入道の忠告
休日を挟んで、その次の週も天宮くんによる護衛は続いた。
毎日の送り迎えと、学校でも目を光らせてくれているおかげで、私でもなんとなく感じられていた人ならざるものの気配が、日に日に薄れていくのがわかる。
でもまだ妖怪たちが私を狙う理由はよくわかってない。天宮くんたちが調べてくれているらしいのだけど、妖怪しか知り得ない情報を、彼らに警戒されている祓い屋が探るのはなかなか難しいのだそうだ。
事情がわからないといつまで護衛を続けるのかもわからない。
私はまったく構わないけど、天宮くんには負担だろう。常に気を張っていなければならないのだから。
しかも連日一緒に登下校してるおかげで、噂に拍車がかかっていくし・・・。
申し訳なさ過ぎて地面に埋まりたくなる。もう土下座じゃ足らない。
天宮くんは何も言わないため、この状況をどう思っているのかあんまりよくわからないけれど、確実に面倒には感じているはずだ。
早く、なんとかならないかなあ・・・。
その日の帰り道も、黙々と歩く天宮くんに付いて行きながら、一人悩んでいた時のことだ。
「止まって」
不意に、天宮くんの腕が進路を遮る。
気づけばもうほとんど家の前。彼の視線を辿ると、家のブロック塀の上で、一つ目の妖怪が煙管をふかしていた。
「やあやあ、無事であったかよ」
耳まで裂けた大きな口を開け、嬉しそうに笑っている。
日中だからだろうか。不思議と、私はそれがちっとも怖くなかった。
「一つ目入道さん・・・?」
「おう。怪我はなかったか? 待っておったぞ」
にこにこしている一つ目入道さんとは対照的に、天宮くんは険しい顔で前に出る。
宙に火の玉が二つ三つ現れたかと思うと、瞬時にそれらが大きく広がった。
「お?」
炎がつながって輪になり、一つ目入道さんを囲む。火の先が着物に触れるか触れないかのぎりぎりだ。
「あ、天宮くんっ、一つ目入道さんはっ」
「下がって」
他の妖怪と同じように退治してしまうのかと思い、止めようとしたがすぐに押し戻されてしまう。
一つ目入道さんはおじいちゃんの友達だと言っていた。あの夜も私を助けてくれたのだ、きっと悪い妖怪じゃない。
でも天宮くんは少しもこちらを振り向いてくれず、一つ目入道さんを油断なく見据えていた。
「そうカッカするな、天宮の小僧」
ところが、一つ目入道さんは慌てるそぶりもなく、炎に囲まれながら暢気に煙管を吸っている。天宮くんのことも知っているみたいだ。
「我はユキに話があるだけじゃ。天狗どものことでな。うぬらもほうぼう調べ回っておるのではないか?」
「・・・わざわざ日中に知らせに来たと?」
「友の子孫が禍に呑まれるを、黙って見ておるわけにはゆかぬさ」
そう言って、また私のほうへ笑いかける。
・・・やっぱり、悪いヒトには見えない。
「わかった。そこで話せ」
炎は消さないまま、天宮くんはあくまで警戒を崩さない。煙を吐き出す一つ目入道さんは、それにちょっとだけ不愉快そうに一つ目を歪めていた。
「まったく天宮という者は――まあよい、特別にうぬにも教えてやろう。実はな、東山の大天狗が、山の主となりちょうど千年を迎えることになっての、その祝いの宴が次の満月の夜に開かれるのだが」
満月の宴? 天狗の? なんだかどきどきする響き。
確か、最近の月はだんだん太ってきていたと思う。たぶん、来週あたりはもう満月なんじゃないだろうか。
「そこで手下の小天狗どもは、主に献ずる祝いの品をそれぞれに探し回っておる。その品の一つとして、どうもユキが狙われておるようなのだ」
その説明は、ちょっといろいろ端折られていて、よくわからなかった。
「ど、どうして私が?」
「おそらくは、どこぞでうぬの絵の腕前を聞きつけたのであろうよ。あるいはどちらも佐久間ゆえ、冬吉郎と混同しておるのやもしれぬ」
「・・・つまり、天狗さんたちは私、というか、おじいちゃんの絵がほしいということですか?」
「はて、うぬか冬吉郎かは定かでないが、小天狗どもは佐久間の所在をほうぼうに聞き回っておる。宴で主の絵を描かせる気であろう。かの大妖怪に献上されるほどの貴重な人物と見て、他の妖怪どもは小天狗より先にうぬを捕え、大天狗に取り入ろうとしておるのだ」
「・・・」
私は、恐怖で言葉も出なかった。
妖怪に狙われていることよりも、おじいちゃんと勘違いされ、絵を求められているらしい状況が何よりおそろしくて。
おじいちゃんは画家だったけれど、私はまったく無責任の趣味で描いてるレベルなのに。妖怪の宴に連れて行かれて、絵を描かされたら、大変なことになる。
がっかりされるだけなら、まだいい。
へた過ぎて、もし怒らせてしまったら? 確実に殺される! だって彼らは、おじいちゃんのような最高の絵をもらえると期待してるんだもの!
「天狗の山へゆけば、二度と帰って来れぬ」
追い討ちの言葉を受けて、心臓が縮み上がる。
「宴が過ぎるまで身を隠せ、ユキ。天宮では信用ならぬ」
「え・・・?」
思わず天宮くんを見ると、険しい顔がさらに怖くなっていた。
一つ目入道さんは真剣な様子で訴える。
「西の社へおいで。さすれば――」
言葉は途中で切れてしまった。
炎がいきなり大きくなって、一つ目入道さんの姿を覆い隠したのだ。
今度は攻撃してるんだってことが、はっきりわかった。
塀から飛び上がる影を炎が追う。
紅緋色の隙間から、わずかに一つ目入道さんが見えた時、彼は煙管の煙をぷっと炎に吹きかけたみたいだった。
途端、炎が白い煙に包まれる。そして宙に吸い込まれるようにして消えてしまった。
一つ目入道さんの姿もない。そこには何がいた形跡もなかった。
「・・・ひ、一つ目入道さん、は?」
「逃げた」
それを聞いて、私は心の底からほっとした。
天宮くんは舌打ちしていたけれど。
「あ、あの、天宮くん? どうして、急に」
「惑わしてきそうだったから」
天宮くんの返答は非常に淡泊だった。
「妖怪の言葉はその通りに聞かないほうがいい。奴らは妖術で人間の意識を操ることもできる。親切なふりしてあいつも佐久間をさらおうとしてたのかもしれない」
「・・・そう、なの?」
「万が一そうじゃなかったとしても、妖怪なんか頼りにならないよ。大体、奴らは何事につけてもやり過ぎる。天狗から隠れるために自分の棲み処に連れて行くなら、それも神隠しだ」
・・・たし、かに。そうなのかもしれない。
でも、一つ目入道さんは西の社へ、と言っていた。西の社、たぶん、お狐様のお社だ。
もし、お狐様を頼るように言おうとしていたのだとしたら?
だって、おじいちゃんは言っていた。困ったことがあったら、お狐様に相談してごらん、って。
一つ目入道さんはわざわざ私の家の前で待ってくれていた。おじいちゃんと友達だったから、家の場所も知っていたんだろう。
もし私をさらって天狗さんのところへ連れて行く気なら、もっと早く、いつだってできたんじゃないのかな。
違うのかな。わからない。でもすごく、信じたい。それともこの気持ちこそ、妖術にかかっているということなんだろうか。
「大丈夫だよ」
一人で混乱していると、天宮くんが私の目をまっすぐに見て、そう言った。
「俺らでちゃんと守る。もう千年もやってきてることだから、安心して」
その短い言葉の中には、自信や、自負が詰まっているように感じられた。
この一週間、彼は完璧に私に妖怪が近づかないようにしてくれていた。顔色一つ変えず、いとも簡単に、妖怪たちを追い払っていた。
なのに、こんなふうに不安になることは、天宮くんに失礼なのかもしれない。
彼らは人を守るために神様を宿して、ここにいる。いつも私たちを守ってくれている。天宮くんたちが信用できないなんて、そんなことは絶対にない。
ならば、一つ目入道さんの真意がどこにあるにしても、私が言うべき言葉は最初から決まっているんだ。
「・・・よろしくお願いします」
丁重に、頭を下げるだけ。
けれど、絶対的な安心感を覚える一方で、私はだいぶ、天宮くんを遠くに感じてしまっていた。
天宮くんは同じ景色が見える人。でも、全然違う世界の人だ。妖怪に向き合う覚悟が根本から私とは違う。
天宮くんにとって妖怪は敵で、きっと心を許してはならないもので、穏やかにお話しできる相手ではないんだろう。
人を妖怪から守らなきゃいけない祓い屋が油断をすれば、自分だけでない誰かが傷つく。
何も背負わず、ただ妖怪と友達になりたいとか、絵を描きたいとか、甘いことを考えている私とは、そもそも仲良くなれる人ではなかったのかもしれない。
17時にもう一話投稿します。