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幻想徒然絵巻  作者: 日生
早春
138/150

家庭の事情

 白い刃が闇を裂く。


 天宮家長女、椿は塀の上からほとんど動いていない。動く必要がなかった。


 彼女が周囲に出現させる剣は手足よりも自由に動き、彼女が把握できる範囲において複数の標的を同時に狙うことができる。


 彼女の双子の弟(あるいは兄)の雷撃を逸らし、佐久間ユキに絵を描く隙を与えず、また混乱に乗じて自身に危害を及ぼそうとする妖を滅す、それらのことを指一本さえ振るうことなくやってのけてしまう。


 地上を見下ろす瞳は冬の月のように冷たく、龍之介は身震いした。


「美しい・・・貴女はその美しさのまま、血に染まるのですね」


 愛を囁けば決まって嫌悪の表情を返される。


 だが彼の女神はもう、なんの感情も浮かべていなかった。

 それでも龍之介は言葉を絶やさない。


「殺意に身を焦がす姿も可憐です。ですが椿さん、天宮の狂気に沈んではいけません。貴女が奪おうとしているのは、一人の少女の命なのです。おわかりですか」


 椿はわずかに眉を動かした。


「あんたユキちゃんを人質に取ったことあったわよね?」


「あの行為は僕の願望から生まれた狂気ですので」


「狂ってる自覚はあったのね」


 会話の間も容赦なく飛び交う剣が、かろうじて身を捻った龍之介の首の皮を裂いた。傷口には金色の光が纏わり、火にあぶられるような絶え間のない痛みが広がっていく。


「ぐぅ・・・っ」


「ユキちゃんだけじゃないわよ。秘密を知ったあんたらもまとめて粛清対象。私、こう見えて喜んでるのよ? やっとあんたをこの世から消せるのだもの。さっさと辞世の句でも詠みなさいな」


 刹那、現れた剣を妨害するように広範囲へ雷撃が落ちた。


「下がれ龍之介。説得は無意味だ」


「・・・いいや。まさか、愛しい人の前から逃げ出すだなんて、僕には考えもつかないよ」


 焼けつく喉を押さえ、龍之介は減らず口を叩き続ける。

 仕方なく慧はそれを庇うべく前に出た。


「あら仲いいのね」


 椿の声音に不機嫌な気分が混じるや、龍之介は笑みを広げた。


「慧くんは昔から、僕と貴女の関係を応援してくれているのですよ」


「はあ? 聞き捨てならないわよ慧」


 不機嫌はさらに増す。


「嫌がらせのつもり? ああでもそうよね。あんたは、昔から私に嫌なものばっかり押しつけるのよね。双子だからって都合のいい時に弟になったり兄貴ぶったり! 私よりあんたほうがよっぽど横暴だった!」


「・・・別に、龍之介を応援した覚えはない」


「今その話じゃない!」


 怒りの分だけ剣が切れ味を増す。

 慧もすべてを避けることはできず、体の至るところに金色の傷が開いた。


「家のこと全部放り出して、わかってんの!? こっちはあんたらがなくした信用の分までがんばらなきゃいけなかった! 長男のあんたのかわりにっ、次の当主に決められてっ、うざったい付き合いも我慢してやってやったのよ! なのに今さら一族を救うとか言い出したって信用できるかバーカ!」


 それは弟たちの前で常に強気でいた長女が、はじめて明かす本音であった。

 慧は正面から静かに受け止める。


「すまなかった」


 紡がれたのは至極簡単な謝意。


「感謝している。俺は、お前がいてくれて助かった」


 椿は大きく目を見開いた。


「・・・馬鹿にしてんの?」


 直後に剣の雨が降る。


 激情のままに放たれようが、攻撃の精密さは変わらない。

 それが普段の弟たちへの暴君ぶりとは裏腹に、地道な修練を積み重ねてきた椿の実力だった。


 しばらく妖退治の仕事からも離れていた慧はすでに、彼女とずいぶん引き離されてしまっている。


 だが、椿は慧の前では毅然とした心持ちでいられない。


 年の同じ兄弟の扱いを自分と比べて理不尽だと訴え、それを我慢できない幼い感情が表に出てきてしまう。


 そこへ追い打ちのように龍之介が言い募る。


「椿さん、貴女は何も我慢しなくてよいのです。神も家も捨ててしまえばいい」


「黙れっ!」


 椿の目の前にいるのは、この世で彼女を最も苛つかせる男二人。


 腹立ちのあまり徐々に他方への援護や攻撃が手薄になってきていることに、まだ彼女は気づかなかった。




 ❆




 派手に広げた炎を囮に、煉は左手から間合いを詰め、ほぼ同時に影に紛れて拓実が反対側から棒を突き出す。

 しかし一瞬前までそこにいたはずの標的の姿は忽然と消えており、驚く煉たちの足元から水が吹き上がった。


「っ、!」


 宙に浮かされ、どうにか受け身を取っても、体に水がまとわりつく。動きの重しとなり、煉にとっては神の炎を封じられる枷ともなる。


「二人して殴りかかってくるだけじゃあ、芸がないぞ」


 翔は背後に立っていた。

 まだ掠り傷一つなく、息すら乱していない。この前に椿に命じられ古御堂家を一人で制圧していたというのに、まるで消耗していないようだ。


 無論、逃げるばかりではなく、翔のほうからも攻撃を仕掛けてくる。

 狙いはほとんど煉に向いている。神の力を持つ兄弟を無力化すれば、残る邪魔者たちは皆、常人。攻め方としては定石を踏んでいる。


 よってその隙に付け込み、拓実が死角からタイミングを計って再び仕掛け、軽くいなされるふりをして、狙ったポイントを敵に踏ませた。

 途端に、戦いの中でひっそりと張った拘束陣が発動する。


 しかし、ばしゃりとその上に水が降り落ち、陣は掻き消えた。


「っ!」


 思わず動揺したその腹へ蹴りが入る。拓実は軽く吹き飛び、背を塀に打ち付けた。


「と、と」


 翔は反動でわずかに片足を跳ねただけである。


「・・・ずりぃんだよ。いちいちよぉ」


 かろうじて気絶せず、拓実は口内の血を吐くついでに悪態をついた。

 敵は挑発的な笑みを見せる。


「小細工が得意なようだが、俺には効かないなあ」


「自力で勝負できねえ野郎が、ほざくな」


「力があっても使いこなせてなきゃ意味ないさ。君はしばらく寝てろ」


 言いながら、足払いを仕掛けてきた煉をかわす。


「遅い遅い」


「くそっ」


 真っ向勝負で翔に勝つことは、煉には難しい。単純な神の力の相性という点でも、技量という点でも、どうしても兄には劣ってしまう。

 煉はいつも六歳上の翔にからかわれ、丸め込まれ出し抜かれてばかりだ。


「おい翔っ、お前だってわかってんだろっ!?」


 煉は声を張り上げた。間断のない攻撃を前に術を仕掛ける隙もなく、頼みの炎も効かない以上、せめてユキに攻撃が及ばないよう、注意を自分のほうへ留め続けるのが精一杯だった。


「この妖怪たちの数を見ろ! 土地の外も内もっ、大勢の妖怪が天宮の神の秘密も佐久間の力のことも知っていたんだ! それでも奴らは佐久間を使って神を奪おうとしなかった! そんなことをしなくとも、俺たちにいずれ約束を違えた罰が下されることを知っていたからだろ! 佐久間を失えば俺たちを救うものは何もなくなる! それこそ天宮に恨みを持つ妖怪たちの思う壺だ!」


「お前もしつこいねえ」


 何を今さらとばかりに、翔は呆れ顔を見せる。


「だからユキちゃん殺してアマノザコオノカミを顕現させなきゃいいだろって、言ったよな? まー、殺すのがどうしても嫌なら右手だけでも切れればいいんだけどさ。将来的にまた佐久間家の人が力を得ても面倒だし、生かすなら彼女をうちに引き込まなきゃな」


「っ、何を――」


「ただ、殺されかけた家に嫁ぐ気になるかが問題だ。嫌がられたら座敷牢にでも入れるしかない。むしろ生かしてやったほうが地獄だと思うね俺は」


「・・・っ」


「可哀想な彼女をお前が慰めたいって言うなら、それでもいいぞ。どうする?」


「ふざけんなっ!」


 消えていた炎が、煉の怒りに呼応し吹き上がった。

 水に打ち消されてもまた燃え上がる。力を振り絞り、煉は翔に挑んだ。


「そんなのは人間のすることじゃねえって、なんでお前らはわかんねえんだっ!」


 心の底から吠えても、相手の眼差しは冷ややかだった。


「自分だけまともな気でいるなよ。俺もお前も同じ血が流れてる」


「だからなんだ! これ以上の非道を続けるなら天宮こそ滅ぼすべき悪鬼だっ!」


 火花が水を弾き飛ばす。


 一瞬だけ、まとわりつく拘束が途切れ、煉は翔の着物を掴んだ。

 その勢いを殺さぬままに、加減せず相手の鳩尾へ膝を突き刺す。


 初めて入った一撃。


 しかし、奇妙なほどに手応えがなかった。


「――人道を踏み外さば人外となる、か」


 何事かを呟き、翔の体は無数の紙人形に変化した。


「なっ?」


 動揺した煉は反応が一拍遅れた。


 戦いの中ですり替わっていた身代わり。


 仕掛けに気づき辺りを見回した時、彼の兄は縮こまる少女の目の前にいた。


「俺を人外に堕とすのは君だったね」


 細い首へ手を伸ばす。


 翔の出現に気づき、妖怪を相手にしていた洸や正宗が取って返そうとすれば、すかさず鼻先へ剣が飛んだ。


 地を這う水が足に絡み、煉ももはや間に合わない。


「佐久間っ!!」


 その場の誰もが悲痛な叫びを上げたが、少女は動けなかった。ろくに抵抗もできず、男の手を受け入れた。


 翔が意思をもって両手に力を込める。


 ごきり、と。


 確かな感触が返ってきた。






「ふ・・・」


 それは安堵か。狂気か。


 はじめ、翔は自身が無自覚に笑ったのだと思った。


 だがすぐに気づいた。


 震えているのは、彼が今しがた折った少女の喉。


「っ!?」


 咄嗟に手を離す。


 少女は奇妙に首を曲げたまま、ゆっくり立ち上がった。


「天宮ごとき化かすには、尾の一本で十分よ」


 途端に背後から現れた金色の毛が、大きく広がり翔を絡め取る。


「九尾狐か!」


 翔はすべてを悟った。

 西で妖怪を追い払っている土地神の尾を数えれば、今は九尾が八尾になっていることだろう。


 いつの間にか、あるいは最初から、標的はすり替えられていた。


 ならば本物の佐久間ユキはどこにいるのか。


 その時、翔の遥か後方で、「できました!」と誰かが叫んだ。

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