


 この、神様は、なんだろう?


 伝承の天狗に似た長い鼻。長い耳。牙が上下とも外に飛び出した、おそろしい顔。けれど、天女のように美しい髪を持ち、羽衣をまとっている。


 突然、頭の奥に針を刺されるような痛みが走った。


 針は脳みそを執拗にほじくり返し、閉じていた記憶の最後の蓋をこじ開ける。


「――冬吉郎さんは私たちを救おうとしていた。それなのに・・・守れなかった。二度とあんなことが起きてはいけない。今度こそ、私はあの子を守るために――」


「? 何を言ってる?」


 だめ、だめ。


 この姿を描いてはいけない。取り返しのつかないことになる。


 全部、思い出した。


「守るために――私は、何を?」


 長い長い階段の先の、北のお社の前で、幼い私と手を繋いでいた笹原さん。

 彼女は憐れみを含んだ眼差しで、私に言った。


 ごめんね、と。


 そうして連れて行かれたお社の中の、二つの顔がある岩の前で、私を待っていたのは――綾乃さんだ。


 彼女から出てきた黒い神様が、私の右手に触れたのだ。


 綾乃さんに宿っているのは天宮家が降ろした荒神じゃない。


 おじいちゃんの描いたアマノザコオノカミ様によく似ているけれど、それよりもっと女性らしい姿をした別の存在。


「はっ――っ、っ」


 恐怖でうまく息もできない。


 描いちゃだめ、そう思うのに止まれない。


 おじいちゃんの腕を奪い、かわりに私に力を与え、混乱をもたらした謎の元凶。

 その邪悪な姿が今、紙の上に完成した。


 私は、蓑がいつの間にか脱げていたことにも気づかなかった。自分で脱いでしまったのかすらよくわからない。


 できた絵を神様に捧げる。すべて彼女の望みのままに。


 黒い影が綾乃さんから離れ、私の掲げる絵に吸い込まれていく。


 それまでぼんやりしていた綾乃さんの顔に、驚愕と恐怖が広がった。


「逃げてっ!!」


 その瞬間に私のほうへ伸ばされた手は三つ。


 綾乃さんと、煉くんと、指の長い猿の手。


 天井からくる猿神さんの爪がいちばん早く到達しそう。


 手元のスケッチブックからは強大な気配が膨れ上がる。


 これらの光景が、私にはとてもゆっくりに見えた。


 綾乃さんの悲鳴も、煉くんの呼ぶ声も、猿神さんの狂喜する叫びも急に遠く霞がかり、結末を見届ける前に、私の意識はその場を離れた。

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