真夜中の作戦
ほんの少し目を瞑っただけ。
私の気分としてはそのくらいのつもりだったのに、目を開けると布団に寝かされていた。
薄暗がりの中、枕もとにはカエルがいた。
一瞬声を上げそうになったけど、ただのカエルではなく、よく見れば人のような目をしてる。
「・・・センポクカンポクさん?」
名前を口にすると、その妖怪はゆっくり瞬きをして、消えてしまった。
確か、死者の魂を墓場へ導く妖怪だと洸さんが言っていたっけ。何度も私の前に現れるのはどうしてなんだろう。
私、まだ生きてる、よね?
閉じた襖の向こうから、明かりと話し声が漏れてくる。
起き上がって覗いてみれば、隣の部屋に煉くんたちがいた。
「お。目が覚めたか」
襖のすぐ傍にいたお狐様の、一本だけの長い尾がぽふんと顔に当たる。
そのまま手を引かれ膝の上に乗せられた。
「体はつらくないか? 少々無理をさせてしまったな」
「その言い方やめろ」
煉くんがお狐様の肩を掴んで揺するも、お狐様は知らん顔をして私を離さない。
この状態は恥ずかしいのだけど、えと、まあ、仕方ないか。きっとたくさん心配させてしまったんだろう。
「煉くんも、皆さんも怪我は、妖怪たちはどうなって」
お狐様に頭をなでぐりされながら、訊きたいことはいっぱい湧いてくる。
この場にいないのは正宗さんと、龍之介さん、それと慧さん。拓実さんは今しがた音もなく部屋を出て行った。
「俺たちは大丈夫。妖怪の襲撃もいくらか落ちついた」
顔に絆創膏を三枚貼り付けて煉くんが言う。それにお狐様が補足した。
「東山の烏天狗どもがわずかばかり加勢に来たのでな、我らもしばし休んでおった」
「そうだったんですか。それなら、よかったです。お狐様も本当に、ありがとうございました」
「なに、まだそなたの試練は序の口であろうよ」
そう言ってお狐様は私の顎に手をかけ、いつかの時のように目の中を覗き込む。
「・・・やはり見えぬか。なんぞ教えてやれたらと思うたが」
どうやら、また未来を見てくれようとしたみたい。
赤い瞳がきれいだななんて、私は場違いなことを考えてしまっていた。
「近い」
と、洸さんがなんだか不機嫌そうに、私の顎にかかるお狐様の手を払った。
洸さんもあちこちにあった切り傷が手当されている。
「年頃の娘さんに妖魅が気安く触れるんじゃない」
「貴様に言われる筋合いはない」
横で、煉くんが頷いているのが見えた。
「大体お前は冬吉郎さんにもベタベタベタベタと・・・事あるごとに女に化けてはまとわりついていただろう」
「あれとて男だ。青臭い小僧や小娘にまとわりつかれるより好かったであろうよ」
「ハルさんの前でも同じことをして冬吉郎さんを困らせていただろうが。これだから妖狐はたちが悪い。ユキさん、あまり調子に乗らせてはいけませんよ」
忠告とともに、ぎゅうっと手を握られる。
「えっ、と」
「てめえも触るな」
最後に煉くんが私をお狐様と洸さんの間から引き抜いて、座布団の上に降ろしてくれた。
かなり恥ずかしかったので内心、助かった。
「ふざけるのは大概にしろ。佐久間、これからのことだけど――」
仕切り直して煉くんが私へ何か言おうとしたところで、拓実さんが正宗さんを連れて戻ってきた。
煉くんはそちらを一瞥し、話を続ける。
「もし佐久間が平気なら、今夜のうちにケリをつけてしまいたい。この混乱に乗じて天宮の本家に忍び込んで、当主の神を奪うんだ」
当主、綾乃さんの神様。
彼女が宿すのは風の神様で、この町中の妖気や、印を付けた相手の居所を探知したりできる、情報収集に特化した能力があるらしい。
なのでおそらく、椿さんたちの神様を私が奪ったことも伝わっている。私や煉くんたちが今どこにいるのかもわかる。
だから普通だったら忍び込むなんて無理。絶対に気づかれる。
しかし今の私たちには天狗の隠れ蓑がある。
お正月に茨木さんがこれを着て逃げていた時、綾乃さんは気配を探知できなくなっていた。
つまり蓑を着ていれば気づかれずに天宮家へ忍び込める。
当主である綾乃さんが本家から動くことはまずないと思われ、なおかつ時間が経てば経つほど警戒は増していく。妖怪たちの襲撃にも無限に耐えられるわけじゃない。
だからこそ今、先手を打って勝負を決めてしまいたいのだと。
「女天狗のことは我々も伺いました」
途中で洸さんが語を継いだ。
「冬吉郎さんの記憶では、アマノザコオノカミは荒神の返却を求めていました。あるいは自らが顕現する器を描かせるためであったとしても、冬吉郎さんの力を奪うことは本意ではなかったはずです。女天狗が本来従うべき神に背き、暴走しているとすれば、話の筋は一応通ります。であればやはり、我々がすべきは五柱の荒神を今度こそ確実に返すことです」
「まだ判然としないことはあるが」
正宗さんがさらに続ける。
「過去においては、絵を神前に持って行ったにもかかわらず、荒神が返されなかったこと――現在においては、君が洸から真実を聞かされたことをどうやって女天狗は知り、襲撃を開始したのか、だ」
言われてみれば、妖怪たちが私を襲い始めたのは洸さんからお話を聞いた翌日。笹原さんはどうしてそれがわかったのだろう。
普通に考えるとおかしいが、でも相手は妖怪だから、例えばお狐様の千里眼みたいな、特殊な方法があるんじゃないかとも思う。
どうやら正宗さんはそのことを心配しているようだった。
「得体の知れぬ術ならば、隠れ蓑を使ってもこちらの動きが悟られないかは怪しいだろう。そこの狐に何か思い当たる節はないか?」
「はて。貴様らの迂闊さをあげつらえばよいのか? 女天狗は人に紛れるを得手とする妖ぞ」
お狐様はちょっと意地悪な、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「おそらく、ややこしいカラクリはなかろう。とまれ今のことを言うなれば、女天狗は手下もろとも我の本体と大天狗が押さえておる。こちらの動きを知る術はない」
「本当だな?」
「ユキは騙さぬ」
大きな温かい手がまた頭をなでてくれる。
お狐様に化かされたことも騙されたことも、一度だってない。私たちの優しい土地神様が言うのだから、その通りなんだろう。
「私は、行けますよっ」
覚悟を決めて、皆さんに宣言する。
もしかして笹原さんのことを話せば、綾乃さんの考えが変わる可能性だってある。
綾乃さんが納得してくれれば、椿さんや翔さんだって協力してくれるようになるかもしれない。密かにそんな希望を胸に抱いて拳を握る。
大丈夫、絵を描く力はまだ残ってる。
この作戦を実行するかしないかは結局のところ、私の体力と気力と覚悟の問題だったので、私が行けると言ってしまえばすべて決まった。
スケッチブックと削り直した鉛筆をリュックに詰め、それから体力を回復するために瑞穂さんが作ってくれたおにぎりを二つもいただいた。
夕飯というか、もう夜食。
寝ているうちに満月は中天を回り、真夜中となっていた。
「いいよ」
すべての準備が整ったら、玄関先で煉くんが背を向けてしゃがむ。
「し、失礼します」
私は緊張しつつ彼におぶさる。
その上へ洸さんが蓑をかぶせ、煉くんの首の下で留め紐を結わえた。
「いけますね。煉もユキさんも小柄で良かった」
天狗の隠れ蓑は、体がいくらか覆われていないと効果がない。なので普通は一人用なんだろうけど、私を煉くんが背負えば二人で着れるんじゃないかと提案され、やってみたらいけました。
もともとは大天狗様の持ち物で、鬼の茨木さんが使ってちょうどいい大きさだったもんね。人間の子供二人くらいなら、なんとか許容範囲。
というわけで、天宮本家への潜入メンバーは煉くんと私のみだ。これ以上は蓑に入れない。
唯一、お狐様は小さなアグリさんにでも変化して蓑に入るということもできなくはなかったけれど、天宮家には何かと妖怪に都合の悪い術が仕掛けてあったり、分身体のお狐様はそろそろ本体に戻らなくちゃいけないらしく、やはり無理だった。
私がヘマをしないかかなり心配ではあるものの、でも煉くんさえいてくれれば大丈夫だと思える。
足を引っ張らないようにがんばろう。
そういえば、こんなふうに煉くんに背負われることが前にもあったなあ。
確か春に、初めて天宮家に連れて行かれた日の夜だった。
妖怪にさらわれて山の中に置き去りにされてしまった時、煉くんが私を家まで運んでくれたっけ。最初は恥ずかし過ぎて断ろうとしたんだよね。今もどきどきするのは変わらないけど。
小柄と言っても、煉くんはあの時よりさらに逞しくなったと思う。肩ががっしりしているもの。だからよけいに緊張する。
「じゃ、行くよ」
「はいっ」
羞恥心をがんばって脇にどかし、しっかり腕を回してしがみつく。
私が振り落とされたら最悪、蓑が外れてしまって、そうしたら妖怪にも気づかれて大変なことになる。
しかし、準備ができたのになぜか煉くんは出発しない。急に石像みたいに固まってしまった。
どうしたのかな?
すると背後から、私たちの姿が見えないはずの拓実さんの声が飛んできた。
「催してんなよ」
「っ、してねえわ!」
間髪入れず煉くんが怒鳴り返したのでびっくり。
「ど、どうかしたの?」
「ごめんなんでもないっ、佐久間は気にしないでそのままでいいから! 落ちたら危ないからな!」
「う、うん?」
めちゃくちゃ早口だ。
本当にどうしたんだろう?
煉くんは二回くらい息を吸って吐いて、「よし」と小さく気合を入れた。
「行くよ」
「うんっ」
なんだかよくわからなかったけど気を取り直し、私たちは真夜中の町を駆け抜けた。




