花と天狗
冴え冴えとした朝に、乾いた制服を着て支度を済ませる。
学校に行くわけじゃないけれど、このままじっと古御堂家の方々に匿われているつもりもなかった。だってそれじゃあ、いつまで経っても解決しない。
天宮家の結論は出された。その上で私たちの目標は変わらない。
天宮家の神様を絵に移して返す。昨夜翔さんが去った後で、改めてその意思を洸さんたちとみんなで確認した。
要するに、煉くんと慧さん以外の神様は無理やり奪うということ。
綾乃さんは本家を動かないだろうけど、椿さんと翔さんはおそらく、またすぐに古御堂家に襲撃を仕掛けるはずというのが洸さんの予想だ。
天宮家と全面的に対立することになる。
そこで大きな懸念となるのが、私を狙う謎の妖怪たち。
相変わらず黒幕は正体不明のままだ。
実は洸さんが天宮家に真正面から説得を試みたのは、この黒幕が天宮家の内部にいないかどうかを確認する意味もあった。
あらかじめ怪しい人に目星をつけておき、じゃあ神様を返そうという方向で話が進めば、必ず何かしらの動きを見せるはず、ということだったらしいのだけど、予想外に綾乃さんが敵に回ってしまい、様子を見るどころではなくなってしまった。
天宮家の中を調べることはもう難しい。
でも、ただ襲われるのを待っていることしかできないわけじゃない。
「東山の、大天狗様のところに行ってきてもいいでしょうか」
朝食の席で申し出てみると、煉くん以外は皆さん寝耳に水のような反応だった。
「なぜだ」
中でも正宗さんが怖い。
常に睨むような眼差しに気圧されつつ、私は秋頃に大天狗様に助けられ宮に連れて行かれた時のことを話した。
あの時は、莉子さんに手を切られそうになったことで不安になり大天狗様の前で泣いてしまったり、まあ、他にも色々と恥ずかしいことをされたり言われたりしたけどその辺は端折って。
大天狗様は助けてくれた理由を、私が特別な人間だからだと言っていた。それは自分たちと、自分たちの神にとって。
今ならその言葉の意味がわかる。
「大天狗様もお狐様と同じで、天宮家の神様のことや私の力のことをご存知なんじゃないかと思うんです。もしかしたら、私をアマノザコオノカミ様のもとへ連れて行ったのも、大天狗様だったりしないかと、思いまして」
最後のはただの思いつきだが、いずれにせよ大天狗様は私たちが知らないことを知っているかもしれない。
「おじいちゃんは色んな妖怪と友達でしたが、大天狗様とは交流がなかったようでした。ですよね?」
洸さんに確かめると、頷きが返ってくる。
「あの天狗は山の外の物事と関りを持とうとしませんでしたから。確かに、冬吉郎さんも私も調べたことのないところを調べるのはいい考えかもしれません」
私が言わんとすることまで洸さんは先に察してくれていた。
けれどそこへ拓実さんの指摘が入る。
「もし天狗がお前をアマノザコオノカミに会わせたんだとすれば、それは奴の絵を描かせて顕現させるためなんじゃねえのか? 行って帰ってこれんのか」
「俺がいればあいつは佐久間を帰す」
言い返したのは煉くんだ。
あまりにきっぱりと断言したので、拓実さんたちは眉をひそめた。
「ずいぶんな自信だな」
「そういう約束をしてる。天狗から何を得られるかはわからないが、調べるなら今しかないし、天狗が素直に話す相手は佐久間だけだ」
まだ明るい時間で妖怪たちがあまり動かず、人目があるため天宮家も襲ってこないであろう、今だけ。
幸い古御堂家は東山の近くにある。
また山の中は完全に大天狗様の領域なので、外の者を好き勝手暴れさせるなんてことをあの方は許すはずがない。つまり、襲われにくいと思われる。
「――なるほど。父上、この子たちにはこの子たちなりに積み重ねてきたものがあるようですよ」
龍之介さんが隣の正宗さんに言った。
「念のため拓実に付いて行かせればそれでよいのでは? あまり大人数になっても天狗の機嫌を損ねそうですから」
正宗さんは額に手を当てしばらく考え込んだ後、
「・・・日暮れ前には戻るように。必ずだ」
「っ、はい!」
無事に許可を得て、いよいよ東山へ行くことになった。
❆
もう、四度目になる。
二本の大きな杉の間を通り、霧を抜けると現れる大天狗様の宮。
いつも大げさに歓迎してくれる烏天狗さんたちも今日はやけに神妙で、まるで私たちが来ることを最初から知っていたみたいに、何も聞かずまっすぐ大天狗様のもとへ通してくれた。
よく宴会をしている広間ではなく、母屋の左手奥の小さな離れ。
その庭には紅梅が咲いていた。
外界の梅はまだやっと蕾というところのなのに、すでに満開だった。
枝は天に向かって伸びているのではなく、自然に垂れ下がっている。強い香りの中を抜けると、羽を潰して寛いでいる大天狗様の姿が庭から見えた。
今日は山伏のような格好じゃない。
顔の上半分を隠すお面はつけているけれど、薄い着物一枚に黒い羽織を肩にかけ、煙管を咥えている。
私たちに気づいているのかどうなのか、絵の張られた部屋の壁や天井を眺めていた。
それは、私がスケッチブックをつぎはぎして大きな一枚絵として描いた千年桜。
大天狗様に初めてお会いした時に差し上げた絵だ。
確か寝所に飾っていると言っていた気がするけど、あれ、もしかしてここは大天狗様の寝室なんだろうか?
格好を見ても、いかにもお休み中でしたという雰囲気。
人の家に夜中に訪ねるのが失礼なように、もしかして妖怪のもとへ日中に訪ねるのは礼儀に欠けていた、かもしれない。
お狐様なんかは日中に行っても起きていることが多いから配慮を忘れてしまっていた。
「お、おはようございます大天狗様。こんな時間に押しかけてしまって、申し訳ございません」
まず謝罪から始めると、大天狗様はゆっくりとこちらに首を傾ける。
お面に隠れて瞳は見えない。
「どうぞ、いつでもおいでください。――おや、また新しい顔を連れていますね?」
おそらく拓実さんのほうを見ている。
「あ、はい、こちらは」
「貴女の周りは近頃とみに騒がしいようだ」
紹介しようとしたものの、大天狗様に遮られてしまった。必要ない、ということだろうか。
拓実さんも特に名乗り直すことなく、周りを見回していた。
「そろそろ、小僧では手に負えませんか。私を頼っていらしたのであれば、光栄なことです」
「まだそこまでじゃない」
即座に煉くんが言い返すと、大天狗様は笑みを深めた。
「その虚勢がどこまでもつか、見物であるな」
やっぱり大天狗様は、今何が起きているのかを全部知っているみたい。お狐様と同じだ。
私は思いきって、訊いてみた。
「大天狗様は、アマノザコオノカミ様をご存知ですか?」
「ええ。我らの神です」
大天狗様は当然だと頷く。
「私を、その神様に会わせてくれたのは大天狗様ですか?」
「はて。なぜそう思われたのでしょう」
だけど次の問いには意外そうな反応が返ってきた。
「ち、違いましたか?」
見当外れだった?
確かに、かすに覚えている繋いだ手の感触は、大天狗様ほど大きなものではなかった気も、しなくはないんだけれど、でも・・・。
大天狗様はくつくつ笑っていた。
「残念ながら。しかし、大外れとまでは申さぬでおきましょう」
「え?」
不思議な物言いだ。
それってまるで――
「・・・大天狗様は、私を神様のもとへ連れて行った誰かをご存知なんですか?」
そうじゃなかったら、おかしい。
やっぱり大天狗様はとても大事なことを知っているんだ。教えてほしい。それこそなんでもするから、どうか。
そんな必死な気持ちで見つめるも、大天狗様はまた煙管を咥えてしまう。
いつまで待っても返事はない。
なんでも都合よく教えてもらえるわけじゃない、のかな。
諦めかけた時、大天狗様がおもむろに口を開いた。
「――私の古い知り合いに、変化の達者な者がおります」
「え・・・?」
「さすがに千変万化とは参りませんが、人に化けることにかけては狐殿にも勝るやもしれません。一切妖気を気取られず、あたかも昔からあったかのように人の中に在ることができるのです」
全然別の話が始まったのかと思いきや、それはどうも何かを示唆しているようで。
「佐久間を神に引き合わせたのはお前の知り合いだと?」
煉くんが核心に迫る。
けれど、大天狗様は「さて」ととぼけてみせた。
はっきりとは教えられないらしい。たぶん、意地悪とかではなくて、なんだか事情がありそうな、そんな雰囲気を感じる。
でも何かを伝えようとはしてくれているんだ。
煙を吐き、大天狗様は続ける。
「春の日より、私は物思うようになりました。果たして我らの出会いは偶然であったのか。あるいは、きたる時にこの身を引き出さんがため、仕組まれたことだったのやもしれぬと」
お面に隠れた視線はまた、壁の桜に注がれていた。
「つくづく不思議であったのですよ、佐久間殿。我らの出会い――千年桜のもとへ、貴女は如何にして辿り着いたのか」
「? 普通に、歩いてですけど・・・」
問われていることの意図がわからなかった。
北山の千年桜は案内の看板が立っている。時間はかかるが、ちゃんと山道があるし歩けない距離じゃない。
ああでも、秋に行った時には看板が朽ちてなくなってしまっていたっけ。あれはもう直されただろうか。
「どういうことだ」
しかし我慢ならなかったように拓実さんが詰問する相手は、大天狗様じゃなくて私だった。煉くんも驚いたように目を見開いている。
「待った。その話聞いてない」
「そ、そうだっけ?」
一度も話したことなかったっけ・・・?
そういえば、大天狗様と知り合った経緯を、煉くんにはあまり詳しく説明してなかったかも。
妖怪絵師の噂がいつの間にか広まっていて、妖怪たちは最初から私を知っていることが多かったから、どうやって知り合ったなんてことを改めて訊かれる場面もなかった。
文化祭で再び絵を描きに行って遭難した時も、ただの写生としか説明してなかったかもしれない。
そんなことより封印場所に入り込んでしまったことのほうが衝撃的で。
だって千年桜は地元の隠れた名所というだけだ。
なのに煉くんたちは、詳細を聞くとどんどん顔色が変わった。
「あのな、佐久間。千年桜は北山のずっと深いところにあるんだ。封印場所の入り口よりもっと奥だ。看板どころか、まともに歩ける道もない。普通の人には行けない」
到底、信じられない話だった。
「で、でも、一時間ちょっとくらいで行けたよ? 他に行った人の話だって、聞いて・・・」
反論が勢いを失っていく。
まさか、と思ったから。
違和感の追究を恐れる私へ、再び拓実さんが強い口調で問い詰める。
「お前に千年桜の話を吹き込んだのは誰だ?」
「それ、は――」
気づいた時、記憶の中で塗り潰されていた顔が徐々に、鮮明になっていった。




